第二章 第二幕

 レースが行われる競技場地下には広い面積を有した、これから出走する選手達のスタンバイ場が存在する。そこに足を踏み入れた瞬間、張り詰めた空気が肌を焼く。威勢はいいが、正味まだまだ経験の浅いルティカとバラクアは、必死にその空気を振り払おうと、深呼吸をしてみたり頬を叩いてみたりするが、完全に振り払う事は出来ず、緊張感に気圧されてしまう。

 だが当然、レースは待ってはくれない。

「出走番号2番。セオクク厩舎所属、ルティカ選手、バラクア選手。こちらへお越し下さい」

 運営スタッフの指示に従い、ルティカ達は強張った身体のまま、出走準備へと取り掛かる。普段耳に装着しているネイバーを外し、レースの時専用のヘルメット一体型のネイバーを被る。そのヘルメットは黒く、両側面には白い大きな文字で『2』と数字が書かれている。これがルティカ達に与えられた、本日のナンバーだ。

 出走準備を一足先に終えたルティカは、もう既に集まっているライバル達を一瞥して鼻息を荒くした。全ての選手を颯爽と抜き去るイメージを頭の中で巡らせ、一度大きく天井を仰いでから、バラクアの首元の鞍へと跨った。

 鴻鵠士の位置が鴻鵠の首元に設定されたのは、彼らが空中でどれだけ強く羽ばたいたとしても、首元は殆ど動かないと言う理由からである。一方鴻鵠は、強風の中であっても首元に跨る鴻鵠士の声を聞き分ける事が出来る、人間よりも強い聴力を備えていた。

 最後の選手の準備が整った直後に、遥か上空から、レース開始直前のファンファーレが降り注いだ。その後少しして、轟音と共に、スタンバイ場を覆っていた天蓋が満月を分かつように左右へと開いていく。抜けるような青空と、空中に浮かぶ銀色の競技用リングが、徐々に顔を覗かせる。それと同時に、上空の観客席から響く歓声が選手達の耳まで届き始めた。

 自身の腰の安全ベルトを鞍に固定して、ルティカはバラクアの首に両手を回した。

「うっし、行くよバラクア!」

「おう!」

 威勢のいい返事と共に、バラクアは両翼を思いっきり広げた。その闇色の羽が力強くはためいたかと思うと、バラクアの巨体はルティカを乗せて瞬く間に空へと舞い上がって行った。

 周囲の鴻鵠達も次々と飛び上がり、辺りには濛々とした土煙りが立ち上り、全ての鴻鵠が上空へと上った所で、再び地下と地上を繋ぐ満月は閉じられた。

 ルティカの耳に届く観衆の声が、空に近づく事に比例して大きくなって行く。

 レース直前、バラクアの首元から観客達を見下ろしながら、ルティカの頭にはいつも、父であるガイゼルの姿が思い浮かんでいた。

 レース場を颯爽と飛び周り、華麗にリングを潜り抜け、勝利と衆目と歓声をさらっていく逞しい父。

 家に帰ってくれば、ルティカに向けて暖かい笑顔をくれる優しい父。

 自身の相棒の鴻鵠に対し、厳しくも優しい瞳を向ける父。

 鴻鵠士になると宣言した時、頑張れよと笑ってくれた父。

 ルティカは、そんな父親が大好きだった。

 レースの直前は、自分が憧れた父に近づいていると言う確信が持てた。誰が何と言おうと、ルティカにとって父、ガイゼルの存在は大きく、遥かなる目標だった。

 ルーテジドの星とまで呼ばれた父が、その手に掴んだ名誉を、娘の自分が再び取り戻す。それこそが自分に与えられた使命なのだと、ルティカは胸に強く刻みこんでいた。

 観衆達の上空を、他の参加者と共に旋回する。13頭の巨大な鴻鵠達が並び飛び、丸い大きな影を観客達に落とした所で、会場に実況者のアナウンスが鳴り響いた。

「皆様、大変長らくお待たせしました! 次代のスターはここから生まれるのか! C級の鴻鵠達が織り成します熱き競演、C級エラリアル杯のスタートです! それでは、選手の皆様、ゲートインをお願いします!」

 興奮するアナウンサーの指示通り、バラクアは滑空しながら、空中に吊るされた鳥籠型のゲートへと向かった。本日与えられた2番のゲートに入り、備え付けられた止まり木に足を乗せる。

 他の鴻鵠達も次々と自分の与えられたナンバーのゲートへと向かい、レースの準備は完了となった。

 ルティカは、呟いた。

「バラクア、今日こそ勝つからね!」

「当然だ!」

 入り過ぎている程の気合を放つルティカとバラクアは、触れれば火傷をしてしまいそうな程燃えていた。

「それではいよいよスタートです! 会場の皆様、御唱和下さい!」

 アナウンサーの指揮の元、会場全体での、スタートの大合唱が始まる。これも鴻鵠レースの名物だった。

「3! 2! 1! レディー! フライト!!」

 合図と共に、ゲートが勢い良く開いた。

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