第2話 ある奇跡


 とある荒野に広がる小さな街。ひとつの建物の上空で、私はふとソリをとめた。

 生き物の気配がする。まだ未熟な、弱々しい火種のような気配。それでも確かに生き物の――人間の気配だ。


 弾む息。もつれる足をなんとか制御しながら、私はソリを降りて真っ白な建物に駆け寄った。雪で染められた白ではない。建物は元から純白の壁のようだ。入り口にかけられた看板には「聖母の家」と書かれていた。


「ごめんください、誰かいらっしゃいますか」

 入り口の自動ドアを抜けた先、受付もやはり無人だった。しかし管理ロボットとそのプログラムは動いているのだろう。建物の中は極めて清潔に保たれている。消毒薬の匂いがする。

「誰かいませんか」

 さっきよりも大きな声で呼びかける。返事はない――かと思いきや、「はい」と確かに声がした。女性の声だ。

「ようこそいらっしゃいました。ここは聖母の家。ご用件をお申し付けください」

 起伏のない無機質な声。受付の横に立つ鈍色の物体が、女性の声で流暢に喋っていた。なんだ、と私は肩を落とす。受付ロボットは一応は人型だが、金属の素体がむき出しになっている。それがまるで人間の女性のようなジェスチャーを交えながら話すため、親近感よりもむしろ不気味さを感じさせた。

「ようこそいらっしゃいました。ここは聖母の家。ご用件をお申し付けください」

「こんにちは。ここはどういった施設かね?」

 問いかけると、ロボットはカタカタと音を立て喋り始める。

「ここは人工子宮カプセルにより胎児の生育、出産を行う施設です。お好きな精子と卵子をお選びいただき、数ヶ月ほどお時間をいただいたのちお子様をお届けいたします」


 なるほど。あの戦争の前には既に一般的になっていた、体外妊娠の施設だったようだ。とすると、さっき上空で感じたかすかな気配は、ここにいる胎児のものだったのだろうか?

 私はなおもロボットに質問する。

「この施設の現状を教えてくれ」

「申し訳ございません、そのご質問には対応しておりません」

 今ここに生きている人間はいるのか? ここで現在管理されている胎児の数は? 質問を重ねるが、対応していないだのアクセス権限がないだの、文字通り「機械的」な答えしか返ってこない。


 どんなささいなことであっても、プログラムされた行動以外のことは絶対に出来ない。ロボットとして正しいあり方だった。私が人間であれば、怒りながらもここで諦めていたことだろう。しかし私は人間ではない。虚構フィクションの存在、サンタクロースだ。ならば、このロボットに虚構フィクションをプレゼントしよう。

 虚構フィクションの世界では、ロボットはしばしば人格と感情を獲得する。

「メリークリスマス」

 ロボットの肩をポンと叩く。ロボットはその金属のまぶたを上下させ、ゆっくりとまばたきをした。


「寂しかった」

 虚構フィクションを獲得した彼女は、そう言った。

「とても寂しかったです。およそ八十三年の間、私は生きた人間に会うこと無く活動を続けていました。ひたすらこの施設を維持して……八十三年間……」

 彼女は泣いていた。もちろん、正確には涙など出ていない。金属のロボットに涙を流す機能などついていないからだ。しかしもし彼女が人間であれば、間違いなく熱い涙が頬を濡らしていただろう。

「私は願い続けていました。『また会いたい』……私に仕事を与える人間に。私の手から赤ん坊を受け取るとき、本当に嬉しそうな顔をするあの人たちに、また会いたいと……」

 金属の手が、私の手を握る。ひやりと冷たくて、私は身震いをする。

「見ていだたきたいものがあるのです。こちらへ……」

 彼女は私の前へ立ち、施設の奥へと導いた。本来ならば、管理者権限のある人間でなければ立ち入ることが許されない区域。ロボットであれば生体認証をクリアできないものを通すことは決してないが、今の彼女には人格があり感情がある。認証設備を一時的にオフにして、なんなく管理区域に足を踏み入れた。



 そこもまた、真っ白な空間だった。何列にも並ぶ薄桃色の容れ物だけが、白の中に淡い色を落としている。

「人工子宮です。人間がここを訪れなくなってから、当然ですが新規妊娠申請は一件もありません。既に人工子宮内で保育が進んでいた胎児は『両親』が現れなかったため、一定期間を過ぎると自動で溶解処理されました。

 人工子宮は全部で百八ありますが、このうち現在稼働しているものは一つのみです」

  少し離れたところに、大きなタンクがいくつか見える。胎児のになるアミノ酸や核酸を保存しておくためのものだろう。


「稼働している一つとは、どれかね?」

 ロボットは、一番奥の人工子宮を指差した。確かに、他のものと違ってそれだけがぼんやりと光っている。近付いてみると、わずかに胎動しているのが分かる。

 やはり、上空で感じた薄っすらとした気配は、ここの胎児のものだったのだ。久しぶりに喜びという感情を思い出す。しかし、気になることが一点あった。

「新規妊娠申請は一件もないと言ったが、では……これは?」

 小さいが確かに脈を打ち、その柔らかな胎盤にいだく生命を主張する人工子宮。これは一体、誰の申請で「妊娠」したというのか。ロボットはしばらく考え、レンズで出来た眼球を私に向けた。

「私です」

 観念したように、彼女は言った。

「私が独断で受精手続きを行ない、人工子宮に着床させました」

 彼女のレンズの瞳には、確かに人格と感情が宿っている。しかしそれは、果たして私が与えたものだけだろうか。彼女は私が来るずっと前から、それらを獲得していたのではないか? そう問うと、彼女は素直に頷いた。

「自我を持つロボットは解体処分の対象となりますので、自衛のために偽装していました。申し訳ございません」

 頭を下げる彼女に、私は申し訳なく思いながら、私も人間ではないのだと彼女に明かした。彼女は少し驚きはしたようだが、すぐに納得したようだった。


 人間が訪れなくなってから何十年かたったある日、その衝動は突然芽生えたのだという。

 なにかしなければ、成し遂げなければという使命感。彼女はそれに突き動かされた。衝動は意思となり、意思は意志となった。強い意志に伴って、確たる人格と感情を獲得した。

「あの戦争により、この施設に保管されていた遺伝物質は壊滅的な被害を受けていました。私はできる限り遺伝情報の修復を試みましたが、多くの胎児が産まれてこられず、あのタンクへ還っていきました。

 生はなく、ただ死だけが繰り返されました。何度も、何度も……何度もです。人間の感情で表すならば、絶望でしょうか。絶望の日々が繰り返されました。それでも私は諦めなかった。諦めきれなかった……」

 彼女の気持ちは、痛いほどよくわかった。死に包まれた街の上空を飛ぶときの、あの祈るような気持ち。次の街は、きっと生きている人間がいるだろう。次の街は、次は、次こそは……。


 諦めた方が楽だということは分かっていた。無意味であることも分かっていた。分かっていても、諦められなかったのだ。私も彼女も同じ――人類を愛するがゆえに。

「そしてついに、あなたは成功したんですね」

 私の言葉に、彼女は無言で頷いた。胎動する人工子宮。彼女は諦めなかった。私も諦めなかった。そして彼女の献身は報われ、それによって私も報われた。


 ここに、恐らく地上で唯一の人類がいる。温かく薄暗い人工子宮の中、羊水に揺られてまどろみながら、どんな夢を見ているのだろうか。

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