第四十六話 剣狼


 スクートとフレドー……互いに寸分の隙を狙うべく、長く続いた睨み合いはフレドーの靴音によって終わりを告げた。


 これまでのフレドーであれば、獲物を前にした餓狼のように一心不乱に突撃してきたことだろう。


 だが此度は違った。剣先を向け迎撃の構えを取るスクートに対し、フレドーは円を描くかのように走り出したのだ。


「なるほど……考えたな、フレドー」


 高速で周囲を動き回る標的に、突きという点を狙う攻撃は不向きだ。そう判断したスクートは突きの構えをとき、十字剣を上段に構える。


「相手の選択肢を狭め、なおかつ利点である速さを最大限に活かす。おれの戦い方が掴めそうと言っていたのは、どうやら嘘でも誇張でもないようだ」


 やはり底が見えない強敵だ。スクートはそう心の中で呟いた。


 ぐるり、ぐるりと、視界が定まらないように駆け続けるフレドー。いつ仕掛けてくるかわからない中、スクートは視界だけではなく音や第六感にも集中を研ぎ澄ます。


「!」


 フレドーがスクートの背後に回った瞬間、不意に足音が途切れた。


「――――仕掛けてくる」


 スクートは振り向きざまに飛んできた牙を弾く。さらに続く二撃目が飛んでくると身構えるが……あろうことかフレドーは距離を取り、再び円を描くように走り出す。


 そしてまた、フレドーはふとした時に飛び掛かっては一撃離脱を繰り返す。


「……これは!」


 その戦い方はまさに、獲物を取り囲んだ狼の群れのようであった。ひたすらに死角を狙い攻め立てる。それは反撃すら許さぬ、言うなれば狩りであった。


 満たされつつある餓えは理性へと昇華し、そして理性は戦いの最適解を導き出す。ここに来てフレドーという男は、さらなる高みへと至ろうとしていた。


「だが、決定力に欠ける。何かを狙っているのか?」


 対するスクートはある時は避け、またある時は十字剣で攻撃を弾いていなす。突発的な不意打ちで仕留められるほど、スクートは甘くない。


 しかしスクートの戦術眼であっても、フレドーの思惑には気付くことができなかった。スクートは闘技場の端から、フレドーの狩りによって徐々に中央へと誘われていたのだ。


「頃合いだな……さあスクート、終わりにしようか!」


 スクートが闘技場の中央へと達した瞬間、決着を着けるかのような口上と共に――――あろうことかフレドーはスクートの真正面から強襲する。


「ここにきて正面か」


 度重なる死角からの攻撃に慣れさせてからの正攻法。それは裏の裏をかいた奇襲となるはずであったが、スクートを動揺させるにはまだ二手ほど足りなかった。


「単調すぎる。奥の手があるのだろう? 見せてみろ、フレドー!」


 上段からの構えを解き、瞬時に突きを繰り出すスクート。


 このまま突撃してくるのであれば、これで勝敗は決するだろう。再び距離を取ろうとするのであれば、離脱の瞬間を見計らい追撃する。


 フレドーが正面から勝負を挑んだ時点で、戦いの天秤はスクートへと傾いた。


「――――やっぱりな。お前なら、そう来ると思ったぁぁあ!!」


 確かに、フレドーは敗北へと繋がる二者択一を選ばされたはずであった。


「見えてんだよぉ!!」


 しかし彼は勝利を確信した笑みと共に十字剣の間合いへと入り込み――――そして放たれたのは、スクートの突きを弾き落とすという荒業であった。


「――――! 遅かったか」


 スクートといえど、咄嗟の突きは速度が僅かに損なわれていた。万全であれば、フレドーといえどこのような真似はできなかっただろう。


「だが、それではまだ一手足りないぞ」


 スクートの膂力りょりょくは剣を振り抜く途中で軌道を変えるほどである。弾き落とされたとはいえ、同じ要領で十字剣を振るえば何の障害にもなりえない。


 ここまでは確かに、スクートにとっては些事であった。


「手は使えねぇが、足ならどうだぁ!」


 だがフレドーは十字剣が動き出す前に、足を使い木板を踏み抜くかのような勢いで押さえつけた。


「――――っ!?」


 ここに来て初めてスクートは焦りを覚える。足蹴にされた十字剣は錠でもかけられたかと錯覚するほどに重く、スクートの力をもってしても繊細な動きを許されるものではなかった。


「くっ、離れろ!」


 もはや一秒たりとも猶予は無かった。十字剣を封じたフレドーがスクートの懐へと入り込み、一撃を見舞うのは必然。


 敗北の未来を脱するために、スクートはフレドーが乗っかったままの十字剣を強引に振り上げる。フレドーを吹き飛ばし、無理やりではあるが一度仕切りなおすために。


 そのスクートの選択は……紛れもない正解ではあった。


 相対する者が、フレドーでなければ。


「スクート……お前には弱点がある。それは戦いにおいて、最適解を選び続けてしまうということだ」


 フレドーは吹き飛んだ―――だがそれは横にではなく、スクートの頭上を空高く、舞い上がる木の葉のように。


「なっ―――十字剣を踏み台にしたのか!?」


「正確すぎるから、かえって読みやすいんだよ! 絶対にそうくると思ったぜぇ!!」


「当たり前のように予想を覆す……しかし、それがどうした!」


 フレドーはスクートの真上を取った。


 フレドーが優位に立ったのは紛れもないが、両者の得物は十字剣と小剣。圧倒的な間合いをほこる十字剣を再びかい潜らなければ、フレドーに勝機はない。それも、地面へと落ちながらである。


 だが彼は、フレドーは笑っていた。


「ここからなら観客を巻き込む心配もねぇ……これが俺の答えだ、スクート!」


 フレドーは小剣を鞘へと納め、引絞った弓のごとく身体をひねる。それは霧喰らいとの戦いで見せた、彼にとっての奥義とも言える風の斬撃を放つための構え。


「……まさか」


 スクートの背筋に冷たくも焼ける悪寒が走る。


 ―――残風波ざんぷうは。霧喰らいという怪物にも通用した、恐るべき威力の一撃だ。半不死の身であるスクートであっても、あれに直撃すれば死がよぎる。


「見事だ、フレドー」


 初手は狼のような強襲で錯乱し、闘技場の中央へと引きずりだす。そして不意に正面から突撃することで速度が殺された突きを放たせ、それを踏み台にし飛び上がる。


 全ては、この瞬間に繋げるための布石であった。


「俺の全てをぶつける―――死ぬなよ、スクート!!!」


 フレドーは抜剣した。振るわれた小剣の切っ先、その遥か延長上の空間が一瞬だけ歪んだかと思えば、半透明の風の刃が唸りを上げてスクートへと襲い掛かる。


「真横からならばやりようがあるが、これは―――」


 放たれた風の刃は巨人が振るう両手剣のごとき大きさである。フレドーが地上から放てば、数十人の観客が巻き添えになるほどだ。


 それが速さを兼ね備えながら上から降ってくる。到底、身のこなしひとつで躱せるものではない。


「悪いがリーシュ……使わせてもらうぞ」


 スクートは新注の鞘を取り外し、盾のように持ち変える。そして十字剣と重なるように掲げ、体勢を低く屈めた。


 フレドーの奥義を、真っ正面から受けきる。それがスクートの選択であった。


 聞こえるだけで身を裂かんばかりの風切り音―――迫りくるほどに圧を増すそれは、ついにスクートへと達した。


「ぐううううっ!!!!」


 風刃が十字剣と鞘に触れた瞬間、鋼鉄の嵐がのしかかったと思うほどの重さがスクートを襲う。


 そして響き渡る、鉄の球を弾いたかのような甲高い音。砕け散った風の刃は、炸裂した硝子片のごとくスクートの身に突き刺さり、肉を裂く。


「……かすり傷だ」


 鞘と十字剣の隙間より、黒血を流したスクートが天を覗き見る。


「流石だなスクート! だが落ちる前にもう一発くれてやる!!」


 フレドーは剣を鞘に納め、再び残風波の構えを見せていた。


「次は耐えられない、だが……」


 十字剣は問題ないが、戦闘用ではない鞘はいまの一撃でがたが来ていた。なんとか盾の原型は保っているものの、次の残風波を受ければひしゃげるのは明白だろう。


「おれにも飛び道具はある」


 スクートは渾身の力を乗せ、フレドーに向けて鞘を投げ上げた。


「うおっ!?」


 スクートの膂力で投げられた物ならば、それが何であれ凶器となる。フレドーは構えを解き、慌てて飛来してきた鞘を斬り払う。


「ぐっ、体勢が―――!」


 地に足が着いているのであればともかく、空中で大きな衝撃を抑えるのはフレドーであっても不可能であった。


 崩れた体勢のまま、重力に身を任せフレドーは落ちていく。そして待ち構えるは、十字剣を振りかぶったスクート。


 それでもフレドーは、気合で十字剣を防御する。だが再び空中で強烈な衝撃をくらった代償に、地面に落ちた彼は土煙を上げながら転げまわった。


「これで……本当に終わりだ」


「がああああ!!」


 追撃せんと踏み込むスクートに対し、フレドーは土煙をまといながら獣のように飛び掛かる。執念を、咆哮にのせて。


 互いの突きが、互いの剣を交差し―――そしてふたりの動きが石像のように止まる。


「勝負あり……だ!」


 フレドーの小剣は半歩の距離を残し届かず、だがスクートの十字剣は相手の首に触れていた。


「あと少し。だがそれが、あまりに遠かったか」


 満たされたような笑みを浮かべ、フレドーは剣を下ろす。


 そして戦いの終わりを告げる炎魔法が空へと打ちあがり爆ぜ、同時に燃え上がるような歓声が闘技場を包み込む。


「よそ者がフレドーを負かしたら、野次のひとつでも飛ぶだろうと覚悟していたが……」


 スクートは外界より流れ着いた、言わばミスティアにおける異物である。ミスティアの長ともいえる七炎守を打ち負かし、この闘技に勝てば相応の仕打ちが観衆より浴びせられるものと彼は考えていた。


 だがそんな予想とは裏腹に、聞こえてくる歓声はどれも死闘を称えるものばかりであった。


「なに目を丸くしてんだスクート。お前は俺に勝ったんだ、誇れ。そして手のひとつでも振ってやれ!」


 フレドーはスクートの腕を掴み、否応なしに観衆に手を振ってみせた。


「見事なもんだ、本当にな。でも次に勝つのは俺だ」


「まだ二回は負けるつもりはないぞ」


「言うじゃねぇか、ならいずれ勝ち越してやる」


「ふっ……とんでもない奴に目をつけられたものだ」


 スクートとフレドーは互いに認め合うかのように笑う。


「この感覚……どこか懐かしい、な」


 もう会うこともないであろう、かつての親友と切磋琢磨しあった日々。その再来をスクートは予感するのであった。


「さあて、ぼちぼち七炎守として最後の仕事をしようか」


 そう言うとフレドーは闘技場の中央に立つと、両手を広げながら声を張り上げた。


「みな、聞いてくれ! 今日この日をもって……このフレドー・ベルングロッサは、家長の座をナタリア・ベルングロッサに譲渡する!!」


 熱狂とはまた別の衝撃が、観客たちを駆け巡る。そして彼らに視線は、次期七炎守となるであろうナタリアのいる、特設された観客席へと注がれた。



※とうとうストックがなくなりました……! 一章は残り二、三話で終わります。週一回の投稿さえ危ういですが、最善を尽くします! 

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