第四十二話 贈り物


 その日は幸いにも曇りもようであった。


 四年前、ミスティアの内乱によって焼け落ちてしまった街の一画。そこには新たに即席の闘技場が築かれ、いまでは人々の歓声と熱気で埋め尽くされていた。


「ぜぇ……ぜぇ……なんとか、間に合ったか……。人を雑に扱うところは妻にそっくりだなまったく」


 ホルスは急ごしらえの闘技場を見渡し、自身の仕事ぶりにひとまず安堵した。


 ベルングロッサ家をはじめとした友好的な一門に協力を仰ぎ、木傀儡ウッドゴーレムに資材を運ばせては人の数に物を言わせ昼夜問わず建築し、ぎりぎりのところで闘技場は完成した。


 同時に大きな催しがあると宣伝し、馴染みのない闘技に顔を出してくれと説いて回り、どうにかして里の人口千人のうち八割を集客した。


 かつては里一番の剣士であった勇名に、不必要な敵を作らない温厚な人柄のため彼は多くの人に親しまれている。加えて先代七炎守であるフレドーの両親と親交のあったホルスは、リーシュがにらんだ通りこれ以上にない適任であった。


 これはリーシュ、スクート、フレドー、ナタリア……その誰であっても成しえることはできなかった偉業である。


「亡き友よ、見ているか。次代が新たな時代を創ろうとしているぞ」


 霧の天蓋てんがいを見上げ、ホルスは言葉を手向けるように呟いた。


「これが私にとっての最後の大仕事になるよう、願っていてくれ。いま一度……また皆で茶を飲み交わしたいものだな」


 先の時代より生き延び、ひとり取り残されてしまった老兵は静かに思いをせる。


 そして言葉はたゆたう風に乗り、ホルスの白髪を揺らしながらどこかへと飛んでいった。



 ※ ※ ※



 闘技の場へと通じる簡素な門。その前は控室となっており、出番を待つスクートと連れ添うリーシュの弾んだ声が響いていた。


「いよいよね、スクート」


「ああ、そうだな」


 新しく仕立ててもらった礼服の具合を確かめながら、スクートは頷いた。


「軽さもあり動きやすさは十分、左腕の手甲も小さいながら強度は高い。急所や各関節にも最低限の防御が施され、敵の力を殺しながらであれば受けることもできそうだ」


 機動性を損なわずに、防御力にも重きを置いた従者の礼服。扱いこそ至難であるが、抜群ともいえる戦闘の才覚を持つスクートであれば十字剣と共にあらゆる攻撃から身を守れるだろう。


「いくつもの本をひっくり返しながら軽鎧とやらを調べて、わたしなりに手を加えてみたの。設計や見た目を取り繕うのは大変だったわよ、軽鎧の性能を礼服の形に落とし込むのだからね」


 前のものとは違い、新しい礼服はリーシュが仕立てたものだ。鎧という風習がない以上、腕利き揃いの職人であってもスクートの望むようなものは作れないとさじを投げた。


 そこでリーシュはあろうことか独力で鎧の設計思想を学び、必要となる部品をひとつひとつ職人に依頼し、ついにこのような形に実現させてみたのだ。


「……最高の一着だ、ありがとうリーシュ」


「当然じゃない、ほかでもないこのわたしが作ったのよ。世界にふたつとしてない、スクートだけの鎧……一生物よ、大切にしてね」


「ああ、もちろんだ」


 したり顔のリーシュに、スクートは感謝を送る。


「そしてもうひとつ、スクートに贈り物があるわ。……結構重いわね、やっぱり」


 そう言うとリーシュは、近くにある箱から細長い盾のような形をした何かを出し、スクートへと手渡した。


「これは?」


 その盾は一見するといくつもの金属片を繋ぎ合わせたように見える。持ち手の代わりに何かに固定するための金具が付いており、木傀儡ウッドゴーレムの動力源でもある魔導石が埋め込まれていた。


「言うなれば変形する鞘ね。ほら、こんなふうに」


 リーシュの声と共に盾は音を立て、ちょうどスクートの十字剣が入れられそうな形の鞘へと変形した。


「うお……なんだこれは」


「スクートの剣は大きいから咄嗟に抜こうとしても引き抜くのに時間がかかるでしょう? でもこれならば、スクートが念じただけで簡単に剣を抜けるようになるわ。調整はもう済んでいるから、試してみてちょうだい」


 リーシュの言われた通り、スクートは鞘の具合を確かめる。


 それは持ち手を握り、十字剣を少し横にずらすだけで簡単に鞘から抜剣できるという優れものであった。


 さらに従来の長い鞘とは違い、剣を抜いた後は勝手に折りたたまれ戦闘の邪魔にならない。剣を収めるときも、一連の動作をさかのぼるだけで済む。


 スクートがミスティアに迷い込まなければ、決して得ることの叶わぬ至高の逸品であることは明白であった。


「……驚いたな、便利なんてものじゃない。これもリーシュが作ったのか?」


「ええ、もちろんよ。そうそう、その鞘は精巧な作りだから乱暴に扱わないように。あまりに強い衝撃を受けると壊れてしまうかもしれないから気を付けてね」


「裏を返せば少しくらいならば鞘を盾として使えなくもない、ということだな」


「それは本当に最後の手段だと思ってちょうだい……確かに背中を斬られるよりはましかもしれないけど」


「……冗談だ、少し魔が差しただけ――――」


 作成における苦難を思い出すリーシュの顔を見て、スクートは前言を撤回したのと同時――――闘技場が突如として花が咲くかのような歓声に包まれる。


「どうやらフレドーが観衆の前に姿を現したみたいね」


「すごい歓声だな。ここまであいつが慕われているのは少し予想外だ」


 ムヴィスらの冗長を許している割には、彼を応援する声は濃い。先日フレドーが言っていたとおり、外面はしっかりと整えていたのだろうか。彼の本性は飢えた獣そのものだというのに。


「ムヴィス一派が世間を騒がしているとはいえ、元より彼は人気と人望もあり慕われている。それこそ剣士の間では拝まれるほどにね。そんな彼が本気で戦うと触れ込んでこの闘技は開催されるのだから、盛り上がらないはずがないわ」


「となればおれの責任は重大だな。せいぜい見栄えの良い剣戟にしなければ」


 スクートは十字剣を鞘に納め、戦場へと繋がる扉へに向き直る。


「野暮な質問かもしれないけど……スクート、あなたはフレドーに勝てる?」


「ふっ。らしくないな、リーシュ」


 リーシュの問いを、スクートは静かに笑い飛ばす。


「確かにフレドーは難敵だ。おれがこの目で見てきた強者の中でも、あいつは五本の指に納まるほどに」


 名を忘れた悪夢の主に、竜征と呼ばれる実の父。聖騎士団の中でも屈強と名高い団長。そのような圧倒的な個には劣るものの、いまだ限界を知らないフレドーはいずれ彼らに比肩し、あわよくば追い越していくかもしれない。


 もしかしたら純粋な剣の才は、自身より上だろうとさえスクートは感じ取っていた。ミスティアという狭い世界であれほど大成したのだから、あながち間違いではないはずだ。


「だがおれは勝つ。おれを従者に選んだ自分の目利きを信じていてくれ、リーシュ」


「言うようになったわね、スクート。自信に満ちたあなたも……中々に素敵じゃない」


 全てに絶望し、死んだ目をした男はもういない。リーシュの従者として生きる意味を見つけたスクートの目は、聖騎士であった頃のように輝いていた。


「行ってくる。必ず……クロスフォードに勝利を届けよう」


「あなたの戦いぶり、観客席からしっかりと見ておくわ。父さんやナタリアと一緒にね」


 戦場への扉が開かれ、類い稀なる強者の気が流れ込んでくる。常人ならば当てられるだけで竦むほどの気を前に、スクートは顔色ひとつ変えずに平然と歩む。


 扉を潜り抜けるのと同時、スクートもまたフレドーのように歓声と熱気による歓迎を受けた。


「隔たれたこの世界に住んでいたとしても、人間は人間か。知識を尊ぶ者たちであっても、闘技という娯楽は魅力的に見えるのだろう」


 誰に向けたものでもない、ただの独り言をスクートは呟く。


 ミスティアは外界のような娯楽に乏しい。闘技のように気が紛れる娯楽があれば、閉鎖的で不満の溜まるミスティアの現状に一石を投じれそうだ。日々を生きる上で、希望はあればあるほど良いのだから。


「おうスクート! ……この日を楽しみに待っていたぞ」


 闘技場の中心で腕組みしたフレドーが、獣のような笑みをスクートにぶつけた。

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