第三十三話 身を焦がす陽の先へ


「う、うう……」


 寝起きと同時に走る鋭い頭痛に声を漏らしながら、リーシュはベッドより起き上がった。


「確かわたしは……。スクートの悪夢に潜り込んで、それで」


 いまだ強い倦怠感けんたいかんが身体にのしかかる中、リーシュは気を失う前の記憶をたどる。


 時計の針はすでに昼近くを指している。どうやら半日近くもの間、気を失っていたようだ。


「――――え」


 ふと、視線を傾けたとき。は目に入ってしまった。決してそこにあるはずがないものを。ミスティアにただひとつしかないはずの、端正に折りたたまれた黒い礼服を。


 直後として脳裏をよぎる最悪の予感。心臓の拍動はくどうと共に、リーシュは倦怠感など忘れたように飛び起きると、机の上に置いてあった従者の礼服を鷲掴みにした。


「なんでスクートの礼服が、こんなところに」


 リーシュの顔は蒼白であった。わなわなと震える手が握っているのは、紛れもなくスクートに送った礼服である。


「これは……」


 机の上にある一通の手紙。伸ばしたリーシュの腕が、だが不意に止まった。


 恐ろしかった。見てしまえば、最悪の予感はきっと当ってしまう。自分勝手な行動でスクートを追い詰めた自身を、許せなくなる。


 しかし同時に、一秒でも早く見なければならないという予感もリーシュの頭を駆け巡る。


 居場所をなくしたスクートに残された道は、たったひとつしかないのだから。


 勇気を振り絞り、凍りついたかのように動かない腕を伸ばす。そしてリーシュは、手紙を開いた。


 リーシュへ。


 黙って去った愚かな従者を許してくれ。悪夢を覗いたお前をとがめるつもりはない。ただ、おれにとって……君はとるに足らない存在から、死んでほしくない大切な人になってしまった。


 だからおれはこの場所を去らなければならない。あの恐ろしい……悪夢の主の手勢が、いまもおれを探し回っているはずだ。ミスティアに張られた霧の結界は凄まじく強固なものだろう。


 だが絶対というものはありえない。あのおぞましい男は、絶対さえも破りかねない。そしてミスティアの存在が露見したとき、全ては灰と炎に沈む。


 おれのせいで君を含めた無実の人々を殺めるわけにはいかない。だからおれは、ここから出て行く。


 ありがとう。君のおかげで、おれは人の心を持ったまま逝ける。


 最後に会えたのが、リーシュでよかった。


「――――っ。あの……大ばか者!」


 目元をぬぐい、リーシュは杖を片手に部屋を飛び出した。急いで自分の部屋に戻り着替えると、そのままの勢いで玄関へ向かう。


「おや、リーシュ。どうしたんだい、そんなに急いで?」


 リーシュが居間を通る際、普段と様子の違う娘にホルスは声をかけた。


「お父様! スクートは見ていない!?」


「いや、見ていないが……」


 ホルスが二の句を告げる前に、リーシュはすでに走り出していた。


「どうしたんだリーシュ!? なにがあった!」


「スクートが出て行った、きっと惑いの森で死ぬつもりよ!」


「なっ!?」


 それ以上は語る時間が惜しいと言わんばかりに駆けていく娘を、ホルスは追う。


「待てリーシュ! 今日はだ、肌が焼けるぞ!」


「そんなの知っているわ! でも時間がない、魔法で保護しながら木の影を伝いながら飛べば、少しはましなはず!」


 リーシュは父の静止を振り切って玄関の扉を開け、勢いよく外へ出た。


 雨や曇りの日のような薄暗さのない、明るく色の濃い世界。ミスティアの上空を漂う白霧を貫いて、太陽の光は小さき世界に恵みを降らす。


 しかしリーシュにとって、それは呪いであった。太陽の光など、己が身を焦がす那由他なゆたの火矢に等しい。


 だがそれでも、白き魔女はとどまる訳にはいかなかった。


「お父様。今日は生まれて初めて……自分のためではなく、好奇心のためではなく。誰かのために外に出るの。だから、止めないで」


「リーシュ……」


 振り返る娘の目に宿る強い光。それを見た父は、これ以上の言葉を重ねる愚かさを悟った。


 リーシュは白い魔女帽を深くかぶると、すぐそばに立てかけられた箒を手に取りまたがった。


「霜の衣よ……」


 僅かにリーシュの唇が揺れたと思うと、次の瞬間にはすでに彼女の身体は青白い冷気によって覆われていた。


「行ってきなさい、リーシュ。己が信じる者のために」


 娘の覚悟を信じることにした父は、子の背中に言葉を贈る。


「――――行ってきます」


 そしてリーシュは、まるで蜻蛉とんぼの急加速のような挙動で飛翔した。あまりの速さに、通り過ぎた木に止まっていたふくろうが、驚愕のあまり逃げるように飛び去った。


「ぐっ、痛いわね」


 身体がじりじりと焼けていく痛みに、リーシュは声を漏らす。


 冷気に含まれた無数の氷の粒があらゆる光を反射することで、身体を守るというリーシュが生み出した魔法。しかしそれは太陽の光を完全に遮断することはできず、あくまで負担を軽減するのみだ。


 このまま光に照らされ続ければ、いずれ全身が焼けただれ死に至るだろう。だがスクートがいるであろう惑いの森は、里の生活圏よりもずっと霧が深い。そこまでたどり着けば、ひとまず肌が焼ける心配はなくなる。


 ときには木々の間をすり抜け、ときには木の影を伝うように飛んでいき、ときには身を焦がす苦痛に耐えながら全速力でかっとんでいく。


 そうして森へ近づくにつれ、流れてくる空気にリーシュは嫌なものを感じ取った。森に漂う元素マナの気配が、いつもと比べ明らかに荒ぶっていた。


「森がざわついている」


 惑いの森には、紛れもない化け物がんでいる。生きているのか死んでいるか、意思があるかもわからない、枯れ木の怪物が。


「今宵は満月……あの怪物の力がもっとも強まる日。――――急がないと」


 惑いの森に迷い込んだ哀れな者も、ミスティアより外界へおもむこうとする不届き者も。奴に見つかれば血肉をすすられ、骨も嚙み砕かれ、あげくの果てには魂さえも糧とされる。


 そして月齢によりその力は満ち欠けのように変わり、満月の日に怪物は最盛となる。


 太古の昔よりミスティアの民は、かの存在を畏怖いふの念を込めこう呼んでいる。


 ――――きりらい、と。



※いよいよ一章も佳境に入っていきます。ぜひ楽しんでいただけたら幸いです。

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