襲来 一

 翌日となる土曜日も、これまでどおり鏡の世界に足を運んだ。


 我々の世界は生憎の雨模様。本日の作業をどうするか、お姫様にお伺いを立てるべく訪れた次第である。これまでどおり食料の運び込みを行うのであれば、テントやら何やら、事前に準備を行う必要がある。


 ただ、その日の城は前日までと雰囲気を変えていた。


 姿見を越えて医務室を訪れると、そこには白衣の猿人、ガロンが待っていた。彼はこちらの姿を目の当たりにするや否や、儂に付いてきて欲しいと、廊下に向かい足早に歩き始めた。いきなり姿見の部屋を出るのは、ここ数日なかったパターンだ。


 その背中を追いつつ、何があったのかと疑問に頭を悩ませる。


 案内されたのは、荘厳な雰囲気の会議室を思わせる部屋だった。


 最奥のお誕生日席には、お姫様の姿も見受けられる。


 相手もこちらに気づいて声を上げた。


「来てくれましたか、人間」


「今日の予定を聞こうと思ったんですけれど……」


 会議室に居合わせた化け物たちから一斉に視線を浴びた。


 比較的人に近しいエルフやドワーフといった面々は、まだ大丈夫だ。けれど、オーガやトカゲの人、更には人体とは程遠い外見の何ともしれない方々に見つめられると、回れ右をして部屋から逃げ出したくなる。


「すみませんが、食料を調達している場合ではなくなってしまいました」


「え?」


「この町を囲っていた人間の軍に、これまでにない大きな変化がありました。恐らく近いうちに大規模な侵攻があると考えられます。兵糧攻めに大した効果を見出せず、これに焦れてきたものと思います」


「な、なるほど……」


「今後は常に備える必要がありますから、仮に二名とはいえ、魔力に長けるエルフをそちらへ回すことはできません。ですから本日は貴方お一人で、もしくはお休みとしてもらえませんか?」


 たぶん、自分に付き合っている余裕はない、ということだろう。


 下手に動き回って迷惑を掛けることは避けるべきじゃなかろうか。


「そういうことであれば、本日はお暇させてもらいますね」


「わざわざ足を運んでもらったところ、こちらの勝手をすみません」


「いえいえ、そんな滅相もないです」


 お姫様とその取り巻きに軽く会釈を返して応接室を出る。


 傍らにはガロンが並んだ。


 彼は廊下に出るや否や、ハァと大きな溜息を吐いた。やれやれだと言わんばかりの態度は、差し迫った人間たちの軍が、並々ならないものであることを想像させた。たぶん、国の今後を左右する大きな争いが始まろうとしているのだろう。


「随分と深刻みたいですね」


「うむ、ついに来るべき時が来てしまったようじゃ」


「やっぱり皆さん総出で戦うんですか?」


「他に道があるかのぉ?」


「……すみません」


「我々には戦うしかない。これは神より与えられた運命なのじゃ」


「…………」


 普段より口数も少なく、静々と城の廊下を歩く。


 城内は賑やかなもので、これまでと比較して騒がしく感じられた。あちらこちらで怒声が飛び交っているし、多くの化け物たちが忙しなく行き交っている。たぶん戦争の準備を急いでいるのだろう。


「あの、こんなことを尋ねるのもどうかとは思うんですが……」


「なんじゃ? 言うてみぃ」


「皆さんに勝機はあるんでしょうか?」


「そうじゃのぉ……」


 食料の買い出しを手伝ってくれたエルフの人たちなら、絶対に勝たねばならぬのだ、みたいな非常に熱いお返事が返されたことと思う。一方でこちらの猿人は、他の方々と比べていささか落ち着いた性格の持ち主だ。


 そんな彼が頼りない面持ちでボソリとこぼした。


「せめて姫様だけは、無事に故郷へ逃れて欲しいものじゃ……」


 やっぱり戦況は芳しくないみたいだ。


 これっぽっちも元気が感じられない。


 自分によくしてくれた人たちだからこそ、どうにかして救えないものか。ここ最近はそんなことばかり考えている。おかげで目前に迫った卒業式に頭を悩ませる頻度も減っていた。どうやら自分はかなりシングルタスクな人間みたいだ。


「一時的にでもこちらに逃げるとか、どうですか?」


「おぬしらの世界へ、か?」


「ええ、そうです」


「いいや、それじゃあ意味がないのじゃよ。この国は我々が荒野を耕し、水源を掘り当て、汗水を流して開拓した土地にある。それを他者に奪われ失っては、もはやこうして各々の部族が団結することもあるまい」


「……なるほど」


「おぬしの気遣いはとても嬉しく思う。人間だというのに、本当に我々によくしてくれている。もしも儂がこの度の戦を生き永らえることができたのなら、おぬしの名を末永く語り継がせてもらうとしよう」


「いやいや、そんな弱気なことを言わないでくださいよ」


 完全に負け戦が前提の台詞じゃないですか。


 もしかしてお姫様も同じような心境だったりするのだろうか。


「まあ、なんにせよおぬしは早く元の世界に帰るといい。敵が攻めてきは大変じゃからのぉ。万が一にも姿見が割れてしまっては面倒じゃろう? おぬしの居場所はここではないのじゃからな」


「皆さんが相手にしている人間は、どれくらいなんでしょうか?」


「人間どもの数か? それならば数万から十数万と聞いておるが」


「それじゃあ逆に、こっちはどうなんでしょう」


「この国の住民すべてを合わせて、だいたい数千といったところじゃ。ただし、正確な数は数えた試しがないから分からん。しかも連中と真正面から戦える者は、そのうち八割が関の山じゃろうなぁ」


「今まで良く耐えてこられましたね」


「それはこの町全体を覆う強大な結界のおかげじゃ」


「結界?」


「うむ。この国には姫様の父親、今は亡き前王を慕って、高位の精霊や強力な化け物たちが集まっておる。それらが町全体を包み込むように、大きな結界を張っているのじゃよ。それがある限り人間どもは一歩たりとも入ってこれん」


 どうやら魔法的な何かで町を守っているようだ。


 割となんでもありの世界観である。


 もしも叶うなら、いつか自分も魔法で空とか飛んでみたい。


「以前、食料庫が燃やされたとか騒ぎになっていたのは……」


「あれは人間どもが外から、この町全体を魔法で激しく揺らしたからのぅ。結界を張っているのは我々の仲間じゃから、恐らく揺れに慌てた者が集中力を切らしたのじゃろう。僅かに穴ができたらしい」


「なるほど」


「利用された魔法は大凡見当がつく。極小さな領域で大地を隆起させる代物じゃ。それを数に物を言わせて、無理矢理に打ち込んだのじゃろう。人間の考えることは底が知れぬ。一体どれだけの数の魔法使いを集めたのか、想像するのも億劫じゃ」


「地震を自前で起こすって、そりゃまた凄いですね」


「あとは前王の力も大きかったのじゃろう。姫様の父親たる前王は、強大な力を持つ古竜なのじゃよ。遥か北の大地に住まうと言われている彼らの力は一騎当千。いいや、それ以上のもの。今までも幾度となくその力で国を守ってきた」


「古竜?」


「やはり、おぬしの世界には居らんのか?」


「いないッスね」


「そちらの世界は面白いのぅ……」


「彼女の父親は、とても凄かったんですね」


「しかし、それも度重なる人間どもとの戦いに敗れて、つい先々月のことお亡くなりになられた。幾万という人間の進軍をその身一つに受けて立つ姿は、まさに言葉を忘れるほど圧巻じゃった。じゃが絶対の力と言われる古竜も、人間の数には勝てなかった」


 ハァと猿人が深い溜息を吐いた。


 彼自身も大切に思っていた相手なのだろう。


 そうこうしているうちに、我々は姿見の設けられた部屋まで戻ってきた。猿人ガロンの勤め先となる医務室からドア一枚を隔てて連なる一室で、お城の廊下には直接面していない小部屋だ。


「さて、そういう訳じゃから、これでおぬしともお別れかのぅ」


「あの、なんて言ったらいいか分からないんですけれど……」


「おぬしが気にすることではない。向こうで元の生活に戻るといい」


「ですが……」


「ほれほれ、あまり長居していると敵が攻め込んでくるぞい?」


 穏やかな面持ちで語ってみせるガロン。


 その笑みに物悲しさを感じる。


 ただ、この場に残るという選択肢は選べなかった。


 彼の言葉通り、自分には自分の生活があるのだもの。


「今まで色々と面倒みてくれて、ありがとうございました」


「いやいや、こちらこそ美味い食い物をくれて感謝しとるよ」


「それじゃあ、これで失礼します」


「うむ」


 後ろ髪をひかれる思いを感じつつも、姿見の鏡面に触れる。


 視界は瞬く間に暗転して、猿人の姿は見えなくなった。


 城の喧騒もすぐに聞こえなくなる。


 気づけば次の瞬間には、見慣れた自宅の物置に立っていた。

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