大路さんの頼み

 迎えた二月十二日、シンデレラの劇の公開日。

 いつもは演劇部のメンバーは放課後に集まるけれど、この日は朝から部室に集まることになっている。

 特に何か準備する訳じゃないけど、欠席者や体調不良者はいないかのチェックを行って、最後の打ち合わせをするのだ。


 普段は寝坊することの多い聖子ちゃんも、今日は早くから起きていて、凍てつくような寒い中を愚痴の一つも言わずに、僕と一緒に登校していた。


「翔太、熱があるとか、実は怪我してますって事はないよね?」

「平気だよ。もし熱があっても、薬飲むなり注射射つなりして、放課後までには何とかするから」

「バカ、そう言う時こそ代役の出番でしょうが。無理して本番中に何かあったら台無しだもの」

「冗談だよ。体調はちゃんと万全だから、心配しないで」


 聖子ちゃんに体の心配されるなんて、いつ以来かな? 

 そんな話をしながらグリ女の門を潜ると、校内にはまだ人影はなくて、僕達が一番乗り。そう思っていたけど……。


 部室まで来た時、平屋建ての見慣れた建物の前に立つ、紺色のコートを着たその人の姿が目に飛び込んできた。


「大路さん、おはようございます」

「おはよう満。もう来てたんだ、早いね」

「おはよう、二人とも」


 白い息を吐きながら、静かな声で挨拶を返してくれたのは大路さん。

 いったいいつからここで待っていたのだろう。部室の鍵を持っている聖子ちゃんが今来たのだから、当然まだ入り口は空いていなかくて、きっと寒かったに違いない。


 早く鍵を開けて、室内に入った方がいいんだけど、その前に言わなきゃならないある。


「怪我が完治されたんですよね。聖子ちゃんから聞きいてホッとしました。おめでとうございます」


 笑顔でお祝いの言葉を告げる。

 昨日帰宅した聖子ちゃんから、病院でお墨付きをもらったと聞かされた時は、喜んで電話したくなった。あんまり騒いでも迷惑だから、今日までお預けだったんだけどね。


「心配かけてごめんね。元々大したことなかったんだけどね。昨日の朝にはもう、痛みはほとんど引いていたし、この通り平気だから」


 そう言いながら、怪我をしていた方の肩を回てみせて、大丈夫とアピールしてくるけど、その様子がちょっと怖い。

 何せついこの前まで、腕が肩より上に上がらなかったくらいだ。平気だって言ってるのに、つい心配で青い顔になる。


「大路さん、あんまり無茶しなくても大丈夫ですから」

「だから平気だって。ショタくんは心配しすぎだよ。医者も大丈夫って言ってるんだから」


 そうでした。なのにオロオロと心配してしまった自分が恥ずかしい。

 聖子ちゃんもおかしそうに、ニヤニヤ顔をしている。


「まあなんにせよ、傷も残らなくて治って良かった。今日の公演に出られないのは残念だけど、まあまだ治りたてだしね。満はゆっくり見ておいてよ」

「大路さんから教えられたことを守って、最高の舞台を作りますから」


 聖子ちゃんも僕も明るい声を出したけど……不意に大路さんから笑顔が消える。

 あれ、もしかして何か、まずい事でも言ってしまった? 


 すると大路さんは、グッと唇を噛み締める。そして……。


「その事なんだけど、ね。こんなことを言うなんて、わがままだって分かっているんだけど……。聖子、今日の公演、私を舞台に立たせてはもらえないかな?」

「……は?」


 思い詰めた表情で、静かに告げてきた大路さん。途端に聖子ちゃんが、時が止まったように固まる。


 そして、驚いているのは僕も同じ。昨日話しをして、無理をさせてはいけないって言われたばかりなのに。

 すると聖子ちゃんも目を丸くしながら、慌てたように言う。


「ちょっと待ってよ満。そりゃ劇に出られなくて悔しい気持ちはわかるけどさ。急にそんなこと言われても」


 聖子ちゃんの言っていることは正しい。大路さんだってそれくらい分かっているのだろう。だけど、それでも一歩も引かない。


「無茶を言っていることくらい分かってる。だけどそれでも、今日の舞台にはどうしても出たいんだ」

「うーん、でもねえ……」

「頼む聖子。絶対に下手な演技はしないから」


 深々と頭を下げる大路さんに、聖子ちゃんもさすが困っている様子。

 大路さんの実力は本物、それは間違いない。だけどそれでもさすがに、数日間まともに練習できなかったのにいきなり本番なんて。それでまともにできるのだろうか?


 だけど大路さんも、ここまで言うからには、きっと何がなんでも出たい理由があるに違いない。


 懇願する大路さんと、困った様子の聖子ちゃん。しばらく重たい沈黙があったけど……二人とも、一旦落ち着きましょう。


「大路さん、それから聖子ちゃんも。とりあえず、部室に入りませんか? ここじゃあ寒いですし」


 ここは屋外。冷たい北風が容赦なく吹き付けている。

 舞台に立つとか言ってるけど、いつまでもこうしていて、三人とも今から風邪を引いてしまってはどうしようもない。


「そうね。満、続きは中に入ってから。いいね」

「ああ、分かった……」


 返事は返してくれたけど、そんな大路さんの表情は、一ミリも変わらなくて。

 僕達は重たい空気のまま、部室の鍵を開けた。


 ◇◆◇◆◇◆


 三人して部室に入って、エアコンをつける。その間聖子ちゃんも大路さんも、一言も喋らなくて、何とも気まずかった。


 部屋の隅に荷物を置いて。中央に集まると、僕と聖子ちゃんは横並びに立ち、大路さんも、向かい合う形で僕達を見つめる。


「それで、満は何が何でも、今日の舞台に立ちたいってわけだよね。まあ、元々は満が王子様役なんだから、気持ちは分からないでもないけどさ。ちゃんとできるの?」

「やってみせるさ。昨日までは見学だったけど、それでもセリフの練習なら欠かさずやっていたし、怪我だって治ったんだから、平気だよ!」


 普段は冷静で、落ち着いた雰囲気の大路さんだけど、今は声を大にして懇願している。

 そんないつもと違う様子に、聖子ちゃんも圧倒されているみたいだけど、それでも首を縦には振らない。


「うーん。満の平気は、あんまり当てにならないからねえ。無理をして頑張っちゃう所があるから。そう言えば一学期にあった体育祭だって……」

「今はそのことは関係無いじゃないか。お願いだ聖子、絶対に成功させてみせるから、許可を出してくれ」


 今にも土下座しそうな勢いの大路さん。聖子ちゃんのいっていることも分かるけど、こんな風に頭を下げてきてるんだ。

 その真剣な眼差を見て、思わず拳を握りながら、僕も大路さんと一緒に、聖子ちゃんに頼む。


「聖子ちゃん、出してあげられないの? 何かあったら、僕がフォローするから」


 こんなにも必死になっているのだから、舞台に立たせてあげたい。

 だけどそんな僕に、聖子ちゃんは険しい目を向けてくきた。


「アンタは今日が初舞台でしょうが。人の心配なんてしてて、自分の事が疎かになったらどうするの? 満も、キャストが変わるってことは、一緒に演技をする全員に、影響が出るってことなんだよ。それでも我を押し通すの?」

「分かっている。これがただのワガママだって事くらい。だけどそれでも……」

「アンタ達ねえ。気持ちはわかるけどさあ……」


 聖子ちゃんは少し黙って、言いにくそうだったけど、大路さんと僕を順番に見てから、神妙な面持ちで言う。


「満が出るって事は、代わりに朝美が出られなくなるって事なんだからね。急に主役の一人をやる事になって、短期間で皆に合わせられるよう頑張ってきた朝美がだよ。ちゃんとその辺のこと考えてる?」


 それは……。


 訴えかけるような目で見つめられて、僕も大路さんも、揃って言葉を失う。

 西本さんこと……。ごめん聖子ちゃん、そこまで頭が回っていなかった。


 昨日は冗談で、大路さんに舞台に立てないかと言ってきた西本さん。だけど彼女だって今日まで頑張ってきたのに、大路さんが復帰するから出なくていい、なんて言われたら、いったいどう思うだろう?


 必死になる大路さんを見て、つい後先考えずに味方してしまっていたけど。昨日まで一緒に頑張ってくれていた西本さんの事だって蔑ろにしていいはずがない。


 大路さんも痛いところを突かれたように黙ってしまっていて。それを目にした聖子ちゃんは、深いため息をついた。

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