決意を新たに

 二人とも口を開くことなく、冷たい風をその身に受けていたけど。先に沈黙を破ってきたのは、大路さんだった。

 彼女は座ったまま僕に目を向けてきて、そっと口を開く。


「ショタくん。私がケガをしたのは、自分のせいだって思っているのかい?」

「ーーッ!」


 今まさに考えていたことそのものを当てられて、動揺が走る。


「そんな事……」

「無いとは言わせないよ。でなきゃ説明がつかないもの。昨日までの君なら、王子様役が変わったところで、あんなにもミスをしたりはしなかったでしょう」


 いつもの優しげな口調でなく、 怒るような強い声。

 ミスをしなかったかどうかは分からないけど、大路さんの言った事は当たっている。だって本当に、僕がもっとしっかりしていれば、避けられたことなんだもの。


 すると黙っていることを肯定と受け取ったのか、大路さんは静かに息をつく。


「やっぱりね。けど、君が自分を責める必要なんて無いよ。そもそもこの怪我は、私が無茶をしたせい。自業自得なんだから」

「そんな。大路さんは秋乃さんを助けたじゃないですか!」


 誰かを庇って怪我をして。それなのに自分が悪いだなんて間違っている。だけど、険しい顔つきは変わらない。


「ああ、そうだね。けど、今は少しだけ、後悔しているんだ。こうなるって分かっていたら、助けなかったのにって……」

「えっ……」

「こんな事を言うだなんて、驚いたかい? だけど私は君が思っているよりもずっと弱いし、酷い所もあるんだよ。秋乃がした事を許す気は無くて、助けた事も後悔してる。こんな私を、軽蔑するかい?」


 耳を疑う。まさか大路さんが、こんなことを言うだなんて。

 だけど驚きはしたけど、それが間違っているとは思わない。


「……いいえ。僕だって秋乃先輩のしたことには腹が立ちますもの。でも大路さん、だったらどうして助けたりしたんですか?」

「それは……」


 大路さんは、返事に困ったように黙る。だけど少し考えて、それから静かに答えてくた。


「分からない。気がついたら、体が勝手に動いていたから」

「それってやっぱり、どこかで見捨てちゃだめだって気持ちがあったんじゃないですか? でなきゃ咄嗟に、庇うなんてできませんよ」

「……そうかもね。だけど、やっぱり後悔はしているよ。自分でも驚くほど、今は落ち込んでる。今度の公演では、絶対に舞台の上に立ちたかったのに……君と一緒に」


 表情に影を落とす大路さん。それは演劇部の皆の前では決して見せなかった、弱気な姿。

 怪我をして尚、凛とした態度で振る舞っていたけれど。本当は誰よりも傷ついているに違いない。あれだけ練習してきたのに、劇に出られないなんてなって、ショックを受けないはずがないもの。


「ショタくん、私はなにも、君を励まそうと思って連れ出した訳じゃない。叱るために連れてきた。昨日まではできていたことが、どうしてできないんだい?」


 訴えかけてくる大路さんの声は、そう大きなものじゃなかったけど、胸に突き刺さるような悲壮感と鋭さがあって。僕は何も言えなかった。


「君は怪我をしたわけじゃない。やろうと思えば、ちゃんとできるんだよ。私と違ってね……」


 怒っているのか、悲しんでいるの分からない真っ直ぐな瞳で、じっと見つめてきて。だけど、発した声は弱々しい。


 ガツンと頭を殴られたような気持ちになる。

 そうだ、僕は何をやっているんだ。怪我をしたのは大路さんなのに、勝手に自分を責めて、勝手に調子を崩して。


 本当に苦しんでいる人がすぐ近くにいるのに……。


「大路さん……すみませんでした。僕、頑張りますから。大路さんに教えてもらったことを守って、最高の舞台を作ります。だから、見ていてください」


 大路さんが怪我をしたから、僕もダメになりましたなんて、そんな甘えたことは言ってられない。

 むしろこんな時だからこそ、しっかりしなくちゃいけないんだ。だって好きな人を苦しませる真似なんて、したくはないもの。


 僕の言葉に、大路さんは安堵したように息を吐いて。落ち着きを取り戻した様子で、真っ直ぐ見つめてくる。


「……本当に頼んだよ。もし君がいつまでも調子を崩したままだったら、私は本当に、自分のしたことを許せなくなってしまう」


 そう言って、そっと僕の頬に手を触れようとしたのか、右腕を上げてきたけど、その動きが途中で止まる。


「大路さん?」

「あ、すまない。何でもないよ……」


 その表情からは、微かに苦痛色が見えていて。僕は気づいてしまった。

 大路さんは途中で止めたんじゃなくて、これ以上腕を上げられなかったんだ。肩を怪我をしていて、自由がきかないから……。


「大路さん、怪我が……」

「……これくらい平気だよ。すぐに治してみせるから、君は君のやるべき事をやって」


 笑顔を作って強がって。だけど無理をしているのは明らかで。

 痛くて苦しくて辛いのに、こんな状態でも、僕の事を気にかけてくれる大路さん。そんな彼女に、今僕ができることは……。


「大路さん、僕はもっとちゃんと、シンデレラを演じます。自分を許さないなんて、言わせないくらいに」


 一番苦しいのは大路さんなんだから。そんな彼女を、僕がそれを支えていかなくちゃならないんだ。

 役は降板しても。それでも大路さんは、僕のパートナーなんだから。


 決意を示した僕を見て、大路さんはいつもの……いや、いつもの凛とした笑い方とは少し違う、安心したような笑みを浮かべてくれる。


「もう大丈夫みたいだね。頼りにしているよ、ショタくん」

「はい、絶対に期待を裏切ったりはしませんから」


 気合いを入れ直して。やるべき事を終えた僕らはベンチから立ち上がって。

 そのまま部室に戻ろうとしたけれど、西本さんから紅茶を買ってきてと言われたことを思い出して、僕達は校舎の中へと進路を変える。


 風は相変わらず冷たいけれど、心の中は来たときよりも暖かく思える。

 そんな中、隣を歩く大路さんが気まずそうな顔をしながら、こんなことを言ってくる。


「ショタくん、キツい言い方をしてごめんね。つい感情的になりすぎてしまっていた」

「別にいいですよ。むしろあんな風にハッキリ言ってもらえて、良かったって思っていますから。おかげで目が覚めました」

「そうか。それと……ね。できればさっきの事は、演劇部の皆には内緒にしてもらえないかな。あんな風に弱い所を知られると言うのは、恥ずかしくて」

「それはもちろん。だけど別に、恥ずかしくなんかないと思いますよ。誰だって弱気になることくらいありますから」

 「それはわかってるんだけど、ちょっとね。私が弱い所を見せても良いって思っているのは、ショタくんだけだからね」

「ーーッ!?」


 思わずスッ転びかけた。さらっと何を言ってくれるんですか!? 

 でもよく考えたら、前に川津先輩との恋を応援した時、大路さんの弱い部分やカッコ悪い部分はたくさん見たか。きっとそれがあるから、僕には見せても構わないなんて言ったのだろう。けど……。


「不用意にそう言うことを言わないでもらえますか。もうちょっと普段の言動に気を付けてもらわないと、心臓に悪いですよ」

「そうなのかい? ごめん、努力するよ」


 本当にわかっているのか怪しいものだ。何気なく言った一言がどれだけ僕の心に突き刺さるか。その自覚が薄いから困ってしまう。まあもっとも……。


「弱い所を見せてくれる分には、一向に構いませんけど。大路さんのそう言うところ、独り占めしたいですから」

「ショタくん……君も中々だって分かってる?」

「え、何がですか?」

「やはり気づいていないか……ショタくんの鈍感」

「ええっ!?」


 大路さんが言っている事の意味はよくわからなくて。

 そして何故かふと切なそうな目をしながら、微かに口を動かしたけど……。


「私だって、君を独り占めにしたいのに……王子様を任された朝美が羨ましい」


 吹き付ける風の音がうるさくて、その呟きは、聞くことができなかった。

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