親衛隊の罠

 練習が終わって、皆が帰る準備をしている中、僕はトイレに行くため部室から校舎へと移動していた。


 部室になっている建物にもトイレはあるけど、生憎グリ女は女子高。女子トイレしか無くて、男子はいつも校舎の玄関を入ってすぐの所にある、職員用のトイレを使用しているのだ。

 面倒だけど、こればかりは仕方がない。春に合併した後は、この辺も何とかするのだろうけど。


 用を済ませてトイレから出た僕は、部室に戻ろうと玄関に向かう。だけどその時……。


「あの、乙木学園の生徒さんですか?」


 不意に声をかけられて振り返ると、そこにはグリ女の制服を着た、小柄で大人しそうな女子生徒が一人。なぜか両手で長机を、重そうに抱えながら立っていた。


「そうですけど、何か?」

「あの、できればで良いのですが、この机を運ぶのを手伝ってもらえないですか? 先生に頼まれたんですけど、重くて」


 なるほど、確かに重そうだ。抱えている長机は、小柄な彼女の身長と同じくらいあって。

 見た感じ、彼女はそう力があるとは思えないし、これは一人では運びにくいだろう。


「良いですけど、運ぶって校舎の中ですよね。僕が入っても大丈夫なんですか?」

「平気ですよ。演劇部の練習で来てるんですよね。もし先生に見つかっても、私が説明しますから」

「まあ、それなら。ちょっと貸してください」


 僕は彼女から机を受け取ると、両手で抱え上げる。思った通りちょっと重いけど、これなら一人で運べないこともないや。


「それで、どこに運べば良いんですか?」

「二階にある空き教室ですけど……一人で持たなくても。私も持ちますから」

「これくらいなら大丈夫です。案内してもらえますか?」

「ありがとうございます。ええと、こっちです」


 女子生徒は笑顔を浮かべながら、校舎の中を案内して行く。

 途中、まだ残っていた生徒とすれ違うと、その度に不思議そうにこっちを見てくる。やっぱり演劇部の練習があるとはいえ、グリ女の校舎内に男子がいるのは目立つみたいだ。

 視線が少し気にはなるけど、困っている人を放っておく気にはなれなかったし。ここは早いとこ済ませてしまおう。


 重たい机を抱えてるものだから、足取りはゆっくりになっていたけど、少しずつ歩いて行って。すると、すぐ横を歩いていた彼女が声をかけてくる


「本当に助かります。力、強いんですね」

「そうでもないですよ。それより、敬語使わなくても良いですから。先輩の方が年上なんですから」


 背は高くないけど、一年生かな? 何にせよ、グリ女の生徒である以上、中学生の僕より年上ということは確か。そんな人に敬語で話されるのは、何だかこそばゆい。

 だけど彼女は、「すみません、クセなんです」とのことだから、それ以上は何も言わないでおいた。話し易いのなら、無理に変えてもらう方が悪いしね。


 それにしても、言葉遣いが丁寧で、清楚な感じの先輩だ。元々グリ女は淑女を育てるなんて方針があったらしいけど、聖子ちゃんを見慣れている僕としては、グリ女にもこんな人がいたのだなと、感心してしまう。

 静かに笑った顔が、いかにもお嬢様らしい雰囲気を出していて、可愛いや。


 そんな事を考えながら、やがて校舎の端っこまでやって、一つの教室の中へと案内された。

 彼女は空き教室だと言っていたけど、なるほど。部屋の中には黒板はあるけど、椅子や個人用の机が無造作に積み上げられていて。とても授業を出来るような状態じゃなかった。たぶん使わずに余っている椅子や机の物置として使われているのだろう。

 そして部屋の隅っこには、運んできた物と同じ長机がいくつか、壁に立て掛けられている。


「どこに置けば良いですか? あの長机の横に、立て掛けておけば良いでしょうか?」

「はい、お願いします」


 僕は言われるがまま、教室に足を踏み入れる。

 日は沈んでいて、部屋の中は暗かったけど、机を置くくらいなら電気をつけることもない。奥へと進んで、抱えていた机を立て掛けて。これでよし……。


 ――ピシャン!


 机を置いたのと、背後で音がしたのは同時だった。

 何の音? そう思って振り返ると、そこにはいつの間にいたのだろう。ドアの前にはさっきまで一緒にいた先輩の他に、二人の女子生徒がいて、開いていたドアは閉じていた。


 そして……なんだろう? 暗くて見えにくいけど、何だか三人とも、こっちを睨んでいるような……。


「先輩、その人達は……って、どうして鍵をかけるんですか⁉」


 僕が見ている目の前で、先輩は今入ってきたドアの鍵をガチャリと掛けていて。

 これは、何かがおかしい。そう感じた僕に、振り返った先輩の言葉が追い討ちをかける。


「どうして鍵をかけるのかって? そんなの、アンタを逃がさないために決まってるじゃない」


 それは怒気を含んだ鋭い声。そして僕を見る彼女は、さっきまでの優しい顔ではなくて、まるでゴミでも見るような冷たい目をしている。これは……。


「あの、先輩達はいったい何なんですか?」


 恐る恐る尋ねると、相変わらずの冷たい目を向けながら、苛立った口調で吐き捨てるように返事をしてくる。


「はっ、そんな事も知らないの? 私達は、大路満の親衛隊よ!」


 ああ、やっぱりそうですか。実は途中から、そうじゃないかって薄々思っていましたよ。今朝脅迫文が届いたばかりだったから、この発想はすぐに浮かんだ。

 大路さんの熱狂的なファンで、いささか以上に過激な所があると言われている、あの親衛隊ですか。どうやらえらい人達に捕まってしまったみたいだ。


「それで秋乃、この子どうだった? 大路さんにふさわしいと思う?」

「ぜんっぜん! 大路さんの相手役でありながら、女子に声をかけられてホイホイついて行くんだもの。誠実さの欠片も無いわ!」


 秋乃と呼ばれた、机を運ぶのを手伝ってと頼んできた女の子が、胸を逸らしながら見下すように言ってくる。

 けど、ホイホイついて行くって。僕はアナタに頼まれて手伝ったんですけど?


 だけどきっと、そんな事を言っても無駄だろう。おそらく手伝ってなかったとしたらその時は、冷たいやつだなんて言われて罵られていたに違いない。きっと彼女達にとっては、僕の存在自体が気にくわないのだろうから。


「それにコイツ、さっき私の事を年増なんて言ったのよ!」

「うわっ、最低!」

「ゴミね」


 冷たい視線と、辛辣な言葉が突き刺さる。

 あの、人の事をゴミなんて言うのも、相当酷くないですか? それに僕はアナタの事を、年増だなんて言った覚えは無いんですけど。


「言いがかりはよしてください。いったいいつ僕が、そんな事を言ったて言うんですか?」

「忘れたとは言わせないよ。年増なんだから敬語を使うなって言ったじゃないの」

「言ってません! 年上とは言いましたけど、そのタイミングで年増っていうだなんて、おかしいでしょ!」

「あ、今確かに年増って言った! 二人とも聞いた? 言質とれたよね!」


 勝ち誇ったように、ニヤリとした笑みを浮かべる秋乃さん。

 そりゃあ、言いはしたけどさあ……。


 ああ、もう。言ってることが無茶苦茶すぎる。

 だんだんと相手をするのが面倒になってきた。

 向こうは僕の事が気にくわないのだろうけど、こうなったらこっちだってビシッと言ってやる。


「先輩達なんですよね、僕の下駄箱に脅迫状を入れたのって。わざわざ乙木の校舎までやって来て何をやっているんですか?」

「脅迫状ですって? あれはただの警告よ。これ以上大路さんに付きまとったら、ただじゃおかないって言うね」

「同じことです。だいたい、大路さんに近づくななんて言っていますけど、僕は今シンデレラの役を任されているんです。今更抜けて、演劇部の皆に迷惑はかけられませんよ」

「あら、そうでもないでしょう。いざと言う時の為に、代役をやれる人くらい用意しているんじゃないの? その人に任せちゃえばいいじゃない」


 勝ち誇ったように胸を逸らす彼女達。

 確かに、もし本番で役者がケガや病気をして出られないってなった場合に備えて、どの役にも代役を出来る人はいたりする。もちろんシンデレラにも。

 しかしだからと言って、はい分りましたと頷けるはずがない。

 僕は臆することなく、強い口調で答えを返す。


「お断りします。僕は大路さんや演劇部の人達からも認められて、シンデレラをやっているんです。アナタ達に、それをどうこう言われる筋合いはありません!」


 三人を真っ直ぐに見据えながら、ハッキリと告げる。

 彼女達に何と言われようと、これだけは譲る気なんてなかった。

 劇を成功させるため、演劇部の先輩達と、乙木の皆と一丸となって、今日まで頑張ってきたのだから。

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