シンデレラの代償
意外といけるかもしれない、渡辺くんのシンデレラ。
シュールだけど妙にクセになりそうなこのシンデレラと王子様の様子を、皆固唾を飲んで見守っている。
「なんて綺麗な瞳だろう。吸い込まれそうだ……」
たじたじな様子の渡辺くんに対して、甘い言葉を囁く大路さん。
だけどそんな中、ただ一人僕だけが皆とは違う、少し冷めた気持ちで二人を見ていた。
何だろう? 胸がモヤモヤする。
僕の視線の先にいるのは大路さん。彼女は王子様と言う役を演じているだけなのに、渡辺くんと仲良さげにしているのを見ると、何だか……。
ああ、手なんて繋いじゃって! そんなことまでしなくて良いですから!
大路さんが王子様を演じる以上、誰かとこんな風に恋人を演じると言うのは、薄々分かっていた。
だけどそれは、あくまで物語の中のお話。演じているだけなのだからと深く考えてなくて、大して気に止めていなかった。それなのに……。
今さらになって、シンデレラ役を断ってしまった事を後悔する。
せっかくのチャンスを棒に振ったのは僕なのに。勝手だって分かっているけど、どうしても嫌な気持ちが込み上げてきてしまう。
そうしている間にも大路さん達の劇は進行していって、今はシンデレラにガラスの靴を履かせたところ。
「ガラスの靴がぴったり……あの夜の彼女は、アナタなのですね……」
「まあ、ピッタリなら俺に間違いないでしょうね。足のサイズが、三十センチ近い女の人なんて、そうそういませんもの」
「では、やはりアナタが……。ああ、感激だ……」
渡辺くんのおかしな受け答えにも関わらず、大路さんの勢いは止まらない。
そっと顔を近づけて、今にもキスをしそうな雰囲気……って、まさか本当にするの!?
いや、もちろんフリなんだけど。でも……でもこれは……。
「……あの、いいですか?」
気がつけば僕は、ゆっくりと挙手をしていた。
すると大路さんも渡辺君も動きを止めて。二人を見守っていた皆も、一斉に僕に目を向けてくる。
「今更こんなこと言うのもなんですけど、さっきのシンデレラの件、やっぱり考えてみてもいいでしょうか?」
「本当か灰村!」
おずおずと言った僕に、真っ先に反応を返してくれたのは渡辺君だった。彼は大路さんの元から離れると、足早に歩み寄ってくる。
「分かる、分かるぞ。やっぱり俺のシンデレラなんて見るに堪えられなかったんだな。それで、これならいっそ自分がやった方がいいって、思ってくれたんだな!」
「いや、別にそういう訳じゃないけど。渡辺君のシンデレラも、意外と悪くなかったと思うけど……」
「そう言う気遣いはいいから。自分ではどうなってるかなんてよく分からなくて。何だか雰囲気に飲まれて新しい扉を開きかけてたけど、おかげで目が覚めたよ。やっぱり俺に、シンデレラは無理がある!」
「そんなこと……無いとも言えないかな?」
恐ろしいことだけど、さっきまでは大路さんのリードのおかげで、そう悪くないように思えてしまっていた。けど、よくよく考えてみたらやっぱり渡辺君にシンデレラはちょっと……。
渡辺君、失礼なことを考えて本当にごめん。
すると僕だけじゃなくて他の皆も、まるで魔法が解けたみたいに正気に戻ってくる。
「まあ、悪くはなかったけど……」
「意外と面白かったけど、本人がこう言ってるなら、ねえ……」
「皆、気なんて使わなくていいから。俺にシンデレラは無理だって、ハッキリ言ってくれていいからな!」
熱弁を振るう渡辺君。何だか本人が、一番周りに気を使っているように思えていたたまれない。
僕は彼をここまで追い込んだ元凶、聖子ちゃんにジトッとした目を向ける。
「聖子ちゃん、あんまり無茶な要求はしないであげてよ。渡辺君困ってたじゃない」
「ごめんごめん、ついノリでね。だけど君、中々スジはよかったよ。シンデレラじゃなくても、今度の舞台では何かの役で使ってみようかなあ」
「本当ですか? よっしゃー!」
とたん喜びを露にする渡辺くん。
聖子ちゃんは聖子ちゃんで、さっそく王子様に遣える側近が良いかななんて、構想を巡らせていく。
そんな中ふと、僕は肩をポンと叩かれて。振り返ってみると、そこには大路さんが立っていた。
「さっきはありがとう。正直助かったよ。実は始めたはいいけど、止め時が見つからなくて、焦っていていたんだよ。あ、もちろん彼のとこが嫌という訳じゃないからね」
渡辺君に聞こえないよう気を配りながら、そっと囁いてくる大路さん。
ノリノリで演じているように見えたけど、焦りがあったと言うのには、ちょっと驚いた。
「意外です。全然焦ってる風には見えませんでしたもの。完璧って言っていいくらい、王子様を演じていたのに」
「そうでもないよ。実際はこれでいいのかって悩みながら演じていて、いつボロが出てもおかしくなかった。それに、男子相手に王子様を演じるのは初めてだったし、緊張したよ……」
そう言う大路さんの頬は、ほんのりと赤みをおびている。
そう言えば、今まで女子だけの部活に男子が入って来たのだから、勝手が違うことだってあるりますよね。
それにしたって、あの大路さんが相手が男子だからって緊張することに驚いた。
川津先輩は例外として、てっきり女子を相手する時と同じように、物怖じせずに接する人だって勝手に思ってしまっていたから……いや、待てよ。
「でも大路さん、でも前に僕相手に、ラプンツェルの練習はしていましたよね?」
よく考えたらあったじゃないか、男子相手に練習したこと。
すると大路さんキョトンとした顔をした後、気がついたみたいに「ああ」と声を漏らす。
「そうだった。すまない、すっかり忘れていたよ。ごめん、初めてはショタ君だったね」
「忘れてたのは別にいいですけど、あの時も緊張してたんですか? やっぱり全然そんな風には見えませんでしたけど」
だとしたらやはり大路さんの演技は大したものだって思うけど。予想に反して、彼女は首を横にふる。
「あの時は、そうでもなかったかな。相手がショタ君だったからか、女子相手に練習する時と同じような気持ちで、演じられてたと思うよ」
「それって、僕が男らしくないってことですか……」
何となくそう思われているんじゃないかとは感じていたけど、やっぱりこれはショック。
すると大路さんは、慌てたように弁明してくる。
「いや、そうじゃなくてね。相手が君だと落ち着けると言うか、安心感があると言うか。変に気を張らずに、いつも通りでいられるんだ。心を許せるって、言っていいのかな」
心を許せる。果たしてそれは、喜んでいいのかどうか。
嫌われてるわけではないし、むしろ良いことなのだろうけど、やっぱり複雑だ。
「ところでシンデレラ役、本当に任せて大丈夫だったのかい? さっきは躊躇っていたみたいだったけど」
「はい。大路さんと渡辺君の様子を見ていたら、やっぱり僕もやってみたいって気になって。すみません、コロコロ意見を変えてしまって」
「いや、構わないよ。誰かが演じているのを見て、自分もやってみたいって思うのは珍しい事じゃないからね。やる気が出てくれて嬉しいよ」
「まあ、迷惑かけないように頑張りますね……」
本当はシンデレラをやってみたいと言うより、大路さんが他の人と仲良さげにしているのが嫌だったと言うのが理由だけれど。
嘘を言ったわけじゃないけど、何だか騙しているみたいで良心が痛む。
演劇部に入ったのは、大路さんがいたから。シンデレラをやりたいと言い出したのも、大路さんが理由。
我ながら大路さん中心で決断しすぎだとは思うけど、主役をやるなら、いい加減な気持ちで舞台に立つわけにはいかない。
「演技なんて初めてですから、きっと至らない所だらけでしょうけど、直した方がいい所があったら、遠慮なくいって下さい。少しでも良い物にしたいので」
「うん、いい心がけだ。まあ私があれこれ言う必要は、無いと思うんだけどね。それよりもむしろ、辛くなったら遠慮なく弱音を吐いて、頼ってきてもいいからね。君の心が折れる前に」
「え、それってどういう……」
言いかけて、ふと背後に気配を感じた。
何だろう、このゾッとするような感じは……。
恐る恐る振り返ると。そこにはとっても楽しそうに、悪魔のような笑みを浮かべているのは聖子ちゃんが立っていた。
「さあーて。これで晴れて主役も決まった事だし。これからは本番に向けて、ビシバシしごいちゃうよー」
……そうだった。
主役になると言うことは、大路さんがどうこう以前に、聖子ちゃんが指導してくるんだっけ。
しかも僕の場合一緒に住んでいるわけだから、きっと朝も夜も、平日も休みも関係無しにレッスンしてくる事だろう。聖子ちゃんはそう言う人だ。
「うわー、部長ってば本気モードだよ。ショタ君かわいそう」
「あ、でもそれならやっぱり、お義姉さんにイジメられるシンデレラの気持ちはよく分かるじゃない。ショタくんがシンデレラ、正解だよ」
皆、好き勝手言ってくれる。
つきっきりで指導してもらえるのは確かにありがたいけど、ちゃんと限度は考えてね。でないと途中で、心折れちゃうかもしれないから。
なのに……。
「翔太、弟だからって手加減しないからね。むしろ部長の弟だから忖度されたんだって思われないように、みっちり練習して一人前にしてあげるから、覚悟しておいてね」
「お手柔らかにお願いします……」
ダメだ。これは手加減する来なんて、更々ないだろう。
これが大路さん目当てと言う不純な動機で、立候補した事への報いだろうか?
不敵な笑みを浮かべる聖子ちゃんに、若干引いてしまう。
けどそれでも、自分でやると決めたんだ。だったら、気合いを入れてやらないと。
「大路さん、僕、頑張りますから」
「うむ。しっかりね、ショタくん」
かくして演目はシンデレラに、主役は僕と大路さんがやる事が決まって。演劇部は次の公演に向けて、本格的なスタートを切ったのだった。
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