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 これだけ回って、最後はアメリカだった。チベットの山奥とかになっても困るのだが。

 どうやらこの世界には、人類全体の未来を揺るがすような大きな危機に直面したときに、その行き先を決める、最高評議会という団体が存在するらしい。らしいと言うのはアメリカへとんぼ返りする機内で実際にフラメルさんから話を聞くまでは、あるという噂しか聞いたことがなかったからだ。

 最高評議会はWHOを始め各国のトップや巨大企業の最重要人物が名を連ねていて、世界が重大な転機を迎えたり問題と直面した場合、最終的な決断を彼らが下すらしい。本当の意味でのイルミナティというわけだ。要は技術的特異点シンギュラリティに直面した後でも、人間がAIに支配されないよう、支配階級の1番上に人間を置いておこうということのようだ。

 彼らが下した決定が、WHOの上層部の、さらに限られた人にだけ知らされたらしい。

 その決定とは、全人類の感情の消滅だった。

 幻想教団イルミナティは、人が自分の意志で自殺をするように促した。なので、対抗措置として、その意志をもたらす感情を完全に取り上げてしまえばいいという結論に至ったようだ。意志がなければ、自殺もできない。そんなことが本当にできるのかは、僕にはわからない。けれど実際に兵士の感情を遠隔操作で弄ることができるわけだし、やろうと思えばナノマシンを体内に入れている全ての人間に対して可能なのだろう。それすなわち、地球上のほぼ全ての人類だ。

 そして、これこそが凛の狙いだと僕は確信した。

 凛は帰属先を見つけた。それは滅んだ彼女のルーツでもなく、日本人でもなく、この地球上の全人類だった。

 彼女はサイコドライバーを恐れていた。彼らが進化して人間を操ることさえできるようになった時、人類は最大の窮地に直面する。新たな支配階級の誕生。それは、全人類の半分が自殺するなんてもんじゃないくらいの危機だ。彼女はそう考えた。ならばそうなる前に、サイコドライバーの進化を止めようというのが彼女の目的だ。感情がなくなれば、人間は全て生きるゾンビだ。人類は思考を放棄し、それ以上進化することも無くなる。そして、現人類の首長達を追い詰めることで、彼女はそれを達成しようとしている。

 凛は抜け目のない人間だ。人類の意識を取り去る。けれど、そのスイッチを押す側もそれに準ずるとは限らない。最高評議会の人間が、支配欲に駆られて、あるいは下らない優越感を得ようとして、自分たちの意識だけは残しておくかもしれない。凛がそれを許すはずがない。必ず彼らを殺しに行く。

 実行には確実に物理的な認証がいる。ヒューマン・イン・ザ・ループ。その実行をするための装置がある場所に、凛は必ず現れる。

 有名な財界人や政治家、軍事的に重要な人物の足跡を追った。すべての行動に履歴が残る時代だ。消そうと思っても、どこかに集まろうとしている形跡は必ず残っているはずだ。

 凛はどこで情報を知ったんだろうか、恐らくは信者になった軍の上層部から聞き出したのだろう。今の時代、すべての情報は掌握され管理されている。しかし管理しているのは人間だ。人間は単純だ。皆忘れているだけで。人をたどっていけば、どんな情報だろうと手に入る。性悪説に従ってこの世界のシステムは構築されたものだと思っていたが、その逆なのかもしれない。

 行先はすぐに分かった。フラメルさんが教えてくれた。混沌とした人々の行動の履歴の中に、明らかに明確な意思を持った動きがいくつか見て取れた。その中から自殺のための移動を取り除くと、目的地が絞られた。

 僕は一人でコロラドへ向かうことになった。僕のチームは、僕以外みんな死んだか行方不明MIAになってしまった。フラメルさんだけが生き残ったWHOの知り合いだ。彼女は僕にできる限りのバックアップを約束してくれた。

 飛行機が目的地に近づくにつれ、バトラーがいつもと変わらない調子で僕に装備の確認と薬の服用を促してきた。人間の営みなど全く知ったこっちゃないというような、その機械的な音声は、今となっては僕に少し安心感を覚えさせた。

 凛はどんな反応をするだろうか。僕が、生きている人間もハックできるようになったと知ったら。

 僕が、彼女が最も恐れた存在になったと知ったら。

 僕は少し、緊張していた。


 一歩一歩、山道を登っていく。季節はもうすっかり秋になっていたが、気持ちのいい天気も相まって、少し汗ばんだ。僕らの町も晴れているだろうか。ゆかりちゃんはどんな一日を迎えているだろうか。彼女と話をしたかったが、この作戦の性質上、それはできないらしい。

 目的地は、山中に隠された秘密基地にあるらしかった。正しく秘密結社だ。

バックパックから水の入ったペットボトルを取り出した。僕の体がどれくらい乾いているかをバトラーがモニタリングしている。荷物運搬用に義体を借りてくればよかったかな。いや、ハックされて暴れでもさせられたら不利になるのはこっちだもんな。やっぱりいらなかったか。

 コツコツと歩を進める。このペースでいけば日没前には目的地に着きそうだ。

 今の僕の行動は、アメリカ軍やWHOの管轄内ではない。というか、日本から帰ってきてからの一連の行動はほとんど僕の独断行動みたいなものだ。軍もWHOもてんやわんやになっていろんな対応に追われているうちに、僕とフラメルさんがめちゃくちゃになった指揮系統の穴をついて、勝手に使えるものを使って行動している。

 僕は凛に会いたい。その一心だけで行動している。フラメルさんは、多分、世界を救いたい。僕に可能性を感じたから、僕のバックアップをしてくれている。少々、思い切りが良すぎる気もするが。ただ、他に誰が生きていて誰が死んでいるかもわからないし、僕はサイコドライバーだし、フラメルさんはそうでないし、彼女は僕に賭けるしかなかったとも言える。

 山道を歩く。平地を歩くよりも少し遅いそのペースが、僕に過去の日々をより詳細に思い出させた。


「あの桜、二人は美しいと思うかい?」

 右隣の凛がそう聞いてきた。右手には公園の入り口にいた屋台で買ったクレープが握られている。凛の買ったやつは生クリームにイチゴがのっかっているやつだった。

 授業終わりに凛と僕とゆかりちゃんは、特に何かするでもなく、何となくこの公園の、このベンチにたどり着いていた。凛の行きたいところがなかったり、ゆかりちゃんの買いたいものがなかったり、僕の見たい映画がなかったりした場合は、こうやって目的もなくぶらついて、お金のかからない公園にたどり着くことが多かった。

 「思うよ。一日中見ていても飽きないな」

 僕はこの桜を見るのが好きだった。僕らの眼前に咲いている二本の桜の木。淡いピンクと青のコントラストが綺麗だった。この桜は一年中咲いているので、二人が忙しい時は、僕一人でここへ来て、ぼんやりと眺めることもよくあった。それくらい僕はこの桜が好きだった。

 「マジ?一日中?ゆかりは?」

僕も凛といっしょに、左隣に座っているゆかりちゃんを見た。彼女のクレープには生クリームに輪切りにしたバナナとチョコソースがかかっていた。ちなみに僕は甘いものがそんなに得意ではないので自分の分は買っていない。

「そだなあ、家でも桜は見れるけど…でも、こうやって放課後に二人と買い食いしながら、ここで見る桜も格別だね」

 ゆかりちゃんがそう答えた。笑った顔がかわいかった。

 「なるほど。二人とも好きと。でも、この桜は品種改良、いわば人工物だ。年中咲いてるし、花の色も野生とは違うし、趣を感じないって人もいるけど、その辺はどう?」

 凜はクレープをほむほむっと頬張って食べて、飲み込んでから言った。

 「おいおい。凜もそっち側なのか?やたらと人の手が入ってないものを持ち上げたがる人。正直分かんねーだろ。天然物と人工物が違うって言ったって。まあ、色は見て分かるけど」

 「早とちりするなよ。私も分かんないよ。桜の違いも、そういう人の意見も。ただ、君たちはどう思うって聞いてみたかっただけだよ。ゆかりは?ゆかりの家には、天然のソメイヨシノとかもあったけど」

 「うん。二人も何回か見にきてるよね。でも私もよく分かんないや。人の手が入ってないのは貴重だって言われるけど…この公園の桜も綺麗だよね。どっちも良いじゃダメなのかなあ」

 ゆかりちゃんはすでに自分のクレープを食べ終わっていた。彼女は結構くいしん坊なのだ。

「そう。ゆかりが良いこと言った。どっちでも良いんだよ。ほとんどの人にとっては。桜が青かろうが、ピンクだろうが、虹色に光ってようが、それはそれで受け入れていくはずだ。そもそも桜の品種改良は、種の保存が目的だった。じゃあなんでわざわざ青い桜なんか作ったんだ?」

 「僕は好きなんだけどな…青い桜」

 「理由なんてないんじゃない?ただ、何となくきれいそうだな~って、そう思ったから何となく作ってみたとか」

 「そう。ゆかりがまた良いこと言った。青い桜を作った人は、無意識的に作ったんだ。ただ、自分たちにできたからやっただけ。根底にあるのは力の顕示なんだと思う。力があって、それを自由にできるなら、満足いくまで使い倒すのが人間の本能なんだよ。意味があるとかないとかじゃないんだろうな。けれどだんだんとハードルが上がっていく。青い桜を作るだけじゃ十分じゃなくなっていく。人間は力を求めて、それを示すのが本能だからな」

 「そうかい。それじゃあ僕もいつか、天然の桜じゃないと満足できなくなるかもな」

 凛がクレープを食べ終えた。ハンカチをブレザーのポケットから取り出して、口元を拭った。

 「私はこのクレープ一つで十分だけど。ゆかりは?胃袋を顕示する?」

 「し、失礼な。私もこの一個で十分です!」

 「2つ目はやばいぜ、ゆかりちゃん。バトラーがカロリー過多で警告を出す」

 「陸人まで!もーっ!人を大食いみたいに!」


 僕の生きる目的はなんだろうか。僕はその日を生きるためだけに銃を握っているわけじゃない。サイコドライバーになって、自分から選んでこの仕事についた。

 力の顕示とは、最終的に歴史に名を残すことに繋がるのかもしれない。けれど、あの頃の僕らはそんなことは考えなかった。ほんの少し前の僕もそうだった。たまにルールの目を欺いて、同僚と酒を飲む。力を示すのはそれで足りていた。

 今はどうだろうか。僕は人間で、サイコドライバーで、十分だろうか。


 少しずつ、日が傾いてきた。目的地まで後少しのところまで迫っていた。

 落ち行く太陽が山の斜面を照らしていた。オレンジ色の夕日と、増え行く影のコントラストが、山の斜面を美しく彩る紅葉をより一層引き立たせていた。

 かつて、僕の国では、季節の移り変わりに伴う素晴らしい景色が特色とされ、人々の心を動かしてきたと言う。四季を感じ、風景を心に刻むことができる場所は、この地球上には限られている。僕は日本で育ったことがない。けれど、アメリカのこの風景も、日本のそれに引けをとらないと僕は思う。そして、そう考えられる場所に生まれて、心からよかったと、僕は生まれて初めて思った。

 景色を見て美しいと思うのは、今日で最後かもしれない。だから、しっかりと今の光景を目に焼き付けておこうと思った。

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