幻想教団

黒桃太郎

1

 

 屍者が歩いているのが見えた。彼らは屍者としか表現できなかった。

 

 彼らは皆、皮膚が爛れ、肉体は腐りかけていた。大きく穿たれた腹の穴から内臓がはみ出して、引きずっているものもいたが、何も気にする様子もなく自然に歩いていた。

 「ここはどこですか」

 僕は彼らのうちの1人に聞いた。大都会。どこかで見たことがある世界だが、僕は思い出せずにいた。 

 「アメリカですよ。あなたも暮らしている町です」

 紳士はそう教えてくれた。彼の顔はひどく崩れていたので、声で男性だと判断したのだが。しかし、彼の言うことに僕はピンとこなかった。そう言われるとそんな気もするが、どこにも僕の居場所がないような実感を得た。

 「そうですか。ありがとうございます。ところで、その、臭いがきつくないですか」

 周りの臭いに耐えられそうになかったのでそう聞いてみた。屍者が放つ腐臭だ。

 「いえ、ちっとも」

 「ちっともですか」

 「ええ。ちっとも気になりませんとも。我々はみんな、死体ですから。見渡して御覧なさい。あなたも知っている顔がいるはずです」

 確かにここには知った顔が何人かいた。最初の作戦で殉職したウィリアム。僕が中学生の頃に癌で死んだ母さん。あれは…父さんかな。

 「あれ、僕は父さんと会ったことがない。顔も知らないはずなのに」

 「死んだと思い込んでるのでしょうな。あるいはあなたにとっては彼が生きていようがそれは死と同義なのです」

 そう言うと紳士はどこかに向かって歩き始めた。見ると、周りの人々は皆同じ方向に向かって歩いている。

 僕もそうした方がいいと思って。同じ方向に向かって歩き始める。

 




                 

 ナイトオウルは人工筋肉でできた翼の形を変えながら夜空を切り裂いて飛んでいる。今は中東のあたりを飛んでいるだろうか。正確には躯体全てを変形させ、かまぼこ板みたいな長方形して飛んでいるから、翼という表現は不適切かもしれない。でも、このステルス機にナイトオウルなんて名前を付けたアメリカ軍も全然過去から脱出できていないということだ。

 この飛行機には構造上窓が付いていないので、外の景色を見て暇をつぶすこともできない。成層圏ギリギリ、対空兵器の届かない、超高高度をマッハ3くらいで飛ぶ最新鋭機なのだが、それでもアメリカの基地から東欧の作戦区域までは随分時間がかかる。

 人狩りマンハントの作戦の前に恋人に電話をかけるのもなんだか憚られるし、同じ機に乗ってる同僚達と話をするのも限界がある。結局僕はボーッと天井でも見ながら物思いにふけるしかないのだ。


 ここ数十年での科学技術の発達は僕らの生活を大きく変えた。特に、材料化学の分野で大きな発展があり、あるアメリカ人の科学者が製造に成功した、今では一般に人工筋肉と呼ばれる素材は、それまでに見つかったどの素材よりも、単位密度当たりの強度が高く、安価で、大量生産が可能だった。

 このチートコードを使ったアイテムみたいな代物は、更にその数十年前に同じように人々の生活をがらりと変えたらしいナノマシン技術と組み合わさることによって、ものすごい速さでものすごいものへとなっていった。人工筋肉には、僕ら人間の体に埋め込まれているものと同じナノマシンが入っており、筋繊維に埋め込まれたそれらから発する微弱な電流によって、ほぼ流体に近いような状態から、最前線で戦う兵士の防弾チョッキに採用されるほど強固な状態まで瞬時に変化する。今や街の中はこの素材であふれ、建物、乗り物、公共物のほとんどに何かしらの形で使用されている。

 僕らの乗っているステルス戦闘機、ナイトオウルもその1つで、周りの環境に応じて最適な速度、状態で飛べるように、人工筋肉でできたその躯体を変形させながら飛んでいる。おかげで中に入っている僕らはほとんど揺れを感じることはない。高所恐怖症も安心の代物だ。

 そして、この技術を最も象徴しているものが義体だろう。義体は、その体すべてが人工筋肉でできたアーマーを付けた人型の自律歩行兵器であり、今、世界中でこの背の高い人型の兵器が各国政府の命令に従い、自動で街をパトロールし、時に道案内をし、時に夜道を1人で歩く女性の護衛をし、時に犯罪者を捕まえている。全身が有機的な物質でできたこの存在にロボット三原則が当てはまるかどうかというのは微妙なところではあるが、当の兵器達がもっとメカメカしかった時代から、そんなルールは糞くらえだと言わんばかりに、それらを戦争に投入してきた人類は、今回も迷うことなく義体を対テロリズムの最前線へと投入することを決めた。そういうわけで、義体は今日も都会のどこかで、人助けをする一方で、どこか砂漠か荒野の地域で、テロリスト達をパンパカ撃ち殺している。

 サイコドライバーはこんな時代の人類の中から突然変異的に生まれた、これまた冗談みたいな存在の人のことを言う。進化し続ける自律兵器に対しパワーバランスを取るために、神や、あるいはそれに準ずる大いなる存在が、人間に対して授けた能力なのかもしれない。彼らは、まあ、僕もその中の1人なんだが、世が世なら超能力者と呼ばれただろう者たちのことで、特殊な脳波パターンを持っており、厳しい訓練を受けることによって、念じることで人工筋肉でできたものを意のままに操ることができる。意のままにというのは文字通りの意味で、つまりナノマシンから人工筋肉に与えられている電気的な命令を上書きして、脳内でイメージしたとおりに自在に形を変えたり、遠隔で操作したりということができるということだ。この行為はハックと呼ばれるが、もちろんそんなことを街中でやってみようものならすぐさま政府軍に連絡が行き、あっという間に逮捕されて残りの一生を薄暗い檻の中で過ごすか、パンパカ撃ち殺されてその生に幕を閉じるかのいずれかになってしまう訳だが、有事の際はある程度の即応・自由行動が認められており、そういった時は義体やその他の兵器に設定されてある対サイコドライバー用のプロテクトが緩まり、即応行動での遠隔操作が許されている。


 ピピーッ 目的地まで後約2時間です。隊員は精神安定剤を服用してください。なお、作戦中の隊員の生体データはすべて記録され、WHO、および関連企業に送信されます。これはより良い作戦環境を隊員の皆様に提供するための行為です。特殊部隊員は申請によってすべてのデータを閲覧可能であり…

 ナノマシンに搭載された汎用OS、バトラーが、体の内から僕に告げる。バトラーはその名の通り、執事のようにほとんどのことをこなしてくれるAIだ。予定や、アドレスの管理、情報の検索。細かいところだと、電車の乗り換えとか、体調に応じて自動で病院の予約を入れたり、外国語の翻訳、初対面の人と喋るための会話のテンプレートなど、網膜にも入り込んでいるナノマシンを通して眼前にディスプレイしてくれる。ビッグデータを基にオフの日のファッションのコーディネートなんかもしてくれるので、バトラーが無ければ、僕は生活していけないかもしれない。ちなみに、そういうのが好みな人向けに人間をかたどったアバターが用意されており、視覚デバイスを通して、本当に執事が目の前にいて喋りかけているようにすることのできるサービスもある。月額50ドルもするので僕は利用していないが。

 学生の時に習った程度の知識しかないが、昔は携帯電話というものがあったらしい。バトラーがなかった時代はそういったデバイスを持ち歩かなければ出先で電話をかけることができなかったらしいのだ。今の時代では、携帯という言葉そのものが廃れつつある。意識的にものを”携帯”しなくても、必要な時にいつでも引き出せるのだ。全ての情報はナノマシンに格納されバトラーが管理しているので、僕らは何も携帯する必要がない。買い物も、ものを選んで店舗から出る際に、勝手に紐付けされた口座から料金が引き落とされる。

 ID認証も何もカードとかが無くてもできるわけで、逆に言うと、昔は問題になっていたパスポートの偽造とかもできなくなっているらしい。僕はパスポートというのはもう言葉しか知らないのでよく意味もわからない。

 僕らのような日本人の血を引いている人を含めて、すべてのアメリカ国民は13歳の時にナノマシンを体内に挿入され、サイコドライバー適性試験を受け、その試験の結果でその後の選択できる進路が決まる。もっと言うと、全人類はいずれかのタイミングでナノマシンをその体に入れることになっているはずである。時期は国や地域の定める法律によって変わるが、だいたいは思春期と呼ばれる時期にさしかかるくらいである。僕はそのサイコドライバー試験で見事高得点を叩き出し、ハイスクールはサイコドライバーを養成するコース、卒業した後の個人情報の管理先はWHOということになった。

 サイコドライバー試験は、その名前を聞くとえらいオカルトな代物だが、内容はスプーンを曲げるとかカードの絵柄を当てるといった前時代的なものではなく、頭に如何にもな装具を付けて脳波を測るといったものだった。なので高得点と言ったところで、僕が別段なにか問題を解いたり能力を示したわけではない。結果が出ました。おめでとうございます。あなたはサイコドライバーとして高い適性があります。将来は軍に入ることを推奨します。それではOSの設定に移りますので、隣の部屋にお進みください。なおすべてのデータは試験の前になされた同意に基づいて、アメリカ軍およびWHOのデータベースに保存されます…などどナレーションが響き、実感のないまま将来設計が決まってしまう。それまでアメリカ政府に管理されていた声紋、指紋、DNAなどのデータに新たにナノマシンの管理番号が加わり、めでたくすべての個人情報を政府に掌握されるようになるわけである。


 僕らの世界は今の形になる前に、崩壊の危機を経験したことがあった。

 パンデミック。あの事件は一般的にそう呼ばれている。僕も学校の授業で習うような知識しか持ってはいないが、始まりは中国か日本のどちらかだった。ある製薬会社が偶然に生み出してしまったウイルス。そのウイルスに罹患した人は、理性を失い血と肉を求めて歩くようになった。そして、感染者に噛まれた人も同じようにゾンビへと変容した。ゾンビは企業の所在地であった日本と中国を滅ぼし、瞬く間に全世界へと広がっていった。

 事態はアメリカの手によって収束した。特殊部隊のエージェントが日本へと乗り込み、崩壊後の街からゾンビウイルスに対して抗体を持つ人間を見つけた。その人間の血液から特効薬を作り、人間はパンデミックを克服した。というのが、アメリカが最初に全世界に発進しようとしたカバーストーリーだった。

 エージェントが持ち帰ったのは抗体だけではなかった。彼らはこの事件がアメリカの自作自演であることを暴露した。ウイルスを生み出した企業は元をただせばアメリカ系の企業で、その企業は高等開発局DARPAと共同の開発プロジェクトである薬を研究していた。そしてその副産物でウイルスが生まれた。その企業の研究所はアメリカ以外に中国と日本に存在し、その2国の研究所からウイルスが漏洩してしまい、世界はゾンビ化の炎に包まれたということである。アメリカは自分たちが原因で世界が滅びてしまったことを隠そうとして、研究に携わった人物を消して回っていて、それで何食わぬ顔で世界の救世主面をしようと企んでいたようだった。

 アメリカはこの事で世界中から非難された。と言っても、世界はほとんど滅んでしまっていたが。それでも、人類は立ち上がって、新たな歴史を刻んできたわけで、つまり、アメリカは、その新世界での発言力を大きく失うことになってしまったのであった。僕の故郷である日本は、といっても僕は生まれも育ちもアメリカで実際に行ったことはないけれども、その土地は見捨てられ、生き残った数少ない日本人はアメリカへと移り住むことになり、残ったユーラシアのほとんどはロシアが実質的な支配をするようになったというのが今日の僕らの世界の歴史だ。

 自分たちが弱っている状態では、他の人種の事を気にかける余裕がなくなるというのは、まあ、普通に考えても無理のないことで、僕のような絶滅しかけの日本人にとっては、超閉鎖的な社会となってしまった北米で職を見つけるのはとても難しいことだった。メイク・アメリカ・グレート・アゲイン。アゲインの数を重ねるたびに、グレートのハードルは下がっていったわけだが、そんなアングレートなアメリカの庇護下に置かれなければ僕らのような弱小民族は生き残れない。それでも僕はサイコドライバー適性があったおかげで、どうにかWHOに入ることができた。WHOとはもちろん世界保健機構のことである。WHOは今や自前の軍隊も持ち、世界で最も力を持つ国際的な組織となっている。

 かつて世界にあふれたゾンビウイルスは、そのころにはすでにアメリカで義務となっていたナノマシンを持つ人に特別効きやすいという質の悪い特性を持っており、そのことがトラウマになってナノマシンは消え去るものかと思われたらしいけれども、実際はむしろその逆で、人々はナノマシンにより依存して、徹底的に健康を管理されることを選んだ。人々というのはアメリカ合衆国だけでなく、全世界の人々のことを指し、国によって多少の違いはあれど、ナノマシンを入れている人は、全ての行動履歴や健康状態等のデータを政府に監視され、少しでも異常があるならば通報され、病院に送られたり、あるいは隔離されたりというようなシステムが出来上がった。そのころには、ゾンビに対してはすでに特効薬ができていたということも大きかったらしい。

 WHOはこのシステムの開発に大きく携わっており、各国における健康状態のガイドライン作成に口を出していった。このことでWHOは国際社会に対してメキメキと力をつけていき、かつては精々が1日に摂取すべき塩の量のガイドラインを作るくらいだったこの組織は、全世界の人間のプライバシーを掌握するデータベースを手に入れ、歴史上のどの国際的組織よりも大きな存在感と権限を持つに至った。彼らの作るガイドラインは厳しさをどんどん増していって、健康を害するとして、1日の酒、たばこ等の摂取量の上限を定め、破ったものは容赦なく豚箱行き、麻薬なんてもってのほか、今ではさらにエスカレートし、アルコールを1滴でも摂取するのがばれようものなら即処罰されるようになった。当然それに素直に従わない人間もいるわけで、そんな彼らはブラックマーケットの商人よろしく、何らかの方法でナノマシンの監視の目を欺き、中東や東欧当たりのきな臭い地域で酒やたばこを売りさばいている。そしてそれらに対応するために前述の通りWHOは独自に軍事的行動が可能な部隊を持ち、日々鬼ごっこの鬼を演じるに至ったわけである。

 僕、結城陸人、21歳、はそんなWHOの調査官の1人で、もうここで働いて3年目になる。所謂、特殊部隊の隊員というやつで、今日もアメリカ軍と共同の作戦でトルコまで逃げ込んだとされる酒の密売人を追っかけているところだ。鬼を演じる隊員は僕を含めた4人で、サイコドライバーは僕だけだった。


 「トルコって行ったことあるか、陸人?ドンドルマの国だ。お前の国じゃあ、トルコアイスって呼んでたらしいぜ」

 ウィーランドが僕の隣に座った。僕の分の水を持ってきてくれたみたいで、ありがたくそれを受け取って、キャップの蓋をあける。

 彼もWHOの調査官で、サイコドライバーではないけれど、現場経験の豊富な隊員だ。僕と彼は同じ隊に所属しているので、しょっちゅういっしょの飛行機に乗ってあっちこっちに飛び回って悪党を捕らえに行っている。彼は僕より7つか8つか年上のセンパイというやつで、妻も、小さい子供もいるので、生活費を稼がねばということで、精力的に作戦に従事している。

 「トルコアイスがトルコのものじゃなかったらおかしいでしょ」

 言ってから薬を水で飲み下した。この薬は錠剤が大きいので、飲みこむときにつっかえて気持ち悪い。

 僕らは作戦のたびにこうやって薬を飲む。殺し殺されが考えられる場合は感情を抑える処置がなされるのだ。これは精神の動揺とPTSDを抑えるために行われる。実際には薬が感情を殺すわけではなく、これはただの鎮静薬で、それはWHO本部が遠隔でナノマシンに特殊な操作をすることでなされる。詳しくは調べてないし、僕の権限では見ることのできない情報だ。過保護とも言えるし、義体なんて作っといて、そこまでして人に人を殺させたいのかとも言える。

「どうかな?お前の国にはそういうのが結構あったんだ。ナポリタンスパゲッティはナポリにはないし、あとはなんだ…台湾ラーメンは台湾にはなかった」

 彼はいわゆる日本オタクというやつで、日本人の僕よりもずーっと詳しい知識を持っている。僕の生まれる50年前くらいのことも知っているみたいだ。ちなみにセンパイという言葉が元は日本語だったということを教えてくれたのも彼だ。

 「台湾って中国の一部だったっけ」

 「そう。日本に近いところにあった離島だ。自由主義を謳って、中国本土とは仲が悪かった。アジアの歴史は面白いぜ。まさにカオスだ。お前も勉強してみたらどうだ」

 中国に関する知識というと、中華料理の名前くらいしか知らない。今の時代はどこでも、なんでも調べられるけど、その分逆に面倒くさくってやる気が起きない。ウィーランドはその面倒くさいことが大好きなタイプで、厄介なことに人にそれを説明するのも好きなタイプだ。

 「歴史をそんなに学ぶことに意味があるのか?いや、勉強になることもあるだろうし、君にとっては面白いんだろうっていうのも分かるんだけど…。ほとんどはもう居なくなった人たちのことだ。学んで何になるんだ?」

 「おいおい…居なくなったとはいえ、こうやって歴史や文化は伝承されているんだ。それらを知り、学ぶことで、彼らの生きざまに思いを馳せることができる。彼らは真に絶滅したわけじゃないんだ。逆に意味があるから文献として残っているのさ。俺たちに直接利するものがあるかっていうのは、正直わからないが、受け継いできたものを次の世代に残せるよう学んでいくっていうのは、歴史の中に生きる上で義務とも言えることだぜ」

 立派なことを言う。こういう時は素直に彼のことを尊敬できる。調子に乗らせるといつまでも話が終わらないので、直接彼には言わないが。

 バトラーが目的地に近づくにつれ、現地の天気を教えてくれた。


     

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