魔女の屋敷

 野山の日が陰るのは早い。

 折袖との戦いを終えてすぐ、日は傾いた。夕日が木々を照らしたかと思うとすぐ、完全な闇が訪れた。


「セバスちゃん……こういう練習もしてきたの?」

「ん? あぁ、多少だけどね」


 暗がりに慌ててライターを出し、集めた枝に火を移した。

 明かりの確保だけならランタンでも良いが、野生の動物からの危害だって無視はできない。本来なら食料もここで調達したかったが、夕食は持参の缶詰めをいくつか使用する事にした。


「そう? 凄く手際が良かったからびっくりしたよ?」

「そうかな? 上手くやれているなら良いんだけど」


 真央に褒められるのは嬉しい。

 だが、本音を言えば火起こしなんてものはサバイバルの多少……にも入らない。既に節約したかった非常用の缶詰めを開けてしまっているし、これから先、この山を拠点にするなら尚更、この程度では済まない。そもそも、真央は優しいんだ。この言葉だって落ち込んでいた俺を気づかっての意図が含まれているのだろう事に気づかないふりをして微笑と共に返事をした。


 俺が用意したリュックは市販の中では最大級の積載量があるが、その中でも特に場所を取るのが寝床に使うシュラフと防水シートだが、これだけは必需品だった。これから数日、野営が続くとして考える場合だが火の見張りもあり熟睡は難しい。疲労の蓄積原因は可能な限り排除したいが、その場面で有効なのがこの防水シートだ。


 現在それはランチョンマットの様にして使われている。

 人の体力を奪う原因の一つに温度がある。体温を保つ為に消耗するエネルギーは馬鹿にできず、体温を下げるのは夜風だけでない。特に深刻なのが地面に体温を奪われ続ける事で、その地面が湿気状態ならば尚の事対策が必要だ。その上、この防水シートは端にリング状の穴があり、紐を通せばロープワークを駆使して簡易屋根、ビバークを作り雨を凌ぐ事もできる。


 とはいえ、これはあくまで体力温存の工夫だ。

 体力の回復というなら必要なのは何を置いても食事しかない。今日のところは缶詰めを使用したが、裏山にはいくらか自生した食用の野草や木の実があり、野鳥もよく見られるから環境が整えばそれらも食料として狙えるだろうが、やはり1番手軽な食料はここまでにも何度か見かけたあいつだ。


「真央、これから先は出来るだけ自給自足をするべきだと思うんだ」

「うん。そうだね。食べられる野草とかは採りながら進もうね」


 流石は真央だ。

 俺の意図にすぐに賛同してくれたのはありがたい。思えばこんな騒ぎになる前は人一倍外での遊びが好きで男勝りな性格だった真央だ。冒険ごっこもしていたし、食べられる野草があるくらいの事は彼女の得意範囲かもしれない。


「ああ、それに木の実は積極的に採りたいし、後は……バッタやセミだな」

「……え?」


 昆虫は栄養価が高く、野鳥などに比べると確保も用意だ。

 これは明日からでも実行ができるのだが……ここで俺は過信に気付いた。真央の男勝りへの過信をだ。


「あ、そうだよな……流石に虫は抵抗……ある……?」

「はは……」


 どう見ても引き攣った顔の真央。

 失敗だった。焦りすぎた。よく考えれば俺もその手段に抵抗を無くす為にはかなり覚悟が必要だったというのに、なぜ、俺はそれを真央に強いてしまったのだろう。


「……冗談だよ」

「……」


 真央の視線が刺さる。

 正直苦しい言い訳だ。真央はよく人を見るし、長年の付き合いがある俺の嘘を見抜けない訳がない。


「セバスちゃん、大丈夫だよ。缶詰めは節約しなきゃいけないし、必要な事は私だって分かってるから」

「……あぁ」


 では、なぜ彼女は俺のと目を合わせてくれないのだろうか。


「まあ、それは最終手段でもいい。俺たちには目的地があるからね」

「……うん」


 彼女のホッとした顔に安堵した。

 彼女に言ったことは、嘘じゃない。完全な自給自足は難しいが、俺たちが目指すのは魔女の屋敷だ。雨風を凌げる小屋があるだけでも断然有難いし、もしかしたら食料の備蓄もあるかもしれない。何より、この話題を無理強いして彼女に嫌われる事は、俺の精神衛生上あまりにも堪え難かった。


……


 翌日はひたすら山道を進んだ。

 しばらくすると平坦な道は消え、どう進むにも枝を払い進まなくてはならないほどに道が奥まって来た。


「真央、大丈夫?」

「はぁ……うん、まだ……はぁ……大丈夫だよ」

「いや、一度休憩しよう」


 無理は良くない。

 約6年、真央は家に引きこもっていた。それがこの数日は歩き詰めになり、家の布団とは比べるべくもない簡易なシュラフで休み、山の険しい雑木林を進んでいるのだ。無理は良くないというなら、既にこれは相当に無理な行為かもしれない。


 ただ、その険しさは有難い。

 これほどの道の先ならば、折袖の様な勇者が頻繁に現れることは無いだろう。むしろ、近隣の裏山がこれほど未開のままであったことこそ出来過ぎな幸運だ。真央には申し訳ないが、ここは耐えて進むしか無い。


「……」

「……」


 お互い口数が減った。

 真央は限界が近い。俺は、真央に余計な気を使わせないためにも意図して口数を減らしていた。


 夕日を合図に防水シートを広げる。

 まだ梅雨では無いとは言え、ここまで雨に降られていないのも幸運だ。とはいえ裏山に入って3日目だ。そろそろ疲れも栄養価も問題だ。そこで今日は少しだけ持参した食料を使うことにした。火を起こし、夕食にレトルトのご飯と簡易フライパンを使い、山で見つけた野草と木の実を炒め、そこに缶詰めのシーチキンを和えたものを用意した。


 木の実はやや渋く、野草は芯が口に残る。

 だがシーチキンと和える事で大分食べ易くはなっている。野性味のある味付けではあるが、シーチキンに合う一味唐辛子の粉を少し振りかけて丼物にすると益々食が進んだ。


「セバスちゃん……料理も出来るんだね」


 今度の表情は、どうも本当に感心している様だ。

 こんなものは大した料理では無い。だが、好きな子から聞くその言葉はシンプルに嬉しい。何より疲労が濃く見えた真央が久しぶりに表情を緩めている事が嬉しいのだ。


 その後、栄養価の比較的高い食事を済ませ、いつもより早めの休息で体力を戻した俺たちはその場で荷物に整理をした。

 進行を優先して置いていたリュックの整理と、残りの缶詰やレトルト食品を把握する目的っだったのだが、それがどうにもおかしい。


「おかしい……数が合わない」

「もしかして少ないの?」


 いや、それならばまだ説明がつく。


「多いんだよ」


 それも、黄桃やおでんといった見覚えのない缶詰めがある。

 俺にはそんなものを持ってきた覚えがないのだ。覚えはないのだが、思い当たる節はある。


「まさか……」

「多分、そのまさかだよ」

「え? あー……」


 真央は、一枚の手紙を俺に渡しながらくすりと笑っていた。

 それを見てすぐ、全てを理解した。


 桃は俺の母の好物で、おでんは父の好物だった。


【杉雄へ、

すまない。お前の気持ちは分かっていた。お前の進めている準備も知っていた。でも、親としてそれを正しいとは言えなかった。本当にすまない。だから母さんと決めていたんだ。俺たちは何も言わないが、その時が来たら止めない。俺たちにはそれしか出来ないが、無理はするな。どうしようもないと思ったら戻ってこい】


 読んだ手紙はすぐにポケットにつっこんだ。


「セバスちゃんのお父さんたち、やっぱり強いね」

「……」


「……強くないさ」

「セバスちゃん?」


「勝手に缶詰めなんて入れて、道理で荷物が重いはずだ。……しかも、自分たちの好物を入れるなんてどうかしてるよ」

「……」


 だいたい、勝手なんだよ。

 父さんだって、真央のお父さんとは仲が良かったのに我慢していたんだ。それを家庭に持ち込んだら、俺がこの道を決めるきっかけになってしまうかもしれないから。ずっと、親として反対しながら親として応援していたんだ。


「どうしようもなくなったらってさぁ……」


 もう、何度も危険な目になんてあってるよ。

 今だって不安だらけだし、今頃こんな告白されても迷惑なだけだ。決心が、緩んでしまいそうになる。今もほら、手が震えて、目元が熱くい。最悪だ。強くなるって決めたばかりなのに、最悪だ。


「セバスちゃん、泣いて良いんだよ」

「え?」


 ふわりと、彼女の腕が俺を包み込んだ。


「こういう時は、泣いたほうがいいよ。泣いて、泣きやんだら一緒に食べよ? おでんと桃缶」

「う……うああああああああああ!!」


……


 取り乱したのは随分、久しぶりだった。

 俺が泣き崩れているあいだ、真央はずっと俺を抱きしめてくれていた。優しい匂いと暖かい体温、どこまでも穏やかに打つ真央の心音を頼りになんとか平常心を取り戻した。


「まったく、酷い親だ」

「まだ言ってるの?」


 今度は俺の腕の中に収まっている真央がくすくすと笑う。

 俺はそれを見て真央にとも、両親にともつかない悔しさを覚えた。


「6年分の文句だからね。そう簡単には治められないよ」

「ふふ、じゃあいつか文句を言いにいこうよ」

「あぁ、それはいいね!! 良い目標が出来たよ」


 父さん達のおかげだと思うのは釈だ。

 でも、確かにそれは良い目標だった。今まで生活基盤の安定のための魔女の屋敷しか視野になかった俺にとって、その先の目標が立ったのは気持ちの面からも支えになったし、いつまでも山の中で暮らす事で完結では真央があまりにもかわいそうだ。


「じゃあ……その時に挨拶もし良いかな?」

「え? 挨拶って」

「セバスちゃん……いじわるで言ってる?」


 その言葉の意味にはすぐ気づいた。

 一瞬、勘違いかとも思ったけれど、真央が顔を埋めた俺の胸のあたりが妙に熱くて、それが真央がその言葉に込めた意味を確信させた。


「ごめんごめん。いじわるのつもりは無かったんだ。ただ、少し驚いただけなんだ……だってさ、それは……」


 最高の目標だったからだ。


 そして、その日から真央が俺のことをセバスちゃんと呼ぶことはなくなり、あなたと言うようになった。


……


 翌日の足どりはいやに軽かった。

 気持ちの違いもあってだろうが、枝葉に阻まれる道も抜けた事も大きい。視界は広がり、木漏れ日が増えた山中はどこか穏やかだ。その上獣道だろうか、踏みならされたようなその山道はさっきまでの険しい山道が嘘の様に歩きやすい。


「いや、いくら何でも変じゃないか?」

「うん……私もそう思う……」


 恐らくは、誰が見てもそう思うだろう。

 獣道に沿って歩く最中、左右に見えるのは野草ではなく普通に市販される様な野菜達、つまり畑だ。多くは動物に荒らされてはいるが、探せばしばらくの食料には困らないだろうし、畑の再建もそう難しくはないだろう。


「幸先が良いなんてもんじゃないな……出来過ぎだ」

「あなた、あれ……」


 それは、屋敷と呼ぶにはあまりにも小さい、木製の物小屋の様なものだったが、その時の俺たちには間違いなくそれは屋敷に、いや、豪華な城にさえ見えた。


「真央、外で待っていて。何かあったらこの鈴を鳴らしてくれ」

「うん……気をつけてね」


 屋敷に近くとカビと埃の匂いがした。

 ずいぶん長く放置されていたのだろうが、それもまた都合が良い。もしもここに管理する人間がいるならば俺はその人と交渉、或いは闘争が必要になったが、どうやらその心配が消えた様だ。入り口にかかった蜘蛛の巣をはたいて中に入る。


「おじゃまします……誰かいますか?」


 確か、魔女の屋敷のモチーフは50年前に俺たちの生まれた町に住んでいた身寄りのない女性らしい。

 当時の彼女に何があったのかは分からないが、彼女はこの山中を買い取り、居を構えた。随分と風変わりな性格だったらしく、その奇行も相待って彼女を知る人は彼女を魔女と呼んだ。元々の気質なのか、或いは魔女と呼ばれ奇人の類とされたことが拍車をかけたのかもしれない。とにかく彼女は山を降りることが少なくなり、やがて人里には一切顔を見せなくなると、それはいつしか子供のしつけに使われる様な地方の怪談のようなものになっていったという。


 だが、ここの当時は立派だっただろう畑を見れば分かる。

 彼女はきっとここでの生活を大切にしていたのだ。でも無ければ築50年を超える小屋のあちこちに見られる補強や畑だったであろう土地の広さはあまりにも不自然だ。


「貴女が何を思い、ここで暮らしていたかはわかりません。ですが、どうかこの場所を俺たちに使わせて下さい」


 俺は窓を埃に塞がれた暗い小屋の中央、椅子に腰掛けた骸骨に深く頭を下げた。


……


 真央を呼び、初めに行ったのは魔女と呼ばれていたであろう彼女に供養だった。と言っても線香の一つも持ち合わせはない。土葬と祈りを捧げる程度のささやかな供養だ。それを終えるとすぐに小屋の掃除が始まった。幸い土台は頑丈だったが、小屋の中は土埃に溢れているし、家具の類は全て壊れていたので外に運び出す必要があった。


 小屋の整備は大変な仕事だったが、畑に残っていた野菜や果物のおかげで食料の調達に時間をかけずに済んだことが良かった。なんとか日が沈むまでに人が住める状態になり、俺たちは想像以上に恵まれた拠点を借りられることになった。

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