勇者が現れた

「俺の方の準備はある。真央の準備は?」

「そんなにないと思うよ。ふふ、ずっとそんな事考えてくれていたの?」

「……」


 俺はどこか嬉しそうな彼女を見れず、顔を伏せてうなづいた。

 彼女はそんな事と言う言葉に私と言うるびを含めていたから、本当は否定したかった。彼女は、そんなに安くはない。俺が想い続け、世界と天秤にかけても守りたいほど魅力的な女性だと、そう素直に口にできない性格がもどかしくて、彼女がそれほどに過小評価してしまう世の中が恨めしい。


 自宅に準備していた荷物を背負う。

 保存食に野営装備、従者の衣装と荷物はかさばり、かなりの重量だったが身体を鍛えていた事がここで役に立った。対して必要最低限の物質を俺が用意している事で真央の荷物はかなりの軽装で済んだ。


「でも……セバスちゃん、本当に大丈夫かな?」

「……あぁ、あそこなら大丈夫だよ」


 真央の不安は目的地を指していた。

 俺が特訓に明け暮れた裏山の奥にあるという『魔女の家』については良からぬ噂も少なくない場所だ。だが、それ故に悪戯に人が近づかない場所でもある。また、俺たちにとっては数キロ離れる程度の裏山でさえも行動圏ギリギリの選択肢になってしまう。何故なら、俺たちには公共機関が利用できない上に可能な限り人目を忍びたいという理由があった。


 それは、魔物化被害者の移動には危険が伴うからだ。

 真央が患った魔物化は世間から感染病の様に噂され、それは人権剥奪に至ったが、今や『人権がない』事を良いことに強姦、強制労働などの悪事の対象になる他、世間的に悪印象な魔物化の被害者を狩る存在が義援金によって成立し『勇者』という名の新たな職業となっているのだ。


「……さっそく来たか……」


 勇者は魔物化被害者を狩る事で義援金を受け取る。

 ただし、その行動のために特別な武器を持つことは許されない。つまり銃刀法に抵触しない凶器を持ち行為に当たるのだが、そこにも抜け道はある。それは単純な話しだが、武器が第三者に発覚しなければ良いという事で、それはそもそも人目を忍ぶ魔物化被害者の行動域的には存外簡単に執り行える事でもある。


 だから、この男の様に刀を隠し持つ者だってそれほど珍しくはない。


「……ここで戦うのはお互い得策じゃないんじゃないか?」

「……ほう、良い目をしているな。場所は決めてもらおう」

「セバスちゃん!?」

「大丈夫……任せて……」


 不安げな彼女をなだめるが震える拳はなかなか治らない。

 恐らく『勇者』であり、『敵』であるこの男、歳の頃は還暦は過ぎているだろう外見だが、正面から現れた和服姿の男に強烈な違和感を覚えた。


 動作が自然すぎるのだ。

 まるで何かの武闘を極めた様な所作は歩道を歩く老人の男性の足どりはあまりに似つかわしくない。そして手にした日傘の取手に見えた切り込みと異様な重量感、その正体を思うと彼に背を向ける事は常に恐ろしい。


「なるほど……ここなら邪魔も入らない」

「あぁ、お互い騒ぎは困るだろう……」


 裏山の入り口を見渡して初老の男がうなづく。

 俺は軽口で合わせながら、荷を下ろし木刀を構えた。


「仕込み刀だろ? 抜かないのか?」

「やはり、気づいていたか……」


 それが合法的な所持品ならば、この男は市街地だろうと問答無用で襲いかかってきただろう。その場合、周囲の人間が加勢する可能性もあり非常に厄介だったが、結果的にはそれが非合法だった事で彼は俺の誘いに乗ることになった。


 傘から抜き取られた刀身は刀の様な形状、放たれる鈍い光が切れ味の鋭さを物語っていた。


「真央は下がって、これは俺の役目だ」

「良いのか? 二体一ならば勝てるかもしれんぞ?」

「……思ってもない事を言うなよな」


 手に汗が溜まる。

 動かないというより、動けなかった。相手は真剣、一度の失敗で全てが決まる可能性もあり、その上かなりの手練れだ。明確に格上だが、油断もしてくれそうにない。


「そうだ。名乗り忘れていたな……私は、折袖大牙という。主は?」

「……洗馬杉雄」

「良い名だ。腕も良い……出会いが違えば弟子に取りたかったものだが……」

「生憎、俺が剣を振る目的は決まっている」

「……それはお互い様だ。実に惜しいが、やむ終えまい」


「おおおおおお!!」


 振り下ろし/切り上げ/中段蹴り二連


 俺は折袖に技と経験では劣る。

 歳の差を考慮し、筋力差での押し切りが最善策と考え先手を仕掛けた。相手が半歩後退して避けられる距離で木刀を振り下ろし後退を促すとそこへ木刀の切り上げで追撃、これを躱した無理な体勢に蹴りを放ったのだが、そこで不思議なことが起きた。


「な……んだ?」


 俺は確かに蹴った。

 一撃目は折袖の左肩を擦り、最後の一撃は折袖の刀に防がれたまでは、分かる、では、どうして俺は……仰向けに倒れているだろう。


「“重ね“という私の編み出した剣術の『投げの技』だよ」

「!?」


 起き上がり、折袖を見る。

 嘯く様な顔ではないが、その台詞はまるで冗談だ。剣術の投げ技なんて聞いたことがない。そもそも俺は掴まれていない。投げられた記憶もなく、ただ仰向けに倒れていただけで……それは、何故なのかも分からない。


「残念だが、善戦するには主は若すぎた様だ……」

「それで、諦められると思うか?」

「!?」


 確かに、俺は敵わないだろう。

 だが、それは諦める理由にならない。相手は真剣だ。俺はまずあの奇妙な技をもう一度見なくては勝機もないが、その際には四肢のどこかを失っておかしくないのだが、それのどこが月影真央を見捨てて逃げる理由になるというのか。


「覚悟を見誤ったか……だが、斬るにはあまりに惜しい逸材……」


 水平斬り/上段蹴り/下段蹴り/突き/突き/斬り下ろし


 苦笑し油断を見せる折袖に全力でぶつかる。

 仕掛けた水平斬りを躱され、上段蹴りを左手でいなされた。意識を上に寄せた隙をついて下段への蹴りを放つがこれを後方に下がり射程外まで避け、追撃の二段突きを身体を捻りながら防がれてしまう。そうして斬り下ろしにまた剣を合わせ『重ね』を使われた俺は仰向けに倒れ込んだ。


 痛みは少ない。

 その軽傷ぶりは二度も背面から落ちているとは思えないほど……もしかするとそれは“重ね”の正体に関係があるのかもしれない。思い返すに、重ねは蹴りと剣撃に対して反撃の様に打たれた。それはいずれも剣で受ける事を始点に発動している。また、受けた瞬間は浮遊感を感じた。そして、次の瞬間には投げられている……。


「まったく……本当に剣術か? まるで妖術じゃないか」

「よく言われたよ。さて、諦めはついたか? 主の心が折れた時、娘の首をもらうぞ」

「……は?」


 それはつまり、俺が折れない限り真央は死なないという事。


「余裕……みすぎだろ……俺は『魔王の従者』だぞ」


 そして俺は真央のために人である事を辞めた男だ。

 つまり、真央が死ぬ事は絶対にない。


……


 俺は諦めず、俺を殺さず心を折ろうとした折袖の攻撃がただ続いた。

 折袖の“重ね”を受けた回数はもう覚えていない。泥と血に塗れて彼方此方が破れた服、腕の感覚は随分前から無いが、少し前から重ねの理屈は気づいている。ただ、その返し手となると難しい。


「見上げた根性。ますます弟子に欲しい逸材……皮肉なものだな。ここに堕ちるまで出会わなかった逸材に今日ここで出会うなどとは……」

「勝手に感傷の道具にしないでくれ。俺は確かにお前より弱いが、『魔王の従者』はお前の弟子につくほど安くはない」


 準備は万全ではない。しかし、頃合いだった。

 これ以上、この戦いを繰り返しては体力を失い打開策は望めないだろう。ならば今ある理解でできる最高の動きをするしかない。


「ほう……何か策があるか? 面白い。見せてみなさい」

「へ……その師匠面、後悔させてやる!!」


 “重ね”は恐ろしい技だった。

 その極意は、自重や衝撃を操作し刀身で受けた衝撃を同じ角度に倍返しにする事だ。結果、この技を受けた者は自身が押し出した力と同等の力で弾かれ、投げられてしまう。


 つまり、“重ね”を破る手立ては一つしかない。

 こちらも“重ね”を返す、重力の争奪戦だ。




 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る