無理やり乗せられたジェットコースターみたいに、わけのわからない興奮のまましごいて、あっという間に達してしまった。

 俺は、橘さんのシャツとジーンズに顔を埋め、荒い息を吐き出した。

 熱が冷めると、いつになく落差の激しい自己嫌悪が襲ってきた。

 快感なんて、頂点を極めそうなときがピークで、余韻もへったくれもない。

 橘さんのことを考えてマスかいたわけじゃない。あくまで、あのAVを思い出しただけだ。

 ましてや女のほうに……だなんて、どうかしてるとしか思えない。

 しばらくその場に沈んでいたけど、気だるい下半身を引きずるようにして、俺は風呂場へと向かった。





「真中さん、おはようございます」


 次の日、朝ご飯を食べたあとに歯を磨いていたら、部屋の呼び鈴が鳴った。

 橘さんかと思い、慌てて口をゆすいで髪を直し、ドアを開けたけど、そこに立っていたのは、艶やかな黒髪の美形だった。

 眼鏡をかけていて、爽やかな笑顔全開だ。


「は?」


 橘さんじゃなかったことと、見知らぬ訪問者を不審に思う目つきとで、俺の顔はかなりなものになっていたと思う。

 それに気づいたらしい向こうが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「朝早くからすみません。蔦屋敷署の晴海です」

「……ハルミ?」


 ありとあらゆる引き出しを開けまくり、俺は、橘さんがいる警察署の若い刑事を思い出した。ついで、家まで送ってもらったことも思い出した。


「お、おはようございます……」

「もしかして、まだお休みでしたか?」


 晴海さんは、腕時計へ視線を落とした。その手には、紙袋と傘。

 それに目がいった俺は小首を傾げた。


「いえ、起きてたんですけど……」

「ですよね。もう十時近いですし」

「まあ……。ていうか、きょうは一体?」

「ああ──」


 晴海さんは俺の目線に気づき、紙袋から黒いかたまりを出した。

 よく見れば、きれいにたたまれた俺の服で、ご丁寧にアイロンまでしてあった。

 タンスの肥やしになっていたものだから、そんなに立派にしてもらって、逆に恥ずかしい気もした。


「真中さんへ返してほしいと橘さんから預かってきたものです。ついでに自分の服も、と」

「なんで──」


 自分で来ないんだよ。

 口には出さなかったけど、まなざしには込めていたみたいで、晴海さんが慌ててフォローする。


「橘さん、じつは三日前から定岡さんと東京へ出張に行ってまして……」

「東京?」

「本当はすぐお届けに上がるつもりだったんですが、俺もいろいろと忙しかったもので」


 俺は、「わざわざすみません」と頭を下げ、自分の服を受け取った。リビングへ行って、座卓の上に置いといた服と交換した。


「これが橘さんのです」

「ありがとうございます」


 あのシャツとジーンズが紙袋へしまわれるのを目にしながら、俺はぼんやりと橘さんのことを考えていた。


「……その出張って、いつぐらいまでなんですか?」

「あしたには帰ってくると思いますが」

「あした……。もしかしてあれですか? あの事件関係」

「あの事件?」

「ほら、なんていう人でしたっけ。逃走した放火犯。東京で」


 終始にこやかだった晴海さんが、わずかに表情を強ばらせた。

 でも、そうなるのも当たり前かもしれない。店長じゃないけど、あの放火犯がなかなか捕まらないのは、やっぱり警察の責任なんだ。

 年が近そうな晴海さんだから、俺のまなざしにも同情の熱がこもる。

 晴海さんの手にある傘と、晴れやかな空を見やり、俺は言葉をつなげた。


「そのニュースを見て、橘さんは慌てて帰ったから、すごく大変なことが起こったのかなって。みなさん、ほんと大変ですよね」

「……まあ」


 晴海さんは曖昧な感じで答えると、俺に頭を下げ、背を向けた。


「じゃあ、俺はこれで」

「あの」


 とっさにその腕を掴んだ。


「はい?」

「いや、大したことじゃないんですけど、きょうは晴れてるのに、なんで傘を持ってんのかなと」


 ああと、体を返した晴海さんは、この傘は署のものだと言った。

 よく見ると、警察署の名前と電話番号が柄につけられてあった。


「店の軒先で雨宿りをしていたお婆さんに橘さんが貸したらしく、その方から連絡をいただいていたんで、ついでに取りに伺ったんですよ」


 そのとき、髪をびしょびしょにして駆けてくる橘さんの姿が、俺の頭に浮かんだ。

 咎めたら、他人事みたいにはにかんで、しかし寒そうに震えていた。


「真中さんのところへ行く途中のことだったらしいですよ。橘さん、そんな話してなかったですか」


 俺は首を横に振った。

 晴海さんが帰ったあとも、玄関からしばらく動けなかった。

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