第16話 「…いつから。」

 〇二階堂紅美


「…いつから。」


 ふいに、父さんが低い声で言った。


「何が。」


「いつから…紅美と付き合ってた?」


「…半年…いや、7ヶ月前から。」


「……」


 父さんは相変わらず低い声で…


「どうして…いきなり結婚報告なんだ。」


 拗ねたような顔。


「あの時も、あの時も、あの時も。俺が心配して電話しても出なかったのは、華音と一緒だったからか?」


 うっ…


 あたしが眉間にしわを寄せて体を退くと。


「ごめん。俺が悪い。」


 ノン君が頭を下げた。


「ちょ…ちょっと、どうしてノン君が謝るの?あたしがいけないんだよ。秘密にして欲しいって…お願いしたからさ…」


「秘密?」


 あたしの言葉に、父さんが目を細める。

 その隣で、母さんは小さく溜息をついてコーヒーを一口飲んだ。



「…父さん、ごめん。」


 あたしは…意を決して話し始める。


「あたしが色々あって不安定になった頃から…父さん、あたしに対してすごく過敏になったじゃない?」


 あえて名前は出さなかったけど…

 沙都と付き合って。

 だけど沙都はソロデビューで渡米して。

 連絡する暇もないぐらい、忙しい売れっ子になった。


 あたしはあたしで…

 今まで心の拠り所としてた沙都が、手の届かない人になった気がして…不安定になった。


 そんな時、ずっとあたしの事気にかけてくれてた慎太郎が亡くなって…

 …沙都のせいにするわけじゃないけど…

 あたし…あの時はもう、一生恋なんてしないって本気で思ったかも。



「それだけ…父さんから見たあたしは、普通じゃなかったんだろうな…って思う。」


「……」


「あたし、そうやって父さんにバレちゃうほどおかしくなる前から、何度もくじけそうになる事があった。」


 自分の生い立ちを知って…家を出て慎太郎と出逢って。

 その恋が終わって始まったのは…海君との、まさかの恋だった。

 まるでドラマみたいな…大恋愛だった。

 結ばれるはずはない…って…分かってたのに。

 あたし達は…



「ほんと…色々あったけど…ずっと支えてくれてたのが…ノン君だった。」


 隣にいるノン君は、まるで意外な事を言われたかのような顔で…あたしを見る。


 …ふふっ。

 どうしてそんな顔?



「もう、なんて言うかさ…ほんと…嫌になっちゃうぐらい…あたしの事、ずっと好きでいてくれたんだなって思うよ。」


 目を見ながら言うと。

 ノン君は嬉しいのに困ったような…何だか可愛い顔になってしまった。


 あはは…その顔、初めて見るよ?

 抱きしめちゃいたいなあ…



「さっきノン君が…あたしに片想いのままでいいって、欲のない事言ってたけど…あれ、本当なんだよね。」


「……?」


 ノン君が首を傾げてあたしを見る。


 その目は…


 おまえ、何を言うんだ?

 何を知ってんだ?

 頼むから先に俺に言え。

 今ここで言うな。


 …って訴えてるような気がした。


 だけど、あたしは…


「単なるお節介だからカッコ悪い。だから紅美には秘密にしてくれ。って…いつもあたしの事、あたしの知らない所で守ってくれてたんだよね。」


「!!!!!!!!」


 その言葉に、ノン君は口を真一文字にして…目を見開いた。


 あー!!

 この顔!!

 写真撮りたいよー!!



「曽根さんが沙都のマネージャーになったのも、ノン君が曽根さんの家族を説得したから。」


「……何だそれ。知らねーよ。」


「あ、そう?」


 ノン君がどんなにお人好しで、どんなにあたしを大事に想ってくれてるか…

 あたしは…

 父さんと母さんに話したい。


 ノン君を、自慢したい。



「そんな話より…」


 ノン君は姿勢を正して、父さんと母さんに向き直ったけど。


「言わせてよ。」


 あたしは、ノン君の腕を取って…真顔で言った。


「曽根さんをマネージャーにした事、沙都のためもあったのかもしれないけどさ。ずっと一緒にいた沙都がいなくなって、不安定になったあたしのためでもあったよね。」


「何の事だよ。あれは沙都が大変そうだからって、曽根が名乗り出たんだぜ?」


「嘘。ノン君が曽根酒店に行って、土下座したって聞いたもん。」


「はあ?誰だよそんな事言ったの。夢でも見たんじゃねーか?」


 ノン君は…

 あたしが曽根さんのお兄さんから聞いた話を、真っ向から全面否定。

 さっきは目を見開いて驚いた顔をしたクセに、今はもう…いつものクールな顔。



「…こっそり慎太郎とも仲良くなって、故郷に帰ってからも連絡取ってくれてたんだよね。あたし達が渡米してた時も、近況報告とかしてくれてたんだよね?」


「慎太郎?ああ…あいつか。連絡なんて取り合ってねーよ。そもそもおまえが連れてってくれたあの時が初対面だっつーの。」


「どうして嘘つくの?」


「嘘じゃねーし。」


 そう言ったノン君は…左手で唇を触ってる。


「……」


 あたしはそれを見て。


「あたしにまで隠さないでよ。」


 ノン君の左手を取った。


「…何のことだよ。」


「今、詰めが甘かった。って後悔してるんでしょ。仕方ないよ。ルミちゃん達、ノン君のお人好しぶりにやられて、超応援してくれてたから。」


「……」


「あたしのために、しなくていい事までしてくれて…ほんと…お人好し。」


 それでもノン君は、拗ねたような唇で『何のことだよ』なんてつぶやいてる。

 そんなにカッコ悪いって思ってんの?


 言ってみようかな…

 嘘つく時、唇を触るクセがある。って…

 だけど、これは今後の事を思っても…秘密にしておきたい。



「…とにかく、あたしが弱ってた時…ノン君はご飯に誘ってくれたり…バンドメンバーとしてあたしを支えてくれたり、見えない所でもあたしの周りが上手く動くように、仕組んでくれてたりしてたの。」


 続くあたしの言葉に、ノン君は不機嫌そう。

 父さんは腕組みをして渋い顔をしてて。

 母さんは…テーブルに置いてたチョコレートをひとかけら口に入れた。


 …母さん、緊張感ないなあ。



「ずっとあたしの事好きだったならさ…俺が。って…ストレートにあたしの事、守ってくれたっていいのに。何でかな、ノン君…いつも自分じゃない誰かに、あたしを守らせてる風にしちゃってさ…」


 あたしが唇を尖らせて言うと。


「…本当、念願かなって同じバンドに入れたっていうのに、いつもライバルの肩持ってばかりだったわよね。」


 いきなり…母さんが参戦した。


「え?」


「あたしも気になってたのよ。昔から紅美の事好きなクセに…いいとこは誰かに譲っちゃう変なクセ。いい加減にすればいいのにって。」


「え…えっ…?」


 か…母さん…?


 あたしがパチパチと瞬きしてる隣で。

 ノン君も口を開けて、眉間にしわを寄せて…母さんを見てる。


 母さんはふいにポケットからスマホを取り出して。


「これよね?」


 あたしとノン君に…ディスプレイを見せた。


「ん?」


「え?」


 あたし達が眉間にしわを寄せると、母さんはそこに出てる写真を拡大して…再びあたし達に見せた。


 そこには…


「何これ…」


「……」


 ノン君が額に手を当ててうなだれる。



 そこに写ってるのは…


 ピースサインしてるルミちゃんの後ろで…

 何か話してる風な、慎太郎とノン君。


 その日付は…DANGERが渡米する前…。



「…母さん、何で…こんなの持ってるの?」


「彼が故郷に帰った後、内緒で少しやり取りしてたのよ。最初これが送られて来た時は、あたしもこの女の子は誰かしらって思ったんだけどね。」


 母さんはそれを父さんにも見せて。


「慎太郎君の彼女?って返信したら、『そいつの後ろ、見て下さい』って来てね。」


 そこに写ってる慎太郎とノン君は…笑顔。


「慎太郎君、『二階堂家には秘密で。って言われたけど、いつかのために送っておきます』って。いつかのため?って思ったけど…このためだったのねぇ。」


「……」


 慎太郎…

 そんな事してくれてたなんて…



「ノン君が動いた分、周りも動いた。それって、ノン君がどんなに紅美の事を想って動いてくれてたか…みんな分かってたからよね。」


「母さん…」


 もはやノン君はぐうの音も出なくて。

 眉間にしわを寄せて目を閉じて。

 天井に顔を向けて…拷問を我慢してるみたいな表情。


 …何でこの人、褒められるの苦手なんだろ。



「ノン君と付き合ってる事…秘密にしたのは、ほんと…ごめんなさい…。」


 あたしは父さんと母さんに頭を下げた。


「正直、あたし…自分から一生結婚しないとか、一生父さんと母さんとここにいるって言っちゃってたから…言いにくかったのもある。」


「……」


「それに、あまりにも…父さんが出して来るあたしの結婚相手の条件が高過ぎて、ノン君ならいつかは…って思いながらも、それを反対されるのが嫌で慎重になり過ぎて…言い出せなくなってた。」


 それについては…父さんも厳しかったと思ったのか。

 少しだけうなだれて溜息をついた。

 そんな父さんの隣で、母さんが…


「ノン君。」


 ノン君の顔を見て、話し始めた。


「紅美はね、小さい頃…信じられないかもしれないけど、すごく虚弱体質で。」


 …信じられないかも…は、余計だよ…


「だけど、陸さんが二階堂の本家の道場に通わせて…みるみる元気になったし、こんなに大きくなっちゃって…」


 …今思えば…

 あの道場通いのせいで、腹が立つと手が出ちゃうんじゃ?…って、違うか…


 あたし、ここまで強くならなくて良かったのに。


「明るくて裏表がなくて、行儀は悪いけど…自慢の娘。」


「母さん…」


 何だか…急に泣きたくなった。

 母さん、ずるいよ。



「紅美が家出から戻った後…普通にしてるつもりでも、思いやむことも多くて。そんな時に、ノン君が言ってくれた言葉…今も忘れられないのよ。」


 ノン君を見上げると、ノン君は…真っ直ぐに母さんを見つめてた。

 それは、余計な事を言わないで欲しい。って目じゃなくて。

 その時を思い出してるかのような…



「紅美は陸兄と麗姉の娘だろ。信じなくてどうする?って。」


「……」


「難しい事か?単純で簡単な事だろ?たった一つの事を信じるだけだぜ。って。」


 あたしは…

 その、初めて聞くエピソードに…

 どうしてあたし、いつも『その時』に気付かなかったんだろう…って思った。


 酔っ払って公園を歩いて。

 二人でラブホに行った。


 イトコにしては度の過ぎたスキンシップだ。なんて言い聞かせて…ノン君と寝た事をない事にしようとしたり…

 なのに、寂しいと気が付いたらそこに居てくれるノン君に寄り掛かったり…

 ノン君を都合のいい男扱いして…傷付けた。


 何なら、人生で一番の感動と後悔を一度に味わってるあたしとは裏腹に。

 ノン君は『なんで暴露するんだよ』って表情で。

 ガックリとうなだれたまま…ガシガシと頭をかく。


 結婚を許してもらいに来たはずなのに、とんだ暴露大会になって…ノン君は、ただただ居心地が悪そうだ。




 〇桐生院華音


「…何でおまえまで…」


 それまでずっと腕組みをしてた陸兄が、深い溜息をついて自分の膝に突っ伏すような体勢になった。


 …ここに来て、すでに一時間…

 どうして秘密にしたのか。と、問われたにも関わらず…

 なぜか話題は…


 俺の自慢だ。



 紅美と麗姉が、俺の水面下で(やったはず)の行動を把握してて。

 それを…いかに俺が紅美のために動いてたか。なんて、自慢してやがる。


 …おい。

 知ってるか?

 俺は今…

 サイコーーーーーーーーに…

 カッコ悪い奴になってるんだぜ…!?



「だって、陸さん反対してるっぽいから。」


 麗姉がそう言いながら、俺と慎太郎の画像が開かれてたスマホをポケットにしまった。


 …だいたい…


 まずは、曽根の家族だ。

 あれだけ秘密だと言っただろうが!!

 ビートランド御用達になる代わりに、絶対秘密にしろよって言ったのに!!

 分かりましたとも言ったよな!!



 それから…


 慎太郎の周りの奴ら!!

 万が一、俺と紅美が付き合うような事になった時。

 まるで仕組んだように思われるから秘密にしよう。って、俺より先に申し出たのはおまえらだよな!!


 慎太郎もだ!!

 紅美には海が似合うとか言いやがったよな!!

 何余計な事して死にやがったーーー!!



 それと…麗姉!!


 いつから紅美を好きだったの?とか、カマかけやがって…

 俺は一度もそんな事は言ってねーし、さっき麗姉が忘れられないって言った言葉も…

『どうしてこんなに複雑なんだろう』って言うから、簡単にしてやっただけじゃねーーーーかっ!!



 …どいつもこいつも…


 秘密ってのは、誰にも言わない事なんだぞーーー!?



 俺は眉間にしわを寄せて目を閉じたまま、この恥ずかしさが消え去るのを待った。

 目を閉じた所で消え去らないのは分かってるが、どうにか…どうにか、自分で忘れようとした。


 …そうだ。

 本題に戻ればいいだけだ。


 本題…



「…陸兄。」


 ここに来た理由は、紅美との結婚を許して認めてもらう事だ。

 この調子だと、麗姉は賛成してくれそうだが…


「今の話は全然考慮しなくていい。俺と紅美の結婚…いや、俺達が付き合ってる事に関して嫌だと思う事があるなら…何が理由か聞かせて欲しい。」


 ずっと膝に向かって前屈みになってる陸兄にそう言うと。

 陸兄はゆっくりと体を起こした。


「…嫌だと思う理由か。理由は…」


 俺と紅美の顔を見る陸兄の目は、しらけたような…それでいて怒ってるような…


「…はなっから俺に反対されると思って、秘密にしてた事だな。」


「……」


 陸兄の言葉に、俺と紅美は顔を見合わせた。


 …はなっから反対されると…


「そ…そりゃ思うよ!!父さん、ずーっと過敏になって小さな事もアレコレ聞いてきたりさあ!!」


 紅美が唇を尖らせて言う。


「可愛い娘を心配する事の何が悪いんだ?」


「うっ…でっでも、何だかやたらと…」


「おまえ、エマーソンのレコーディングから帰ってからこっち、ずっと荒んでただろうが。その後少しは落ち着いたと思ったが…慎太郎の看病の時だって、内緒で外泊を続けるし…」


「そー…それはー…」


 たぶん…陸兄は海と紅美の事は知らない。

 だからか、紅美もそれに関しては反論を抑えた。



「その後も…やっと沙都とくっついたと思ったら…離れたぐらいでボロボロんなって別れるし。」


「離れたぐらい!?離れたぐらいって何よー!!父さんは母さんと離れた事がないから分かんないのよ!!」


 立ち上がってまで力説する紅美の左手を取って座らせる。


「ったく…いちいち怒るな。黙って聞けよ。」


 小声でそう言うと、紅美は尖らせた唇を引っ込めそうになって…また尖らせた。


「でも、その結果こうやって華音とくっついたんだろうが。」


「…そうだけど…」


「どうして最初から言わない。こっちは何かやましかったのかって疑うだろ。」


「やましい事なんてないよ!!」


 紅美が大声を出すたびに、どうどう…と、背中に手をやる。

 ほんと…こいつは暴れ馬みたいな奴だな…

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