第2話 「わ~…可愛い…」

 〇二階堂紅美


「わ~…可愛い…」


 結局、織姉の帰りが遅くなることが分かって。

 あたしとノン君は、そのまま朝霧あさぎり邸に向かった。


 希世きよ沙也伽さやかの二人目、『ひびき』ちゃんに会いたかったからだ。



 12月に生まれた響ちゃんは、ちょっと小さくて…退院まで一ヶ月かかった。

 それから一ヶ月は沙也伽の実家(ダリア)にいて…

 先週朝霧邸に戻ったよーって連絡をもらって。


 今日、保育器から出てる響ちゃんとは、初対面!!



「待ってたんだよ~。会いたかった~。」


 あたしが響ちゃんにデレデレになってると。


「沙也伽…おまえ、ちょっと見ない内に…」


 ノン君が能面のような顔で何かを言いかけた。


 すると…


「わーかーってるー!!言わないでー!!」


 沙也伽は両手で耳をふさいで、ぶんぶんと頭を振った。


 …そう。

 沙也伽は、廉斗れんとを産んだ時はすぐに復帰したけど…

 今回は響ちゃんの体調優先って事で、予定してた復帰より一ヶ月延びた。


 実家では、すごくのんびりさせてくれたようで…

 沙也伽、見事に…太った。

 あたしも、ドアを開けた瞬間…目を見開いてしまったもん。

 声は沙也伽なんだけど…あんた誰。って言いかけたぐらい。


 …いや、きっとこれから頑張って元に戻す…はず…。



 そんなわけで、連絡は取り合ってたものの…あたしが沙也伽と会うのも二ヶ月以上ぶり。


 春に開催されるはずだったフェスが夏に延期になったのも、あたし達にはラッキーだ。

 なんたって…沙也伽の復帰に十分時間が持てる。


 それに…先月SHE'S-HE'Sにあんな事があって…春にメディアに出るどころじゃないし…ね。





「で?」


 沙也伽がドサリと座って、あたしとノン君を交互に見た。


「で?とは?」


 あたしが首を傾げると。


「結婚に向けて、話が進んでるって報告はないの?」


「……」


「……」


 つい、ノン君と無言で顔を見合わせる。


 そりゃあ、そういうおめでたい報告…すぐにでもしたいけど…


「陸兄に言えばいいような言葉を、先にわたるさんに言っちまったな。」


 ノン君が鼻で笑う。


「どんないい事言ったのよ。」


「……」


「……」


 沙也伽の突っ込みに、またしてもー…無言で顔を見合わせた。


『月並みですが、世界一の幸せ者にします』


 …あたし、幸せだな…って思った。

 ノン君、あたしの色々を知ってるのに…そう思ってくれるなんて…って。



「紅美んちのお父さん、反対してるの?」


「反対って言うか…自分の理想を押し付けてくるばっかり。」


「えー?ノン君なら即OKと思ったけど。」


「…相手がノン君とは言ってないから。」


「えっ、聞かれない?」


「……」


 そう言えば…

 帰りが遅くなった時に、『誰とどこにいる』とは聞いてきてたけど。

 あたしが結婚の話を持ち出すと、相手が誰どころか…


 相手がいるのか。とも聞かないな。



「…ま、陸兄は紅美が可愛くて仕方ねーからな…」


「それが聞かない理由?」


「薄々感じてるとしても、認めたくねーんじゃねーの?」


「…そっかな…」


 確かに、父さんがあたしの相手に上げる条件は普通じゃない。

 むしろ恋人なんて作るなって圧力にも思える。


 だけど…

 一度は誰とも結婚しないって、恋を諦めたあたしが。

 こうしてノン君と気持ちを通じ合わせた。


 それって…いい事…なんだよね?



「それに、SHE'S-HE'S、今あんな状態だし…陸兄からしたら『こんな時に』なのかもしんねーからな…」


 ノン君は小さくため息をついた。


 …あたしはー…

『こんな時』だからこそ、何か幸せな話があってもいいんじゃないかって思うんだけど。



 あたしが少しだけ唇を尖らせてると。


「…はいはい。進歩はないけど、ちゃんと愛は育まれてるようで安心。」


 沙也伽は呆れたように首をすくめて、それから『あっ』と何かを思い出したようにあたし達を見た。


「あれ、どうなった?」


「何?」


「ミッキー。誰か分かった?」


「……」


 あたしが沙也伽に最後に会ったのは…あれだ。

 ノン君達が水族館に行った…翌日。


 あたしは、『ミッキー』の事が気になって、みんなと楽しむ気分になれなくて…行かなかった。

 それを、沙都が残念そうに沙也伽に話してたみたいで。

 翌日、沙也伽から招集がかかった。


 で…説教された。


 なにノン君とごちゃごちゃしてんのよ。って。


 …ほんとにね…。



 でも、結局あたしが二度目のLINEをスルーして以来、『ミッキー』から連絡はない。

 ノン君とも…お互いの誤解は解けた。

 その事も沙也伽には連絡したんだけどー…


 外に出てない沙也伽は、刺激が欲しかったに違いない…。



「いやー…あれから連絡ないし、別にもういいかな。」


 あたしがそう言って、目の前の紅茶を一口飲むと。


「あたし、見付けたかも。」


 沙也伽が声を潜めて言った。


「…見付けた?」


 反応したのはノン君で。


「事務所の奴か?どの部署のどいつだ?」


 まくしたてるように、沙也伽に問い詰めた。


 えー!?

 気になってんの!?



「ちょっと待っててね。」


 ノン君に質問された沙也伽は少し嬉しそうに立ち上がると、一度部屋から出て行った。



「…気にしてたんだ?」


「おまえの事は信じてるが、相手は知っておきたい。これからもどこからか、おまえを見てるかもしれねーからな。」


「……」


 ヤキモチ…だよね?

 何だか、ちょっとくすぐったくて…あたしはソワソワと部屋の中を見渡した。

 そして、そこにDANGERの新しい写真を見付けて…少し嬉しくなった。


 沙也伽、本当…DANGERの事、大事にしてるよね。

 あたしもノン君も、ついでにガクも…

 部屋に写真なんて飾らないよ。



「…ちっけーな…」


 ノン君が、響ちゃんの手に触れると。

 響ちゃんはノン君の指をしっかり握った。


 二人でほんわかした気持ちになってると…


「お待たせ。」


 数分して戻って来た沙也伽は、お茶とジュースとプリンを持ってた。


 …もう目の前にクッキーと紅茶がありますけど…



 ノン君が沙也伽を上から下まで見て目で訴えたけど。


「このプリン、信じられないぐらい美味しいのよ。」


 沙也伽には、届いてなかった。



「で、これこれ。」


 そう言って沙也伽がカーディガンのポケットから取り出したのは…


「…何それ。」


「USBメモリ。」


「それは分かるけど。」


「お義父さんが高原さんに渡されたのはいいけど、使い方が分からないって言うからあたしが開いて一緒に見ちゃったんだよね。」


「………沙也伽。」


「あー、大丈夫。大した秘密じゃないから。ただ、全社員の名前が分かるから、『ミッキー』も調べられるかなーと思って、眺めてたのよ。」


 どれだけ暇を持て余してるんだ‼︎と思った。

 それはノン君も同じみたいで、小さな声で『育児しろ、育児』ってつぶやいた。



「ただのニックネームじゃないの?」


「でもだいたい『ミツキ』とか『ミツアキ』とかさ。」


「……」


 沙也伽の推理が正しいかどうかは分からないけど…

 あたしは黙ってその先を聞く事にした。


 沙也伽はそれを自分のノートパソコンに接続して…


「アーティストの中には『ミッキー』って愛称の人も、名前にそれらしい人もいなかった。」


 ディスプレイを見ながら言った。


「うん…」


 スクロールされていく社員の名前。

 広報の人達の名前が次々と流れていく。


「で…」


 ノン君はと言うと…頬杖をついて、その様子をじっと眺めてる。


「これ、この名前。」


 それは、映像部の中にある名前だった。


三都みと光喜みつき…」


「……」


 この名前…ちょっと有名だ。


 て言うのも…


『映像のサントスが可愛くてさーあ』


 SHE'S-HE'Sの聖子さんと瞳さんが、やたらとそう言ってて。

 それを小耳に挟んだあたしと沙也伽は。


「映像に外人なんていたっけ…」


 って。

 調べた。


 三都と書いて『ミト』だけど、なぜかお二人は『サントス』って呼んでる。


 そして、お二人の言う通り…サントスは可愛い系の男子だ。

 たぶん年上だけど、女子力はあたしより高そう。



「サントスなら、ルームの階をうろついてても不思議じゃないしさ。」


 確かに…

 一般社員は自分の部署や会議室、スタジオのある階ぐらいしか用はないけど…

 映像の人達は、プライベート撮影もしたりするから…

 アーティストしかうろつかないルーム階を歩いてても不思議じゃない。



「…見ていいか?」


 ノン君は沙也伽が見てたパソコンを横から手にすると。

 さらにスクロールさせて……って、そんな速さでスクロールして、読めてんの?


 あたしと沙也伽は顔を見合わせたけど…

 しばらくして、ピタッと…動きを止めた。


「…?」


 あたしがディスプレイを覗き込むと…

 そこには、修理部の一覧。


「…オタク部屋?」


 あたしの横から沙也伽も顔を覗かせて…


「…ホンマ…サンガツ…?面白い名前ね、この人。」


本間ほんま三月みつき…こいつがミッキーじゃねーか?」


 沙也伽が面白そうに言ったのに、ノン君は真顔で言った。


 …オタク部屋の本間…



 誰、それ。




 〇朝霧沙也伽


「沙也伽…おまえ、ちょっと見ない内に…」


 ノン君があたしに向かって、すんごい無表情でそう言った。


「わーかーってるー!!言わないでー!!」


 分かってるわよー!!


 …あたし、人生最重量更新中。



 産まれて来た響は、思いのほかちっちゃくて…さらには心肺機能が弱いって言われて…

 一ヶ月…保育器のお世話になった。


 あたしはその間、色んなストレスで…食べた。

 食べまくってしまった。


 ようやく響が退院して…実家に帰ると…

 両親に超甘やかされてー…さらに体重増!!増!!増ー!!



 何だかDEEBEEが上手くいってない希世が修行に出たりして、一週間ぶりに会った時も…


「…沙也伽?」


 って、首を傾げられたのよ!!

 旦那に!!


 あーーーー!!

 あたし、なんで食べ物がこんなに美味しいのー!?


 幸せな事なんだよ…食べられるって…だから残したくないんだよ…


 …でも。


 紅美とノン君を見て、刺激になった。

 相変わらずシュッとしててカッコいい二人。

 あたし、この『だるま』みたいな体系…どうにかしなくちゃ。

 DANGERのドラマー、とうとう交代したのか。なんて言われるのは嫌だーーーー!!



「可愛いなあ…」


 紅美がうっとりして響を見てる。

 可愛いでしょ?我が娘。

 もう、朝霧家のみんな、デレデレよ。


『響』って名前を付けてくれたのは、おじいちゃん(真音さん)なんだけど…

 …習字の時に大変だなあ…って思ったのは、あたしだけなのかな…


 でも、ドラマー夫婦の間に生まれた娘が『響』って。

 なんかカッコいい。

 響も将来、音楽の道に進んでくれたら嬉しいなあ…



 それから、紅美とノン君の結婚に向けての進み具合(何も進んじゃいないけど)を聞いてる内に…

 あれを思い出した。


 あれ。

 紅美が、ルームで一夜を共にした『ミッキー』の事。


 あたし、勝手に社員名簿を見て探してみたんだよね。

 どれだけ暇なの!!って突っ込まれそうだけど、ほんと…暇だったから。


 で、女子には『ミッキー』って呼ばれそうな子がたくさんいたけど…

 男だと…こいつかっ!?って思う人物を探し当てた。

 莫大な数の社員の中から。


 それは、映像のサントスこと、三都光喜。


 ミッキーだよ!!


 何となくサントスなら納得いく気がした。

 みんなから可愛いって言われてるけど、実はコンプレックスの塊って感じだし。

 紅美と話してる内に、何か…吹っ切れたのかなって。


 …紅美の『テクニック』ってのが、何をさしてるのか分かんないけど…

 暇なあたしは、その真相も知りたくて、必死で『ミッキー』を探し当てた!!



 社員名簿のデータを開いて二人に見せながら、威張るように言ったんだけど…

 ノン君はピンと来なかったのか、自分でパソコンを操作して見始めた。


 で…


「…オタク部屋?」


 ノン君が手を止めたのは、修理部の名簿のページ。

 本間三月…


「…ホンマ…サンガツ…?面白い名前ね、この人。」


 あたしが笑いながら言うと。


「本間三月…こいつがミッキーじゃねーか?」


 ノン君は真顔で答えた。


 …ちょっと!!

『サンガツはねーだろ!!』って突っ込んでよー!!





 〇桐生院華音


「…なんでその人がミッキー?」


 紅美が俺を見上げるようにして言った。


 …その目、おまえ…可愛すぎるぜ。

 知ってるか?

 おまえが左斜め上を見上げる時って…

 めちゃくちゃ目が開いて…顔がより派手になるんだぜ。


 …可愛い。



 キスしたい衝動に駆られたが、沙也伽の前だと思って堪えた。

 ああ…後で…うちに来ないか誘ってみよう。



「うちの親父がさ…インスタしてんじゃん。」


「え?うん…」


「アカウントの取り方知ってたのかって聞いたら、オタク部屋の奴に教えてもらったっつって。」


「…それが本間三月?」


 そう。


 アカウントを作った当初…親父がフォローしてるアカウントは、二人だけだった。

 一人は華月で…

 もう一人が『ミッキー』だった。


 親父曰く…


『教えてもらったからフォローしてるが、そのせいで知らない奴からフォローされまくってるらしいから明日には外す』


 その『ミッキー』は、プロフィール画像が犬で。

 俺は勝手に飼い犬の名前が『ミッキー』なのかと思って…深く考えてなかった。


 その時…親父のインスタ第一号の写真を撮ったのが…その『ミッキー』らしくて。


 母さんが。


『本間君、人生最高の自慢だって言ってた』って笑ってた。


 …本間君。

 本間、三月。

 ミッキー。



「…えーと…」


 紅美はポリポリと頬をかいて。


「あたし…真相を…確かめた方がいいのかな…?」


 俺と沙也伽を交互に見た。


 あれからLINEは来ないと言ってたし…ほっといても構わねーのかもしれないが…

 俺としては。

 ピシッと言ってやりたい。

 何があったか知らねーが、紅美には俺がいるんだ。と。



「…明日俺がオタク部屋に行ってみる。」


 俺が気になってるんだから、俺が確かめればいいだけだ。

 紅美には近付かせたくないし。



 俺が頭の中で明日の段取りを組み立ててると。


「その人がミッキーだったかどうか、報告してね。」


 明らかに増量してる沙也伽が、手にしたプリンをペロリと食べて言った。

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