第22話 「にゃ~。」

「にゃ~。」


「…シロ…どう思う?」


 あたしはシロを抱きしめて頬擦りをして。


「うにゃっ。」


 少し嫌われた。


「……」


 ベッドにパタン…とうつ伏せになって…昨日の事を思い返す。


 二人で朝ごはん食べて…

 乾いたスーツに着替えたきりゅ…

『聖』君は…カッコ良かった。

 はんてんに寝ぐせの可愛い聖君から、キリッとした聖君になった。


 玄関先で、シロとクロと一緒にお見送りをした。

 手を振ってると…


「じゃあ…また。」


 って。


「…また…」


「……」


 じゃあ、また。って…言った。


 …聞けば良かった…

『また』っていつ?


 …聞けないか…


「ああ~……」


 やだなあ…

 七つも年下だなんて…


 でも…

 25…なら…大人だよね…?

 あたしなんて、32だけど…全然子供っぽいって言うか…

 …あたし、大人になれる日が来るのかな…



 ベッドに横になったまま、何時間が過ぎただろう。

 気が付けば…聖君の事考えてる…


 違う苗字を言われた事なんて、あたしからしてみると大した事じゃない。

 あたしなんて…ほんと…

 知られたくない事ばかりだから…



 ポーン


「……」


 誰か来た。

 もしかして…聖君…!?


 ガバッとベッドから起き上がって、さささっと髪の毛を手ぐしで整えて玄関に向かう。


『ガス屋でーす』


「あ……はーい…」


 そうだった…。


 カラカラカラと乾いた音を立てる玄関の引き戸を開けて、ガス屋さんと庭に回る。

 開栓をしてもらって、庭の掃き出しからキッチンに入って、給湯器とコンロのチェックもしてもらった。


「大丈夫ですよ。これで使っていただけます。」


「ありがとうございます。」


 シロはずっとあたしの足の周りをチョロチョロしながらついて来てて。


「可愛い猫ですね~。」


 ガス屋のおじさん、シロを撫でようとしたけど…


「うにゃっ。」


 シロはそれをかわして離れてしまった。


「あっ、嫌われた…」


「…ごめんなさい…」


「じゃ、何か不都合がありましたら、またご連絡ください。」


「はい。ありがとうございました。」


 ガス屋さんが帰って行って。

 あたしは庭をキョロキョロしてシロを探した。

 クロは…早くも縄張りを持ってて、あちこち見回りに行くけど…シロは、ほとんど出掛けない。


「シロ、おうち入るよ?」


 声をかけると、庭の隅っこにある気持ちほどの花壇の向こう側から、シロがヒョコッと顔を覗かせた。


「…ふふ…聖君には懐いてたのにね。」


「にゃっ。」


 ポーン


 また、誰か来た。

 何か…頼んだっけ…


 そう思いながら庭から玄関に向かうと…


 …はっ…


「…聖君?」


 玄関に…聖君が立ってた。


「あっ…あの…昨日はどうも…」


「いえ…風邪、ひかなかった?」


「おかげさまで…優里さんは?」


 優里さん。


 自分で言ったクセに、照れてる風な聖君。


 …可愛い…やだ…

 押し倒したい…


「…あたし、自分でも嫌になるぐらい丈夫だから…」


 口ではそんな事を言いながら、もう…あたし…欲求不満なのかな…

 どうやって服を脱がせよう…って。

 そんな事考えてた。



「…仕事中…?」


 スーツ姿の聖君に問いかけると。


「あー…午後からなんで…ちょっと…お礼にと…優里さんは?休み?」


 お礼なんて…律儀!!


「あたしは…在宅で仕事してるの。」


 …在宅って言っても…ここではしてないけど…

 でも、嘘じゃない。

 歌は、頭の中で作ってるし。


「そっか…」


「さっき、やっとガス屋さんが来てくれて…ライフライン全部復旧。」


「ああ…それは良かった…」


 何となく玄関先で、二人してもぞもぞしちゃう。

 午後から仕事…

 まだ時間はある…

 でも…どうやって誘おう…


 まるであたし、小娘みたい。

 こんなにドキドキするの、もしかしたら…初めてかも。



「あっ、シロ。ダメよ。」


 ふと聖君の足元を見ると、シロが擦り寄って聖君のスラックスが毛だらけに。


「ああああ…ごめんなさい。ちょっと待って。入って。」


「あ、いや…」


「早く。」


 シロ…ありがとう!!



 シロに感謝しながら家に入って。


「シロ、あっちに入ってて。」


 後で大好物の『ちゅるん』をあげるから。

 目でそう訴えながらシロのベッドを指差すと、シロは『絶対よ?』って顔(だと思う)をして歩いて行った。


 …ああ…いい子!!


「…すげー…賢い。」


「いい子でしょ。」


「…もう一匹は?」


「あの子は、縄張りの確認に行ったんだと思う。」


「縄張りの確認?」


「ええ…自分の居場所をあちこちに持ってる子なの。」


「縄張りがある子は、なんて名前?」


「クロ。」


「……」


 あ。

 聖君、目を細くして笑った。

『クロ』はねーだろ。って思ったんだろうな…

 実際クロ猫じゃないし。

 シロを先に名付けたから…相方はクロかなって。

 名前を付ける事に、そこまで頭使わない…あたし。



「座ってもらえる?」


 椅子を引いて、コロコロを手にした。

 あたしは跪いて、聖君のスラックスの裾についたシロの毛を取る気満々。

 この子も…聖君も…うちにいてくれたらいいのに…

 あたし、死ぬ気になりがちだけど、それ以外では普通に可愛がってあげる自信ある!!


「あ、あー…でもあの、その前に…」


「え?」


「これ…」


 コロコロを持ってスタンバイしてるあたしに。

 聖君は…花束を差し出した。

 それは…すごく鮮やかなオレンジと黄色の…ガーベラ。


「…え?」


 驚いて聖君を見上げる。


「ささやかだけど…一昨日と昨日のお礼…」


「……」


 お礼…?

 お礼って…

 そんなの…

 あたしがしてあげたい気分なのに…


「…あたしに…?」


 手にしてたコロコロを床に置いて。


「…うん…」


 ゆっくりと立ち上がる。


「……」


 両手で花束を受け取って…顔を近付けた。


 …いい香り…


 花束なんて…拓人がファンの子にもらったのを、横流ししてもらった事しかない…

 これ、あたしに、だよね…

 あたしだけに…あたしのために…だよね…


「…嬉しい…ありがとう…」


 小さくつぶやく。


 本当…すごく…すごく嬉しくて…嬉し過ぎて…


「……!?」


 ギュッ。と…あたしから聖君に抱き着いた。


 もう…無理!!

 あたし、聖君とセックスしたい!!

 あんな状態でして良かったって事は、元気になってる今はもっと…いいかもしれない!!

 あたしも、こんな感激の状態で…もっと気持ち良くなっちゃうかもしれない!!


「っ…」


 無理やりキスすると、聖君は少し驚いたように身体を退きかけたけど…離さない!!

 花束を持ったまま聖君の首に抱き着いた腕に力を入れる。

 息が出来ないぐらい…キスして欲しい…!!


「…優里さん…」


 聖君の艶っぽい声にゾクゾクしながら…


「…来て…」


 あたし達は、もつれるように…ベッドに向かった。





「…仕事行かなきゃ。」


 ベッドで仰向けになったまま、聖君が言った。


「……」


 …行くの?

 仕事…行っちゃうの?

 そりゃあ…社会人だものね…

 仕事しなきゃいけないよね…

 分かるけど…


 …社長って…仕事あるの?

 仕事、しなきゃいけないの?

 会社に電話して、『ああ、俺だ。後はみんなに任せた』って言っちゃいけないの?


 このままでいたい…

 て言うか…

 時間を空けて、またしたい…



 もう、我儘全開の気持ちで悶々としてると。


「…また来ていい?」


 聖君が言った。


「……」


 また来ていい?

 …ううん…

 来る…だなんて…

 ここに『帰って』来て欲しい…

 だけど…いきなりそんな事言って、32の女ががっついてるって…バレるのも…困るし…


 あたしは、無言で頷くだけにした。


 聖君は小さく『良かった』って言ったけど…

『また』っていつ?

 って思ってるあたしは…少し険しい顔をしてたかもしれない。


 聖君が仰向けになってて良かった…



「じゃあ…」


 シロの毛を落としたスーツを着た聖君を玄関まで送りに行って…


「……」


 背中にすがりつく。


「…優里さん?」


「…ごめんなさい…何だか…名残惜しくて…」


「……」


 聖君はゆっくり振り返ると、小さく笑って…あたしの頭を抱き寄せた。


「…そんな事言われると…嬉しい…けど…仕事行くのが嫌になるなあ…」


 …だよね!?

 行かないで!!

 あたしと、シロと、もうすぐ帰って来るかもしれないクロとで、ゴロゴロしようよー!!


 …とも言えなくて…


 あたしは、聖君の胸に顔を埋めたまま…泣きたくなってた。



 …元気になってからのセックスは…最高だった。

 あたし、自分がどんな声出してるかも分からないぐらい。

 仕事の時は…演技だったから…

 可愛い声を出しちゃってた…

 …今思い出しても…気持ち悪いあたしの声…


 …離れたくないな…

 そんな気持ちで、ゆっくり聖君を見上げると…


「……」


 聖君は、そっとあたしの頬を撫でて…キスしてくれた…


 …ああ…

 そんなキスしたら…

 あたしまた…押し倒しちゃうのに…!!


「…終わらないな、こりゃ。」


 唇が離れて、聖君が照れ笑いしながら言った。

 …あ~…可愛い…

 行って欲しくない~…

 だけど…そんな事言って引かれちゃ…全部終わっちゃうから…

 これからも、ここに来てもらうには…

 …いい女でいなきゃ…


 えっと…

 いい女…

 …いい女…


「…いってらっしゃい…」


 聖君の胸に手を当てて…

 上目使いで聖君を見つめる。

 聖君も…あたしを見つめ返してくれて…


「…行って来ます…」


 もう一度、頬を撫でてくれた。



 玄関先まで出ると、シロもついて来て。

 一緒に聖君を見送った。

 聖君は階段を下りた後も、何度もあたしとシロを振り返って手を振ってくれて。

 あたしは…

 そんな聖君に手を振り返しながら…


 …もう、次、いつ聖君とセックス出来るんだろ…

 なんて…考えてた。



 ……病気だ。

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