第8話 「ただいま。」

「ただいま。」


「…おかえり。」


 腹具合が悪くなった。って嘘ついて。


 …悪い、れつ

 希望のぞみさんも。

 ごめん。


 心の中で土下座しながら、優里ゆうりさんちに帰った。

 四時には帰って…いつ帰って来たのか、シロとクロと意味もなく床を磨いた。


 俺が動かす雑巾で玉を取るシロとクロ。

 気が付いたら、右手の甲に引っかき傷が出来てたが…それよりも…

 …優里さんの事が気になった。


 街で見かけたの…優里さんだよな…

 だって、帰って来た優里さん…

 同じ格好してるよ。

 …髪の毛はショートカットだけどさ…



「…優里さん。」


「はい…?」


 手を洗ってる優里さんの後ろに立って、らしくねーけど…モジモジしてしまった。


 なんて切り出しゃいいんだ?

 見ましたよ?

 …秘密にしたい事だったらどうする?

 うー…ん…


「はっ…」


 俺が何なら眉間にしわを寄せて悩んでると、優里さんが俺より眉間にしわを寄せて…


「これ…!!」


 俺の右手を取った。


「あ…ああ、ちょっと…遊んでたら、こんな事に…」


「ごめんなさい!!」


「…そ…んなに、痛くないし。」


「シロ!!クロ!!」


「いやいやいやいや…」


 優里さんはシロとクロを大きな声で呼ぶと。


「どうしてー!?」


 俺の右手を見せながら、二匹を叱った。

 めったに大声を出さないであろう優里さんの剣幕に、二匹は大きな目をして、少し後ずさりをしそうなポーズで身構えてる。


「ゆ…優里さん、いいから。」


「良くない!!」


「……優里さん。」


 今にも猫達に噛み付きそうな優里さんの肩を掴んで。


「何かあった?」


 真顔で問いかけた。


「…………どうして…?」


「泣きそうな顔してる。」


「え…?」


「ほんとに。」


「……」


 俺の言葉に優里さんは全身の力が抜けたみたいになって。

 へなへなと椅子に座った。


「…大丈夫?」


「…ごめんなさい…」


 両手で顔を覆ってうつむく優里さん。

 …なんだ…?これ…

 ただ事じゃないだろ…


「…今日、出掛けてたのは、何の用?」


 優里さんの足元にしゃがみこんで、うつむいた顔を覗き込む。

 だけど、両手で覆ったままのそれは…ちっとも見えなかった。


「……仕事…」


「優里さん、何の仕事してるの。」


「……言いたくない……」


「……」


「……ごめんなさい…」


 ………がーん………


 い…

 言いたくない…

 って…

 俺、優里さんの…何なんだ…?



「……」


 ついには…テーブルに突っ伏してしまった優里さん。


 これってさ…完全に今、俺の事拒否ってるよな。

 …えーと…

 俺、どうしたら…?


 今までだったら、めんどくせー…って帰ってる。

 でも…出来ねーよ。

 優里さんの事、ほっとけないし。


 すげー速さで優里さんに持ってかれてる。

 そう思ってたけど…

 自分の気持ち、ちゃんと整理するとしたら。

 …やっぱ、好き…なんだと思う。


 いや、好きなんだ。

 まだ全然知らない事だらけなんだけど。

 謎の多い人だけと。

 それでも…俺、この人の事好きだ。


 何よりも先にセックスしちまったから…

 順番が全然逆だから…

 なんつーか…



「…優里さん…」


 ハッキリ気持ちを口にしたら…

 優里さんは、なんて答えるんだろう?


 立ち上がって、優里さんの頭を撫でようとした瞬間…


 ポーン


 …あの、ちょっと変わったチャイムが鳴った。



「…誰か来たけど…」


「…いい…」


「……」


 ポーン


「…俺、出ても大丈夫?」


「…出ないで…」


「……」


 ポーンポーン


「……」


「……」


 ポーンポーンポーン


 無言で玄関に向かった。

 こんなに鳴らすって事は急用か…知り合いか。


 ガラガラガラ


 引き戸を開けると…



「…あれ…」


 超…イケメンが立ってた。


 …てか…

 こいつ…


「……」


「あ、弟さん…?」


 指差し確認される。


「…はい…?」


 お…弟…?


「優里は?」


「…はい…っ?」


 優里…?

 呼び捨て…?


「お邪魔します。」


「…はい…?」


 俺の目の前に立ってたのは…

 超イケメンの…あいつだ。


 見た事ある。

 テレビで。



 …片桐かたぎり拓人たくと



 ダダダダダダダッ


 玄関でボンヤリしてた俺は、ハッと我に返って片桐拓人の後を追った。

 するとそこには…


「…優里。」


 テーブルに突っ伏した優里さんに、優しく声をかける片桐拓人…


「……」


 優里さんは、顔を上げない。


 ……え?え?

 ええーと……

 片桐拓人…

 人気俳優だよな…



「…優里。」


 片桐拓人が優里さんの肩に手をかけると…


 パシッ


 優里さんは、その手を叩き払った。


「優里……」


「…何しに来たの…」


「何しにって…心配して来たに決まってるだろ?」


「…嘘…」


「どうして嘘だよ。」


 ……俺はー…

 まるで映画のワンシーンでも見ているかのような気持ちになった。

 そして、自分は蚊帳の外…と。


 この二人…

 …どう見ても…恋人同士。

 で、俺は……何なんだ…?



「…心配なんて要らないから。」


 優里さんは勢いよく立ち上がると。


「あたし、この人と一緒に暮らしてるの。」


 俺の隣に来て、腕をぐいっと引っ張ると…これ見よがしにくっついて言った。


 …一緒に暮らしてる…?

 ふりを…したらいいのか…?


「…弟じゃないのか?」


 さっきも言われたが、弟と言われるとカチンと来る。

 優里さんは俺より七つ年上だが、そんなに離れてるようには見えないはず。

 なのに…

 片桐拓人には、俺が幼く映ってるって事か…⁉︎



「…結婚前提で付き合ってるの。」


 いちいち目を見開きそうになったが耐えた。

 冷静に…『俺は優里さんの結婚前提の付き合いをしてる同棲相手』と自分に言い聞かせた。


「……」


 片桐拓人は、俺を上から下まで…舐めるように眺めて。


「いくつ。」


 年齢を聞いた。


「…25ですけど。」


「優里。俺とだって、たかが三つ違いでケンカになるのに、七つ違いと上手くいくわけないだろ?」


 て事は…片桐拓人は29…

 三つ違いでケンカ…?


「おまえ、優里はめんどくさい女なんだぞ?」


 急におまえ呼ばわりされた事と。

 優里さんをめんどくさいって言われた事で。

 俺は…かなりムッとした。


「何かと言うと、歳の差がって泣くし。」


「……」


「今すぐ結婚するって言わなきゃ死ぬって言うし。」


「……」


「仕事を始めたら何日も飲まず食わず寝ず、ついでに風呂にも入らない。」


「……」


「結婚に向いてないのに結婚なんて出来ないって言ったら、すぐ引っ越していなくなる。」


「……」


「ちなみにこの引っ越しは8度目だ。」


「………」


「君の事も俺を妬かせるための道具に過ぎない。」


「…………」



 こいつか。

 こいつが…

 優里さんの、一人目。


 か。




 無言で…『めんどくさい優里さん』を説明する片桐拓人から視線を外さなかったが。

 最後の言葉の時には、片桐拓人が透き通って見えた。

 …俺…

 恋人同士の…仲直りに一役買わされる…って奴かな。


 何なら灰になってしまいそうだった。

 優里さんは俺の腕をガッチリ組んでるのに。

 それさえも感覚がない気がした。


 …優里さん…

 本当は、片桐拓人の胸に飛び込みたいんじゃ…?

 真っ白になりながら、そんな事を考えたが…


「……」


 優里さんが、さらにグッ…と。

 俺の腕を抱きしめた。

 そんな優里さんを見ると…


「…それが何だよ…」


 俺は口走ってた。


「…あ?」


「…聖君…?」


「歳の差がって泣く?それはあんたが頼りないからだろ?」


「なっ…」


「今すぐ結婚するって言わなきゃ死ぬ?それほどあんたの事、信用出来ないからだろ?」


「~……」


 片桐拓人が口をパクパクさせてる。

 そんな事をしても男前だなんて、腹が立つな…


「仕事を始めたら何日も飲まず食わず寝ず、ついでに風呂にも入らない?そんなの、俺だったら無理やり食わせて一緒に寝て、風呂だって連れて入る。」


「……」


「結婚に向いてないのに結婚なんて出来ない?結婚に向いてないって勝手に決めんなよ。」


「……」


「引っ越しだって、あんたがさせた事だ。それに…」


 俺は呆然としてる片桐拓人と、ついでに驚いた顔で俺を見上げてる優里さんに。


「妬かせるための道具?はっ。笑わせんなよ。」


 前髪をかきあげて…優里さんの肩を抱き寄せて言った。


「あんたはもう、過去の男なんだよ。」


「……」


「……」


 二人とも、俺を見て無言。

 もしかしたら…俺はスベりまくってんのかもしれない。

 でも…

 もう、言ってやる。


「優里さんは、俺の彼女だ。帰れ。」


「……」


 片桐拓人は両手を握りしめて、しばらく無言だった。

 俺を睨んだり、優里さんにすがるような目をしたり。


 だいたい、優里さんをめんどくさい女だって言いながら…

 おまえ、切る気ないじゃねーか。



「にゃ〜…」


 沈黙を破ったのは、シロだった。

 ゆっくりと俺の足元に来て、「かまって」と言わんばかりに擦り寄った。


「………優里、いいのか?帰るぞ?」


 その低い声には、力がなかった。


「早く帰れ。」


 …いいのか?

 俺、間違えてない…よな?


「…優里。」


「……」


 何も言ってくれない優里さんに、少し悲しくなりかけたが…


「…帰って。」


 優里さんは…俺の胸に頬を寄せて。

 ハッキリと…片桐拓人にそう言った。


 俺……勝利…?

 それとも…


 やらかした?



「……」


「……」


 片桐拓人が帰って行って…俺と優里さんは二人きりになった。

 優里さんはどうしていいのかわからないのか、ずっと俺の胸に顔を埋めたまま。


 …優里さん、今までだったら自分からキスしたりとか…してたのに。

 何もー…してこないな。

 テンパってるのか…

 バツが悪いのか…。



「…聖君…ごめん…」


 意を決したように、優里さんが俺から離れて頭を下げた。


 …謝るって事は…


「変な事…言わせちゃって…」


「……変な事?」


 ん?


「でも…」


 優里さんは上目遣いに俺を見て、そしてほんのり…頬を赤らめて…またうつむいて。


「…嬉しかった…」


 とても小さな声でそう言って…俺の胸に、控えめに体を預けた。


 …嬉しかった?


「…あ…あー…でも…俺こそ勝手に…俺の彼女なんて言って…ごめん。」


 戸惑いが喜びに変わった俺は、宙に浮かせてしまってた手を、遠慮がちに…優里さんの背中に回す。


「…カッコ良かった…」


「…マジで?」


「ん…」


「…そう思って…いいの?」


「…あたし…七つも年上だけど…いいの?」


「関係ないし。」


「……聖君…」


 ギュッ


 優里さんが、俺の背中に手を回して…ギュッとした。

 これで晴れて俺達は…!!

 と思おうとした矢先…


「…お願い…」


 優里さんが、消え入りそうな声で言った。


「…お願い?何?」


「…あたしの事、彼に…戻させないで…」


「……え?」


「お願い…」


「……」



 優里さんが何を言ってるのか、よく分からなかった。

 自分を片桐拓人に戻らせないで欲しい。

 えーと、それは…?

 俺が頑張らないと、片桐拓人に戻っちゃうよー的な?


 それから優里さんは、俺がしつこく問い続けると…

 ようやく渋々と話し始めた。


 片桐拓人とは…幼馴染のようなもので。

 だけど自分が唯一『男』と認めている人間でもあって。

 そんなわけだから…依存もしまくってて。

 俳優として引っ張りだこの彼と距離が出来始めた事で…不安定になって。

 他に彼氏を作る。が口癖みたいになって。

 実際、過去に彼以外の男と付き合おうとしたものの…

 優里さんを好きになる男は、みんなその見た目に惹かれて。

 恋人関係に進むまでに…


「君…思ったのと違うね。」


 と、みんな優里さんの元を去ってしまい。

 結局、片桐拓人の元に戻ってしまう…と。



「…一人でいるって…選択肢はないの?」


 ゆっくり問いかけると。


「…心の支えって言うか…」


 優里さんも、ゆっくり…低い声で答えた。


 心の支え…

 それでもそれが原因で不安定になったりもするのに…

 どうしても離れられない…存在…


「…それだけ好きって事か…」


 ズズーンとした気持ちでつぶやくと。


「違うの…居て当たり前だったから…」


 優里さんは泣きそうな声で。


「…もう、本当にどうしたらいいかわからないの…あたし、拓人がいなきゃ生きていけない人生なんて…もう…嫌なの…」


 そう言ったが…

 今この瞬間も、あいつがいなきゃ生きていけない人生みたいな顔してるじゃんかよ…って。

 俺が泣きたくなった。


 だけど…何だろう。

 すげーめんどくせーって思うのに…

 嫌じゃない。

 むしろ…

 この、めんどくさくて不器用過ぎる七つ年上の女が。

 見た目より、本気で可愛いって思えてしまってた。


 …俺、バカだな。

 ほんっっと……

 バカなんだな。





 片桐拓人と優里さんが恋人同士だった。

 しかも…何ならまだ気持ちは続いてる。ような気もする。

 そんな所に、俺は入り込んだし…

 優里さんの中から片桐拓人を忘れさせてみせる…と、意気込んでる自分もいた。



 …だいたい…責任とれるのか?

 あいつも言ってたけど、優里さんは『結婚』を意識してる。

 年齢的に考えると当然かもしれない。


 けど…


 依存体質でネガティブなんて。

 筋金入りの…うぜー女だ。

 俺の大嫌いなタイプだ。

 しかも、まだまだ謎は多い。


 でもー…


 …俺だって、まだ本名も明かしてない。

 仕事の事だって。

 お互い様…っちゃー、お互い様。


 何も知らない状態でセックスして。

 理由は分からないが…俺は優里さんに心地良さを感じてる。

 何も…家族構成も血液型も知らなくても。


 色々不安はあるが、腹をくくる事にした。

 それほどまでに俺を突き動かしてるのは…

 …あれがすべてなのかもしれない。


 俺は…大家族に生まれた。

 その誰からも愛されたし、特に…桐生院の父と、その母親…俺からすると祖母には溺愛されたと思う。

『特別な子』だとか『完璧な子』だとか…どっちかと二人きりになると、よく言われたもんだ。


 もちろん二人とも、家族みんなをちゃんと大事にしてたし…それは目に見えて分かってた。


 だけど。

 その『完璧な子』に…少なからずプレッシャーを感じるようになって、大勢の中にいてもどこか…気持ちを閉ざした部分があったかもしれない。


 …誰も悪くないんだけどな。

 勝手に思い込み過ぎた自分が悪いんだけど。



 そんな『完璧な子』と言われた俺が。

 あの時…川の中で、簡単に生きる事を諦めてしまった気がする。

 死んでたまるか!!ってもがく事なく…あっさりと。


 そんな俺を助けてくれた優里さん。

 俺は…彼女に特別な物を感じた。

 周りの期待に応えられない事に、勝手に自分をダメにしてる俺を…

 彼女なら、変えてくれるんじゃないか。なんて…



 ふたを開けてみたら、超面倒くさい女だったと分かっても。

 俺は、あの時優里さんに感じた何かを捨て切れない。

 あの冷たい川の中で掴まれた腕。

 凍える俺に、熱を取り戻させてくれた身体。


 そして…

 泉と別れて以来、もう失くしたと思ってた…誰かを愛するって気持ち。


 今はまだ強い好意と同情と感謝みたいな、気持ちの集合体でも。

 俺が優里さんに『愛してる』って言う日は…

 そう遠くない気がするんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る