第36話  灼熱の魔神④ ~バトルパート~

――それは、過去の話。


「お姉ちゃん、また少し、怪我しちゃった」


 まだ姉妹が一緒に集落にいて、穏やかだった頃の光景。


「なんだ、またか。まったく、お前はいつも危険な場所ばかりに行く」

「だってお姉ちゃんが遊んでくれないんだもん。わたし、寂しいよ~」

「……すまないな。でもこれだけは覚えていてくれ。わたしは、スララのために毎日頑張っている」

「ほんとう?」

「そうだ。お前と一緒に遊ぶために、わたしは行動している。だからもう少し待っていてくれ。わたしはいつか、お前とたくさんの時を、一緒に過ごす。そのために私は日々を研究に費やしているんだ」

「……うん、わかった。わたし、もう少し我慢する~」

「ありがとう。スララ、お前は私にとって、大切な宝だ」



†   †



 スララのリコリスだったものが熱で蒸発する。

 灼熱の巨壁が突き進んだ後には火の粉と残り火しか存在しなかった。


「そんな……」


 赤々と戦場を染め上げていた破滅の炎は、端から端まで燃やし尽くし、役目を終えたかのように虚空へと散っていった。

 全ては焼かれ、灰になり、あるいは蒸発し、融解し、決戦の舞台は遮るもの一つない更地となる。


「そんな……あぁ……」


 かすれた声が、アルシエルの口から細く洩れる。


「スララ……? こ、こんな馬鹿な……私は、スララを、殺してしまったのか……?」


 その声は震えていた。その声には後悔が宿っていた。

 目元から伝っていくのは大粒の涙で、体を震わせ、戦場を見渡して、アルシエルは目の前の光景が信じられず、がくりと膝をつく。


「なんて事を……ああっ、私は……そんな、大事な妹に、なんて仕打ちを……」


 火の粉と水蒸気が立ち昇る中、幽霊のようにアルシエルは号泣する。

 水色の髪で可愛らしい顔の少女は、すでに消えてしまった。華やかな笑みや柔らかな笑顔、誰にでも優しい少女は灼熱の彼方に消え、後にはアルシエルの慟哭だけが響き渡った。


「違う、違うんだ……」


 アルシエルの声が震えていた。


「私は投降しろと言ったんだ。スララはきっと、投降すると思ったんだ。ベリアルを殺すにはアルシエル・ゲームを続けるしかない。でもスララはやめろと言う。だから、私はこの闘技を……スララを諦めさせるために仕方なく戦って……っ」


 乾いた音が奏でられる。彩斗とエルンストを守っていた岩が、音を立てて崩れた音だ。二人は中から這い出てきた。けれど泣き崩れるアルシエルを見つめ、彼らはどんな言葉も出ない。ただ黙ったまま、唇を噛みしめるしかなかった。


「こんな結末を望んでいたわけじゃない……」


 アルシエルは泣きながら自分を抱きしめた。


「スララは私の宝だった。残された大切な家族だった……。スララなしでは生きられない。私はスララのために戦ってきた。狂気と、憎悪と、無念に苛まれながら……必死にスララとの未来を掴むため、彼女のために、ここまでやってきたんだ……。それなのに……っ」


 魔神は両手で顔を覆い尽くす。


「スララ、どうしてお前がいなくなるんだ……ううぅ、うぁぁ……嘘だ、うぅ、ううぁぁぁ……っ」


 涙が両手の隙間からいくつもこぼれていく。

 その涙の一つ一つが、スララへの愛情だった。妹のために残していた最後の優しさの欠片。

 大事にしまっておいた姉らしい感情の塊が、ぽろり、ぽろりと落ちていく。


「嫌だ、嫌だよぅ、スララ。お前がいなくなったらどうすればいいんだ。お前と過ごす日を楽しみにしてやってきたんだ。ベリアルのいない世界の中で、お前と幸せなひと時を過ごせれば、私はそれで良かったんだ。魔神になど、なりたくはなかった。アルシエル・ゲームなんてしたくなかった。だが、だが……私にはそうするしか、できなかったんだ。ごめん……ごめんよ、スララ。最後まで、馬鹿なお姉ちゃんで、ごめんよ……」


 幾筋もの涙が悲しみの嗚咽と共に流れていく。

 その眼下に、涙が滴り落ちていく。


「あぁ……妹は、妹は、スララはもういない。私が、消してしまった。スララは何も悪くないのに。私のせいで消えてしまった……。じゃあ、じゃあ、後は何が残る? そうだ、決まっている。ベリアルを倒すしかない。それしか、残ってないではないか。私は――」


 とめどなく流れ出た涙が――不意に止まる。

 ゆらり、とアルシエルは幽鬼のように立ち上がる。

 その瞳には、理性など欠片もない、獣の光。


「そうだ、過去は変えられない。スララは私のせいでいなくなってしまった……。だからせめて、ベリアルを殺そう。そうしない限り、スララは報われない。父さんや、母さん、イータやヨーテやサダラーも、みんな無念を抱いたままだ。……そうだよな、ベリアル。全てはお前が起こした事だ。お前さえ、いなければ良かったんだ。そうすればみんな幸せのままだった。お前だ……お前が悪いんだよ、ベリアル。お前が……っ!」


 優しさの涙の代わりに出たのは紅い涙だった。憎悪の篭った塊。理性が駆逐され、狂気を抱いたアルシエルの執念が、彼女の瞳から流れ出る。


「そうだ、ベリアルを殺す。今すぐ殺す。殺す。殺ス。殺ス。殺ス! アルシエル・ゲームにいる全員を殺せば終わる。誰かがベリアルには違いない。そうだ、もうゲームなんてどうでもいい。同じ苦痛を味わせるなんて贅沢は言わない。ベリアルを殺せればいい。それでいい、ベリアルの可能性のある者、全て焼き尽くせば、それで願いは達成される!」


 烈火の爪が膨大な勢いで伸長する。紅蓮の風を巻き上げ、アルシエルは彩斗とエルンストに振り返る。


「やめろ、アルシエル……っ」


 だが、アルシエルは聞く耳を持たない。


「まずはお前たちを消し飛ばしてやろう。そもそもお前たちは誰だったか? 夜津木? サイクロプス? ガルム? マルギット? 誰? 誰なの? でも、もうどうでもいいか。なぜならお前たちは、これから焼き尽くされるのだからッ!」


 リコリスの爪が槍のように伸ばされる。

 かろうじて残っていた体力で、彩斗とエルンストは転がって回避する。

 だがその動きは、鈍重もいいところだ。彩斗の左肩が浅く抉られ、エルンストの足が猛火で痛みに嬲られる。苦痛に呻く彼らの前で、アルシエルは爛々と狂気だけを振りまいていた。


「フフ、ハハハッ、アッハッハハハハッ! ベリアルの可能性のある者は殺スぅ! 焼き尽くしテやるゥ! ハハ、アハハッ、我こそは、魔神アルシエルなり――ッ! 復讐の業火を、思い知るガいいッ!」


 リコリスの分体が無数にばらまかれた。

 その総数は百を超え千を超えている。全てが火柱のように伸び上がり、あるいは触手となって虚空を染め上げる。

 彩斗もエルンストも、もはやかわせる体力も気力も残ってない。武器を持つ手は披露にまみれ、覇気もない。ただただ、自分たちの無力に苛まれ、地獄の業火に焼かれるのを待つしかない。


 全天に、無数の火の粉が踊る。

 地表、数え切れぬ数多の火柱、火炎の触手たちが、一斉に彩斗たちに迫っていく。

 もはやかわせない。そんな体力も気力も尽き果てた。

 だから彼らには、いかなる手段を講じる事も出来なかった。

 彩斗たちは歯をぐっと、食いしばり、目の前の光景に諦めかけて――。



 ――その直後、上空に輝く光を見た。



「……なんダ?」


 驚きと共にアルシエルが仰ぎ見る。

 彩斗とエルンストも呻きながら上空を確認する。

 その向こう――天井に限りなく近い位置で、虹色の泡が煌々と光を放っている。


 そして見た。


 それは――奇跡だった。


 虹色の泡の中、淡く輝くものが見えた。水色の髪と細い体、半透明の長い房――。

 そこには、一人の少女が目を瞑り、虹色の泡に守られるように収まる姿が見えていた。


「まさか……」


 アルシエルが呆然と呟く。

 信じられぬ光景に、我が身を震わせ、硬直させる。


「あれはまさか……スララ?」


 あり得ない。

 地獄の業火で、焼き尽くされたはず――。

 そんな、彩斗の声ともアルシエルの声ともつかない響きが――洩れ出る中。

 虹色の泡はゆっくりと天井から落ちて来た。その天頂には美しい花がある。虹色に輝き、神々しいまでの煌めきを放つ、一輪の花だ。九枚の花弁を眩く光らせ、暖かな光を帯び、泡は、彩斗たちとアルシエルの――ちょうど中間点へと舞い降りる。


「す、スララっ!」


 泡が弾ける――。

 少女が、地面に横たえられた。痛む体に鞭打って、彩斗が必死に駆け寄っていく。震える手で、彼女を抱き上げた。


「スララ、返事をして! スララっ!」

「……あ、あれ? 彩斗? わたし……」


 地面に落ちた虹色の花が、役目を終えたかのように枯れていく。

 顔に傷はない。体にも。無事な姿のままだ。それを見て、彩斗は全身を震わせ、確信した。


「マルギットに貰った、『アビサールの麗花』……」


 発芽すればあらゆる災いから身を守るという――伝説の花。彩斗たちにとっては二回目の闘技、ガルム・マルギット戦の終わり際に貰った物。

 最高の人形師、マルギットから貰った種子。

 その発芽する条件は、なんだったか。

 マルギットは石になる直前、『愛』が発芽の条件だと言っていた。

 つまり――


「スララからアルシエルへの家族愛……? それとも姉妹愛……? いや、そんなの、今はどちらでもいい!」


 彩斗はスララに肩を貸して立ち上がらせる。

 最初はぼんやりとしていたスララも、彩斗を見て、周囲を眺め、そして無数のリコリスの分体を従えた、アルシエルを視界に入れ、全てを悟った。


「彩斗。闘技はまだ、終わってないの?」

「そうだよ……スララ。まだ、終わってない。まだ取り戻せるんだっ!」


 決意と共に、彩斗は魔神を振り返る。


「アルシエル、あなたも見てほしい。まだ終わってない。あなたの妹はここにいる。そう、掴めるんだ、スララとアルシエルが、平和に暮らせる未来が。あなた達は、取り戻せるっ! だから――」

「い、今サラどうして出タ……? なゼ私の前に出タ……? おオ、なぜだ、死んだはずの妹がここにいル、おお、おぞましイ……ッ」


 恐怖に満ちた眼差しで、アルシエルが後ずさる。

 もう彼女の中で、スララは死んでしまったものと確定されていた。

 だから自分が焼いてしまった妹はすでになく、目の前にいるのは亡霊。魔神の力による獄炎を受けてなお生きているなら、それはこの世ならざる者に違いない。


「違うんだ、アルシエル、マルギットが残してくれた花だ! スララは生きているんだよ!」

「死してなお私ヲ責めるのか、スララよ! 罪深い私に許しを与えることはないというのカ……っ、そ、そんな、私は……っ、ああ、ア、アアァ…………ッ!」

「違う! アルシエルっ! よく見ろ! 亡霊じゃないっ! あなたの妹だ、本物のスララなんだっ! 信じてくれっ!」

「お姉ちゃんっ! わたしはここだよ、お姉ちゃんっ!」

「違う……スララは死んだ、私が焼いてしまっタ……っ! ダジウスの輝石を持った私は魔神とナった。ベリアルを殺せる炎を手に入れた。私の炎に、スララは耐えらレない! アアッ、妹の亡霊が私の前にいルッ。怖い、怖い、怖い、助けてスララッ! ウァァアアアッ!」


 リコリスの分体が烈火の触手を伸ばす。

 とっさに彩斗はスララを押し倒して避けさせる。けれどアルシエルは恐怖に染まり、手を緩めない。

 猛火が中空を切り裂き、無数の触手がスララを焼かんと迫り来る。


「くそ、ゲヘナ――ッ!」


 彩斗の右手から黒い業火が現れ触手を燃やす。斜めに宙を突き進んで視界一杯の触手を消し飛ばした。

 だが、足りない。状況を覆すには手が足りていない。なおもアルシエルは腕を振り回し、分体を生み出していく。


「くそっ、ゲヘナは、どこまで持つんだ……っ!?」


 放射したゲヘナを保ちつつ彩斗は腕を振って、新しい分体からの触手を焼き尽くす。巨大な黒の大蛇を、右腕の延長のように、鞭のように、歯を食いしばりながら操っていく。

 触手が燃える。黒い業火に飲み込まれ、消滅する。

 彩斗のゲヘナが限界時間を迎え――途絶えた。

 彼が倒れる寸前、エルンストが残る気力を振り絞り、高く声を張り上げる。


「ゲヘナッ!」


 さらに分体を作ろうと腕を振り上げていたアルシエルが、歪んだ顔のまま後ろに退避する。

 途中で激痛が走り、エルンストはすぐにゲヘナを消失させてしまった。

 怯える表情のまま、アルシエルは体を震わせて叫ぶ。


「すまないと思っている。私は愚か者だと思っていル。だから、責めないでくれ、スララ! いつまデも、私の前に出ていようというノか……? それは、それはやめてくレ、お前に責められたラ私は苦しくなってしまう。怖くなってしまう。確かに私が、お前を殺したことは事実ダ。でも、でも……どうしようモなかったんだ! お願いだ……スララ、亡霊になんてならないで。ごめん、ごめんよ、スララ……っ」

「違う! そうじゃない! スララはまだ無事なんだ! アルシエルっ! 目を覚ませっ!」

「やめて、お姉ちゃんっ!」


 スララが駆け寄ろうとするとアルシエルが鳴き声を発してリコリスの分体を生み出す。十、二十、次々と地面へばら撒かれた分体から槍が、剣が、斧が、烈火をまといながら襲いかかっていく。

 怯えるアルシエルの操作は甘く、直撃の軌道はほとんどない。だが熱気が溢れすぎている。疲弊し気力を奪われ目がかすみ始めた彩斗は、必死で体を起こす。


「エルンストさん! こちらへっ!」


 白衣の裏地から残っていた全ての短剣を青年は投げつける。触手と相打ちになって砕け散る中、エルンストが駆け寄ってきた。


「どうするのであるか、彩斗」

「今から、最後の攻撃を行います。協力してください」

「……勝算が、あるのだな?」


 彩斗は頷く。


「だが皆、もはや体が限界である。絶対にやれるであるか?」

「やります! やり遂げてみせます! でないと、スララもアルシエルも、あまりに悲しすぎる……!」


 エルンストは、火傷と煤にまみれた顔でゆっくりと頷いた。


「ではワタシがまず突撃する。倒れても決して構うな。アルシエルの目を覚まさせることだけを考えろ」

「はい。――行くよ、スララ!」

「うんっ!」


 エルンストがポケットからガラス管を取り出す。それを自らにかけ、強制的に疾走を促した。

 そして、矢の如く走る。体の痛みも限界も無視した疾走は、彼に激痛を植え付け、気絶寸前の状態をもたらすが――エルンストは猛然と、決然と、アルシエルへと突き進む。


「これが最後である! ――ゲヘナッ!」


 黒い大蛇がうねりつつ放たれる。

 錯乱状態のままアルシエルは必死で避けた。もはや、彼女に冷静さなど一片も残っていない。エルンストが血反吐を吐きながら進む。ポケットからガラス管を取り出す。跳躍して逃げることもできないアルシエルへ、突進し撒き散らす。


「なんだ、これハ……っ」


 アルシエルの動きが鈍る。本来は巨人でも地面へ伏せさせる液体だった。だが魔神と化したアルシエルには、数秒の動きの停滞と、わずかな間の動揺しかもたらさない。

 しかし、その間にも、彩斗たちは疾走していた。


 スララのリコリスの先端が――錐状に変形する。

 冷気振り撒くコンバットナイフを、彩斗がその錐に添えた。

 冷気に晒され、たちまち凍りついていくリコリスの錐。硬度が増した。魔法の冷気による硬質化だった。

 スララがリコリスの房部分を凄まじい勢いでねじる。先端が硬質化した状態で、猛回転する錐状のリコリスは――もはや巨大な掘削機ドリルのようだった。


 それこそが、彩斗とスララの『決戦用の切り札』。


 氷とリコリスの猛回転を利用した、巨大破砕兵器だ。

 そのまま、スララは駆ける。アルシエルが分体を寄越すが関係ない。秒速数百回のドリルの回転速度は、灼熱の猛威すら弾き返す。


 そのままスララは猛然と突き進む。姉の元へ向かって、一直線に走り、迫り――万感の思いを込めて――そして――。


「やめろ、来るナ! アアァ!」


「――お姉ちゃんっ!」


 アルシエルへの想い、未来への希望、輝く理想――。

 それら全てをつぎ込み――スララは最後の一撃を激突させる。氷の掘削機(ドリル)が、吸い込まれるように――アルシエルの、額の、その中央へ、直撃し――。


「がああアッ! アアッ!」


 大きく仰け反るアルシエル。その、最大にして最後の隙を前にして。


「ゲヘナ――ッ!」


 放たれた彩斗の黒い業火の大蛇が――全てを終わらせるために、猛々しく、豪然と、突き進んでいった。


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