第22話  フレスベルグとガム

しばらく、エルンスト抜きで歓談に興じた。

 内容は戦術や互いの今後の方針について。少しでも考えを煮詰まらせるためだ。

 しばらくして、フレスベルグの視線がまだ独り言をつぶやくエルンストに向けられる。


「なんであんなのがパートナーなの。変態。変人。液体フェチ。あーあ、早く故郷に帰りたい」


 この時ばかりは彩斗も同感だった。スララがパートナーで本当に良かった、そう思っていたが――。


「(わくわく)」


 スララはスララで、何やらエルンストの調合を興味深そうに眺めていた。

 思わず、彩斗はフレスベルグに話しかけてみる。


「エルンストさんって……頼りになるけど、大変なときもあるんだね」

「……」


 しかし風使いの少女はむすっとした表情のままだ。声をかけても返事がない。


「えーと、フレスベルグ……さん?」

「……別に呼び捨てでいい。あなたは――ガヤトだっけ」

「いや、彩斗あやとだから。ど、どうして、ガヤ……?」

「ガヤガヤしてる人混みにいたら、全然気づかない影の薄い感じだから」

「そ、そんな、ひどい……」


 否定できないのがまた悔しい。確かに自分でも平凡極まりない容姿だと思っているが、面と向かって断言されると辛い。

 だからこそ、彩斗は少しでもフレスベルグと仲良くなりたいと思った。


「えっと……いつも、エルンストの調合物で、不気味なもの食べてるの?」

「最初の頃は普通に食べてた。でも途中からあいつ調子に乗ってる。ろくなの作らない」

「うねうねとか、くねくねとか、苦労してるんだね」

「そう。……ああ、思い出しただけでも嫌。お腹の中で、こう、肉とか豆とかが、うねねねとかやってる。マジ嫌。うう……」


 軽く自分を抱きしめて、少し顔を青ざめさせる。

 彩斗は苦笑して、


「えっと、美味しいものかどうかはわからないけど、こういうものがあるんだけど」


 言って、ポケットからチューインガムを取り出す。

 十枚入りで、ストロベリー味の品だ。以前に学校帰りで買ったもので、ずっと鞄にあったものを今日は取り出してきたのだった。


「なにそれ? 食べ物?」

「ん、一応、お菓子……みたいなものかな? 飲み込まない方がいいけど」

「変なの。飲んじゃいけないのにお菓子? 彩斗の世界は変なんだね」

「それはちょっと短絡的過ぎるような」


 言いつつ、包み紙を開けていく。


「こう、一枚を取り出して、口の中に入れるんだ。それで噛んでみるんだよ。すると、口の中で甘い味が広がっていくんだ」

「ふうん?」


 言われても、フレスベルグはうまく想像できないらしい。怪訝そうな顔つきで見上げたまま、「へー」と呟くのみ。

 だから、試しに彩斗はガムを噛んでみた。包み紙を剥がし、口を開け、放り込む。

 甘く、口内で広がるストロベリーの味。小さく鳴るくちゃくちゃとした咀嚼音。


 フレスベルグの眼が、興味深そうに揺れていく。

 しばらく、ガムを咀嚼していると、


「……ん」

「え、あ、なに?」

「……ん」


 座りながら黙って手を差し出したので、彩斗はゆっくりとした動作で一枚渡してみた。

 フレスベルグは包装を解き、葡萄色のガムを見つめ、小さな鼻ですんすんと匂いをかいで、上目遣いになる。


「……美味しいの? これ」

「ボクは好きな味だよ。フレスベルグに合うかはちょっとわからないけど」

「まあいい。エルンストのよりはマシでしょ」

「あはは……」


 さすがにビンカンだのムラムラだのよりはいいはず。

 フレスベルグは、少し躊躇った後、両手ではむっ、と思い切ってガムを口に入れてみた。


 しばらく噛む。小さな口からくちゃくちゃと音がする。


「あ、おいしい」


 目を丸くして、正直な感想が呟かれた。


「よかった。もっと噛むと味が出るよ」

「……ん」


 しばらく、くちゃくちゃというガムの咀嚼音が二人の間で二重奏となって広がる。

 フレスベルグは何度か瞳を瞬かせ、新鮮な感触に驚きの表情を浮かべ、自分の口内で広がる甘い味に困惑しているようだった。けれども困惑はすぐに安心へと移り替わり、次第に頬が緩くなっていく。


「おいしい。彩斗の世界のお菓子、とってもいいじゃん。フレスベルグはこれ気に入った」

「よ、良かった」


 ほっとして、彩斗は胸を撫で下ろす。

 これがまずいと言われたらどうしようと思ったところだった。協力関係でこれからも話す機会が多そうだったから、少しでも喜んでもらえるなら万々歳だ。


「こんなの初めて。噛んでも噛んでも甘い。噛みしめるときの感触がいい。世界樹のレレシアの実みたい」

「レレシアの実?」


 きっと、好きな物だったのだろう。

 体育座りのまま、故郷の懐かしい味を思い出す彼女は、珍しく上機嫌でガムを噛む。


 気のせいだろうか。目元が少しだけ柔らかくなっている。体がリズムよく小刻みに横へ揺れ、一定感覚で繰り返されている。彩斗は、それが嬉しいときのフレスベルグの仕草なのだと気付いた。

 誰であれ、やっぱり喜んでもらえると自分まで嬉しくなる。


「それでね、フレスベルグ」

「なに?」

「このガム、風船みたいに膨らませることもできるんだ。こうやって……」


 ぷわっと、彩斗は三センチほどの風船を作ってみせた。

 フレスベルグの目が大きく見開かれる。


「なにそれ、すごい」


 その言葉に彩斗は気を良くする。もっと風船を大きくしてみる。空気を送り込む。徐々に風船は大きさを増し、それに比例して、フレスベルグの目も驚きで見開かれていく。


「へえー、すごい。なにそれ、驚き」


 気づけばフレスベルグの目が、大きく開かれていた。いつもの不機嫌さや眠気はそこにはなく、大きな興味が色とりどりの宝石のように、色彩となって煌めいていた。


「もっと見せて」


 そしてとうとう、拳大よりも二回り大きくなったところで、フレスベルグの驚きは最高潮となる。

 同時に、膨らませられる限界も来た。彩斗はゆっくりと風船をしぼませ、全て口内へ収める。



「このくらいが限界。フレスベルグもやってみる?」

「やる」


 膨らませるコツを彩斗は説明した。

 何分かして理解したフレスベルグは、興味津々な表情で、風船作りに挑戦していった。


「そうそう、それで……今だ、フレスベルグ」


 ぷくーと、少女の口から葡萄色の風船が創りだされる。

 ビー玉くらいの大きさが拳大ほどになる。それから徐々に徐々に丸い風船は広がる。さらにもっと大きな風船にしようとしたところで、



 パンッ。



「うわぁ……」


 可憐な顔へ見事に葡萄色の膜が張り付いていた。目元も鼻も葡萄色。唇も頬の一部も薄い紫で染まらせて、フレスベルグはむすっとした声で、


「……。なにこれ」

「やばい、忘れてた。あまりに膨らませ過ぎると、破裂しちゃうんだ」

「……それは早く言って。べとべとで嫌な感じ」

「ごめん、まず取って。フレスベルグ、そのままだと、」


 騒ぎに気づいて、スララもやってきた。


「なにしてるの? わ、フレスベルグが紫の変な顔になってる~。楽しそう!」

「ちっとも楽しくない」


 むすっとしたフレスベルグは、くっついたガムを引き剥がした。

 しかし手もべとべとっとした感触なので眉毛は段々斜めに釣り上がっていく。


「さっきの風船、彩斗のよりも小さかった。もっと大きいの作る」

「え、まだやるの……?」

「(こく)」


 しかしその後フレスベルグは何度か風船を膨らまそうとするのだが、彩斗のものより大きくはならない。それどころか同じ大きさも無理であり、何度もパンッ、パンッ、パンッと風船は割れて、そのたびにフレスベルグの顔が葡萄色でべとべとになっていく。あまりに失敗しすぎて段々口数が減っていった。


「フレスベルグ、もう終わりにしようか、時間もあれだし」

「嫌だ」

「あのさ、ボクは元の世界でそれなりに膨らませてたから、大きな風船を維持できるけど……フレスベルグがすぐに真似するのは無理だよ」

「(ふるふる)」

「せめてもう少しコツを掴んでから大きなやつに挑戦しないと。ね? そうしよう」

「(ふるふるふる)」

「もしかしてフレスベルグって、結構な負けず嫌い!?」

「(こくこくこく)」


 その後、フレスベルグは何度も再挑戦を繰り返し、その度に顔をべとべとにして、それでも頑としてやめなかった。綺麗な顔はもはや葡萄のべとつきだらけだがそれでも止まらない。

 しまいには、スララもチューインガムに興味を持ち、


「わたしもやってみる~。こうかな~」


 彩斗から受け取って、スララも風船作りに挑戦し始めた。

 彼女も始めは苦戦するだろう、そう彩斗は高をくくっていたが――。


 以外や以外、スララは一発でフレスベルグよりも大きな風船を作り出してしまった。

 もうフレスベルグの面目は丸つぶれと言っていい。


「(怒)」

「わ~、すごく面白い~。見て見て彩斗、風船がこんなに大きくなるよ~」

「(怒)(怒)」

「うわあ、フレスベルグが怒ってる、も、もうやめて! スララはやめて、君のすごさはもうわかったから! うわ、フレスベルグがちょっと目に涙を溜めてるよ……っ」


 その後エルンストまでやってきて事態はさらにカオスとなった。

 顔を真っ赤にして、フレスベルグは風船を大きくしようとする光景は平和ではあったが、彩斗は疲れた。



†   †



 その光景を、眺める視線がある。

 闘技場の最上部、バルコニーの上で、全てを見通す存在――魔神アルシエルだ。

 彼女は、観衆席の一角で騒ぐ一団を見て、


「ずいぶんと、笑うようになったな。それが今の平穏か。……■■■」


 その呟きは、小さすぎて護衛のガーゴイルにも聞こえなかった。

 アルシエルは目を細めながら、その一団の、とある一人に注目していた。


「無情な戦場に飛び込む気概。分かるがな……ここはお前のいるところではない」


 そう言って、アルシエルは闘技の戦闘に目を向けた。

 胸の内に、もどかしさと、虚しさを、秘めながら。

 彼女は、闘技を観賞していった。


†   †


「楽しかったね!」


「いや、ボクは楽しいよりも疲れた……」


 チューインガムの騒動から数分後。彩斗はぐったりとして座り込んだ。

 フレスベルグの顔は元に戻っている。べとべとで葡萄の匂いばかりの顔はスララのリコリスで拭かれ、元と同じ、いやそれ以上につるつるの肌となっていた。

 リコリスはひんやりとしている他に常に潤いも帯びており、それで拭けば、大抵の汚れは落ちる。


「それにしても、チューインガムって美味しいんだね~。風船も楽しかった」


 唇をほころばせて上機嫌なスララだが、彩斗としてはフレスベルグが気にかかる。

 というより、彼女は彩斗の方を見ている。じっと、ジト目で眺めるその姿からは結構な重圧が掛かってきていて、彩斗は身をすくませる。


「あの、フレスベルグ……?」

「誰が呼び捨てでいいって言ったの。尊敬語つけろ」

「口調が微妙に乱暴になっている!?」


 思わず後ずさりした後、


「い、いや、あの、ごめん。まさかあそこまで負けず嫌いだとは知らなくて。その、今度からは気をつけるから。だから機嫌直して、フレスベルグ……さん?」

「……。やっぱさん付けはいい」

「え?」

「あのお菓子……チューインガム? 美味しかったのは確かだし。まあそもそも彩斗が悪いわけじゃないから。別に気にしてない」

「そうなんだ、それなら良かった……」

「だから彩斗は、エルンストのウネウネ草と、クネクネ草と、ビンカン草を食べること」

「やっぱり機嫌が直ってなーい!? そ、そんな、エルンストさんの怪しい調合物なんて食べられないから!」

「呼んだであるか? 美味しいぞ」


 白衣の青年エルンストが笑顔で振り向いた。


「い、いや、いいです、いりません。食べたくないです」

「食べたら許す。嫌なら彩斗の顔にガムくっつける」


 フレスベルグはなかなか、根に持つタイプだった。


「彩斗、スララ」

 

 しばらくして。フレスベルグが無言で闘技を見つめた後。

 彼女は二人に向け、言葉を放った。


「今日のやり取りは面白かった。ガムは新鮮。また噛みたい」

「うん。それは良かった。君さえ良ければいつでも……」

「たとえ彩斗がガヤトでも、微妙にヘタレでも、ガムがあるから許す」

「そういう言い方はやめてほんと」

「だから――」


 半笑いする彩斗だが、その顔を見つめ――そしてスララを眺め。

 フレスベルグは、強く断言した。端的に、激しい声音で。


「――闘技で負けるのは許さない。あなたたちは、絶対に勝ち残って」


 一瞬。

 彩斗はきょとんとした。

 それは、少し唐突で。でも確かな言葉で。

 意味を理解した途端、彩斗の内に、嬉しさが広がっていく。


「それは――もちろん。ボクたちはこれからも勝利する。負けるつもりはない」

「わたしも同じだよ~。次も頑張ろうね、彩斗、フレスベルグ」

「ふん」


 それっきり、フレスベルグはむっつりとした表情で顔をそむけてしまった。

 しかし、それまでと同じような雰囲気で、少しだけ何かが変わった彼女の空気。

 苦笑して、エルンストが彩斗に話しかけてくる。


「ワタシも、君たちには勝ち残ってほしいのである。このゲームは己の精神力との戦いだ。しかし少しでも気の許せる相手がいれば、それに越したことはない。共にゆこう。このゲームを終わらせるために」

「はい。ボクたちも、同じ気持ちですきっとこの無意味な争いを、終わらせます」

「そうだね、みんなで勝ち続けられるよう、頑張ろう!」


 可愛いえくぼを作り、手を上げるスララ。

 戦友、という単語が彩斗の頭に浮かんでくる。これから先、闘技は激しくなるかもしれない。けれど彼らと助け合うことができるなら、困難は乗り越えられる。

 エルンストが握手を求めてくる。

 彩斗がそれに応じる。

 スララがフレスベルグにも握手を求める様子を見ながら、彩斗はそう思っていた。



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