第13話  襲撃者と救援者

コロシアムの大きさは、ざっと見て直径は二キロ近くも広がっている。

 階段状の観衆場は数万人が闘技を見られる規模があり、灰色と硬質な外観が無骨な印象を抱かせる。

 その観衆場で、いくつも点在しているのは石像群。

 剣を持った戦士の像、牙を剥く魔獣の像、天を仰いで誰かに助けを乞う老人の像……さらには悲しみの表情を浮かべる人魚の像がある。


 あまりにも多い、石像の群れだった。

 それらに共通点はない。若々しい剣士の像も、魔獣の像も、老人の像も、どれもが精巧であるという点だけは一致しているが、単なる調度品というのには作り込まれ過ぎ、景観を良くしようという意図ならば、悪趣味過ぎる風景だった。

 まつ毛の形から服のしわに至るまで、石像はあまりに精巧だった。今にも動いて声を発しそうなその様子。しかもそれが、数百体以上もあるのだから、不気味にも程がある。


「うわあ……」


 つい憤怒の表情を浮かべる石像と目が合ってしまった。彩斗はスララの隣を歩きながら、小さな悲鳴を洩らす。


「平気だよ、彩斗。これ全部、石像だもの。動かないよ」

「でもさ、妙にリアルというか……うまく出来過ぎだよ。まさかとは思うけど、これ全部、アルシエルが魔法で石にした人たちじゃないよね……?」


 自分で言った言葉に、彩斗はごくりと唾を飲み込む。

 スララとの穏やかな時間が、嘘のように感じられる。彩斗とスララは、あの後、腕輪が光り、ガーゴイルにコロシアムへと連れて来られていた。

 薄暗い牢屋を抜けて長い廊下を歩かされ、しばらくした後の大きな扉を潜り、数多の石像があるコロシアムへ。


 闘技の時間となったのだ。

 しかし、今回は彩斗たちが戦うのではない。別のペアが闘技を行うことになっている。


 アルシエル・ゲームは毎日一回、ランダムに二組が選ばれて戦わされるルール。腕輪が紅く光れば闘技者として戦い、黄色く光れば、観衆場で闘技を見守ることになる。

 今回は、腕輪は黄色に光った。

 残りのペアの数は、八十八組。その数からして、彩斗たちが連続で戦わされる可能性は少ない。


 しかし、コロシアムにある石像の光景に、彩斗は恐怖が募ってくる。

 最初の闘技と前回の闘技において、敗北したペアは石化させられ、観衆場の片隅に置かれてしまっている。カーバンクルとその相棒の少年、殺人鬼夜津木とサイクロプスは石化したまま、ずっとコロシアムの景観の一部となっている。


 だから、連想してしまう。アルシエルは以前にも同じゲームを行い、多くの敗北者を生み出し、数百体もの石像を創りだしたのではないかと。そう彩斗は思い、恐怖する。


 その時だった。スララはすぐさま振り向いて、


「それはないよ~。あのね、魔素のことを前に少しだけ話したけど、その魔素から、いつ頃魔法が使われたのか、ある程度はわかるの」

「え、そうなの?」

「うん」


 スララは歩いてすれ違った石像を指さした。


「例えば、今すれ違ったユニコーンの石像があるよね? あの近くの魔素は――昨日とか、一昨日とかできたものじゃないよ~。もっと以前のものだよ~」


 彩斗は石像をじっと見て観察した。極めて薄いが、よく見れば石像の周囲に、親指の爪ほどの大きさの光る円球が浮いている。

 それが、魔素と呼ばれるものだろう。同じものが周囲全ての石像の周りにも浮遊している。


「そうなんだ……。どのくらい前にできた魔素なのか、詳細はわかる?」

「ううん、わたしは魔法が使えないから。そこまではわからない~。でもかなり前だと思うよ。ひょっとしたらわたち達がが生まれるより以前かも」

「そんなに前から……?」


 彩斗は目を細め黙り込んだ。脳裏に、黒いウェディングドレスのような衣装を着て、このゲームの支配者として君臨している魔神が浮かぶ。

 アルシエル。このアルシエル・ゲームの主催者にして支配者。

 彼女は、それほど昔からこんなゲームを続けていたのだろうか?

 そうすると、今回が初めてのゲームではないのかもしれない。ただ……。


「……アルシエルって、人間なら二十歳は確実に超えてるように見えるけど……魔物の、というか、この世界の住人の見た目と年齢って、人間と変わらないのかな」

「わたしは何歳に見える~?」


 ふわり、とスカートを翻してスララは軽く微笑んだ。


「えっと、見た目だけならボクと同じくらい? ……十六歳前後?」

「うん。わたしは十六歳だよ。大体、皆同じような感じかな。三十過ぎるとあまり変わらなくなく種族もいるけど、おおむね、そんな感じ」

「なるほどね」


 つまりは、条件付きで人と同じということだ。けれど、若年層は変わらない、と。


「魔物も、若ければ人間と同じ外見年齢か……少なくとも、人型の魔物はそうなんだ? ということは……周りの石像は、アルシエルがやったわけじゃないのかな」

「……そうかも。でも結局は、よくわからない~」

「いったい、何なんだろ……だったら誰がこんなものを……?」

「うるさいゾ、人間。魔物の娘。黙って歩ケ」

「う……」


 ガーゴイルが、振り向いて牙を剥く。

 とりあえず今日は戦わされる心配はないと知って、安堵していた彩斗だったが、前を歩くガーゴイルに怒鳴られると恐れで身がすくむ。


「着いたゾ。あとはどこでも勝手に観衆すればいい。もしもコロシアム外部へ出ようとしたら、制裁が加えられることを知レ。オマエたちは狂乱の宴の肴に過ぎない。ソレを、忘れるナ」


 怪鳥じみた笑い声を発しながら、先導したガーゴイルが離れて行く。

 他のペアも、同じようにしてガーゴイルたちに連れて来られたのだろう。すでに観衆場のあちこちには、石像の間を縫うようにして、何人もの人間や魔物が立ち尽くしていた。


 彩斗が小刻みに震えていたからだろう、そっと、スララが彩斗の手を握った。大丈夫、わたしがいるよ、怖くなんかないよ、と言うかのように。

 彩斗はその手を握り返した。

 柔らかい手だった。彩斗よりも少し小さく、ややひんやりとしたスララの手は、きゅっと力を込めてくる。


 スララがいて本当に良かったと彩斗は思う。不気味な石像、威圧的なガーゴイル。さらには武装した人間や爪牙を持つ数多の魔物たち。そんなものに囲まれていて、彩斗一人だったら、耐えるなんて無理な話だった。

 けれどスララが隣にいるだけで救われる。胸が暖かくなる。手を繋いで力を込め合っていると、それで不安はサアッと霧が晴れるように吹き飛んでいった。


「ありがとう、もう大丈夫だ」


 彩斗は感謝の気持ちを込めてスララを見つめる。


「良かった。彩斗が震えてると、わたしもちょっと悲しいから。人間、笑顔が一番だよ~」

「……なんか強張った笑みになっちゃうな……。うーん、もう少し度胸があればいいんだけど」

「じゃあわたしが笑顔にしてあげようか。ほっぺにチューでいい?」

「いやいやいや!?」


 驚愕して彩斗は少し仰け反った。


「ふふ、冗談だよ~」

「あのねえ……スララ」


 いたずらっぽい表情でスララは小さく微笑んだ。


「また彩斗の新しい顔が見れたよ~。今度は跳びながら驚く顔だね」

「ちょっと人目につかないところに行こうか」

「うわ、彩斗がちょっと怒った。ちょ、待って待って」


 凄む彩斗に笑いながらスララが謝る笑う。

 リコリスが楽しそうに揺れる。スカートが小さく舞った。白い手を口元に添えて、楽しげにクスクスと彼女は笑顔をこぼれさせる。


 ――ふいに、彩斗は胸に太陽が宿ったかのような感覚を覚えた。

 気持ちが浮き立ってくる。何かかけがえのないものが灯った気がした。ふわふわとした幸福感。思わず、妖精のように逃げるスララに、声をかけようとして。


「おい兄ちゃん、いいナイフを持っているな」


 彩斗の背後から、野太い声がやってきた。


「――っ!」


 振り返って見てみれば、彩斗よりも頭二つ分は大きい髭面の男だった。

 片手には短槍。腕は太く、目は淀んでおり、黄色い歯が髭の奥から見えた。男は彩斗の腰に下げたコンバットナイフと、その鞘を見て、


「前の闘技で、あの夜津木とかいう青年からもらったやつだよな? 戦いの様子を見ていたが、なかなかいい得物じゃねえか。ちょっと、おれにくれねえかな」

「だ、ダメです」

「そんなこと言わずにさ。頼むよ。兄ちゃん」

「ダメなものは、ダメです。これは、ボクが夜津木から託された物で――」

「くれねえのなら、力づくで奪うんだよ。それでもいいかね?」

「彩斗、下がって!」


 スララの声に走ろうとした彩斗だったが、寸前、男は太い腕を振るわせる。

 短槍が弧を描く。

 彩斗の肩へ目掛けて、叩き下ろされる。

 とっさに後ろへ跳んでかわした彩斗だが、男は下卑た表情で短槍を薙ぎ払う。切っ先が彩斗の前髪をかすめた。額すれすれを鋭い刃が通り抜けていく。冷や汗と共に床へ転がろうとした彩斗は、しかし、ここが階段状の足場だったことを思い出し、心臓が跳ねる。


「危な……」


 とっさにリコリスを伸ばして、スララが彼を受け止めた。急いで彩斗を後ろへ庇う。半透明の房で牽制するかのように、二房とも漂わせたスララは、


「いきなり何をするの? こんなことしたら、危険だよ」

「ナイフを寄こせ。そうすれば、攻撃はやめてやるっ!」

「させない!」


 蛮声を上げながら、一直線、体重を乗せた刺突がスララを襲う。

 リコリスが鞭のように振るわれた。

 だが柔らかいリコリスでは、男を一瞬仰け反らせることしかできない。すぐに男は雄叫びを響かせ、短槍を、スララの頭へ振り下ろす。

 とっさにスララはリコリスの鎧を発動。半透明の膜が全身に行き渡る。短槍の叩き付けは無力化したが、男は下卑た笑いを浮かべる。


「やっぱりだ! 斬撃や打撃は効かず、軌道も読みにくい能力を持っているが、肝心の攻撃力がない。おい、ワストーっ! 小僧のナイフを奪うぞ、やれ!」


 ハッとして彩斗たちが後ろを見てみれば、やや離れた位置に、鎖鎌を振り回す小男がいた。

 相棒だろう。天井の照明を反射して、煌々と鎌の刃が光っている。

 その小男の眼から、短槍の男と同じ凶悪なものを感じる。


「彩斗、逃げてっ」


 スララが叫ぶが、鎖鎌の男は巧妙だった。階段の足場を駆け上がろうとする彩斗へ鎖鎌を投げつけると、鎖を足首に絡ませ、彼を転倒させてしまう。


「く……!?」


 小さな悲鳴が洩れ、肘が硬い床に当たる。


「くはは! 元の世界では妖魔ハンターだった俺から、逃げられると思うなよ」


 鎖鎌のうち手元に残した分銅を、小男は引っ張り上げる。鎖がぴんと張った。絡まった鎖に引っ張られ、彩斗が小男の方へと引き寄せられていく。

 スララがリコリスを伸ばして助けようとするが、刹那、短槍の男が短い詠唱を唱え、手から電撃の矢を放つ。


「きゃあ……っ」


 鋭い黄色の矢がスララの脚に突き刺さる。眩い光。舞い散る紫電。リコリスの鎧では防げない電撃を直撃され、スララが痛みに顔を歪める。


「邪魔をしようとするからそうなる。ワストー! 早く小僧からナイフを奪え!」

「おう!」


 ワストーと呼ばれた鎖鎌の小男の足元にまで引き寄せられた彩斗が、それでもナイフは守ろうと必死に鞘をかばう。だがダメだ。膂力の差は歴然で、ワストーはやすやすと彩斗をうつ伏せにし、ナイフの鞘に手をかける。

 瞬間、彩斗の中で炎のような怒りが湧き上がる。


「くそ……っ、簡単に、取らせるか!」

「ぐああっ!?」


 彩斗の膝蹴りが、小男のあごに直撃する。さらに拳を一発。顔面に拳を打ち込んだ彩斗は、距離を取るべく階段状の足場を駆け上がろうとして、


「このクソガキがっ!」

「く……うあ!?」


 巻き付いたままの鎖に引っ張られ、あえなく転倒してしまう。

 ワストーが彩斗の元へと歩み寄った。今度は膝蹴りも拳も警戒して、密着してはこない。代わりに詠唱をする。小男の空いた左手に向かって、凄まじい勢いで空気が吸い込まれていく。

 鞘の留め具が、吸引風に負けそうになり、外れかける。


「そのナイフ、それなりの切れ味を持っているな。武器はいくらあってもいい。お前の代わりに、俺たちが使ってやる!」

「だめ、やめて!」


 スララが彩斗のもとへ駆け寄ろうとするが、短槍の男が牽制して動けない。

 吸引風でナイフの留め金が外れかける。彩斗は必死で押さえようとするが、転んだ拍子で手を強打したせいか力が足りなかった。


「くそ、こんな奴らにっ!」

 彩斗はぎりっと歯ぎしりした。イチかバチか、ワストーに飛び掛かろうと脚に力を込めて――。



「――加勢しよう。見るに耐えん光景である」



 ぼさぼさした髪と、汚れた白衣をなびかせながら、長身の青年がワストーの隣に降り立った。


「あ? なんだてめえ――」


 青年の動きは一瞬だった。白衣のポケットからガラス管をワストーへ投げつけると、途端に、中から溢れた橙色の液体が男へこびりついていく。


「なん、なんだこれは……!?」


 液体が男の服にこびりついた瞬間、がくりと床に縫い付けられたように、ワストーが崩れ落ちた。何が何だかわからないまま手足を動かそうとするが、無駄な行為だった。

 どれほど形に力を込めても、顔を真っ赤にして逆らおうとしても、叶わない。まるで、床に吸い寄せられるかのようだった。

 ワストーは血走った目で白衣の青年を睨みつける。


「てめえ! 何をした!?」

「君の服に『意思』を与えただけである。付与した命令は、『床に伏せる』こと。なに、ほんの十分くらいである。それまで大人しく、這いつくばっていればいい」

「くそ、体が重い!? 違う、服が勝手に――動いて……っ!?」


 見ればワストーの装束が、わずかにうごめきながら床に張り付いていた。まるで生き物のようだ。起き上がろうとしてワストーは叶わず、彼に逆らうように、彼の服は床に伏せようとする。


「無駄である。それは対巨人用の捕縛薬だ。人では絶対に脱出できぬよ。大人しくしているがいい」


 言って、白衣の青年は、スララと対峙する短槍の男の方へと振り返る。


「さて。相棒は倒したのである。続けるか?」

「はっ、舐めやがって。ぶっ飛ばしてやるよっ!」

「仕方ない。――【フレスベルグ】、頼んだのである」


 その瞬間、ゾッとするほどの殺気に気づき、短槍の男が硬直する。


「面倒くさい。ばかみたい。なんでフレスベルグがこんなことするの? 関係ないのに」

「な……」


 男が振り向いた先にいたのは、髪の長い少女。神秘的な瞳。怜悧な美貌。息を呑むほど美しい少女が、だるそうに座っていた。

 ぞんざいな様子で手をかざし、不機嫌そうな声音で彼女は、


「面倒だから消えて。一発で」


 次の瞬間――少女の手のひらから、膨大な勢いの風が放たれる。


 短槍の男が、いとも容易く吹き飛ばされた。

 避ける間も構える間もない。悲鳴すらも吹き飛ばされ、男は観衆場の遥か向こうへと消えていった。

 弾かれた短槍が、円を描きながら落ちてくる。


 それを少女は、蝿でも払うような仕草で弾いた。

 ミシリ――と小さな音を立て、短槍が半ばから折れて砕け散る。

 撃ち放った風の余波が周囲に荒れ狂う。何人かのペアたちが振り向き、どよめきを発した。長い髪の少女はそんな視線は何でもないかのように、髪を掻き上げる。


「はあ……だるい。眠い。なんであんな下衆までいるの? ベッドで寝ていたい」


 不機嫌に愚痴る少女に、白衣の青年が語りかける。


「そう文句を言わないでほしいである、フレスベルグ。君のおかげで、ひどい目に遭っていた二人たちを助けることができた。良かったではないか」

 

 柔和にそう少女をいさめる。

 直後、青年は彩斗とスララに向けて、気遣わしげな視線を寄越した。


「大丈夫であるか? まったく、災難だったな」

「た、助かりました……」


 ほっとする。

 一時はどうなるかと思ったが、青年と少女の牽制で、周りは誰も襲ってこない。

 安堵の思考を浮かべさせ、彩斗とスララは、ほっとお互いに顔を見合わせ、破顔したのだった。


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