幕間  アルシエルすら超える者  ~アナザーパート~

薄暗い中で白衣が映える。

 すえた匂いの牢屋の中、軽い靴音が何度も響く。


「ふーむ、なるほど、なるほど」


 呟いたのは、ぼさぼさの髪型の青年だった。

 背は高くて、顔つきも美男子と言っていい。しかし目の下には隈があり、顔色も良くはない。靴や白衣には黒い泥や薬品がついており、清涼感もなかった。ぶつぶつと呟きながら歩きまわる姿は薄気味悪く、それが、パートナーである少女には不満だった。


「うるさい。不気味。うっとうしい。なんで黙って考え事しないの。やるならもっと静かにして」

「おっと、すまないのである。フレスベルグ」


 口ではそう言ったが、青年はその後も変わらずぶつぶつと呟くのをやめない。十秒が経ち二十秒が経ち、三十秒もする頃には、とうとうパートナーの少女は怒りだした。


「静かにしろって言ってるのに。ばかっ」


 びゅっ、と小さな風の弾丸が少女の手から放たれる。

 それは青年の頭に直撃した。一瞬よろめいたが、青年はそれでも歩きながら呟くのを止めなかった。とうとうふてくされて少女は鉄製のベッドに横になる。


「エルンストのばか。おたんこ茄子! くたばれ、バーカ」

「バカを何度も言われるとはワタシも落ちたものである。しかしながらフレスベルグ、情報収集は全ての成功において不可欠なことだ。怠ったら最後、もっとしておけばよかったと後悔することになる。ゆえに、呟くのを我慢してほしいのである」

「ふんっ」


 鉄製のベッドに横になったまま少女は鼻を鳴らす。それを青年は――エルンストは苦笑して見つめた。

 そして、その視線はベッドの上の中空、丸く翡翠色に輝く、球体へと向けられる。


「ふーむ。やはりだ、またも同じ単語が書かれている」


 フレスベルグの真上にある翡翠色の球体の中。

 その内に、薄暗い部屋の様子が映し出されている。


 ただし、映っているのはこの牢屋ではない。別のペアがいる牢屋の中だ。エルンストは、他の牢屋の様子を眺めていた。

 それは彼の力ではなかった。フレスベルグという、魔物の少女の能力だった。『千里眼』と呼ばれるその力は、距離を越えて、他の牢屋の様子や、牢屋の外の回廊、そこを移動する守衛のガーゴイルなどを見ることすらできた。


「やはり今度も、この単語であるな」


 エルンストは千里眼で得た他の牢屋の様子を見て、ふむふむ言いながら歩きまわる。

 むすっとした表情で、フレスベルグが問いをかけた。


「なにが」

「うむ。聞いて欲しい。我がパートナーよ。ワタシはアルシエル・ゲームが始まってからいくつもの牢屋の様子を見たのだが、その壁に、散見される文字がある」

「ふーん」

「その単語はな、不思議なことに時間が結構経っているらしいのである。それも、数日や数ヶ月といった期間ではない。おそらくは数年――十年ほど前に書かれた文字だ」

「ふーん。あっそ」

「ワタシの世界の文字と違うので読めないのが残念ではあるが、これは貴重である。そして重要な事柄を示唆している。それは何か?」

「どうでもいい。興味ない。フレスベルグは眠りたい。千里眼切るよ」


 翡翠色の球体は、独断で消された。

 しかしそんな少女の行動にもエルンストは頓着しない。独り言のように、彼は言葉を続けるだけだ。


「そもそもが、ワタシたちペアの数に比して牢屋の数が多すぎである。アルシエルによって召喚された人間と魔物のペアは総数九十組。現在は二組が減って八十九組であるが、明らかに牢屋はその数十倍はある。誰もいない牢屋にすら壁に落書きがあるのは何故だろうか。年月が経っていることの意味は? 推測はできるが完全にはわからないのである。わからないからこそ、ワタシはゾクゾクする。『棄科学(きかがく)』の第一人者として、深い好奇心を抱かずにはいられない」

「すう……すう……」


 見ると、フレスベルグは鉄製のベッドで眠っていた。

 胎児のように体を丸め、エルンストの独り言に眉根を寄せながらも、可憐な寝顔だった。


「ワタシは、アルシエル・ゲームには、不可解な点がいくつかあることを提言する。そして検証したい。これはいかなる秘密が隠されているのか。その意味は? 背景は、真実は? 好奇心がワタシの中で荒れ狂っている」


 エルンストは、自分たちが閉じ込められている牢屋の壁の一角に擦り寄った。

 そこにも彼の読めない文字で単語が書かれており、それと同じものを、千里眼で他の牢屋でも見つけていた。


「読みたい。読みたいのである。しからば、ワタシは棄科学を用いて真実を暴く他はない」


 エルンストは白衣のポケットから、いくつかのガラス管を取り出した。細い管だ。いずれも色とりどりの液体が入っており、気泡がぶくぶくと浮かんでいる。

 そのうちの一つを、エルンストは選び出した。蓋を開け、高く振り上げる。

 そして――その中身を、壁の文字へぶちまける。

 ジュッ、という物を溶かすような音が起きた。けれど、溶解させるために液体を放ったわけではない。目的は別にある。


「フフフ。フフフ。暴かれよ、異界の文字。ワタシの前に、真実を晒すがいい」


 やがて、ぶちまけられた液体が淡く発光する。それは壁の文字を舐めるように這い回ると、なおも光量を増す。小さな太陽が降りたかのような、光を生み出していく。

 フレスベルグが飛び起きた。


「ああもうっ、眩しくて眠れないっ。エルンストのばかっ!」

「まあ待て、もう少し、もう少しである。フフフ……」


 少女の苦言に、片手でなだめるように手を振り、青年は顔を輝かせる。

 壁の文字が、ずるずると形を変えていった。見知らぬ文字の羅列から、エルンストのよく知る文字へと、徐々に変化する。


「おお――」


 そして数秒、彼は解読に成功した。線と直角を基本とする文字だったものが、丸と曲線を中心とした文字に変化する。その光景を前にしてエルンストは、


「なになに……ほう、フレスベルグ。この壁にはな、こう書かれているぞ」


 目を三角にしてぶつくさ文句を言う少女に、青年は教えた。壁の単語を。その響きを。

 そこには――『ベリアル』という単語が、書かれていた。

 そしてそれこそが、魔神アルシエルをも上回る、とある『災厄』の名であることを、エルンストも、他の誰も、知らなかった。



 ――第二章、『スララの正体』編へと続く

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