4話 敵情視察と偽装工作 1/2

僕は踏ん張る。

絶妙な開閉のバランスを意識するのがポイントだ。


「………………………………」


まだ開かないらしい。

もうちょっと。


「………………………………」


……結構緩めたつもりなんだけど……そろそろかな?


「………………………………………………………………っ」


……あっ。


緊張がほぐれて温かくなる快感とともに、しゃあああっと……勢いのある水の音がお股の下から響いてくる。


男のときとは明らかにちがう放尿の感覚だ。


………………………………慣れないなぁ、この感じ。

なんでトイレのたびにこんな緊張感があるんだろ。

何かと戦うような壮大な緊張感。


我慢するのは今まで通りの感覚なんだけど……いざ出そうとするときと出しているあいだの感覚。

あと終わりの感覚も違う気がする。


なんていうか体の内側から出すような、後ろと同じよう……でもない不思議な感覚だ。

我慢しているときの締める感覚は同じなのに、開くっていうか緩める感じが違うからかな?


前は特に意識してたわけじゃないってのもあるけどいまいちこの感覚が掴みきれないんだ。


あと……………………音がやばい。


なにがやばいってものすごく響く。

かといって水圧を落とそうとしても落とし方が分からない。


オンかオフしかできないとかダメじゃんか。

男のときは途中で止めたり弱くしたりできたのになぁ。


だから男だったときには想像も出来ない激しい音がトイレ中に響き渡る。

水面にトイレットペーパーをけっこう敷いてもこれだ。


勢いのすごさがすごい。


敷かなかったらもっとひどかった。

わざとしているのかと思うくらい。


女性用トイレには音姫なるものがあるらしいけど……その存在理由を実感するハメになるとは。

神経質すぎるだろうって思っていたのが懐かしいくらいだ。


小学生じゃないんだし何もトイレでそこまで……って思ってたけどそうじゃない。

この音がつつぬけって考えたら誰もトイレしたくなくなるよなぁ。


そんなどうでもいいことが何度も頭の中を行き交う。

女体の神秘をこんなところで感じるなんてっていう気持ちと一緒に。


「…………………………………………」


勢いが収まって、しんとするトイレ。

終わったらしい。


……分かりやすすぎる。


からからと少なめにちぎって、そっと当てる。


「……っ、………………………………」


あと……拭く感覚だけは他のほとんどで違和感がない中で音の次に、どうしても慣れない。


ちりってするからびくってなっちゃう。


敏感すぎない?

女の子のお股って。


「…………………………………………」


トイレから、足の着かない地面に上手に飛び降りてパンツを穿く。

ぴったりしっくりこないけどしょうがない。


そうして僕にとって大きすぎる便器を眺めながら思う。


……飛び出ていたのって、よくできたしくみだったんだなぁ……。


もう失った貴重な存在へ、すーすーする感覚と一緒に想いを馳せた。



◆◆◆



今着ている子どものころの服をしまっていた周りは、とっくに空気が入り込んで引っ張り出すしかなくなっている、ただのビニール袋と化した圧縮袋たちに囲まれている。


奥に引っかかったりして出すのがものすごく大変だったから、こんなことになるならはじめからふつうにしまっておけばよかったと思ったけど……押し込んだ当時はこうなるって予想できなかったからしょうがない。


全身を使って全身の装備を調えたら後片付けも大変になっていた。

なんていうことだ。


けど、この惨状。

大掃除……もう何年もしていないし、今年はしたほうがいいかもしれないな。


…………………………………………あ。


でも、この体で?

このリーチも低いし力もない体で?


…………………………………………。


両手はホコリと汗で黒くなっているし、周りにふぁさっと広がっている髪の毛は服の繊維やらほこりやらにまみれてるし結構きれいに光っていた銀髪って感じだったのがすすけたねずみ色になっているし。


ちょっと動くたびに息が上がるから座り込んだし。

脚立とかイスとかをたくさん使うとしてもかなり大変そうだし……なによりもめんどくさいし。


やっぱいいや。

必要になったときにしよう。


僕はのそりと起き上がると目当てのそれを漁る。


……こうしてもう1回、めったに入らないから古い臭いしかしないこの部屋に1時間ほど籠もっていたのには理由がある。


さっき思いついちゃった、公権力に身バレしてからの保護というシナリオを回避するには、できるだけ家から一歩も出ないでカーテンも開けずに引きこもるっていうのが確実。


だから不要な外出はなるべく避けるべきではあるんだけど、確認しておかないといけないことがある。


……ん、体が小さいって便利かも。


タンスの奥だってかがめば入り込めるしやたらと暗くてもよく見える……というかメガネすらいらないんだった……だし、かなり細いすき間にでも腕が入るから小さいことをするのにはこの上なく便利だ。


もっとも、何をするにしても髪の毛が引っかかったりして邪魔だし、こういうこと以外ではやっぱり元の背と腕と脚のサイズが理想的なのには変わらないけど。


あと、とにかく力が足りない。

ちょっと動くとすぐ頭痛がする。


やっぱり不便だ。


「けほ」


む、埃。


……それはいいとして。


僕が本当に見た目通りになっているのか……つまりは本当は体が変わってなんかいなくて体が変わったんだって僕の頭が勝手に思い込んでいるのかっていう僕の認識の問題。


ややこしいことこの上ないけど、僕が今この目で見ているものと耳で聞いているものが正しいもので信用できるのか……その最後の確認が必要なんだ。


こればっかりは僕ひとりで、この家にひとりでいるだけじゃ確かめようがない。


だって、ひょっとしたら僕の体は元のままで、僕の目と感覚が子どもになっているんだっていう思い込みっていうか認識のずれっていうか、そういうものがおきているだけなのかもしれないから。


そうなると今の僕は昔の頃の服を着ようとしてたぶん着られなくなって、成人男性のシャツ1枚とかになっている可能性まで出てきちゃうんだけど……さすがにそこまで疑うと身動きが取れなくなるから、まぁ、諦めよう。


想像しただけでひどい姿になるしな。

もさい成人男性のそんな姿は誰にも求められていない。


だからこそ外に出れば一発で分かるんだ。


……仮にそうだとしたら外に出てちょっと歩いていたら通報されて警察行き……?


…………………………………………。


ま、まあ、幼女誘拐監禁っていうのに比べたら露出なんてささいな問題だろう。

お説教されて頭の心配されるだけで済むんだから……きっと。


普段の素行は悪くはなかったはずだし、お隣さんもきっと「お仕事を探して疲れちゃったんだ」って言ってくれるはずだし。


たぶん。


そんなわけで、僕の頭がまちがっているのか体がまちがっているのか……どちらにしても救いはないんだけど、だからといって家の中にいるだけだとずっと僕の認識を疑い続けることになって堂々巡りになるから、これは半分賭けだ。


念のために成人男性でも羽織れるサイズの服を着て、ズボンの下にも運動のときに履くスパッツと短パンを揃えておけば逮捕まではされる格好にはならないだろう、きっと。


……しっかり腰で縛らないと、この姿が本当だった場合には歩いていたらずり落ちて丸出しになっちゃいそう。


気をつけないとな。

ご近所さんにひそひそされるのは悲しいから。


引っ越しできる余裕なんてニートにはない。

噂されるようになってもなんとか根性で居座る必要があるんだから。


と、そんなことより確かこの辺にあるはずなんだけど…………って、あったあった。


ボロボロのランドセルなんかと一緒に出てきたのはかつて着ていた、なんの変哲もないシャツとズボン。


「…………………………………………」


それにしてもこのランドセル。

黒だし古いけどぼろぼろでもないから今の僕にぴったり……いやいやそれは犯罪だからダメだ。


ランドセルをぺってして本命に。


昔気に入っていた服はぼろぼろで捨てちゃったからあんまり着た覚えのないものが多いけど、今着るのには……ちょっとだぼっとしているけど都心の繁華街の映像とか写真とかで見たことのある、いわゆるストリート系……いや、小学生なのに髪を染めてチャラそうな感じの少年みたいな格好になれるかもしれない。


さすがにシャツ1枚じゃ外に出られないもんな。


だからって思ったけど……あぁいう格好は好みじゃないけど、考えてみたらあまり人から話しかけられたりしなさそうだしいいのかもしれない。


いずれにしても外見が成人男性なのか子どもなのかを判断するだけだから「見たものと聞いたものがすべて都合よく変換されて意識に届く」なんてもうどうしようもない状態になってさえいなければ、すぐに分かるはず。


そこまでいっていたら、それこそ正気を失っている訳だから何があっても僕には分かるものじゃないし、どうしようもないし。


胡蝶の夢、だっけ?

そんな感じ。

違うかな?


あまり考えすぎると普段の読み物の傾向的に哲学とか量子学みたいな領域に踏み込んじゃうからほどほどのところで、とりあえずの結論を出さないとな。


仮定と検証は大事。


ともかく外に出て周りの人の反応を見て探るなんてことが、はたして中学以来ろくに……していないわけではないけどしてこなかった僕に出来るのかどうかは分からないし、自信もないけどやるしかない。


ニートだっていざというときには働けるんだ。

ただ意志を持って働いてないだけなんだ。

だから今日僕はこうやって動こうってして。


「…………よしっ」


出てきた服たちを抱えて居間に戻り、換気扇の下で軽くはたいて着られる状態にする。

すんすんと直接嗅いでみたらホコリで咳き込むハメになったけど臭いは大丈夫そう。


口が小さいから「けへけへ」って感じの声になっていたけど。


鼻をつけて嗅げばタンスの消臭剤の臭いと古い臭いが感じられるけど、そこまで近くで人と話すことは想定していない。


部屋に戻ってシャツ以外全部脱いで、ずっとすーすーしていたお股をタイツと短パンとその上のズボンで覆って温まって、上にはもう1枚大きめのシャツと元の体だとぴちぴちにはなっても着られるだろうサイズのパーカー。


前を閉じれば……うん。


うん、いい。


股の安心感と温かさが全然違う。

もっと早く気がつけばよかった。


なにが悲しくてノーパンで過ごさなきゃならないんだ、20にもなって。

おかげでふとももの感覚がこそばゆくてクセになりかけたけど、それよりも寒かったんだから。


パーカーの下に被る帽子はふつうの野球帽だけど、サイズが大きめだから特に大人からは直接顔を見られないだろうし、髪の毛はパーカーの下に隠した上でフードを帽子の上にかぶせればどこからどう見ても。


…………………………………………。


どう見ても…………………………。


鏡に映ったのは目深の帽子で目元まで隠れて、ぶかぶかで態度の悪そうな子供。

ちょっと腕を組んでみる。


……………………不良少年にしか見えないな、これ。

補導だけには気をつけよう。


けど、まぁいっか。

この格好は予定通りなら片道だけだし。


と。


ここまで勢いのまま、考えるのが嫌だから手と体を動かしてきたけど……すでに疲れをかなり感じている。


この2日間でいったい何日分脳と体の労力を使ったんだろう。

ニートは1日1ターンで1回行動だって言うのに働き過ぎた。


どのくらいがんばったか、それすらも考えたくもないくらいに疲れているんだけど……でも、行くしかないよなぁ、状況的に。


今日を逃したら確実に面倒くさくなって月単位で後回しにするのが目に見えているし。

どうせなら僕のこのめんどくさがりな性格まで変わっていたらよかったのに。


いや、そこまでいったらもはや僕は僕ではないのでは…………?


アイデンティティの崩壊。

自己矛盾。


見た目の通りに他人に。


「………………………………」


いいや、さっさと行こう。


ふだんは1日1ターンでワンタスクって決めているから昨日からもう余裕でオーバーしているんだけど、今日がんばっておかないと手遅れになるかもしれない。


帰ってくるまでがんばって帰ってきたら……1か月ぐらいのんびりしよう。

春休みだし良いよね。


料理なんかもみんな当分はできあいのものでいいや。

なんならお腹が空いていないときにムリに食べなくなって良いくらいの食欲かもだし…………。

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