第3話 私の記憶1

「今度の祝日、一緒に映画とかどう?」


 ここは、サッカー部の部室。


 部活が終わったあと、マネージャーの私は部室の片付けをしていたところ、もう帰ったはずの早川先輩が部室に戻ってきて、この一言を放った。


「祝日は練習休みじゃん。だからどうかなって」


 続けざまにそんなことを言われた気もするが、あまりにも急な誘いに私は返事もできず、呆然と早川先輩を見た。


 こちらを見つめる少し切れ長の目に、高めの鼻。


 薄い唇からは爽やかな笑みがこちらに向けられているかと思うと、かあっと顔が熱くなる。


 サッカー部の部長でありながら、成績は学年トップで、生徒会長でもある早川先輩。


 父親が会社を経営していてお金持ちなのだが、そういうことを鼻にかけず、皆に優しいというパーフェクトが制服を着て歩いているような人だ。


 当然、他校の女子にもモテモテ。私も密かに想いを寄せるうちの1人だ。


 勝ちにとことんこだわる性格で、相手チームの戦略、選手の癖やはもちろん、性格から家族構成まで細かくデータ化している。


 心無い人から「勝つために相手選手から金で戦術を聞き出した」とか「相手選手に負けるよう買収した」なんてとんでもない噂も立てられたことがあるが、早川先輩がそんなことするはずもない。妬みもいいところだ。


 そんな憧れの先輩に、デートに誘われている……?


「大丈夫?」


 あまりにも返事がないためか、早川先輩が心配そうな顔をしたところで、私は現実へと引き戻される。


「だ、大丈夫れす!」


 盛大にかんでしまった返事に、早川先輩がプッと吹き出した。


 時間が戻せるなら、かむ前の私の戻りたい。


「どうかな? 映画」


 再度誘ってくれた早川先輩の顔はいつもと変わらないが、耳が少し赤い。


「大丈夫です!」


 若干早口だったが、今度は言えた。


「やった! じゃあ、詳しいことは後で送るよ」


 早川先輩は小さくガッツポーズをしてから、「あとでメッセ送るね」と短く手を振って、足早に部室から出ていった。


 嘘……?


 夢……じゃないよね?


 頬をつねるという古典的な方法で確かめようとしたら、掃除の途中で開けっぱなしだったロッカーの扉に肘をしたたか打ちつけた。


 痛ったああああああ!!


 でも、痛いってことは……。 


「夢……じゃない……」


 部室の隅のベンチに座って痛みが引いたころ、ようやく現実だと理解した。


 だけど、なんだか信じられなくて、頭はうまく動かずふわふわしたままだった。


*****


 木曜日。


 ようやくデートが現実味を帯びてきて、私は焦り出していた。


 デートの服装はどうしようか。


 ご飯はどこに行こうか。


 授業中にそんなことばかり考えていたせいか、担任の西ちゃんに怒られ、授業で使った備品を倉庫に戻しに行く羽目になった。


「くそー、西ちゃんのやつー!!」


 自然と担任への悪口が口から漏れ出す。


 いけない、いけない。


 廊下の時計を見ると、もう部活まであと30分と迫っていた。


「ヤバイ、早く片付けて準備しないと!

 倉庫は確か中庭のすぐ側だっけ」


 私は備品がたっぷり詰まったダンボールをがちゃがちゃ鳴らしながら、急いで階段を降りて中庭へと出た。


 残暑も終わりかけて、少し涼しくなってきた風が顔を撫でる。


 他の生徒は、帰宅しているか部活に向かっているかしているのだろう。中庭にはほとんど人影はなかった。


 荷物を持ち直して倉庫の方を向いたとき、中庭の奥から声が聞こえた。


「なぁ、頼んだやつは?」


 聞き覚えがある声。


 でも、頭に浮かんだその人物からは想像もできないほど、低く弱々しい声だった。


 まさかね……。


 いけないと思いつつも、私は静かに荷物を床に置き、壁越しに中庭の奥を覗いた。


 そこには色鮮やかな花壇が広がっていた。


 今年の園芸部は気合が入っているらしい。


 パンジーやコスモス辺りはまだ分かるが、オレンジ色の小さな花が集まったものや、紫色で袋状の変わった形の花など、名前の分からない花たちがたくさん咲いている。

    

 そんな花壇の前には、青いジャージ姿の早川先輩と女子生徒がこちらに背を向ける形で並んで立っていた。


「はい、これ」


 彼女はそう言って早川先輩の方を向き、透明なビニール袋を彼の手のひらにぽんと置いた。


 視力に自信のある私でも、小さなカブのようなものが入っているくらいしか見えない。


 冷気を含む風が、彼女の真っ黒でストレートな髪を揺らす。その整った顔と落ち着いた笑顔には見覚えがあった。


「これがシクラメンの球根か」


 早川先輩は、手渡された球根とやらを少し見てからバッグの中に放り込み、


「サンキュー、中峰。こんなのお前にしか頼めなくてさ」


 と言って気まずそうに笑った。


 そうだ、中峰先輩だ。


 確か早川先輩の幼馴染で、園芸部だった気がする。


 何度か試合の応援で来ていたのを見かけたことがある。


 2人が並んでいるとお似合いの美男美女だねって、みんな噂してたっけ。


 思い出しただけで心臓がずきりとした。


「はいはい。忘れずに相手にあげるのよ」


「分かってるって。今度の土曜はどうしても失敗したくないんだ。

 ……どんな手を使ってもね」


 そこでようやく早川先輩は、いつものように眩しい笑顔を見せて答えた。


 土曜日? 相手にあげる?


 もしかして私へのプレゼントだったりして……?


 自然と顔がにやけてくるのを、首を振って打ち払い、先輩たちの方を再び見た。


 早川先輩は、中峰先輩に軽く手を上げていた。


 彼女もそれに合わせて静かに手を振っている。


 マズイ!!

 

 私は急ぎつつも静かに荷物を持ち上げ、下がってきた階段の裏へ身を隠した。


 少しあって、早川先輩と思われる足音が、グラウンドの方へと小走りに去っていった。


 私は、いつの間にか止めていた息をふうと大きく吐き出す。

 

 立ち聞きしてたなんて知られたら大変だ。


 ましてや自分へのプレゼント(?)のことなど聞かれたくないはず。


 部活の時間も迫っているし、いい加減用事を終わらせよう。


 私はすばやく倉庫へ行って備品を片付け、そのままグラウンドへと向かおうとしたが、ふとに気になって中庭の方を覗いた。


 中峰先輩は、奥の方の花壇の前でしゃがんでいた。


 何を見ているんだろう?


 私は少しだけ体をのりだしてみたが、中峰先輩の長い髪がサラサラと顔の横に垂れていて、何を見つめているかまでは分からなかった。


 そうしているうちに、グランドの方からかすかにボールを蹴る音が響いてきて、私は急いでその場を後にした。

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