第7話 新たな生活で①

「……とは言ったものの、全く手がかりがないんだよな。ニーナには悪いが、魔法は信じられない」


 自室に入った瑞樹は後ろ手でドアを閉めながら、ため息とともに呟く。


 ここは借りた家の二つ目の部屋で、瑞樹の集めた妙な機材のせいでものすごく狭い。

 そのせいでろくなスペースが確保できず、自由にできるのは端の勉強机のみ。


 この机も教科書類が積み重ねられており、普段は使用することはないのだが、今日に限ればニーナがいる。


 埃っぽいこの部屋に少女を寝かせるのはどうかと思い、彼自身がこの部屋で就寝することを決めた。


 あの後瑞樹が洗い物を終えようとする頃には、ついに体力も限界だったのだろう、ニーナは気持ち良さそうに眠っていた。


 その表情は起きる前と比べてわずかにほころんでおり、見知らぬ土地であるはずなのに不安を一切感じさせなかった。


 自室もとい研究室に入った瑞樹は、机横の窓――住みだしてまだ一度も開いたことのないそれを開ける。


 夏の涼しい風が吹き込み、熱のこもった蒸し暑い部屋に清涼な空気をもたらす。

 太陽が沈んで長い時間が経過したわけではないが、瑞樹は肌を触れるその風がやけに冷たく感じた。


「……俺らしくない」


 熱く興奮した脳を無理矢理沈静化し、冷静を取り戻した瑞樹は、一度、大きく深呼吸。

 その後パソコンを開き、使用用途の謎な多々な機材をケーブルで繋ぐと。


「これを使うのはいつぶりだろう……。もしかしたら反応があるかもしれない」


 電気はつけず、光源はパソコン画面のみの薄暗い部屋の中心で。数種類の機械の奏でるモーターの不協和音をバックミュージックに、瑞樹は微笑を浮かべた。


 ☆☆☆☆☆


 ジュウゥゥーー!!


 翌朝、熱した油の繰り出す食欲のそそる音が部屋中に響いた。


 キッチンとリビングの間には境がなく、その音は醤油の甘い香りとともにニーナの意識の覚醒を手助けする。


 作っているのは卵焼き。しかしこれは最後の一品であり、味噌汁にきゅうりの塩漬けと、メニューは豊富だ。


 献立は普段から作り慣れた一般料理、ただし量は二倍だ。とはいえ量が二倍だから手間も二倍なんて単純な計算ではなく、瑞樹がそこに問題を感じることはない。


 問題があるのは手間なんかではなく、それらを入れる食器が著しく少ないこと。


 ただでさえ一人暮らしで多くの食器を必要としない中、強風に煽られ、重ねられたものがいくつも割れている。


 片付け終えてはいるのだが、皿の足りなさまではどうしようもなかった。


 結局は味噌汁とご飯を混ぜることで解決させたのだが、瑞樹にとって妥協した結果だった。


 そして全料理を作り終えた、狙ってんではと思うほどに良いタイミングでニーナが起きてきた。


「おはよー、起きるの早いね。何作ってるの?」

「味噌汁と卵焼きだ。朝食を作るから早く起きないといけないからな」


 瑞樹が起きてきたのは6時30分。いつもと変わらない時間だったが、ニーナの平均起床時間はそれよりも1時間以上遅い。


 二つの世界に――これも偶然の偶然だったが――一日の長さに時間差はない。

 そのため睡眠時間に大きな支障を与えることはないのだが……なにぶんニーナは転移前の生活で、怠惰の限りを尽くしていた。


 遅寝朝起、暴飲暴食、放恣逸楽……。これまでかというくらいの引きこもりニートの理想形、ふしだらな生活をしてきた。


 健康に良いはずがない。


 それなのにどうしてだろうか、彼女は全国の女性が羨むスレンダーな体型をしている。

 スタイルの良さはモデル顔負け。体型の割に胸こそ控えめだが、そこさえ目を瞑れば完璧美少女。


 つくづくこの世は不平等だ。



「ニーナ、ひょっとしなくとも今日暇か?」


 この世界に来てまだ半日のニーナに問いかけたのはただの確認。念のためというやつだ。

 ニーナの返事は当然のごとく、肯定。


「これから出かけるつもりだが、来るか? というか来てくれ。買うものが多すぎて、一人では持てない」

「行く。絶対に行く! 外に出るんだよね?」

「そうだな」


 贅沢に生きてきたニーナだが、一応は囚われていた身。建物の外に出る許可が取れたはずもない。

 許可があったとしても戦地のど真ん中のため、外出は不可能だったが。


 長年陽の光を浴びることのなかったニーナは、外という単語にこれ以上なく惹きつけられた。


「それじゃ着替えを――」


 ――済ませてきてくれ。


 そう言おうとした瑞樹だが、ここでようやくニーナに着替える服がないことに気がついた。

 姿を現した時からずっと、薄汚れた白いワンピース。荷物らしきものは何一つない。


(出かけるのは良いとして、流石にこの服のままではな……。人前に出るわけだし。俺の服でも良いんだろうか)


 その他にはというか、それしか選択肢はない。肝心なのはサイズが合うかどうかだが――。


(大は小を兼ねると言うし、小さすぎて入らないよりはマシか)


 どのみち行き先で日曜用品は買うつもりだったし、そこにニーナの服が加わろうとさしたる違いはない。その場で着替えれば良いと考えていた。


 昨日は早く寝てしまったニーナは幾分肌が汚れているため、食後すぐ、瑞樹はニーナを浴場へと行かせた。

 風呂は沸かしていないため、シャワーだが。


 その間に瑞樹は彼女が着ても違和感ない服を探し出すつもりだ。

 クローゼットのある研究室にニーナを入れたくないというのは小さな理由でしかない。


「シャワーを浴びてきたらどうだ? 身体を流すだけでもさっぱりするぞ」

「風呂ってことはもしかしてお湯が出たり⁉︎」

「あ、あぁ。そりゃまあ、湯だな」

「やった! 水浴びは上がった後冷めるから嫌いだったんだー。風呂なんて久しぶりだよ」


 ニーナはこう言っているが、戦時中の今、水浴びが出来ることでさえ贅沢であることは、ニーナ自身知り得なかった情報だ。


 使い方に関しての簡単な説明を行った後、瑞樹は女性が着てもおかしくないデザインの服を探す。


 始めのうちは最小サイズを探していたが、比べたところで何れも大きくサイズが異なることはない。

 瑞樹の身長は高校に入ってから伸びることはなく、同時に一つ上のサイズの服を買うこともなかった。


「……これで良いんじゃないか?」


 適当に組み合わせていると、いつかは当たりが来るもの。


 検討し始めて早五分、瑞樹の服だが男女どちらが着ても合うような、そんな上下の組み合わせを発見した。

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