避けられない戦い

 

「貴様が攻めてくるとは思わなかったが……もしかして王に会ったのか?」


 仮面の奥の表情は読めない。漆黒は何も悟らせぬ態度で問う。

 対するスイは、驚く仲間達より一歩前に出て、普段と変わらぬ無表情で答えた。


「ああ。リクハートは全種族を守るために、この世界に魔法を張り巡らせているんだ。それを守るのが俺の仕事で、邪魔する者は討たねばならん」


「存外弱いんだな。貴様が望んでいた世界とは違うこの世界を、どうして正解だと思ってしまったんだ」


「うるさい……何も成せていないお前が、偉そうに語るな!」


 それはここに来て漸く見られた、スイの感情の昂り。

 振るった右手から巨大な雷が、漆黒の男を襲う。しかし彼は英雄と呼ばれる男だ、いつの間にか現れた黒い靄が、スイの魔法をかき消した。


「そうか、確かに俺は何も成せていない。王にも敵わないだろう。王と魔王が敵対する時、圧倒的に強い方の味方をするのは、怠惰な貴様なら当然だったな」


「黙れっ!」


 再び魔法を放つ。

 獄炎は敵を包むが、それも直ぐに霧散する。相手だけでなく、この大広間の絨毯や壁も無傷なのだが、それを不思議に思う余裕は、スイにはなかった。


「まあいい。俺様は、貴様が諦めた世界を、必ず作ってみせる。邪魔をするなら貴様は敵だ」


 漆黒の英雄は、勇者達の前で初めて剣を抜いた。細い刀身は深淵を彷彿する闇で包まれている。

 対するスイも、眩い光を放つ聖剣を抜き構える。

 一瞬、睨み合う。

 飛びだしたのは同時。

 広間の中央で、互いの剣が交差する。

 光と闇。

 白と黒。

 勇者と魔王。

 まさに最後の決戦、敵に不足無し。


「魔王がお前なのか、魔族の少女なのかはどちらでもいいが、俺が討伐するのはその二人だけだ。それ以外の魔族や亜人族には誰も手を出さないから安心しろ」


 剣を重ねたまま口にした言葉。礼儀として自らの目的を教えたスイだが、直後、読めない男の感情が、怒りで渦巻いた。


「くっ!」

「スイ!」


 漆黒の周囲に生まれた闇の渦がスイを弾き飛ばし、大きく距離を取る。敵はその場で動かない。


「マオが討伐対象……?リクハート……あのクソ野郎が!」


 漆黒の感情に合わせて、彼の黒いオーラは具現化し、威力を伴って周囲に荒れ狂う。

 この場の誰もがあの魔法を、魔力を知らなかったが、触れただけで恐ろしい事になると直感した。


「勇者よ……もう一度だけ問う。貴様はリクハートの命令を聞き、俺とマオを殺すんだな?」


「そうだ」


 答えると、闇の稲妻が一閃、スイを襲った。


「わかった。貴様はここで始末する。こちらにも守りたいものがあるんだ……」


「望むところだ」


 聖剣で闇を晴らしながら、スイは睨みつけた。


光矢ライトニングアロー


 走り出すと同時に、無数の光の矢を放つ。

 渦巻く闇の耐久力は不確定。だが、初級の光魔法で破れるほど弱くはないだろう。

 案の定敵に触れることもなく消滅した光矢だが、次に迫ったスイの剣は、暗闇を斬り裂いた。


「届いてないぞ」


 紙一重触れていない聖剣を、黒剣で余裕そうに薙ぎ払う漆黒。

 それだけで身体能力が高い勇者の体勢が崩れるのだから、細身に見える相手は外見よりももっと力強い。


「迷うな!何も守れんまま朽ちることになるぞ」


 真っ直ぐ首元を狙った剣を、スイは無理矢理上体を反らして躱す。

 そのせいで床に転がり込むが、相手は容赦しない。


「俺様の守るもの、貴様の守るもの、共に違うから戦うのだ。互いに正義。勝者の正義が成される。……それだけだ!」


 振り下ろされる剣。

 床に叩きつけられる闇色の衝撃波。

 傍の目には、スイの胴体が分断されたと思われる程に速く、躱す間のない攻撃。

 しかし受けの一方だった彼も、勇者の力は伊達じゃない。


「お節介だな。黙らないと舌を噛むぞ」


 現時点で最高の身体能力を得られる手段、魔力解放。

 青い稲妻を全身に纏ったスイは瞬時に離脱し、敵の真横に迫る。そして誰の目にも留まらず振り上げた足で、漆黒の顎を打ち抜く。


「がっ!」


 今度は、大きく後方に飛ばされる男の目の前に現れ、その側頭部を蹴り飛ばす。


「威勢はどうした!」


 怒鳴りながら更に追い、両手で構えた聖剣で、速度を乗せた刺突を繰り出す。

 そこで漆黒も体勢を立て直し、右手で持った漆黒の剣で迎え撃つ。

 傍観者の誰も目視出来ないスピードで、

 剣先と剣先が触れ合う。

 それは神業でありながら、

 人間臭い感情が乗った攻撃の衝突。

 力と力のせめぎ合い。

 衝撃が生んだ暴風は、

 二人の言葉すら吹き飛ばして。

 飛ばされるくらい軽いものに価値なんてなかった。

 そんな決別がこの一瞬にあって、

 止まった時の中で見つめるものは、

 過去でもなく、

 未来でもなく、

 非情な現在。

 これが運命だとしたら、仕方ない。

 しかし、残酷だ。

 それでも、別の道を選んだ二人が、

 捻れた道の先で再び出会い、

 剣を交わす事になるのなら、

 それは一つの正解かもしれない。

 全ての執着を過去に捨てて。

 全てを受け入れる強さで剣を振るう。

 運命が導くままに。

 そうして守られた人々はみんな幸せで。

 それが正義の作用。

 勇者の運命さだめ

 世界の均衡の訪れ。

 紛れも無い正解のカタチ。


 硬直した時の空間が壊れ、世界は再び動き出す。

 もう誰も喋らなかった。

 覚悟は決まり、目的は明確で。

 まるで自分が第三者に操られているみたいな錯覚。

 この腕も脚も、上から垂らされた糸に引かれて、別の誰かの意思で動いているのだ。

 そしてそれは相手も同じ。

 早すぎる剣の衝突の度に、混濁していく意識。

 この動きは自分ではない。

 美しすぎる。

 まさに神に踊らされた人形。

 自由自在と思っていた躰は、正しくは変幻自在だったのだ。自分でなく、神にとって。

 いや、もしかしたらこの思考ですら、誰かに操られたものかもしれない。

 自我の迷走。

 消失する人格。

 無くなるという事は、決して悪い事ではない。

 怠惰な性格はそれをよく知っていた。

 だからこそ、堕ちて行く自分を歓迎出来た。

 これが悟りか。

 無の境地。

 見えない障害物に阻まれていたかの様に不自然すぎた剣筋は、次第に迷いを無くし、合理化され、鋭く、確実に獲物を捕らえるために変化して行く。

 この舞踏会で踊り続けるには、美しくなくてはいけない。

 美しいから勝つ。

 美しいものだけが、残される。


 軈て重力すら感じられない程研ぎ澄まされた輝く剣先は、遂に漆黒の刃を弾き落とす。

 間違い無く、相手も美しかった。

 だから最後に魅せてもらおう。

 散る瞬間まで舞踏会は続くから。


 最初からこの瞬間が来ることをわかっていたかの様に滑らかに、聖剣は漆黒の英雄の喉元を狙った。


 そして――




「――もう、やめて下さい!!」




 誰もが我を忘れるほど魅了されていたが、ずっと悲痛そうな表情をしていた少女――ステューシーはとうとう声を荒げた。


 静かな広間に響いた悲鳴は、この場の全員の動きを止めるには充分な程、強い言霊が籠っていた。


「スイ様だってずっとわかっていたのでしょう、どうして目を背けるんですか?」


 ステューシーは、力無き自分にも役立てる事があるはずだと、ずっと努力していた。

 その努力はリクハートとの謁見で実を結び、強大すぎる者を“視た”彼女は、以前は視る事の出来なかった漆黒の情報を、この大広間に入った瞬間に知る事が出来た。


「私には家族はいませんが……それでも、こんなに残酷な事があってはならないと思います。だって、皆の幸せを守る勇者様達が、自分達の幸せを守れないなんて皮肉すぎます」


 ステュは目に涙を浮かべながら叫ぶ。

 他人の痛みを自分の事の様に受け入れる優しさは、無になりかけていたスイの心にも沁みた。


「貴方だって……どうして知らないふりを続けるんですか、漆黒の英雄様……いいえ――」


 ステュの瞳に見つめられた漆黒の英雄は、僅かに身体を強張らせるが、ステュが放った魔法を避ける事が出来ずに、ずっと着けていた仮面は地面に落とされてしまう。



「――ミチル・ミンダ様。どうして、スイ様のお父様として向き合って下さらないのですか?」


 スイの目の前で仮面が剥がされた青年は、間違い無く眠惰睡無ミンダスイムの父親であった。

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