第29話:奴隷商

 魔術大会が行われたその日の夜、ランドルフ商会の一室に、ニーナは呼ばれていた。


「ニーナよ、どうして呼ばれたか分かるか?」


 憮然とした表情でランドルフは語り掛けると、手にしているグラスを呷った。

 彼女はランドルフと目を合わせぬようにして、頷く。

 団体戦の後も暫くの間あの状態が続き、個人戦には出場できなかったのだ。

 今でもまだ、ランドルフを前にして足が震えている。


「わしは昼間、何と言った?」


 グラスの中の酒を一息で飲み干すと、ランドルフはニーナへ質問を続けた。


「……」


 昼間の出来事を思い出して、ニーナの震えが更に大きくなった。


「何と言ったか聞いとるんじゃ!」

「ひっ!」

 

 ランドルフが投げたグラスが、ニーナを掠め背後で砕け散る。

 グラスの破片がゆっくりと地面に舞い落ちると同時に、あまりの恐怖でニーナもその場に頽れた。

 ランドルフはニーナの前までゆらゆらと歩いて来ると、しゃがんで顔を覗き込む。


「ん? 覚えとらんのか?」

「ど……」


 ニーナは何とか喋ろうとしていたが、歯の根が合わないほど恐怖に打ち震えていた。


「良く聞こえんな」

「ひぃ!」 

 

 唸るように言うと、ランドルフはニーナの顎を持ち上げる。 


「もう一度、言え」

「ど、どれ……い」

「そうだ。奴隷商に売り飛ばすと言った」


 ニーナの眼前まで近づくと、酒の匂いをまき散らしながら続けて言った。

 

「お前は、クビだ。奴隷商に売り飛ばしてやる。その前に……」

「いやぁ!」


 伸びてくる手から逃げる様に後ずさるニーナ。


「最後の仕事くらい、しっかり務めんか」


 必死に抵抗するニーナの腕を掴むと、自身へ引き寄せた。


「いやあぁ!」


 バタバタと手を振ってもがいている間に、ニーナは無意識にポケットの中の物を掴むと、ランドルフの顔めがけて捻じ込んでいた。


「ぶふぉっ! なんじゃこ……ぶえっくしょい! 目が!」


 突然の刺激に耐え兼ね、ランドルフは床をのたうち回る。

 ニーナが当てたのは、昼間ヒューイが投げつけてきたコショウとマスタードの粉末が入った袋だった。


「おのれ、何処じゃ!」


 目が見えないランドルフは、床を手探りで這い回っている。

 ニーナは叫びそうになるのを必死に我慢すると、ランドルフに捕まらないよう床を這いながら必死に出口へと向かった。

 なんとか扉までたどり着くと立ち上がり、僅かな希望に縋って外へ飛び出す。


「!」

 

 部屋から出た瞬間、側に立っている守衛の男と視線が合った。

 絶望の表情で守衛の一人を見つめると、ニーナは力なくその場に崩れ落る。


「おっと」


 守衛の一人がニーナを抱き止めると、着ていた上着を羽織らせ耳元で静かに呟く。


「早く逃げるんだ」


 ニーナは耳にした言葉の意味が最初分からなかったが、守衛がそっと送り出す様に背中を押してくれると、言葉にならない感謝を目で訴え、廊下を駆けて行った。


「誰か! ぶえっくしょい! 誰かおらんか!」


 中では、ランドルフがくしゃみと共に怒声を上げている。


「追いかけていったけど、捕まえられなかったって事で」

「中には、もう少ししてから行くか」


 二人の守衛はしたり顔で呟いた。


 ランドルフの屋敷を飛び出たニーナは、右も左も分からない状態でとにかく走る。

(もう奴隷商に捕まるのはいや!)

 何処へ行けば良いか分からぬまま走り続けるニーナは、ふとあの時の青年の顔を思い浮かべた。




「すみませんね、折角の収穫祭なのに、今日も仕事させてしまって」


 収穫祭の二日目、秋爽の心地よい風が部屋を吹き抜ける中、学院長室で書類とにらめっこしているのだが、どうにも量が尋常ではない。一人ではどうしようもないのでサイモンさんに頼っている次第なのだが、学院長としてはもう少し出来る男にならねばと思った。

 目を通した書類にサインを書き込むと、サイモンさんに渡してゆく。その殆どが今回の国選の届け出に関する物だ。

 ちなみに魔術大会の個人戦は、エリシアのアーバインとクロエの拳が大暴れしたのだが、最終的に勝ち残ったのはシルヴィさんだった。

 国家魔術師、しかも超エリートが出てくるとか大人げないにも程がある。


「なんのこれしき、学院が国王様に認められる事こそ、私にとっては何よりでございます」


 書類に不備が無いか目を通すサイモンさんは嬉しそうに答えてくれる。

 父が経営していた頃に戻った様で、実際嬉しいらしい。

 僕としては、父に少しでも近づけたのかと思う反面、もっと早くに手伝う事が出来ていればと思ってしまい、複雑な気分になる。

 父の死から三ヶ月弱、僕は今までの出来事を思い返す。

 

「僕は、ちゃんとやれてるんでしょうか」

「ええ、皆の期待以上に頑張っておいでです。マーヴィン様も、さぞお喜びでしょう」


 その言葉に少しばかり安心すると、サイモンさんへ向き直り、


「これからも、宜しくお願いします」


 と、頭を下げた。


「おっと、終わりかい?」


 声の方へ向くと、ジェラールがノックもなしに入って来ていた。


「あと一枚、これで最後だよ」


 最後の書類にサインを書き終えると、サイモンに渡す。


「よし、じゃあちょっと使いを頼まれてくんねぇか」

「なんだい?」

「ちょっと不穏な話が舞い込んできてな」 


 ジェラールの声のトーンが少しだけ下がった。


「大会に出てたお嬢ちゃんが、ランドルフの屋敷から逃げ出したらしい」

「お嬢ちゃんって、あの赤毛の?」


 昨日出場していた敵方の少女を思い出す。ミリスの話によれば、名前は確かニーナと言っていた。

 僕が学院で魔術を教えた少女だ。

 ジェラールの話では、大会に負けた責任で奴隷商に売り飛ばされそうになったところを逃げ出したらしい。何処でそんな話をと思ったが、ランドルフ商会に再就職した元学院の教師と繋がりがあるそうだ。

 しかし、奴隷とは穏やかではない。彼女には立派な魔術師になって欲しいし、その手助けをしたいとも思っている。


「僕は何をすれば?」


 現状で出来る事は何か、僕が突っ走っても周りに迷惑をかけるだけなので、ジェラールに聞いてみる。


「日が昇ってる間は、街中で嬢ちゃんを探してくれ。夜は危ねぇから、うろつくなよ」

「わかった」


 僕は返事をすると、すぐに剣と盾を装備して街へ捜索に出かける事にした。




「こちらで進めておく事は、何かありますかな?」


 デュランが飛び出して行った後、サイモンはジェラールに尋ねる。


「ひとり分、ぐっすり休める様に食事と寝床をミリスに頼んどいてください」

「かしこまりました」


 サイモンは一礼すると、書類を纏めて学院長室を後にした。


「さって、俺も行くか」

 

 ジェラールは呟くと、扉を背に振り返り音もなく姿を消す。

 そして誰もいなくなった学院長室の窓には、先程まで差し込んでいた日の光がいつしか陰り始めていた。

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