番外編8


 創造は、神々のほんの嗜み。





 異なる進化を果たした、二つの世界がある。その二つの世界の差異は、私の主のちょっとした思いつきによって生まれたのだ。


「選ばれし者だけが活躍できる世界と、皆が平均的に力を発揮できる世界と、どっちが盛り上がるんや?」





 随分長いことぼーっとしていたような気もするし、ほんの一瞬息をついただけだったような気もする。

 青年が飛び込んできたのは、そのようなときだった。


「うわっ! いてっ……くない?」


 そのとおり。彼が勢い良く倒れたこの部屋の床には、主の意向で最高級の敷布を使っている。ふわふわのもこもこだ。主もよくここで横になっては、気持ち良さそうにとろとろと惰眠を貪っていたものだ。


「蹴り倒すなんて、ひでーよ……」


 今回のお客様は、まだ若い男性だった。背が低く小太りで、見た目はあまりよろしくない。

 青年はずり落ちたメガネを直しながら、よろよろと立ち上がった。辺りを見回すつぶらな瞳は、不安げである。状況を確かめようとしているのだろうが、無駄だ。彼の目に映るのは暗闇だけで、この部屋の内部も、私のことも、見ることは叶わない。

 だいたい私には実体がないのだ。いや強いていうならば、彼を迎え入れたこの部屋こそが、私の肉体だろうか。


『どこへ行きたい?』


 お定まりの質問をしてみる。「異界の扉」と呼ばれる我が体内を訪れたということは、この青年の心にはなにか強い意志が宿っているはずだ。

 ――なんちゃって。まあ決まりだから聞いてみるけど、本当はワシ、こいつの名前も希望も、とうにお見通しやねんけどな。


「すっげ! これが『頭の中で声が』ってやつか! すっげ!」


 青年は子供のように瞳を輝かせ、はしゃいでいる。

 さあさっさと、どこへ行きたいのか、何をしたいのか、言ってみるがいい。

 ――しかし、気をつけなければならない。

 この部屋に入ったそのとき、表面上抱いていた薄っぺらく、お綺麗な望みは、粉々に消え失せたはずだ。

 そして残ったのは、心の奥底に沈んでいた、汚泥の如き醜い願望だけなのだから。


「ともかく、トップに上り詰めてえ! 俺を見下してた奴らを見返してやる、そんな大逆転が可能なところへ行きたい!」


 青年は分不相応な望みを、鼻息荒く語った。いや、こういう大それたことを言ってしまうあたりが、小者所以か。

 ――ちょお、口が悪かったな、すまん。これも意気込みとか愛着があってのことやから、大目に見たってや。


「ほーん。なら、なんか具体的にやってみたいこととか、あるんか?」

「そりゃ勇者とか、そういうかっこいいのがいいけど」

「勇者な。でもあれ、その辺に立ってる村人に話しかけたりしないとあかんけど、お前にできるんか? 結構、コミュニケーション能力いるで」

「……………………」


 青年は黙って首を振った。

 私は確かに二つの世界を行き来させてやることはできるが、能力を増強したりだとか、そういうことはできない。スキルアップとかそういうのは、あくまでも個人個人でやってもらわないといけないのだ。


「あのな、この間も勇者やっとったっちゅー男がここ通って、逃げおったで? 大変みたいやし、やめといたらどうや?」

「………………うん」


 私の説得に、青年は素直に頷いた。よしよし、そうでなければ。――私の計画が狂う。

 青年の望みは「誰よりも上に立ちたい」だったか。だとしたら、彼からすれば異世界の、あの時代はどうだろう。支配者たる魔王の力は衰えているから、少し努力すれば次代の王になれるはずだ。

 目的の時、目的の場所に繋いだ扉を開いてやったが、青年はすぐにはそこをくぐらず、こわごわと様子を伺っている。


「そんな怖がらんでもええんやで。ワシんとこは、アフターフォローもバッチリなんが売りでな。やっぱ元の世界に戻りたいってときは、戻ってええし」

「マジか!? クーリングオフってやつか!?」

「マジや。それも無期限っちゅー太っ腹やで。でもな、お前が行った先で満足しよったら、もう帰ることはできんから、そこは気をつけてな」

「あ、うん。それなら別に」


 青年は私の説明に安心したのか、ようやく扉を通り抜けた。


「――あ! でも」


 青年がなにかに気づいたところで、強制的にシャットアウト。私こと「異界の扉」は、青年の前から消えた。

 ――そう。あの青年は魔法の知識がないから、自分では私を呼び出すことができないはずだ。だから当分は、帰りたくても帰れない。

 詐欺? いや、これも彼にとって、必要な苦労である。青年は修行を積み、やがて再び自分の力で、私を呼び出すだろう。

 ――あの青年は、私の持つ数多の駒の中で、最も尊く、大切なひとつ。

 青年は気づいているだろうか? 彼のこれからの人生には、自身が憧れたマンガのようなゲームのような小説のような展開が、待ち受けていることを。

 それは未来か、過去か。もっとも私にとって、二つの世界に流れる時間は意味を成さない。この部屋では、それが停止しているからだ。





 二つの世界と、それを管理する私は、あるじによって作り出された。主のように世界を創造することは、紳士淑女に好まれている趣味のひとつなのだそうだ。

 私の主は、老齢の男性だった。彼に作られた私なのだから、好意を持つのは当然かもしれないが、私は主と語らっているときがなによりも楽しかった。


「ふたっつ世界作ったけど、なんやなあ。もっと歴然とした差が出るかと思ったんやけど、案外変わらんものやねんなあ」

「いや主にとってはそうかもしれんが、あそこに住んでる人らにとっては大きな違いやで」

「そう? でも今回もあかんかったなあ……」


 二つの世界は、元は同じ。世の不思議を、ひとつ目の世界は魔法と、ふたつ目の世界は化学と解釈した。前者は個人の資質により、力を持つ者と持たざる者を生んだが、後者は一人が謎を解き明かせば、他の人々も利用することが可能だった。その違いで、二つの世界の進化は分かれていった。

 そして最近、演算が終わった。二つの世界の終焉が、弾き出されてしまったのだ。

 主たちのゲームの最終目標は、「永遠」。終わらない世界を作り出すこと。だから今回主が作った二つは、失敗作ということになる。


「わしな、体の調子が良くないんや。入院することになったから、ちーとの間ここへは来れへん」

「ほんまか。お大事にな」

「うん、あんがと。すまないが、ここの管理よろしゅうな」


 自分でも白々しいと思う。もうずっと前から主の顔色が悪いことや、動きにも著しい衰えが出てきたことに、気づいていたのに。

 主はこの部屋に来るとよくごろんと横になったものだが、この頃は下手に寝転ぶと起き上がったり立つのが大変だということで、椅子を用意してあった。


「もしかしたら最後のゲームだったかもしれんのに、やっぱりクリアできんかったなあ……」


 椅子に座り、背中を丸めて、主は寂しそうにつぶやいた。――それが私が見た、彼の最後の姿になった。

 主は戻ってこなかった。おそらくは命数が尽きたのだろう。

 ひとりきりになって退屈で仕方がなかった私は、暇つぶしに主のゲームをいじってみることにした。

 例えば二つの世界を繋げて、そこに住む人間を行き来させてみたらどうなるだろう? そのように遊んでいるうちに、既に出ていた演算結果が変化し始めたのだ。

 これは面白い。もしかしたら、結末が変わるだろうか。

 もしかしたら私は、このゲームをクリアできるかもしれない。

 ただ、一緒に喜んでくれるはずの主が側にいないのは、つくづく残念だ。





~ 終 ~




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