5-4(完)

 1.インスタントのつゆで、野菜を煮込こむ。

 2.白飯を1.に追加したあと、溶き玉子を回し入れる。

 3.器に盛ってから、すり下ろした生姜を少々乗せる。


「すっごく美味しい! 体がポカポカしてきた」


 雑炊はなかなか上手にできたようだ。両手鍋の付喪神が頑張ってくれたおかげもあるだろう。風吹も喜んでくれたが、しかしやっぱり食欲がないのか、茶碗半分しか食べてもらえなかった。イズーの心配は募る。

 その日、二人はかなり早い時間に、床に就くことにした。しかし先に寝室に向かったイズーがいくら待てども、風吹はトイレに篭もりっきりで、なかなか来ない。その後ようやく現れた風吹は、ベッドに辿り着いた途端、倒れてしまった。


「だ、大丈夫か!? 風吹!」


 イズーはびっくり仰天し、くたっと寝そべる風吹の体をさすった。風吹はベッドの上で腹を庇うようにして丸まり、弱々しい笑顔をイズーに向けた。


「はは……。ちょっとお腹が痛くて……」


 真っ青な顔色と尋常ならざる様子からして、風吹を襲う苦痛のほどは、彼女の言う「ちょっと」という言葉の範疇に収まっていないようだが……。


「病院行くか!? 救急車呼ぼうか!?」

「いや、その、えーとね、生理……がきただけなの。知ってるかな。女の人には一月に一度、そういう日があってね……」


 風吹は言いにくそうに教えてくれた。イズーは、しかしかえって訝しむ。

 異世界だろうがなんだろうが、人体の仕組みはもちろん同じだ。イズーだって大人の男だから、女性に生理というものがあることくらいは知っている。が、今まで家族もなく、親しい女性が側にいたこともないから、どうにもピンとこない。


 ――女なら当たり前にあるはずのものがきたのに、こんなにつらいのか? 苦しいのか?


「本当に、その……生理なのか? なにか重大な病気なんじゃないのか?」

「へーきへーき。今月、予定日からすごく遅れてたからね~。こういうこと時々あるんだけど、すごく重くなるんだよ~。気をつけてたつもりだったけど、ここ最近、冷房で体を冷やし過ぎちゃったみたいで……」

「お、俺が……! エアコンの設定温度をこっそり下げたりしていたせいで、風吹が死ぬのか!?」


 イズーの顔色までも、風吹に負けず劣らず悪くなった。


「いやいや、だから死なないって。でも、温度は下げないでね……」


 風吹は相当腹が痛むらしく、うーんと唸ってから、イズーに頼んだ。


「あの、イズー。申し訳ないんだけど、カイロ取ってきてくれるかな? 居間の薬箱の横に、まとめて置いてあるから……」

「わ、分かった!」


 イズーはベッドを飛び降りると、主の命令を受けた忠犬よろしく廊下を駆けた。カイロとやらがなんなのか知らなかったが、とりあえず言われたとおり薬箱周辺を探す。目的のものはすぐに見つかった。


「これか……!」


「使い捨てカイロ、貼るタイプ」。薄っぺらい小さな袋に、そう書いてある。

 風吹のもとへ戻る前に、イズーは手にした袋に載っている図や文章を読んだ。どうやらこのカイロというやつを衣服に貼れば、たちどころに暖かくなるらしい。


 ――この世界には、本当になんでもあるな……!


 大いに感心しながら、イズーは袋の中身を取り出してみた。

 カイロは、手のひらほどの大きさだった。ふと思い立ち、イズーは油性のマジックペンを掴むと、カイロに文字を書いた。

「福文字」。体の不調を取り去ってくれる文字を、白地の表面にしたためる。


「持ってきたぞ!」


 イズーが寝室に帰ると、風吹はのろのろと彼に背中を向けた。


「それ、ここに……。Tシャツの上から貼ってくれる?」


 風吹は腰骨の下を後ろ手で指している。イズーは指示された場所に、カイロをぺたんと貼ってやった。

 風吹はぱったりとベッドに寝転ぶと、隣に座ったイズーの顔を見上げた。


「ありがとう」

「ほかは? 俺になにかできることはないか?」

「もう大丈夫。薬も飲んだし、もうちょっと経てば、マシになると思うから……」

「……………………」


 イズーは風吹の頭をおろおろと撫でた。落ち着きをなくした手には力が入り過ぎ、撫でられる側としては痛い。


「あの、イズー、ごめん。ちょっと触らないでくれるかな」

「す、すまん」


 風吹に遠慮がちに拒否されて、イズーは慌てて手を引っ込めた。


「ご、ごめんね。ほら、イズーの手に、汗がついちゃうし」

「……………………」


 風吹のフォローも耳に入らず、イズーは悲しそうに眉を下げた。


 ――俺はなんて無力なんだ……。


 治癒魔法を試してみようか。だが久しぶりに使うから力加減が分からず、かえって風吹の体に悪影響を及ばすかもしれない。内臓を爆発させてしまったらどうしよう。ああ、いや、しかし、風吹にはそもそも魔法が効かないのだ。ということは、カイロに施した福文字にも、効果は期待できないかもしれない……。


 ――風吹を助けてやれないくせに、なにが魔導師だ……!


「あの、イズー」


 今にも泣き出しそうなイズーの手を取って、風吹は自分の下腹部に導いた。


「もし撫でてくれるなら、ここをお願いできる? すごく楽になるの」

「あ、ああ」


 イズーはそうっと丁寧に、風吹の臍の下あたりに触れた。


「気持ちいい……」


 ゆっくり手を動かすと、風吹の呼吸が緩やかになる。やがて穏やかな寝息を立て始めた風吹の腹を、イズーはいつまでも撫でた。









 四人。それが今まで風吹がつき合った、男性の数だ。

 最初は中二のときで、相手は学校の先輩。次は高二のときで、相手は同級生だった。どちらとも進学がきっかけですれ違いになり、そのまま自然消滅してしまった。両方ともキスすらしないままに終わり、ただ「つき合っている」というシチュエーションを楽しんでいただけの恋だったかもしれない。甘酸っぱい、良い思い出である。

 三人目の彼氏ができたのは、大学三年生のとき。相手は同じゼミの青年で、最後は浮気をされて終わった。始まりから終わりまでありきたりな恋愛だったが、風吹はこの彼のことや、つき合っていた当時のことも、思い出すのが嫌だ。――人に裏切られてできた心の傷は、いつまで経っても癒えないものだから。

 四人目と交際を始めたのは、社会人三年目のとき。相手は会社の同期だった。この彼とは、今住んでいるマンションに引っ越してきたときから、二年前までつき合っていた。年齢のこともあって、風吹も相手も結婚を意識していた。

 順調に思えた交際は、だが突然終わりを迎えた。彼が会社を辞めて、遠く離れた実家の家業を継ぐことになったからだ。事前に相談もなにもなく、風吹はそれらのことを、彼が全て決めたあとに知らされた。

 彼は、「ついて来て欲しい」とは言わなかった。だが、期待はされている。そのことをひしひしと感じながら、風吹はあえて気づかぬふりをした。

 結局、彼はなにも言わず実家に帰り、風の噂ではその後、地元の女性と結婚したそうだ。


 ――あのとき、彼からはっきりプロポーズされていたら、私はどうしただろう。


 彼の故郷に、ついて行っただろうか。

 ――答えは、「否」だ。

 当時、風吹は仕事にやりがいを感じ始めていたし、評価もそれなりについてきていた。だから恋人が去り、結婚したと聞いても、驚くくらい後悔はなかった。これで良かったのだ。

 もしかしたら、もう二度と恋することもなく、一生独身で生きていくことになるかもしれない。しかし別に構わない。そう言い切れるくらい、風吹の生活は充実している。ただ、やはり、寂しいときはあった。

 ――ひとりぼっち。誰にも頼れない。

 普段忘れているそれらのネガティブな感傷は、しかし仕事でミスをしたり、体調が悪いときなどにこっそりにじり寄ってきて、心の芯を腐らそうと企む……。





 眩しくて、起きてしまった。煌々とついたままの蛍光灯が目に染みて、風吹は手の甲で瞼を押さえた。

 体中がポカポカと温かい。生理痛は、すっかり遠ざかっていた。

 いつもならもっと苦しむはずなのに、今回はどうしたのだろう。

 仰向けのまま顔だけ横に向けると、イズーがすやすやと眠っている。

 長いまつげに、整った目鼻立ち。毎日顔を合わせているから慣れたつもりでも、こうして改めて間近で眺めると、あまりの麗しさに驚いてしまう。

 イズーは自分の片手を枕にして、もう片方の手は風吹の腹の上に置いていた。


 ――ずっと、こうしててくれたんだ。


 風吹は音を立てないようにベッドから降りると、部屋の電気を消した。

 そういえばと、結婚まで考えていた、同期の彼のことを思い出す。

 ある日、風吹は風邪を引いた。いつものように泊まりにきた彼は、調子の悪そうな風吹を見て、言ったのだ。


『つらそうだから、今日は帰るね』


 自分はなんて気が利くんだろうかとばかりに、彼は得意気な顔をしていた。風吹はそんな彼を見て、小さな失望を抱いた。

 具合の悪い恋人のために、なにかしてあげようという発想はないのか。

 ――つらいときほど、そばにいて欲しいのに……。

 当時は男なんてそういうものだと思っていたが、だがイズーと暮らすうちに、風吹はその考えを改めざるを得なくなった。

 イズーは、自分が相手になにをしてやれるか、常に考えてくれている。

 そりゃ動機は、養い主に倒れられたら困るという不純なものかもしれないが、それだけにしては献身が過ぎるだろう。

 そしてイズーがなにかしてくれるたび、その結果が良いにしろ悪いにしろ、風吹は和む。大事にされていることが、嬉しいのだ。


 ――これでちゃんと働いてれば、言うことないんだけどなあ……。


 その一点が……。看過できないその一点だけが、惜しい。

 風吹はイズーの隣で再び横になり、整った彼の顔を見詰めた。


 ――本当に、あなたは何者なの?


 イズーの正体なんて、知ろうとは思わなかった。なぜなら、きっとすぐにいなくなるだろうから。むしろ諸々知ってしまったせいで、厄介事に巻き込まれたら嫌だと、そちらのほうばかり心配していた。

 だが風吹は今、イズーのことが無性に知りたい。

 どこで生まれて、どんな風に育って、どんな人たちと仲良くしてきたのか。

 どうしたら、こんなに優しい人になれるのか。


 ――あなたのことが、もっと知りたいよ……。


 風吹はイズーの胸元に潜り込んで、瞼を閉じた。

 二人は寄り添ったまま、朝までぐっすり眠った。





~ 終 ~





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