5-2

『魔導師が立てたスレのことなんだけど……。あれ、マジでマジな話なんだよな?』

「ああ、本当に本当の話だ」

『じゃあよ……。俺、立候補してもいいか?』


「絶対零度の死神」が話題にしているのは、イズーがだいぶ前に「しっこん」内に立てた、とあるスレッドのことだろう。冷やかしを含めて反応は多数あったのだが、実際に「やってみたい」と言ってきたのは「死神」が初めてだった。


「よし、いいだろう。その代わり、お前から貰うものがある」


 イズーが当該スレッドにはあえて書かなかった交換条件を挙げると、「死神」は「分かった」と承諾した。


「色々準備もあるだろうし、決行は一週間後でいいか?」

『おう』


 そのあと短い挨拶を交わして、イズーは「死神」とのチャット画面を閉じた。





 さて、正午である。

 普段の昼食は、前日の残りものをおかずに、さっさと食べてしまうことが多い。だが今日はなにもなかったので、イズーはラーメンを作ることにした。

 イズーはラーメンが好きだ。しかしそればかり食べていると風吹が心配するので、週に二度までと決めている。

 今日は味噌味にした。このフレーバーなら、野菜の中で最も安いもやしがスープによく合って、経済的なのだ。


「フライパンでもやしを炒めて~、その中に水をぶっ込んで沸騰させて~、更に麺を加えて~、煮込む、と」


 慣れた手つきで昼食を作り、素早く腹に収めてしまったあとは、外出である。

 イズーは、居間のテーブルの上に散らかしておいた数枚の紙を、無造作にスーパーのレジ袋へ詰めた。次は、着替えねば。

 イズーがいつも着ている服は、風吹が五、六着まとめて買ってくれたものだ。

「安物でごめんね」と風吹は申し訳なさそうだったが、イズーからしたら、むしろ安いのにこんなにも丈夫で、布地も立派で、縫製もしっかりしているなんて、驚きだった。しかも新品だなんて。

 イズーの世界だったら、庶民は年に一度服が買えればいいほうだ。しかも手に入るのは、たいていが古着である。新品の服なんて、あちらの世界の一般人は、一生のうちで数えるほどしか身につけることはできないだろう。


「うーん……。しかし選択の幅が広がったということは、それだけ迷い多き人生となるのだ……」


 なにやら哲学的なことをつぶやきつつ、悩んだ結果、イズーは紺のクロップドパンツと、ボーダー柄のカットソーを選んだ。前に風吹に教えてもらった組み合わせで、「似合う」と褒めてくれたのを覚えていたのだ。イズー自身はまだなにをどう着たらいいのか、よく分かっていない。

 あとは日差しが強いので、サンバイザーをかぶることにした。ツバのおかげで影ができ、顔が少し隠れて、イズーはホッとする。

 元の世界で外を歩くとき、イズーはいつもフードを深くかぶっていた。人の目が気になるからだ。

 最強の魔法使いの証である「魔導師」の称号を得てからも、イズーは常に蔑まれていた。それは彼が魔族寄りの一族、「魔の民」の出身だからだ。

 だからイズーは、人の視線が少し怖い。

 こちらの世界の人間にも、よくジロジロと見られる。だがそこに悪意はなく、単に髪や瞳や肌の色が自分たちと違うから、珍しがられているだけだ。だから、嫌な気持ちになることはない。ただまあ、珍獣かなにかと思われているようで、こっ恥ずかしいが。

 ひととおり準備が整うと、イズーは、風吹から預かったガマ口財布と、それとは別にお小遣いとしてもらった千円を剥き出しのまま、ポケットに突っ込んだ。

 風吹に言われたわけではないが、イズーは生活費と小遣いは分けて管理するようにしている。その辺をルーズにするのは、嫌なのだ。

 最後に鏡の前に立ち、全身を軽くチェックして、イズーは夏の日光が猛威をふるう外へと、足を踏み出した。









 約束の時間は十四時だった。マンションから歩いて二十分ほどのカフェで、落ち合うことになっている。


「ショコラクッキーフローズン、生クリーム多め、エクストララージで」


 呪文を唱えるかのように滑らかに注文を果たし、商品を受け取ると、イズーは空いているテーブル席に座った。

 ショコラクッキーフローズンは、カフェラテとビターチョコクッキー、そして氷をシェイクし、生クリームをトッピングした飲み物だ。イズーはここに来るといつも甘くて冷たいそのドリンクの、一番大きなサイズを頼む。そしてそのたび、一日の小遣いの半分以上が消える……。

 イズーはいつも不思議な気持ちになる。この世界の価値観が、よく分からない。洋服やそのほかの生活必需品は比較的安価なのに、しかし飲み物だけは高いのだ。これは一体どういうことなのか。

 この世界は、飲み物が贅沢品なのだろうか。カフェに集うのは、上級な身分の者たちばかりなのだろうか。


 ――そういえばなんとなく、意識の高い人々が多いような……。


 周囲を見回しながらイズーがそんなことを考えているうちに、待ち合わせの相手が現れた。


「こんにちは」


 礼儀正しく会釈しつつも、油断なく自分を見詰めるこの男は、海月 幻燈という。

 幻燈は今日は除霊の仕事がなかったのか、前に会ったときのような坊さんの格好はしていなかった。ポロシャツにジーンズという、ごく普通の出で立ちだ。黒々とした太い眉に口髭。頭はつるりと剃っている。

 ハゲと銀髪。そんな二人が向い合って座っていれば、どうやっても人目を引く。しかしイズーは気にせず、さっそく用件を切り出した。


「わざわざ呼び出してすまなかったな。まずはこれを見てくれ」


「相談したいことがある」と、イズーは幻燈を呼び出したのだ。除霊の代金を支払った際の領収書に、幻燈の連絡先はばっちり書かれていたから、連絡を取るのは簡単だった。

 イズーは隣の椅子に置いておいたレジ袋を、机の上に載せた。ガサガサと耳障りな音をさせながら、袋の中から数枚の紙を取り出す。そのうちの一枚を手に取ると、幻燈は驚きに目を瞠った。


「これは……!」

「あれから色々作ってみたんだ」


 幻燈が除霊のために、イズーの暮らすマンションを訪れたのは、三日前のことだ。そのときに使われた御札を見て、イズーは高位の僧侶が使う「まじない文字」の技法を学んだ。そこに自らの解釈を加えて、新しく編み出した文字を、今日は持ってきたのである。


「福文字ですね」

「まあ、そうだな」


 イズーが書いたのは「福文字」という類のもので、簡単に言えば縁起の良い呪い文字だった。健康増進や、金運上昇、恋愛成就などなど、この文字の書かれた御札を持っていれば、様々な幸運が舞い込んでくる。風吹たちの世界の、お守りに近いものかもしれない。


「ううむ……。これも、これも、初めて見る文字です」


 持ち込まれた福文字を一枚一枚確かめ、その出来の良さに唸っている幻燈の前で、作者であるイズーは美味しそうにフローズンドリンクをストローで吸い上げている。


「これをだな、売ろうと思うんだ。お前、サイトを持ってるだろ? 『しつこい悪霊も根こそぎ退治! 幻燈堂』。ネットで見たぞ。確か色々なグッズも売ってたな? そこに、この福文字を置いてくれ」

「……………………」


 イズーの言うとおり、幻燈はWEBサイトを開設しており、そこで除霊の受付をする傍ら、様々なオカルトグッズも販売している。


「ところであなたはそのボロ紙、いえ御札を、いくらで売るつもりなんです?」

「そうだな……。百円くらいでどうだ?」

「ひゃくえん?」


 聞き返す幻燈の声は、裏返った。なにしろ彼はこれよりも効果の薄いものを、ひとつ十万円で売っているのだ。幻燈の名誉のために断っておくが、不必要にふんだくっているわけではない。なにしろこういった特殊なものはあまり売れないし、その割には作るのに時間も手間もかかる。そもそも効力が弱いといっても、それはイズーのものに比べてであって、巷にあふれる詐欺商品とは異なり、ちゃんとそれなりのご利益りやくもある。

 ――そう、イズーの作るものが、いやイズー自身が、あらゆる部分で規格外なのだ。

 イズー自身は価値に気づいていないようだが、彼が作った御札は、百円だなんてとんでもない。百万、二百万、もしかしたら一千万円出しても買い求めたいという者がいても、おかしくない出来栄えだった。


「オカルト界に価格破壊でも起こすつもりですか。売るなら、せめて五万は取ってください」

「そんな落書きで、そこまで巻き上げられるのか!」


 今度はイズーが瞠目する番だった。


「それから言っておきますけど、こういったものはたいした数は出ませんよ? 一月に二、三枚売れれば、御の字といったところです」

「構わない……。俺が収入を得るには、これくらいしか方法がないからな」

「ああ、そうそう。私のところで売って欲しいというなら、手数料をいただきますよ。そうですね、販売価格の半分は」

「半分!? 五万で売ったら、二万五千円か!? それは横暴だ!」


 さっきまでは「百円でいい」などと殊勝なことを言っていたくせに、大金が入るかもしれないと一度でも期待すれば、欲深くなる。人間とはそういう生き物なのだ。

 幻燈は恩着せがましい口調で提案した。


「しょうがないですねえ。同郷のよしみということで、特別ですよ? 私どもが頂戴する手数料は、一件につき三割ということでどうでしょう?」

「む……。まあ、しょうがないか」


 利益の三十パーセントを徴収するというのも、通信販売の手数料としてはかなり高額だと思われるのだが……。しかしイズーは深く考えることなく、了承してしまった。最初は売上の五割を要求されていたので、条件がかなり好転したと錯覚してしまったのだ。


「商談成立ですかね」


 いくら天才だろうと、世間慣れしていない魔法使いを言いくるめることくらい、幻燈にとっては朝飯前だ。


「では、もうちょっとマシな紙に書くようにしてください。これは、このままじゃ売れません」


 言いながら、幻燈はイズーの作った御札をひっくり返す。御札の裏面には、スーパーの激安お得情報が印刷されていた。


「なにに書こうと、効果は一緒だぞ?」


 不満気なイズーに、幻燈は噛み砕いて説いた。


「あのねえ。五万円も出して買ったものが、チラシだとかカレンダーの裏に書かれていたら嫌でしょうが。ありがたみがないっていうか。大きな文房具屋さんに行ってみなさい。いくらでも綺麗でゴージャスな紙が売っていますから、そういうのを使って書いてください」

「了解した……」


 話が一段落ついたところで、幻燈はようやく置きっぱなしになっていたホットコーヒーに手をつけた。


「ところで、魔導師殿。稼いだお金を、なにに使うんです?」


 御札をちまちま作って売ろうなんて、元の世界ではブイブイ言わせていた天才魔導師が、随分スケールの小さなことを言い出したものだ。差し迫って、金が必要なのか。それとももしかしたら、なにか悪いことに使うつもりなのか――。


「家計の足しにする」


 イズーはあっさり口を割った。


「――は?」

「今は丸々風吹の世話になっているからな。せめて自分の食い扶持と、小遣いくらいは稼ぎたい」

「それはそれは……。その心意気は素晴らしいですね」


 コーヒーに砂糖とクリームを入れながら、幻燈はつい、にやけてしまった。イズーはかつて自ら語った「設定」が崩壊しつつあるのに、気づいていないのだろうか?


「なんだか嫌な言い方をするな……」


 ムッとするイズーの前で、幻燈は悠々とカップを口に運んだ。


「いえ。風吹さんとは、『仕方なく一緒に住んでやっている』のに、いやに気を使うんだなあと思いまして」

「あっ……!」


 幻燈に指摘された途端、イズーの背はぴゅっと伸びた。


「いや、違う! そうだ、俺は遊ぶ金が欲しくてだな……!」

「遊ぶ金ねえ。なにも労働に勤しむことなく、風吹さんから搾り取るほうが手っ取り早いんじゃないんですか? 暴力に訴えるなり、お得意の魔法を使うなり、クスリやらセックスやら、言うことをきかせる方法なんていくらでもあるでしょうに」

「お前、本当に僧侶か? 言うことが、ド鬼畜過ぎるぞ……」

「一般論ですよ」


 いったいどこ界隈の一般論だというのか。だいたい、そういうおぞましい事柄を口にすること自体、聖職者としてあるまじき行為だと思うのだが。なにか言いたげなイズーの前で、幻燈は涼しい顔をしている。

 幻燈のような僧侶は、ただ説教するだけの職業と思われがちだが、一方で人の負の部分に触れる機会も多い。布教や奉仕活動を通して、悪魔のほうがよっぽど善良だと思えるような爛れた人間たちと、日常的に顔を突き合わせている。そこから多くのことを知り、学び、だからこそ僧侶たちが説く「人の道」には、重みが出るのだ。


「――まあ、これ以上黙っているのも意地が悪いので、白状します」

「え?」


 幻燈は不意に破顔した。


「『黒き魔導師』殿。私は『黄泉の国のナギナミ』の、ナギのほうです」

「なぎ……」


 なにを言われているのか理解が追いつかず、イズーはしばらくぼうっと幻燈の顔を眺めた。

「黒き魔導師」。「黄泉の国のナギナミ」。その名は、どこで聞いたんだったろうか。


 ――そうだ、「しっこん」だ。


 ホームグラウンドともいうべきその場所で、イズーはなにもかも曝け出し、ありのままの自分の気持ちや考えを述べてきた。ユーザー同士、直接顔を合わせているわけではないので、どんなことでも書き込めたのだ。

 そう、自分がどれだけ風吹のことを愛しているか、情熱的に甘ったるくバカ丸出しで語り、そして自分の気持ちに応えてくれない彼女への不満や悩みも女々しく愚痴った。

 それを目の前の、このハゲオヤジに、全部見られていたというのか――。

 幻燈は我が子に接する父親のような、慈悲深い笑みを浮かべている。


「『こんなに苦しいなら、恋なんて知らなければ良かった……。でも彼女に出会えなかったならば、もっと悲しかっただろう。永遠の孤独の中、彷徨い続けるくらいなら、彼女を追っていたいんだ』。いやあ、いいポエムですねえ」

「あああああっ……!」


 イズーは羞恥に耐え切れず、机に顔を伏せた。幻燈の豪快な笑い声が聞こえてきて、拳を握り締める。


「いやいや、男としての見栄もあるでしょうし、強がりたいこともありますよね。分かります。風吹さんも、あなたのような感受性豊かな男性に愛されて幸せですね。『食事だとか、彼女の口に入るものは全て俺が作りたい。俺のもので満たしてやりたい……』でしたっけ? これはちょっと引きましたが」

「うぐぐぐぐ……!」


 ――こいつは絶対に聖職者じゃない。


 追い打ちをかけられて、イズーはそう確信した。


「まあなんにしろ、こちらの世界での生活を満喫なさっているようで、なによりです」

「うう……っ!」

「――だからこそきっとあなたの前でも、『異界の扉』は閉じてしまうでしょうね……」

「……?」


 イズーが顔を上げると、幻燈は既に笑っていなかった。人をからかっていた先ほどまでが嘘のように、寂しそうな表情をしている。


「元の世界に、あなたももうじき戻れなくなるかもしれない。どうぞ後悔なさいませんように……」


 幻燈は静かにそう言った。




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