第4話 ゴーストハウスへようこそ!

4-1

 扉を開けると、そこにはお坊さんが立っていた。





 黒い着物に袴。袖の下からは真っ白な手甲が、裾の下からは脚絆と足袋が見える。履き物は雪駄だ。首から頭陀袋を提げ、手には長柄の錫杖を握っている。

 そんな珍しい格好をした男を前に、イズーは「オウ、クールジャパン!」とミーハーに騒ぎたいのを必死に堪えた。興奮で目を輝かせつつ、男の頭から爪先までを無遠慮に眺め回す。


「ご依頼により参りました。わたくし幻燈げんとうと申します」


 その声は低く柔らかく、威厳に満ちている。三角の形をした網代笠を少し上げて、幻燈は微笑んだ。年の頃は三十代半ばといったところか。黒々とした口髭が印象的だ。だが――。


「久しぶりですね、魔導師イズー。――ああ、私にとっては五年ぶりの再会ですが、あなたからすれば、たいして時は経っていないのでしょうか?」


 幻燈の言葉に、場の空気はぴんと張り詰める。


「……!」


 玄関のドアを押さえたまま、イズーの表情は険しくなった。

 二人はそのまま睨み合う。









 話は前日にさかのぼる。


 ディスプレイに表示された文面を読み、電卓を叩く。得心すれば「承認」を実行し、次の画面に目を通す。午前中のほとんどを、風吹はワークフローの一部として過ごすのが常だった。

 本日は小難しい案件が多くて、集中し過ぎていたらしい。後ろを通る同僚たちの雑談が耳に届いて、風吹はようやく昼休みになっていたことに気づいた。


「ふう……」


 パンパンに張った肩の筋肉をほぐしながら、風吹はデスクの中から包みを取り出した。くるんでおいたハンカチを解くと、大きさが不揃いなおにぎりが二つ現れる。まんまるのそれに巻かれたラップを半分剥がして、齧りついた。


「かたい……」


 力いっぱい握ったのだろう、おにぎりは岩のように硬かった。

 具は入っておらず、代わりにちりめんじゃこと梅を、ご飯に混ぜて作ってもらった。

 硬度に難はあるが、料理を覚えようと頑張っている同居人が、早起きして一生懸命握ってくれたものだ。噛み締めるたび、風吹の心は温かくなっていく。

 一つ目のおにぎりを食べ終える頃、背後から声をかけられた。


「お食事中、すみません! 確認していただきたい書類があるのですが……」


 振り向けば、部下のA子が申し訳なさそうな顔をして立っている。


「いいよいいよ。午後一で外出するって言ってたもんね」


 ささやかな昼食をデスクの端に避けて、風吹は書類を受け取った。


「本当にごめんなさい……! たった今設計部からもらってきた、海月邸の図面です」


 A子は著名な占い師、海月 クララ宅のリノベーションを担当しているのだ。


「うん、いいんじゃないかな。予算とも一致してるし。あ、お風呂は結局、室内にしたんだね」


 クライアントである海月 クララから強い要望があったのが、浴室だった。ここだけは妥協したくないと、彼女は熱く主張していたのである。


「はい。露天風呂にするかだいぶ迷われたようなんですが、メンテナンスの話をしたら、室内がいいとのことで。ほら、やっぱり……」

「ああ、外のお風呂はどうしても虫がねえ……」


 風吹とA子はしみじみ頷き合う。虫といっても、蛍だとかそういった風流なものではない。夏の露天風呂に飛び込んでくるのは、全人類に忌み嫌われる例の、黒い、アレである。


「その代わりと言ってはなんですが、風呂釜やその他は最上級のものを入れる予定です。あと、浴槽は大理石に、タイルはイタリア製のにしようかと。あの人気メーカーの、こんな感じの」

「わあー、いいねいいね! これはクララ先生、喜ぶよ、きっと!」

「ですよねー!」


 添付されていた各種サンプルを眺めながら、風吹とA子はきゃっきゃっとはしゃいだ。人様の家であるがひととおり楽しみ、しかし確認すべきところはしっかり確認してから、風吹はA子に書類を返した。


「うん、OKです。クララ先生によろしくね」

「はい!」


 これで話は終わったわけだが、A子はなぜか去る気配を見せず、もじもじしながら突っ立っている。


「ん、どうしたの? まだなにかあるのかな? ――場所を変えようか?」

「あ、いえ、お昼休みですし……」


 A子はキョロキョロと周囲の様子を伺ってから、風吹に顔を寄せ、小声で言った。


「その……。実は私、結婚が決まりまして」

「えっ!」


 驚いて、つい大きな声を上げてしまい、風吹は慌てて自身の口を塞いだ。


「お、おめでとう! え、びっくりした……! つき合ってる人、いたんだね? 聞いてなかったから……」

「はは……。相手は大学時代のゼミ仲間で、つき合いはずーっとあったんですよね。その……向こうが私を気に入ってくれていて、何度か交際を申し込まれてたんですけど、保留していて……。そういう関係になったのは、最近なんです。そしたら、トントンと話がまとまってしまって……」

「ほうほう」


 A子は照れくさそうだ。風吹はニヤニヤと目を細める。


「もー、主任! そんな顔しないでくださいよ! 恥ずかしいなあ!」


 A子からばしっと肩をはたかれても、風吹の顔は緩みっぱなしだ。幸せな話は、聞いていて嬉しくなる。


「いやいや、羨ましいな~って思って。本当に良かったね! お式や披露宴はするの? 仕事は続けるんだよね?」

「式なんかは親族だけでやる予定です。仕事はもちろん続けるつもりです!」

「良かった。あなたがいないと、うちは困っちゃうからね。このことはみんなに、まだ内緒にしておいたほうがいいのかな?」

「あ、はい。私から報告しますので」


 ふとA子の視線は揺れ、食事に出て不在のD太の席をかすめた。風吹は気づかないふりをして、A子の持つ書類に目をやる。


「もしかして、クララ先生の助言で決断したのかな?」

「はい、実はそうなんです」


『あなた「が」恋している相手は、諦めたほうがいいわ。脈なしよ。その代わり、あなた「に」恋している相手、そっちはオススメね」』


 海月 クララから、A子はそのように占ってもらっていた。クララの見立てにあった「あなたが恋している相手」がD太で、「あなたに恋している相手」が恐らく結婚相手なのだろう。

 D太は、実はモテる。いつもいがみ合っているように見える風吹の部下、A子もB子もC子も、実はD太が好きなのだ。

 しかし彼女たちの気持ちに気づいているのかいないのか、D太には全くその気がないらしい。

 うまくいかないものである。


「迷っていたところにクララ先生のお言葉をいただいて、背中を押してもらいました」


 既に吹っ切れているのか、A子はすっきりした表情で一礼し、自席に戻っていった。


「……………………」


 弾むような足取りの部下を見送ってから、風吹は姿勢を正した。デスクから名刺ホルダーを取り出して、めくっていく。

「海月 クララ」。目的の人物の名刺を見つけ、それを抜き取った。


 ――占い師さんなら、ユーレイとか、そういうのにも詳しいかなあ。


 名刺の薄い紙片を弄びながら、風吹は悩む。先ほどのA子に「スピリチュアルとオカルトは違う」と言われたことがあるが、実際はどうなのだろうか。


 ――事の始まりを説明するには、更に前日に戻らなければならない。

 全ては風吹の同居人であるイズーの、問題発言がきっかけなのだ。


『幽霊が見えるようになった』


 風吹は、以前のお客様がオーナーをしている賃貸マンションを借りて、暮らしている。


『――お前がこの部屋に入るまで、立て続けに四回。三十代男性が一ヶ月、四十代男性が二ヶ月、二十代の夫婦が二週間、最後が、五十代の男性が三ヶ月。入居してはすぐ、逃げるように退去している』


 昨晩イズーがいきなり言い出したそれは、風吹が入居前にオーナーから告げられていた事実と、ぴったり一致していた。

 風吹の自宅マンションは、私鉄に地下鉄、JRと、主要各線が乗り入れる利便性の高い最寄り駅から徒歩八分の場所にある。間取りは1LDKだ。

 家賃は本来であれば、月十万円ほどするらしい。面積の割に高めだが、借り手に困ったことはないそうだ。しかし風吹が借りることになった部屋だけは、人の居着かない奇妙な物件だったそうな。

 次々と出て行く住人たちに退去の理由を聞いてみれば、皆「幽霊が出た」と怯えながら答える。気休めに神職者を呼んでお祓いをしてみても、状況は変わらなかった。

 しかしくだんのマンションが建っているのは、別に不遇の死を遂げた住民がいたという経歴もなければ、墓地だとか病院だとか一般的に不吉とされるようなところの跡地というわけでもない。ごくごく普通の民家があった土地を買い取って、建築したのだそうだ。

 それに住人がひっきりなしに変わるのは一室だけで、あとの部屋は特に問題もなく、静かなものらしい。

 なんにしろこのままの状態が続けば、悪い噂が立つのは時間の問題だ。

 そうなれば当該物件は埋まることなく、家賃も回収できない。そのうえ噂を聞いたほかの部屋の住民まで、「気持ち悪いから出て行く」と言い出したら困ってしまう。

 それらのことを危惧したマンションのオーナーが、風吹に話を持ち掛けてきたのだ。

「家賃を安くするから、住んでくれないか」と。

 風吹だって幽霊は怖い。しかし通勤は楽になるし、住むように頼まれたマンションはまだ新しくて綺麗だし、なにより家賃が物凄く安いというのは魅力的だった。

 迷った末、風吹はオーナーの申し出を受けることにした。

 そして、問題の部屋に入居し――最初はおっかなびっくり暮らしていたものの、特に不思議なことも起きず、時は過ぎていったのだ。

 その間、風吹に起きた不幸といえば、当時つき合っていた男性と別れたことくらいだろうか。だがそれはよくある男女のすれ違いであって、幽霊がどうのこうのといったものではない。

 だから風吹は、自宅がいわゆる「わけあり物件」だったことを、すっかり忘れていたのだが。


 ――やっぱりいたんだ、そういうの……。


 幽霊はどうやらずっとあの部屋にいて、風吹が気づかなかっただけらしい。

 イズーなどはいけしゃあしゃあと、「見えなければいいじゃないか」などと言うが、そういう問題ではないのだ。

「いる」と断言されれば嫌なものだし、むしろ見えないからこそ怖いではないか。

 だいたい考えてみれば、縁もゆかりもない亡者たちに、入居してからずーっと私生活を覗かれていたことになる。

 風呂やトイレに入っているところや、恥ずかしい独り言をつぶやいたところや、ビール片手にぼーっとマヌケ面していたところや……。全部まるっと見られていたわけだ。女として、これほど屈辱的なことはあるまい。


「ああ……。ああああ……」


 風吹は頭を抱え、唸る。しばらくしてなんとか立ち直ると、スマートフォンを取り出し、名刺に書かれていた番号をコールした。




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