十八話――変化その2 後編





「おい貴様、これはどういうつもりだ」


 レーゲン・ブルムは宙に浮く映像保存用魔道具ビデオカメラを、まじまじと見つめた。


「……ッ!」


 ……ヤバイ。

 うまく隠せてるつもりだったのに……油断した。


 レーゲン・ブルムにさんざんいたぶられて、意識が朦朧とした隙を突かれた。


「どういうつもりかと訊いているん、だ……!」

「ガハぁっ……ッッ」


 つま先が腹部にめり込む。

 すでに痛覚は麻痺しかけているが、臓腑が圧迫される感覚はどうにも耐え難い。


 それにしても、どうする……。

 アレがなければ、今回のこれはまったくの無駄骨。

 悪い方向に、レーゲン・ブルムの機嫌を損ねただけだ。


 希望が薄れる。


 脳が真っ白になる。


 ソフィアを助けるはずだったのに、これじゃ……。



「ウィルくん……ッ!!」


 そんな時に舞い込んで来たのは、高く透き通った声音。

 

 唐突のことに俺もレーゲン・ブルムも固まって、彼女に目を奪われた。


「……っ」


 マジかよ。

 よりによって、ここで来ちゃうのか、お姉ちゃん。



「ウィルくんっ!! なんで……ッ」


 突然部屋の中央に現れたソフィアは、俺の惨たらしい姿を見つけるや否や、悲痛な声を上げた。


 着ている服はところどころ破れてほつれて、素肌が露出しているところは余すとこなく傷だらけアザだらけだ。


「どうしたの……! ウィルくん、なんでこんな、ウィルくん……」


 ソフィアが今の俺を見て、どんなことを思っているのか、それを想像するだけでひどく胸が痛んだ。

 レーゲン・ブルムに嬲られている時よりもずっと痛む。


 もし俺とソフィアの立場が逆だったかと思うと、耐えられる気がしない。

 

「ソフィア、か。どうやってここに……、まぁ、君ほどの魔術師ならばそれくらい造作もないのか。……さすがだよ! ソフィア。さすが、ボクが惚れた女だ……! あぁ、会いたかくてたまらなかった。そんなボクに会いに来てくれたんだね、ソフィア」


 両手を広げてレーゲン・ブルムはソフィアを見つめた。


 ソフィアは、レーゲン・ブルムを殺気を込めて睨みつける。


「あなたが……ッ! どうして!!」


 瞬間。

 部屋の空気が震える。


 まるで空間そのものが凍りついたような感覚。

 体に尋常じゃなく鋭い寒気。


 魔法に関してはほぼ基礎の知識しか持たない俺でも、それがマナの奔流によるものだと分かった。

 発生源は、ソフィア。


 しかし……、


「あぁ、そんなに怒らないでくれよソフィア。怒っている君も大変美しいということが知れたのは得だが、今はそれよりも大事なことがあるよね」


 俺の体が、固まった。

 比喩じゃなく、指一本動かすことができない。

 脳にモヤがかかったように、意識がはっきりしない。


「ソフィア、賢い君なら分かるだろう」


 そうレーゲン・ブルムが言っただけで、ソフィアを中心に迸るマナの気配が霧散した。


「………」


 唇を噛み締め、ソフィアが痛ましい顔になる。


 なんだ……? 何が起きた。


「たった今、このウィルロールくんの脳をボクが掌握した。ちょっとした治癒魔法の応用だね。君ほどとは言えないまでも、ボクは魔術師としての才能はそれなりだと自負している。例えば、一度こうなってしまえば、ウィルロールくんの脳をいじって、廃人にすることくらい造作もないんだよ。どうやらウィルロールくんは、あまりマナを扱ったことがないようだね、あっさりと掌握することができた」

「……やめて」


 ソフィアの声が震える。


「あぁ、もちろんだよ。ボクは君の悲しむ姿は見たくない」


 レーゲン・ブルムが、歩みを進めて、ソフィアの目の前で立ち止まる。

 彼は、そっとソフィアの頰に手を触れた。


「……お願いです、ウィルくんには何もしないで」

「分かっているよ。もちろんそれは、君がボクの望み通りにしてくれた場合の話だけど」


 ソフィアの痛切な瞳が、俺に向けられる。


 頭がぼんやりとしていて、うまく思考ができないが、その瞳を見ると、心が痛む。


 どうにか、しないと……。


「さて、と……。ソフィア、一つ確認しておこう。君は、ボクのモノなんだ。それはもうほとんど確定した事実。それなのに、先ほどウィルロールくんが気になることを言っていてね」

「……」

「昨日の夜、ソフィアに抱いてほしいと言われたらしいんだ。それは、本当なのかい?」


 ソフィアは、俯いたままなにも答えない。


「……はぁ。どうやら本当のようだね。君が彼のことをよく口にしているのは知っていた。が、まさかそこまでとは……。だめだよソフィア、そんなことをしちゃ、君の美しい体が穢れてしまう」


 レーゲン・ブルムがソフィアの頰を慈しむように撫ぜて、その身をゆっくりと抱きしめた。


 レーゲン・ブルムに抱きしめられて、ソフィアが身を震わせる。


「幸いにも、ウィルロールくんと君は最後まで行かなかったようだが。今後ともそのようなことがないとも限らない。ボクのモノになるソフィアが、ボク以外の誰かに純潔を汚されるなんてこと、あってはならないんだよ。絶対に、絶対に、絶対絶対、絶対に、ね」


 こらえきれないといったように、レーゲン・ブルムは笑いをこぼした。


「だからソフィア、服を脱いでくれないか?」

「…………え?」

「あぁ、安心してくれていいよ。この部屋には頑強な結界が張ってある。誰も入ってはこれないよ。……君には、破られてしまったようだが、それも、ウィルロールという君がよく知る基点がいた上でのことだ。ウィルロールくんの存在を認識する誰かじゃない限り、ここへ直接、転移魔法で入り込むことは叶わない」


 レーゲン・ブルムは一旦抱擁を解くと、ソフィアのすぐ目の前に佇んだ。


「ソフィアがボクに一足早く処女を捧げてくれるというのなら、ウィルロールくんがボクに働いた無礼の全てを許そう。もちろん、治療もする」

「……じゃあもし、私がそうしたら、金輪際、ウィルくんに手を出さないで」

「あぁ約束しよう」


 レーゲン・ブルムが口端を吊り上げる。

 ソフィアがそれを見て、わずかに目を伏せた。


 ソフィアは、おもむろに自らの服に手をかけて、まずは上着を脱ぎ捨てる。


「……ソフィア姉さん、ダメだって」


 俺がそう言った瞬間、脳が焼けるように痛む。


「おい、黙れよ」


「ダメだって! ソフィアっ!!」


 また、焼き切られるように、直接ナイフでも突き立てられたみたいに、脳みそが痛む。


「……ッ。……ごめんね、ウィルくん。でも、もういいよ。私は、ウィルくんがそこまでお姉ちゃんのことを思っててくれたってだけで十分だから」

「だからおかしいんだよっ!!」

「えっ? ウィル、くん?」


 ソフィアが驚いたように俺を見る。


「ウィルロール、口を閉じろ」


 脳が弾けたかと錯覚する。

 熱い、熱い、痛い痛い痛い痛い。

 ぐちゃぐちゃと脳をかき混ぜられる感覚に歯を食いしばって、舌打ちをして、俺は言う。


「なんでソフィアはいつもいつも身勝手で好き勝手めちゃくちゃに俺を可愛がってくるくせに、こんな時だけ弱々しいんだよ! ソフィアは! 俺のことが好きなんじゃないのかっ!」

「……私は、ウィルくんが好きだから」

「それがおかしいって言ってんだよ!! 本当に俺のことが好きなら! ソフィアが、俺を救うために、このスカした変態クソ野郎に好き勝手にされて、人生まで捧げて! それをまざまざと見せつけられて後に残された俺の気持ちを考えてみろよ!!」


 全力で叫けぶ。

 喉の奥にヒリヒリと痛みを感じ、沸騰したみたいに脳が痛む。


 そんな中、ソフィアがハッとしたような顔で俺を見る。


「……チッ! 次に喋ると、本当に取り返しがつかなくなるぞ」

「ウィルくんっ!!」


 突発した強風が俺を弾いて、壁にブチ当てた。

 

「が、ぁっぁ、あ……っ」


「ソフィア、君も動くな」

「っ!」

「こうなったらしょうがないなぁ……!」


 視界の端で、ソフィアがレーゲン・ブルムに押し倒されるのをとらえた。


「いやっ……!」

「こうなったら無理やりにでも犯してやるよ。そこの愚民の目の前でなぁ。安心しろ、どのみちソフィアはボクのモノとなるんだ。それが今か、後になるかというだけのこと。ハハハハっ! あぁ、あぁぁ、嫌がる君も美しいねぇソフィア」

「……やめ、て」


 ソフィアが、レーゲン・ブルムに組み伏せられている。


「あぁ、ソフィア、どんな手を使ってでも君を屈服させてみようじゃないか。それもまた一つの楽しみだ」


 レーゲン・ブルムがソフィアの服に手をかける。

 布が、引きちぎられる音が聞こえた。


「幸いにも、ウィルロールくんが持ってきてくれた映像保存用魔道具ビデオカメラ

がここにはある! ボクと君の初めては、しっかりと保存しておこうじゃないか……っ!」


 レーゲン・ブルムの哄笑が響く。


「ウィルくん……、ウィル、くん……、おねがい、おねがい、ねぇ、私は、私は、ウィルくん、どうしたらいいの……」


 どうしたらいいの、と。


 朦朧とした意識の中、深い深い暗闇の淵で、ソフィアの声が聞こえた。


 その暗闇の中では、驚くほど冷静で入られた。


 『どうしたらいいの』、と。


 確かにそうだ。

 ソフィアは、どうしたらいいのか。

 

 考えてみれば、俺が勢いに任せて放った言葉のせいで、ソフィアが自分で選ぶことのできる選択肢はゼロになった。


 俺のことは見捨てたくない。

 そのためには自分を見捨てなくちゃダメで。

 でも、俺を悲しませたくなければ、自分を見捨てるなと言われる。


 まぁ、なんというか、ひどい話だ。


 俺はなんて酷な状況にソフィアを押しやったのか。


 でも、あれは勢いに任せたからこそ、俺の本心だ。


 俺はソフィアに傷ついてほしくない。

 ソフィアが俺に対して同じ気持ちを抱いていたとしても知ったことではない。


 そんなのは、先に口に出してしまった方の勝ちだ。

 でも、一度口に出したのなら、ソフィアを追い詰めてしまったのなら、責任を取らないといけない。


 では考えてみよう。


 『どうしたらいいの』。

 ソフィアは何もしなくていい。


 俺が何かをする。

 そのためには、どうしたらいいのか。


 考えろ。


 今この時点で障害となっているのは、俺がレーゲン・ブルムに脳を掌握されていることだ。


 つまりそれを何とかできればいい。


 考えろ。


 レーゲン・ブルムは、確かこう言ってた。


 俺がマナをあまり扱ったことがないようだから、あっさりと脳を掌握できた。


 ……と。


 確かに俺はあの日から魔法を使っていない。

 でも、逆に言えばあの日まではちゃんと魔法を使うためにマナを操っていた。


 一度そう考えてみると、はっきりと俺の脳の中に異物が混じっているのが感じられた。


 レーゲン・ブルムの操るマナが俺の脳に入り込んで、好き勝手している。


 現在は、レーゲン・ブルムの意識は俺ではなく、ソフィアに向いている。


 不思議と、失敗する気はしなかった。

 

 俺は、自分の脳の中に腰を据えているレーゲン・ブルムのマナに意識を通すと、そのまま一気にねじ伏せた。



 その刹那、体に自由が戻ったのが分かった。



――やれる


 俺はゆっくり身を起こすと、大気中のマナに意識を通し、右足の裏に集める。


 古い記憶を頼りにしながら風魔法を生成して、そのまま爆発させる。

 同時に、右足を全力で床に叩きつける。


 弾けるようにステップを踏み込んだ俺は、風を切り、一歩目で、ソフィアを押し倒しているレーゲン・ブルムを射程圏内に入れる。


 そのまま、全ての勢いを拳に乗せて、


 俺はレーゲン・ブルム横っ面を殴り飛ばした。





「ウィルくん……、ウィルくん、ウィルくんウィルくんウィルくん、ウィルくん――……」


 俺の名前を何度も呼び、泣きじゃくりながらソフィアが胸に顔を押し付けてくる。


 ソフィアが流す涙等でボロボロだった服が、だんだんと湿っているのを感じながら俺は大きく息を吐き出した。


 ソフィアの両腕は俺の背中に回されていて、そこにはもう二度と離れてはくれないんじゃないかと思うほどの力強さがある。


 チラリと横を見やれば、完全に伸びきっているレーゲン・ブルム。

 意識はない。


 それを確認した俺は、頭上に浮かび、最初から最後まで冷静にこの場を観察していた映像保存用魔道具ビデオカメラを掴んで、ポケットに入れる。


 ふー……、終わった。

 これで、何とかなるだろう。


 最終的には、なんとか収まったものの、ソフィアをひどく苦しめてしまった事実は残る。


「ごめん、ソフィア姉さん……」

「そんな、ことない……ごめんね、ウィルくん、私も、ごめんねウィルくん、ウィルくん、ごめんね、ごめんね……」


 まぁ、でも、それはお互い様のことなのかもしれない。


「ソフィア姉さん、ちょっといい?」

「……なに、ウィルくん」


 胸に押し付けていた顔を上げて、真っ赤になった目でソフィアが俺を見る。


「今回のことは、これでおしまいにしよう。俺も、ソフィア姉さんも、お互いに色々あると思うけどさ、そのことを気にしててもきっといいことはないと思うから」

「えっ、で、でも……」

「だから」

「……っ?」


「俺とソフィア姉さんは、これからもずっと一緒だから。それだけで、いいよね?」


 ソフィアは、泣きすぎて真っ赤になった目を丸くして、呆然と俺を見つめる。

 すると、その赤い瞳から、ポロポロとまた涙が溢れ出した。


 それを見て俺は一瞬オロオロしかけたが、ソフィアが不意に微笑んだのを見て、余計に戸惑ってしまう。


 ソフィアは――、


「……うんっ、私はウィルくんと、ずーっと、ずーっと一緒にいる……っ!」


 そう言って勢いよく抱きついてきたソフィアの顔はよく確認できなかったけど、きっと、最高の笑顔を浮かべているのだと、そう思った。

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