九話――ちゅーをした話  



 突然ではあるが、この魔法世界にも童話というものが存在する。


 人間が作るお話は、無意識下でも自然と似通っていくらしく、俺が元から知っている話によく似た童話を現在進行形で親から聞かされたりしている。


 その中の一つに、お姫様をかばって大怪我を負い、目を覚まさなくなった英雄が、お姫様のキスで目を覚ますという何ともベタな物語があったりする。

 付け加えると、このお話はアリアのお気に入りだったりもする。





 意識を取り戻した俺は、しかし目は開かず、今までにないほど戸惑っていた。


 どうしようかこの状況。


 一旦、落ち着いて整理してみよう。


 アリアの窮地をすんでのところで救った俺は、猛烈な倦怠感に襲われ、気絶。

 今になって考えてみると、その原因は把握できる。


 魔力切れだ。


 人間の生命活動に必要なマナまで搾り取って風魔法を構築した反動というわけだ。


 で、それはいい。


 魔力切れは身体の活動が生命維持の最低レベルに落とされるとはいえ、数十分も眠れば意識が戻るし、命に別状もない。


 ではさてここで、目の前で死んだように動かなくなった俺を目撃したアリア側の立場になって考えてみよう。

 

 まずもちろん焦る。

 そして不安になる。

 それだけじゃない、アリアの気持ちになって考えてみると、自分のせいで俺が倒れたと思うだろう。

 実際は俺の責任が強いわけだが。


 とまぁ、状況の整理はここまでにしておいて、次は現状の対処に参ろうか。


「……んぅ、ぁ」

「……」


 粘質の液体がやけに艶っぽい水音を立ている。

 柔らかくもひんやりとした両手が俺の頰をがっちりホールド、お腹の上に何者かがまたがっていた。


「……ウィルぅ、ウィルぅ……起きて、おねがいおきて……んぅっ」


 悲哀に染まった儚なげな涙声が、すがるように囁かれた。


 そしてまた、くちびるがやわらかいものに塞がれる。けっこう熱烈だよ。

 四歳児が三歳児の口の中に舌を入れている光景ってどうよ。すげぇ危ないよね。


 ……やべぇどうしよ。

 これってキスだよね? しかも今度は偶然なんかじゃない。


 落ち着け。いいか? 落ち着け俺。

 前世共々童貞だからと言って惑わされるな。相手はまだ四歳の女の子。この行為の重さもさほど分かっちゃいないんだ。


 ふー……、よし落ち着いた。

 

 さて、どうするのが正解なんだろう。


 たぶん一番良いのは、アリアがキスをやめてしばらくしてから、何事もなく意識を取り戻すって感じなんだけど……。


「……はぁ、はぁ……ぅんん……んぅ」


 終わる気配がない。

 

 息継ぎしてまで続けるとは恐れ入った。

 

 何がどうしてこうなった。いや、過程とその原因も何となく分かってるんだけども!


 時折、アリアの耳が俺の心臓付近に押し付けられて、「ちゃんとうごいてる……。なのになんで起きてくれないの……ウィルぅ……ねぇ、ウィル……」みたいな切ない囁きが聞こえてくる。

 俺が死んでないことは確認しているみたいだ。


 で、どうして俺を起こすためにキスをするという選択肢を選んだのか、と訊かれたら、子供だからってことなのか?

 あのアリアがお気に入りの童話を、信じきっているということなのかな。

 この状況を俺が理解しようとしたら、そういう過程しか思いつかん。


 あっ、体がなんかちょっと冷たくなってきた。


 そろそろ起きないとやばいよね。

 体動かさないと。

 本格的に死に迫る。凍死する。

 俺まだ死にたくない。


 なんてことを考えている間にも俺のくちびるは奪われ続けているわけで……。


「……あ」

「んぅ…………んっ、……っあ!?」


 あっ、やばっ、意図せず目を開けてしまった。


 少し間を置いて、アリアと目が合う。


 くちびるは重なったまんま。


 その後、五秒ほど二人で見つめ合い、そして、


「あぁーっ! だめっ! ウィルだめぇ!」


 羞恥に満ちた声音と共に、俺の目が乱暴に塞がれる。

 

「あのっ、アリぁぐむぅ…っ」

「だめぇぇっ!」

 

 口まで塞がれる。

 アリア、パニック。


 ……ちょっと、恥ずかしいのは分かるんだけど。腹に乗ったまま暴れるのはやめて。衝撃がモロに……、吐きそう。


 「だめぇっ」とか「いやぁっ」とか叫びながら、アリアはまったく落ち着く気配を見せない。

 

 しかし俺も抵抗できない。


 ただでさえ寒さにかじかむ上、魔力切れの影響で体が動かし辛い。そんな状態でアリアに押さえつけられているのだ。


 結局、アリアが力尽きて自主的に落ち着くまで、二十分はかかったように思う。





 現在、俺はアリアの手を引いて、雪が積もる森の中、村に帰る道を模索していた。


 結構、落下したからな……。

 まずは上方に登ったうえで、村のある方向を目指さなくてはならない。


 食料も、水もない中でこの状況は結構危ういな。魔物にも注意する必要がある。

 アリアを助けられたのはいいけど、このままだとそれも意味の無いことになってしまうかもしれない。


「……えっと、こっちか」


 そう呟いて俺がアリアの手を引いた時だった。


「あのね、ウィル……」

「……ん?」

「さっきのちゅーはね、その、……ちゅーは、死んじゃうかもしれないウィルをたすけるためにね……だから、まだね、まだ、その……」

 

 そんな恥ずかしげなアリアがたまらなく可愛くて、平時ならからかってやってもよかったのだが、生憎今は急を要する。

 俺自身が気恥ずかしいというのも、ないとは言えない。ていうかすげぇ恥ずかしいんだけど。


 俺は「そうだったんだね、ありがとうアリア」とさりげなく返してその場を迅速におさめた。


 なぜか少しだけアリアは不満げにしていたが、今はあまり気にもしていられない。


 俺たちは先を急いだ。

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