異世界でモテモテハーレム目指したら大変なことになった

青井かいか

プロローグ

プロローグ――その夜〜

カタリと風が窓を叩いた。


 俺は『彼女』が近づいてきたのかと気を逸らせ、身を激しく震わせる。

 背の筋を言い知れぬ冷たい恐怖感が這い上がる。


 しかし、音が鳴った方に視線を向けると、そこにあったのは綺麗な朧月だった。

 続く廊下の窓の外、夜闇にぼんやりと浮かぶその月は、俺が日本人だった頃に見たものとあまり変わらないように思える。


 そうだ。

 俺はかつては日本人だった。

 地球、それも平和な日本という国に生を受け、ぬくぬくと何の不自由もなく暮らしてきたはずだ。


 あの日までは。


 もしかすると、トラックに轢かれ、俺の新しい人生が始まったあの日から、俺はこうなることが決まっていたのかもしれない。


 剣と魔法の異世界に俺が記憶を引き継いで転生してから、ほぼ十五年。

 この世界では、男は十五歳、女は十歳から結婚することができる。


 結婚。

 人生の至福にも数えられるそのワードが、今では恐怖の対象にしかならないことにふと俺は気がつく。


 と、その時だ。


 唯一の灯りだった月を厚い雲が覆いかくし、屋敷の中は深い闇に包まれる。


 なぜだか、怖気が走った。


 嫌な予感がする。嫌な予感がする。嫌な予感がする。嫌な予感がする。イヤナヨカンがスル。


 ハヤク、この家から逃げ出さないと。


 まさか前世では異性との絶縁を誇っていたこの俺が、愛されるあまり女の子に怯える日が来るなんて、いったい誰が予測できただろうか。


 ハーレムを目指すのだと息巻いていたあの頃の俺を、今ではぶん殴りたくて仕方ない。



――――と、


「あはっ、どうしたのお兄ちゃんこんなところで……。お兄ちゃんがぐっすり眠れるように、せっかく拘束結界を張ってあげたのに……。まったくしょうがないなー、もう」


「……え、エレナ……か?」


 背後から、


「うん、……エレナだよ。お兄ちゃんのことを誰よりも愛してる、世界一の妹だもん」


 俺はエレナに抱きしめられた。

 慈しむように、労わるように、まるで触れるだけで崩れ落ちる壊れ物を包み込むように、ゆっくりと抱きしめられる。


 昔はその接触に少なくない多幸感を抱いたはずだ。


 だけど今は、まるで優しいのに鉛のように重いその抱擁は――


「好き、だいすきだよ、……お兄ちゃん。……絶対に、離さない」







「はぁ……はぁ……げほ」


 息が荒い。

 肺が苦しい。

 魔力ももう残り少ない。


 なんとかエレナをまいた俺は、手近にあった扉に飛びついて、中に転がり込む。


 絶え絶えになっている呼吸を強引に落ち着かせ、次第に息を殺していく。

 さらには気配も殺して、俺は小部屋の隅で膝を抱えて丸くなった。


 どうする? どうすればいい? 


 きっと俺が悪い。

 潔く、観念するか? 


 ダメだ。

 そうすればきっと、無事では済まない。

 体が冷え込む。恐怖が渦巻く。


 ……窓が、開く音がした。


 カラカラと、窓が開いて、すうっと夜風が入り込んでくる。冷気が足元から駆け上がって、俺に絡みつく。


「あっ、ウィルっ。やっぱりここにいた」


 タッと何者かが床に降り立つ音がする。

 見るまでもなく、声で分かった。


 幼馴染のアリアだ。


「ほら、はやくあたしと一緒にいこ? あたしはちゃんと分かってるよ? ウィルはエレナちゃんに脅されてたんでしょ? そんな気がする」

「……」

「でもあたしと一緒にいれば大丈夫だからさ、……あたしがちゃんと、ウィルを守ってあげるから。……だから、ね? ね?」


 金縛りにあったかのように身動き一つ取れない。

 慈母のように優しく、包容力のある微笑みを口元にたたえる彼女は正面から俺をそっと抱きこんだ。


 エレナから逃げる際に負った額の擦り傷を、アリアがいたわるように舐めたのが分かった。

 震えが走る。


「大丈夫、大丈夫だから……。あたしが一番ウィルのことを分かってあげられる。愛してあげられるから。……好きだよ、ウィル」


「な、なぁアリア」

「ん? なに?」


「……これは?」


 気づけば、俺の右手首とアリアの左手首が銀色に輝く鎖で結ばれていた。

 右手をよじると、ジャラジャラと金属が擦れ合う音が耳を撫でる。


 次に放たれたアリアの気後れの見当たらない言葉に、俺は戦慄した。



「うんっウィル、あたしたち、ずーっと一緒だよ?」








「ダメだ……だめだ……だめだ……」


 右手に付きっぱなしになった銀の鎖を引きずりながら、俺は屋敷の外を歩いていた。


 すでに走るような体力は残っていない。

 それでも遠くに、少しでも遠くに。とおくに。トオクに。


 頭がいたい。脳が痛む、きしむ。体が熱い。

 動悸が速い。


 フラフラになった俺が、人気のない、いつのまにか明るみが出てきた薄暗い明け方の村を歩いていると、ふいに誰かの人影が目に入った。


 一瞬、彼女たちにもう追いつかれてしまったのかと、俺の心を焦りと寒気が同時に覆い尽くした。


 しかし俺の目の前で戸惑ったような顔を見せている彼女は、


「ソ、ソフィア姉さん? もう帰って来てたの?」

「ど、どうしたのウィルくん。そんなにボロボロで……」


 正常ではない俺の姿を見ておろおろしている彼女を見ると、ひどく安心した。

 だから思わず俺は彼女に助けを求めた。

 落ち着いて今までの状況を考えれば、踏みとどまることができたのかもしれない。


 でも、この時の俺は、憔悴していた。


 俺が事情を全て打ち明けるまで、ソフィアは何も言わず、ただうなずいてくれた。


 そして神妙な顔つきを浮かべると……、


「まぁ……ここではなんとも言えないね。じゃ、とりあえず私のウチにおいで、そしたら匿かくまってもあげられるし」

「……うん」



 ソフィアの家に入れてもらった俺は、ダイニングルームにて、彼女とテーブルを挟んで椅子に座っていた。

 ソフィアに淹れてもらった紅茶をゆっくりとすする。

 とてもあったまる。

 冷え切った俺の体に、それは染み込むように感じられた。


「どう? 私お手製のお茶、美味しいでしょ?」

「うん、すごくあったまる」

「……よかったっ」


 頬杖をついて俺をやさしげに眺めるソフィアは、それを聞いて太陽のような笑顔を浮かべる。

 癒される。

 俺の波立つ心が、次第に和らいでいくのがわかった。


「もしマズイって言われたら、どうしようかと思っちゃったよ。だって……ううん、やっぱり何でもない」

「……ソフィア、姉さん?」


 気のせいだろうか、今の一瞬だけど、彼女の笑顔に陰が差したような……。

 言いようのない恐慌が胸の内に去来する。


 その時。俺の体に異常が訪れる。


 手足の先がしびれ、感覚が麻痺して、俺は手にしていた紅茶のカップを床に落としてしまう。

 ガチャンと陶器の破音が響き、赤みがかったオレンジ色の液体が床に広がる。

 その間にも俺を襲う痺れは広がり、全身をむしばむ。

 俺を支える脚は使い物にならなくなり、無様に床に倒れ伏す。


 おかしい……おかしい、何かがおかしい。


 ふとした時、その違和感の正体が判然とする。

 俺の異常に、ソフィアが動揺していないのだ。ただ、穏やかな笑みを浮かべるだけで。


 なぜ? なんでだ?


 答えは一つしかない。

 それは、この異常な事態を引き起こしたのが――


「ごめんねウィルくん。でもこうするのが一番ウィルのためになると思うの。だって私が一番ウィルくんのことを好きだから大好きだから愛してるから。……だから、ね? 分かって……」


 思考が晴れない。

 彼女が何を言っているのかは理解できても、どういう意味で言ってるのかは理解できない。


 体と頭が痺れる。

 誰かが俺の体に覆いかぶさってきた。やわらかい。だれだ? だれ?


 ただ最後、俺の耳には……、


「ソフィアお姉ちゃんと一緒に幸せになろうね? 好きだよ、ウィルくん。好き――――――

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