第50話 あのですね

「熊ぜったい殺すゥ!」

 ネム曹長は標的だったようだが、リン伍長はなぜ砕橋さいばしを用意してこなかったんだろう。防御を捨てて一矢報いるつもりだったんだろうか。普通の火熊ですら厳しいんじゃないかな。

 虫を払うようにちょちょいと空間を焼き裂く火熊。【単圧ひとえあつ】でも対抗できない。確かに空気は乱されるが、それと同時に断絶し、言わば別の空間となっているからだ。放置すれば静かに戻るが、触れて急激に戻れば爆発する厄介な罠である。【火食かじき】でも抜けられないわけだし、一対一では不利というか無理じゃね?

 だが、まったくの無策というわけではないようだ。

「これでも――食らえッ!」

 リン伍長は小瓶のようなものを投げ上げた。

 ネム曹長の強化された感覚なら、それが何であるか瞬時に捉えられるだろう。

「まさか――『乳蜂ビーナース』の蜂蜜! そんな……そんな餌でボクが釣られクマー!」

 はしっ。

 ピンクリボンの熊は、極上スイーツに飛び付いた。

 ここぞとばかりに、キラキラと光る残忍な棘の鞭が乱れ打たれる。

 びしー。ばしー。

「泣き叫ぶがいいわ!」

「うわ~ん、美味しいよ~」

 打たれるまま背を丸め、蜂蜜に舌鼓の熊娘。飯綱ですら毛皮を抜けないなら、ダメージを与える手段は無いだろう。

 こんなの、本当に生み出してよかったのだろうか。


         ☆


「――【重鱓おもうつぼ】!」

 一瞬だった。

 ダイ大佐のその構えから放たれたのは予想通りの突きと、尽きない切っ先の妖気。といっても鋭さはなく、擂鉢状の空洞ホローポイントが形成されている。盾が滑らせて受け流そうにも、妖気の対流が全方向に均等に滑るようになっているため、結果的に直進してしまう。

 リロードが間に合っていなかった妖気が、わんこそばのようにズルっと啜られる感覚。

「チッ!」

 盾をほんの少し傾けるのが間に合った。酷い金切り音と共に半分近く分解される。悪あがきの錬金術でスパッと簡単にはやらせない。

「ふーむ、勝負あったようだが?」

「やれやれ、やっと攻守交代ですかねえ?」

「減らず口を……終わらせてやろう!」

 そのまままっすぐ斬ってくる。逃げ回られるのが面倒だったのだろう。

 甘すぎる――まだ【戯汀あじゃらてい】は発動中だというのに。

 盾を投げ付ける。

「悪あがきを」

 難なく躱され、投げ付けた姿勢の左腕を契光刀で強打する。刃を出す以外にこんなモードがあるんだな。

 本来なら骨を粉砕するはずだったのだろうが、俺の腕は、

「ぎゃーッ!」

 なんでか三人が叫んだ。

 大佐は錯乱して、なおも斬り掛かる。

 俺は背を向けた。右手には盾から外した蓄把部を握っている。

 発動条件は『背後から攻撃されると盾ごと反転』、錬金術と妖術を同時に使うのはまだ不安なため、デバイスの組み込み術式を使うことにしたのだ。

 さすがに契光刀の妖気はすっからかんだろう。大佐も今度は容赦なく大振り。

 まんまとその背後に落ちた盾に瞬間移動した俺は、契光刀に手を向けて勝利宣言する。

「【鉄蒐スティールスティール】」


         ☆


 俺に這い上がるナナフシを見て、既に不安定だったリン伍長は失神した。

 ネム曹長はいじましく小瓶を舐めて精神の安定を保つ。

 ダイ大佐はというと、戦意は完全に失せている。そもそも殺意はなかったが。

「さて、事情聴取だ。僕はともかく、嫁が命を懸けるだけの大義があるのかね?」

「なんで戦ったんだろ……あのですね、情報量が尋常じゃないのと、あのですね、スーパースター的な? この世界でのセレブ的な存在がいらっしゃってですね、隠れ家的なとこに移動してみるのは如何でしょう?」

「……まあ、いいだろう。嫁を寝かせておくわけにもいかんしな」

「でも大佐、これからネットワーク繋ぐんですが、いままでどうなさってたんです?」

「干渉を気にしているのか……君の世界で喩えるなら、店に入る前に買う服は決まっている。店員に気を遣う必要はない」

「うーん、わかるような」

 伍長を抱き上げる大佐。小瓶を眺めて思い出に浸る熊。

「ほら曹長、行きますよ。それでやっぱ、ヨウ中尉は来ちゃうんですかね」

「教災科の正規編成でな。中部方面隊からも選抜した最強の部隊だ。君を始末し、晴れて一人の依代に戻ったあの子は、妖煌炉の柱となる。人は人へ。獣は獣へ。命が脅かされることもなくなる――母親がまともなら、最期を穏やかに過ごすこともできただろうに」

「理解はできませんが、断片的な情報は持ってます……母親がまともならってのは、自分とこもそうですけど」

「夫を……弟を殺して姿を消したんだ……イスカ……」

「えっ」

 こっちに来る直前、爺さんが呟いた言葉をなぜか思い起こす。

「自分の母親も、『イスカ』って名前なんすけど」

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