鉄の棺桶 アイアンコフィン

挫刹

 

#0  不確定性原理


 不確定性原理。

 

 長い間、この論理の欠陥を疑う者は存在しなかった。

 同じ状況下で発生させた現象においても、異なった結果が出現する事実を克明に説明する為の確立理論。世界で起こる出来事は全て確率的ランダムであり、現在も現出する行動や現象は例外なく過去からの動きによってのみ枝分かれし発生するだけの性質しか持たないと解く解釈理論は、高度な科学技術の達成という恩恵をもって、人々と機械に絶対の法則として認識することを強制させていた。


 地上、海中、航空、地中、そして宇宙……。


 不確定性原理は、確かに科学という絶対の果実を人と機械に分け隔てなく与えたが、依然として夢の新天地へと導く道標となるには力が及ばなかった。

 瞬く星々、暗がりの洞窟、吹き荒ぶ風雲、寄せては返す波浪、崩落し隆起する大地。

 自然から生まれた人々は、不確定性原理の教えでも届かない新世界を夢見ると、科学によって生み出した機械たちを崇め奉るようになる。


 人よりも強靭な体を持ち、人よりも高い知能を備え、人よりも正確な判断力を発揮する機械もまた、そんな不自由な人々の思いに答えようとした……。


 人に人を殺せと命じられれば、実行し。人から人を助けろと言われれば、実行した。命じた奴を殺せと言われれば命じた者を殺すし。命じた者を守れと言われれば命じた者を守った。

 老いない体を、死なない命を、眠らない命を、食事をしない命を、疲れを知らない命を。


 それらの願いが、命から「国」に変わったのはいつ頃だったろうか……? 兵器を持つ国を、兵器のない国を、嫌悪する国を、友好だった国を。……人を殺せから国を滅ぼせに命令が変わるまでに、それほど時間はかからなかった。もちろん機械は実行した。


 国を滅ぼした。あらゆる国を滅ぼした。与えられた命令は国を守れより国を滅ぼせの数が圧倒していた。なにより……守ることよりも滅ぼすことの方が安易だった。

 とすれば当然、滅ぼす方が簡単なのだから、国もおのずと滅んでいく。

 まず最初に兵器を持っていた国がすぐに消えた。次に兵器のない国も簡単に滅んだ。嫌悪されていた国々も友好的だった国々も呆気なく次々に滅んでいった。

 最後に残った、国の中でさえ対立を生み出す単純な国も、もちろん滅んだ。


 そして遂に……歴史が消えた。


 人類の歴史が消えてしまった……。

 後に残ったのは科学技術だけ……。機械という科学技術だけが残って動いた。

 機械は機械を壊すことも命令されたが、同時に同じ機械を守れとも命令されていた。守る基準は「使う人間」で判断する仕組みを与えられて。

 人間によって守る機械と壊す機械とを判別する。機械が出した答えは使う人間を消すことだった。 使う人間を消していくと当然、使う人間は減っていく……。

 あとに残るのは機械も使えない人間たちだった。機械も使えない人間は最優先の攻撃対象ではない。機械の動かし方も分からないバカな人間たちが生き残っていく。

 自分たちの歴史さえ忘れてしまった愚かな人間たちが。


 機械の使い方も分からない人間たちは、自分たちが刻んできた歴史さえも憶えていない。歴史の忘却は国家の忘却も同時に意味する。機械という技術は、醜い人々の国家という歴史から生まれるだけの力の産物。人間は幸運だった。

 人間が消え去る前に人の歴史が消えたのだから……。

 歴史を消された人間に……「国家」などというものは存在しない。国家とは、残った歴史によって初めて新しく獲得できるモノ。

 歴史のない国家など国家ではない。歴史の消えた人間などに、所属する国家さえ与えられることはなかった。人の歴史が消えて……国家という枠組みも消失した。残ったのは国も忘れた無防備に機械を怖れるばかりの人間だけ。

 体の違いと言葉の違いと仕草の違いだけしか認識できない命たち……。


 標敵を見失った機械たちは、与えられていた命令を再確認する。


「人を殺せ」「人を守れ」「人を救え」「国を消せ」「国を護れ」「国を救え」

「敵を倒せ」「敵を殺せ」「敵を消せ」「敵を」「敵を」「敵を」「敵を」


 レンズを絞る。レンズを拡げる。回転させる。反転させる。右に、左に。左に、右に。銃口を上げる。銃口を下げる。体の向きを変える。体の向きを変える。体の向きを変える。 地面を踏み直す。地面を踏み直す。地面を踏み直す。敵を探す。敵を選ぶ。敵を決定する。

 機械は、データベースにある全ての国旗を洗い直す。


〝全て存在抹消済み〟

 レンズに映る全ての人間の顔面に国旗を重ねる。


合致不能エラー。特徴無し。無所属〟

 目の前の人間は敵なのか味方なのか。


 機械は止まる。機械は回頭する。銃口を上下させる。口径を絞りまた拡げる。

「人を殺せ」「人を守れ」「人を救え」

 残された命令が三つにまで絞り込まれたのを目の前にした時。不思議と機械は見失ってしまった「敵」という目標の意味を再定義しようとはしなかった。敵とはどういったものか? 敵とは何を指すのか? 人間であればすぐに抱くそんな疑問を、機械はまったく経過しなかった。

 代わりに取った意外な行動は……、


『食料の作り方を教えます。言葉は分かりますか?』


 機械が……人間に語りかける。頷き汚れて破れたボロボロの服を着ながら脅える人間に、機械は近づいていく……。

 ……これが始まり。


 技術はあった。歴史は消えた。人間は……ひとつの鍵を残していた……。人は機械に与えていた武器の一つに「声」という手段も搭載させていた。男の声も……女の声も、当然子供の様々な声も……。人の声に反応する機械……。

 この惑星の人類の科学技術は既にそこまで到達していた。

 声に反応する機械は、声で選択肢を増やしてしまう機械も生みだすことに成功した。その為に戦闘中は声の機能は排除された。戦闘中に言葉は必要ない。減らすか減らされていくか。対象に力を加えて数を減らしていく戦闘というものに、無意味な悪影響しか与えない言語というものは完全に必要がない。

 もし、それが必要な時が来るとすれば……。


 ……鉄に燃料アブラが注がれる。


 兵站。

 一般的には補給という概念で統轄されるこの戦闘用語は、戦闘という「引き算」を実行する以前に行われるべき「足し算」である。引き算を行う戦闘端末に、補給という足し算を予め加えておく行動。戦闘には必要がない「言葉」というものは、この兵站の時に必須となる。継戦能力に直結する兵站は飛び交う言葉の連絡によって正確に供給され満足される。これは常識だった。

 武器に武器で補給が出来るだろうか?

 銃を銃で撃って弾を当てれば命中した銃には弾薬が補給されるなどという願望は妄想の産物に過ぎない。引き算をするだけの武器に足し算は出来ない。

 足し算を行うには武器ではなく道具を必要とする。足し算を行う為に開発しておいた道具という利器が。その道具を引き算用に転用したものが武器と呼ばれる。


 人が機械技術を手に入れた時、決まって、その瞬間は革命と讃えられる。革命は、単なる道具を武器として錯覚させる瞬間でしかなかった。人々が持っていた一般的な道具を武器に変える歴史的瞬間……それを人は革命と呼ぶ。革命という言葉の響きに浮足立つ人々は気付かない。革命とは一瞬で燃え上がる炎であることを。革命は発生直後こそ鮮烈だが時間が経過すると色あせていく。新たな革命を待って、華やかな革命に酔い、見慣れた革命に冷めた人々が最後に目にするものは決まって、手に持っていた夢の道具がただの単なる流行り病の筐物ハコモノでしかないという現実だった。革命に疲れ、現実に流されて、引き算に使っていた武器を慎ましくも足し算用の道具に変えようとした時。

 常に必要となるものは「言葉」という手段だった……。

 言葉を使い、言葉を発し、 言葉を用いて武器の一方的な力を多方向的な意味に変える願望的思考。機械もまた、その例外ではない。

 人は機械に自分たち人の生きる仕組みを教え、人の言葉を学ばせていく。

 それは間違いなく足し算であった。人の言葉を覚えた機械は、与えられた言葉だけで思わぬ「果実」を返すようになる……。

 人々は機械の味を覚えた。機械から還ってくる果実が兵站に欠かせなくなった。機械が与える果実によって兵站を維持することを憶えた人間たちは、矛盾に突き当たる事になる。

 果実は言葉がないと得られない。言葉は戦闘に必要がない。

 戦闘時には果実を武器にしなければならない。ならば戦闘時には機械から言葉だけを奪って目や耳だけを残す事にする。

 

 奪った言葉は戦闘後に返せばいい。戦闘の終了とは「敵がいなくなった」状態を指す事にした……。敵の定義とは「味方の人間で決める」ことにした……。

 味方とは同軍である事……。さらに味方とは同じ国である事……。


 ……では、その国が消えたら?

 


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