第二十四話 二人の過去

 大輝と勇輝は本当の兄妹ではない。


 大輝が勇輝と出会ったのは、彼が五つか六つの時分だった。

 彼は、当時、すでに孤児だった。親はいない。気がついたら、貧民窟である鱶河城にいた。そして、そんな子供達は彼以外にも沢山いた。

 大輝は、鱶河城の花街で、姐さん方のお使いをしてはお駄賃をもらって食いつないでいた。勿論それだけでは生活できないから、浅い区域で物乞いの真似事もした。


 その物乞いの集団の中に、いつの間にか『勇輝』はいた。

 その時、少女の名前は『勇輝』ではなかった。別の名前だったが、もう誰も覚えていない。ある事件をきっかけに、少女は彼の妹になり、『勇輝』になったのだ。


 少女の出自は、誰も知らなかった。いつ、鱶河城にやって来たのかさえ曖昧で、気がつけばそこにいた。

 少女は、鱶河城の出身でないことだけは確かだった。物乞いも下手で、安全な寝ぐらも知らない。本当に何も手に入らなかった時、どこへ行けば残飯が見つかるのかさえ知らなかった。そんなを知らずに、ここで五つか六つまで、無事に大きくなれるわけがなかった。だから、他所からここに捨てられたのだろう、と言うのが周りの予想だった。


 顔は綺麗だったから、下衆な男が声をかけることもあった。それの意味することを知らず、ついて行こうとするのを止めたことがきっかけで、少女は大輝に懐いた。


 大輝も、人一人世話ができるような優雅な暮らしをしていたわけではない。

 だが、にこにこと笑い、大輝の話を素直に聞き、慕ってくる少女を彼は突き離せなかった。


 少女はすぐ、物乞いの集団に馴染んだ。それだけではなく、大輝のお使いの手伝いをするようにもなった。子供一人では難しいことも、二人だと受けられることが増え、だんだん生活が上向きになり始めたのを感じだした頃、事件は起こった。


 花街の深部、どんな欲望でも、金さえあれば満たせる『華街』にお使いに行った時、大輝が色狂いの女に襲われたのだ。

 その当時、彼はまだ子供で。女といえど大人の、しかも色に狂っている人間の力には勝てなかった。


 欲望にギラギラと瞳を輝かせ、意味不明なことをわめき散らしながらも、男を求めてやまないその異様さに、大輝は怯え、泣くことしかできなかった。

 助けて、助けてと言う悲鳴に応えたのは、近くにいた少女だった。

 今や相棒と言えるまでに成長した少女は、大輝とともに『華街』へ来ていたのだった。


 だが、来ていたとして、何ができよう。

 小さな少女の体は、あっという間に叩き伏せられた。女の細腕とはいえ、強かに打ち据えられて、ぐったりとする。


 助けを求めれば、この少女がもっと酷い目に遭う。

 そう思った大輝は、口を噤んだ。どんな目に遭うとしても、少女が傷つくよりマシだと思ったのだ。


 ニタニタとした女の手が、舌が、大輝の肌の上を這い回る。

(――嫌だ。助けて、助けて。誰か……、……!)




 ――その時、神は降臨した。




 大輝の願いに反応したのか。勇輝の想いに応えたのか。

 小さな少女の身体を借りて、神はたった一言で世界を改変した。

 一瞬で女は無力化され、大輝は助かった。

 だが、その時も神はかえらなかった。

 自分を助けてくれた少女が、人ではないものになるのが嫌で、泣きながら少女を引き止めていた時、騒ぎを聞きつけてやってきたある大人が教えてくれたのだ。


「彼女に名前をつけ、それを契約とし、現世に縛りなさい」


 その時から、少女は『勇輝』になった。

 それ以来、彼らは『双子』として、鱶河城で頭角を現していく。

 そして、その力を見込まれて、子供のいない武家の養子となり、この渾天院に入学したのだった。


  ◇ ◇ ◇


「――俺が、こいつに名前を付けた時から、こいつは俺の妹になった」


 それは、大輝の心だけの問題ではなかった。

 今まで、二人のことをただの孤児二人組だと思っていた皆が、二人のことを『双子』だと認識するようになったのだ。それは、話の上だけのことでは済まなかった。他人の目に映る自分達の見た目にまで及んだ。


 孤児にしては体格も良く、悪餓鬼を体現したような大輝と、にこにこと笑って、すぐへにゃりと泣きそうになる勇輝を、周りの者は、「そっくりだ」「見分けがつかない」と言うようになったのだ。


 最初に聞いた時は、何を馬鹿な、と思った。だが、周りは本気でそう言っていた。それがわかった時、大輝は神の御力の深淵を覗いたような気がした。


 ――現実は改変された。二人が『双子』で違和感がないように。


 人の認識を阻害し、異なる印象を現実として刷り込むのなぞ、神にとっては朝飯前なのだろう。

 その影響は、名で縛った大輝以外の全てに及んだ。

 誰も、彼ら二人が『双子』でないなど、思う者は現れなかった。

 そして、それは現在に至るまで続いている。




「今、伊吹さんたちには、こいつはどう見えている?」


 大輝が、勇輝の髪をサラサラと撫でながら問うた。

 その流れ落ちる黒髪を見て、あぁ、大輝の髪の毛はもっとごわごわした髪だな、ということに気がついた。

 大輝の膝を借りて、瞼を閉じている勇輝は、どこからどう見ても少女にしか見えなかった。大輝との共通点を探すが、似ている所など見当たらない。


 どうしてこの二人を兄妹だなんて思えていたのだろう。


 出会った時から、よく似た双子だと思っていた自分の認識が、神により改変されたものだという事実に、伊吹は息を飲むしかできなかった。


 天幕の中に、沈黙が落ちる。

 今、彼らは山を下り、天幕の中にいた。


 脅威は去ったが、楠たちは見つかっていない。彼らを探す山狩りが行われている中、疲労困憊の伊吹隊と東雲隊は待機が命じられたのだった。各隊に分かれ、天幕の中で楠たちが見つかるのを待つ間、大輝が二人の過去をぼつぼつと話してくれた。


「今は、神が降臨し、その影響が抜けきってないから、『勇輝』は、『あの子』に見えると思います。でも、明日になれば、『あの子』は消えて、また俺そっくりになる。今している話も、きっと思い出せなくなる」


 子供の時も、今も。大輝は自分の判断が正しかったかどうか、ずっと迷っていた。


 自分の前で人が人で無くなるのが怖くて、こちら側に引き止めてしまったが。

 もしかしたら、『あの子』は神と共にあったほうが幸せだったのではないか、と。


 これまで幾度も泣かせた。戦いの中に放り込んで、守られることはあっても、守ってやれたことなどほとんどない。貴族にお遊びのように純潔を奪われ、しかもそいつは反省の色すら見えない。それから守るには、自分の力では無理で。伊吹の力を借りて、ようやくといったところである。これからも、きっと泣かせてしまうだろう。


 それなら、全てのくびきから解き放たれ、神とともにあったほうが、幸せだったのではないだろうか。


 今回の、あの魂も震えるような巫女舞を見て、強くそう思った。


 全てのしがらみを取り払い、神のためだけに舞う『あの子』。その表情は、恍惚として、愉悦に満ち、忘我の境地にあった。

 神とともに行くのが不幸だと、自分が幸せにしてやるんだと、断言できるだけの強さを大輝は持っていなかった。いや、その決意が、揺らいでいた。




 後悔する大輝をよそに、その後悔の大部分を占める元凶が、相変わらず尊大な口調で宣った。


「――だからか。俺がお前を気に食わんのは」

「……は?」


「いやな。俺とてそこまで心が狭い人間ではない。だから、勇輝が兄妹と仲良くするのくらい許してやろうと思うんだが……。実際、見るとムカついて堪らん。それがどうしてだとずっと疑問だったんだがな」

「はぁ」


 急に何を言い出すんだ、と生返事を返す大輝。それに一人、うんうん頷きながら、


「だが、先ほどの説明を聞いて、得心がいった。本当の兄妹でないから、気に食わんかったんだろう」


「お前、話聞いてた? 俺と勇輝は兄妹だって。神様がそう世界を作り変えたんだって!」


 最初は、神の祝福であった。それが、今はこんなにも重い。人一人、覚悟もなく作り変えてしまったのだ。勇輝が泣く度に、大輝の後悔は重くなっていく。

 だが、楓は全くそんなことに構わなかった。


「そんなこと知らん。俺は、優秀だからな。きっと、どこかでお前らが本当の兄妹でないことを感じ取っていたんだろう」

「無理だって! オメェの器がちいせぇだけだって!」

「そんなわけなかろう。俺は三条家次期当主だぞ? 人間的に大きくなければ、三条家全てを統括できんだろう」

「人間性と身分は直結しねーよ!」

「ははっ。知らないのか? 高貴であるというのは、身分が高いことと気品があることを兼ね備える言葉なのだぞ」


 大輝の後悔も自責も全く意に介さない楓は言い切った。


「大輝。お前が勇輝の本当の兄妹でないのなら、勇輝に触ることは俺が許さん。勇輝は俺が看病する。こっちへよこせ」


「誰が渡すかよ。俺らは、神様に認められた双子なんだっつーの。で? お前は、どうだよ。誰にも認められてねーじゃねーか」


「――っ! このっ! 俺は勇輝の気持ちをおもんぱかってやってだなぁ……!」

「はいはい、そこまで!」


 いつもの言い合いが始まりそうになり、伊吹が割って入った。


「あんまり大きな声を出したら、勇輝が起きてしまいますよ。あれだけの力を使った後なのですから、きちんと休息をとらせないと」


 勇輝の体のことを言われたら、二人に反論はできなかった。

 ぐっと押し黙り、勇輝の顔を覗き込む。覗き込まれた勇輝の瞼はぴたりと閉じられ、目覚める様子が伺えなかった。

 それにほっとした二人に、伊吹は向き直った。


「大輝。あなたは後悔しているかもしれませんが、私はあなたの選択が間違いだと思いませんよ」

「……ですかね」


 大輝は、慰められる資格がないというように、伊吹の言葉をやんわりと否定した。伊吹は、それでも彼の知っている事実を淡々と述べた。


「私は、渾天院に入ってからの勇輝しか知りませんが、あの子が、私の隊の神司を、誇りを持って務めていることくらいわかります。あなたと共にあって、あなたの後ろを守りたいと、勇輝は言っていたでしょう?」


 その泣き顔は、記憶に新しい。ついこの間の事だ。


「全てのしがらみから解き放たれ、神となれば、確かに泣くこともありません。しかし、笑うこともないでしょう。それは、本当に幸せだと言えますか? 泣かなければ幸せで、泣けば不幸だと、私は思いません。勇輝の幸せは、勇輝が決めるものです。あなたが憶測で、勇輝を決め付けないでください」

「そう……、ですね」


 伊吹に叱られて、大輝は苦笑する。伊吹に指摘され、いかに視野が狭まっていたか自覚したからだ。


 叱られる大輝を、優越感をにじませて楓が見ていた。その楓の方にも伊吹は顔を向けた。


「……それから、楓。あなたもです。今聞いたように、勇輝の生い立ちは、少々複雑なようです。なればこそ、勇輝の望みは何か、幸せは何か、よく考えなければなりませんよ」

「はいっ!」


 急に話を振られて、楓の背筋がピンと伸びる。そして、優等生のようにお行儀のいい返事をした。


 と、ちょうどその時、天幕の外が騒がしくなった。

 どうやら山狩りに行っていた者達が帰還したらしい。


「――帰ってきたようですね。私は、少し様子を見てきます。……いいですか、二人とも。私がいないからといって――喧嘩などしないように」


 強い瞳で二人を見ると、二人は揃って背筋を伸ばして、「はい」と返事した。いい後輩たちだ。

 それににこりと笑うと、伊吹は天幕を出て行った。


 天幕の外が騒がしかった理由はすぐにわかった。楠たちが保護されたのだ。

 伊吹は安堵とともに彼らへと駆け寄った。

 こうして、校外実習は、一応、無事にその幕を閉じたのだった。

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