第十六話 求婚

「先輩。大輝です。勇輝もいます」


 大輝がこんこん、と引き戸を叩いて来訪の合図をすると、部屋の主が自ら出てきて、二人を中に招き入れてくれた。


「悪いね。呼び立ててしまって」

「いえ。楓ならともかく、先輩だったら構いませんよ」

 と大輝は苦笑した。


 毎日、事あるごとに勇輝を呼びつける楓に、大輝はかなりうんざりしていた。勇輝が呼び出されたら、それを見張るために大輝も行かざるを得ない。それで二人の日常は狂いっぱなしだった。

 今夜は、楓の近習が恐る恐る呼びに来る前に、伊吹からの誘いが来たので、これ幸いとばかりに逃げてきたのだった。


 伊吹は二人にお茶を出した。

 それでもなかなか本題を切り出そうとしない伊吹に、大輝がしびれを切らしそうになった時に、彼はようようその重い口を開いた。


「勇輝は、楓と昨夜のような話をよくするのかい?」

「昨日のようにですか?ええ、最近はほとんど毎日ああやって……」

「いや、そうじゃなくて」


 その否定に、大輝も勇輝もきょとんとした。

 伊吹は、伝わらなかったことがわかったようで、質問の仕方を変えた。


「……家の話をしたのは、昨日が初めて?」

「……そうです、けど……?」

「他には、どんな話を」

「どんな、って……他愛ない話ですよ。その日あったこととか……」


 な、と勇輝に確認されて、大輝もああ、と答えた。

 だが、それでも伊吹の表情は険しいままだった。何かまずかったのだろうか。


「その日あったこと以外は?」

「好きなものの話とか、ですけど」


 そう、と伊吹は呟くと、意を決したように二人を見た。

 そして、私の思い過ごしならいいんだけど、と前置きをして、二人に爆弾を投下した。


「楓が話していた家って、勇輝、君と二人で住む家の話じゃないかな」

「は?」

「えぇ!?」


 思わぬ指摘に、二人揃って間抜けな声が出た。

 そんな二人に、伊吹は非常に言いにくそうに言葉を紡ぐ。


「ここ最近の楓を見ていたら、勇輝を諦めた様子が全くないだろう? あの時、あれだけはっきりと勇輝に拒絶されたのに、全くなかったことになっているのが気になっていてね……」


 伊吹にそう言われて、二人は確かにそうだ、と気がつく。

 楓は自尊心の塊のような少年だ。そんな人物があれだけはっきり拒絶されたのに、こうも平気でいられるとは思えない。むしろ、勇輝のことを避けたほうがしっくりくる。

 なのに、避けるどころか、勇輝に執着している。

 その真意は――?


「楓の思惑がどこにあるか、私にはわからない。……一度、私は楓に懇々こんこんと説いたことがあるんだ。勇輝と今まで以上の関係になりたかったら、きちんと誠意を見せて謝りなさい、って。だから、ここ最近の行動は楓なりの謝罪かと思っていたんだ。けれど……」


 楓なりの謝罪、という言葉を聞いて、大輝は反射的に違う、と思った。

 である大輝にさえ、敵愾心むき出しで、勇輝に対する独占欲を隠そうともしない楓の行動は、とても自分のしたことを後悔している人物がする行動とは思えなかった。

 ここ最近の楓の様子は、謝罪というよりも――。


「……けれど、昨日の話を聞いていて、思ったんだ。楓は、相変わらず勇輝のことを……言葉は悪いけれど……、自分の所有物だと思っているんじゃないかって」


 伊吹が途中で言い淀んだのは、勇輝の顔色がひどく悪くなっていったからだろう。

 大輝は、卓の下で握り締められた勇輝の手に、自分の手を重ねた。

 俺がついている、と伝わっただろうか。


「確認したいんだけれど……、月のものは?」

「……まだです」


 ぞっと、大輝の血の気が下がる。

 それは、大輝も心配していたことだった。だが、聞くのがはばかられて聞けずにいたことだった。


「あ、でも、予定日もまだで……」


 二人の顔が強張ったのを見て、勇輝が慌てて付け足した。

 予定日はまだとはいえ、もし、その予定日が過ぎても来なかったら?

 勇輝の腹には、楓の子がいることになる。

 そうなれば、産むか殺すか選ばなければならない。それは、この渾天院に残るか去るか、と同義だった。

 あのことは忘れ、渾天院に残ることを決意した勇輝。それは、自分さえ我慢すれば、という自己犠牲の精神も多分にあったのだろう。だが、そこに『子』の命が絡んできたら?

 同じ選択ができるのだろうか。自分をあんな目に合わせた楓にすら同情し、拒絶しきれない優しい勇輝に。


 大輝は知っていた。勇輝があの夜の夢に、さいなまれていることに。そして、それとは別に、半ば楓を許してしまっていることに。

 きっと、勇輝の中であの夜の楓と、可愛い後輩だった楓が同じ人物だと思えないのだろう。それで、苛まれながらも、楓が懐いて来ることを受け入れている。

 それは甘い、と大輝は思う。だが、同時にその甘さが勇輝なんだよな、とも思う。だから、その甘さごと守ってやらなければと決めている。


 伊吹は、勇輝の返事を聞いて、痛ましそうに一瞬、目線をそらした。だが、まだ聞くべきことは残っていたようだ。言いにくそうに、聞きにくそうに、慎重に言葉を選びながら、勇輝に問い続けた。


「……君が楓から謝罪を受けたことは?」

「ありません」

「君が、楓の要求を受け入れたことは?」

「……ありません」


 一瞬、躊躇したのは、気のせいだろうか。

 だが、伊吹は更に問う。


「君が、楓の妻、もしくは妾になることは?」

「ありえません!」


 涙混じりの悲鳴を勇輝は上げた。

 勇輝は、伊吹の問いを、楓の妻、もしくは妾になる気はないか、と捉えたようだった。


「だって、僕は、伊吹隊の神司で、僕がいなかったら、誰がこいつの無鉄砲を支援できるんですか! 誰が、脇の甘い楓に防壁を張ってやるんですか! 二人とも、連携する気も全くないから、僕は……、僕がいなきゃ……!」


 そこで勇輝は言葉を切ると、がばっと土下座をした。


「先輩、捨てないでください! 僕、問題ばっかで、力も足りないし、でも、戦えなきゃ、意味ないんです! 僕、大輝と、大輝のそばで、そばにいなきゃ!」


 勇輝の血を吐くような叫びに、大輝の胸がぎゅうと締め付けられた。

 大輝は、大輝だけは、勇輝の焦燥がわかっていた。

 二人とも、あの貧民窟のクソみたいな人生を、少しでもよくしようと足掻あがいて足掻いて、ここまで上がってきたのだ。

 それは、二人の努力もあったが、伊吹に引き立てられたという幸運もあった。

 伊吹が、新しく部隊を作るときに、二人の可能性を信じて引き入れてくれたのだ。だから、二人にとって伊吹は恩人であり、目標でもあった。

 その伊吹の元で、戦って傷ついて除隊されるならともかく、こんな色恋沙汰とも呼べない問題で騒がせて除隊になる、など受け入れられるわけがなかった。

 だから、大輝も勇輝の隣で土下座した。


「先輩、俺からもお願いします! 俺は、こいつの支援がなきゃ、力が発揮できねぇ!」


 勇輝の隣で、同じように手をついて、ひたいを畳に擦り付けた。勇輝が大輝のために土下座をするなら、大輝は勇輝のために土下座をするのだ。それができぬようでは、『兄』ではない。


 それに慌てたのは伊吹だった。


「二人とも、顔をあげなさい! 責めているわけじゃないんだ」


 伊吹が腰を上げて、二人の元へ駆け寄ってくる気配がする。

 しかし、大輝はその声にも顔を上げようとしなかった。それが、無理やり上を向かされる。

 勇輝も同様だった。だが、勇輝は、それでもなお、畳に手をついて、ボロボロと泣いていた。その見た目よりもずっと華奢な背中を、大輝はさすってやるしかできなかった。


「勇輝、誤解させてすまなかった。君に家に入れ、といっているわけではないんだ。君の意思を確認しておきたかっただけなんだ」


 伊吹が、子供をあやすように優しく語りかけた。その言葉を、勇輝はしゃくりを上げながら大人しく聞いていた。


「もし、君が楓と和解して、あの子を受け入れたのなら、今から私が言おうとしていることは、完全にお門違いになってしまうからね。……君は、私の部隊で戦い続ける気はあるかい」

「うっく……。戦い、ますっ……。すっ、捨て、ないでっ、ください……」


 勇輝の口から、弱々しい懇願の声が溢れる。


「しかし、楓は、君を諦めていないだろう? あの子は、一度言い出したら、聞かないところがあるから。それに、やや子ができていたらどうする?」

「それは……」


 その問いに、勇輝は答えられなかった。答えられるわけがなかった。今の勇輝には、何もない。金も、力も、権力も。女としてここを出るのなら、養家の後ろ盾すらないのだ。


 そこで、伊吹は一旦、口を閉じた。そして、大輝の方をチラリと見る。その視線には、迷いと不安、そして一瞬だけ熱があった。

 だが、それも一瞬で、次の瞬間には、いつも通り作戦を伝える時の力強い瞳に戻っていた。


 そして、勇輝の瞳をひたと見つめると、一言一言、はっきりと言った。


「なら、私と一緒にならないか。名義だけでも、りだけでもいい。君が嫌がることは一切しないと約束しよう。生まれて来る子も、私の子とする。だから、これからも、戦場で私の隣に立っていて欲しい」


 それは、色気も何もなかったが、確かに伊吹から勇輝への求婚だった。

 大輝も、勇輝も、考えたこともなかった伊吹の言葉に、ただぽかんと彼を見つめてしまった。

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