第十三話 帰還。そして日常へ

「お〜! 大輝に勇輝じゃね〜か!」


 朝、寮から講義がある棟に向かって歩いていると、ばしん、と背中が遠慮なく叩かれた。大輝は「って〜な」と遠慮なく悪態をついた。こんなことする奴は、一人しか知らないからだ。


「虎徹、てめー、バカみたいな握力してんだから、加減しろって、いっつも言ってるだろ〜が!」

「や〜、すまん。すまん」


 後ろを振り返ってみると、ちっとも反省していない顔で熊のような男が立っていた。その後ろから、ひょろりとした青年が顔を出す。思った通り、虎徹と太一だった。


「このバカなりの愛情表現だからさ。許してやってよ。帰って来ない間中、お通夜みたいだったんだから」

「太一! それを言うなって!」


 虎徹が、顔を真っ赤にして太一を振り返った。


「は〜ん。俺らがいなくて、寂しかったんでちゅか〜?」


 大輝がおどけてからかうと、虎徹は顔を赤らめながら、そーだよ、悪いか、と認めた。その様子に、本気で心配をかけていたんだなぁ、と思う。

 だが、そんな気持ちを素直に言えないのが、これくらいの年頃の男というものである。


「てめ〜、俺らを勝手に殺してんじゃね〜よ!」


 そう言って、腹に軽く一撃をお見舞いする。それに、痛って〜なと言いながらも、嬉しそうな虎徹。

 今日は、任務から帰ってきた二人が、久々に渾天院に復活する日だった。


「二人とも、包帯巻いてるけど、どうしたの」


 太一が心配そうに、二人に尋ねた。太一の言葉通り、大輝は左腕に、勇輝は首と両手首に包帯が巻かれていた。


「これ? これはなんつーか……男の勲章ってやつ?」


 大輝が適当なことを言ったら、太一はすぐさま勇輝を伺い見た。勇輝なら、まともな答えが返ってくると思ったのだろう。だが、太一の予想に反して、勇輝も困ったように、「う〜ん。俺も、強いて言うなら、勲章?」と言うのみだった。

 なんだそれ、と、太一は呆れた声を出す。

 だが、二人はそう誤魔化すしかなかった。なぜなら、勇輝の包帯の下には、噛み跡や拘束の跡が鮮やかに残っていたからだ。だから、誤魔化すために二人ともが怪我をしたことにして、目立つところに包帯を巻いているというわけだ。

 木を隠すなら、森の中。怪我を隠すなら、包帯の下、である。


「てゆーか、ただの哨戒任務だろ?なんでこんな時間かかったんだよ」


 横から、虎徹が一番気になっていたであろうことを尋ねた。それは、誰もが思っていた疑問だった。哨戒任務といえば、危険性が低い、というのは渾天院の常識だ。なのに、あの伊吹隊が予定以上の時間を食うとは。

 何があったのだ、と皆聞きたくてたまらなかったが。


「それは言えないねぇ。『守秘義務』」

「っかー。マジか」


 勇輝のとぼけた答えに、虎徹は大げさに嘆いた。

 それを見ながら勇輝は笑った。その笑顔を見て、大輝はホッとする。


「便利な言葉だよねぇ。守秘義務って」

「オメーが言うか」


 『守秘義務』と言われれば、それ以上尋ねられない。任務の種類によっては、たとえ同輩であっても言えないことはある。そして、その言葉が出た以上、更に尋ねるのは、禁則事項に当たった。

 だから、虎徹は聞けない代わりに、勇輝の頭を抱えると、それを乱暴にガシガシと撫でくりまわした。

 その乱暴さに、大輝はヒヤリとする。だが、勇輝は気にしていないようで、「痛いよー」と言いながら笑っていた。


(笑えてる。なら、これでいいんだ)


 三条家でも、帰路も、勇輝は辛そうだった。だから、『忘れる』という選択肢を選んだことを後悔しかけていたのだが……。

 この調子なら、大丈夫そうだと大輝が安心した時だ。


「お前、勇輝に馴れ馴れしいぞ!」

「楓!?」


 二人の間に、ぐいと割り込む影があった。

 その小さな影は、楓だった。

 楓は二人の間に割り込みながら、ぷんすかと頭から湯気を出していた。


「勇輝も勇輝だ! なんでこんな奴と楽しそうにしているんだ!」

「ちょい待ち、ちょい待ち! 楓!?」

「なんだぁ? 三条家のお坊ちゃんじゃねーっすか。どうしたんっすか」


 虎徹が、びっくりしながらも鷹揚に尋ねた。そののんびりした様子が気に食わなかったのだろう。楓は苛つきながら、


「どうしたも、こうしたもなぁ! 勇輝は……!」

「楓!」


 楓の言葉は、勇輝の手によって阻まれた。それでも、モゴモゴと口を動かし、不満を表す。


「おはようございます。皆様」


 その後ろから、楓付きの近習の青羽がのんびりと声をかけて来た。青羽の背後には、他の楓の近習も控えていた。

 彼らに律儀におはようございます、と返す太一。勇輝もつられて、おはようございます、と頭を下げていた。

 こいつらは呑気すぎる、と大輝は敵愾心むき出しで凄んだ。


「なんでいんだよ、坊ちゃん」


 だが、楓はそれを真正面から受けても怯まなかった。


「いたら悪いか、大輝。俺とて、この渾天院生だぞ」

「じゃー、とっとと自分のトコ行けよ、年少」

「何を言っている。朝の挨拶は人としての基本だぞ」


 そんなことも知らんのか、と言う楓に、何がだ、と吐き捨てる大輝。

 いつも通りのようでいて、どこか険悪な気配を感じ取った太一が、なんかあったのか?と小声で勇輝に尋ねた。それを勇輝は、困った顔でう〜んと誤魔化した。


「勇輝、あのな……!」


 楓が大輝と対峙していた時と全く違う、キラキラした顔で勇輝の方を向いた。何かいいことがあって、それを言いたくてたまらない顔をしていた。

 だが、そこに、予鈴がかぶさる。


「……やべっ、一限、谷垣教官だぜ!」


 虎徹が慌てたような声を出す。谷垣は、自分よりも入室が遅い生徒を、容赦無く欠席扱いにする教官だった。そのことを思い出した大輝は、血相を変えた。


「やべっ。行くぞ、勇輝」

「あぁ」


 大輝の言葉に、勇輝も身を翻した。だが、その視界の端に、傷ついたような楓の顔が見えた。

 だが、大輝と目が合うと、ふんっ! と顔を背けた。

 ――全く、かわいくない。

 そんな楓に、かけなくてもいいのに、勇輝は、

「楓! お前も急げよ! 授業だろ!」

 と声をかけた。だが、それでも不満そうな顔は変わらなかった。


  ◇ ◇ ◇


「ホント、なんなんスか、あいつ!」


 夜。招かれた伊吹の私室で、大輝はぐったりしていた。

 伊吹の私室は、寮の最上階にあった。二段になった寝台と机を置いたら一杯一杯の大輝たちの部屋と違って、広々とした空間が広がっている。伊吹の部屋は、楓と同様、近習のための部屋もあったが、伊吹には近習がいない。そのため、その部屋は使われることなく閉じられていた。

 こんなに広い所に一人で、寂しくないのかな、とは勇輝の感想だ。


「一日中、勇輝に付きまといやがって」


 大輝が言う『あいつ』とは、もちろん、楓のことだ。

 楓は、今日一日、幾度となく勇輝の元へ姿を現した。

 昼食はもちろん、その後すぐ教室へ戻ろうとしたら癇癪を起こされ、今日一日の課程が終わった後も何をするでもなく勇輝のそばを離れなかった。夜も、部屋で課題をしていると、楓の近習が呼びに来た。自分の部屋へ来い、と。

 流石に勇輝も呼び出しに応じるようなバカではない。一度はそれを断ったのだが、入れ替わり立ち替わり楓の近習達が部屋を訪れたので、根負けして今は談話室で話しているはずだ。


「あの子も、一度言い出したら聞かないところがあるから……」


 と、伊吹は申し訳なさそうに急須からお茶を注ぐ。そうして、最後の一滴まできちんと出し切ると、片方の湯呑みをどうぞ、と大輝に差し出した。


「あ、どもっす」


 先輩に手ずから淹れさせるなんて、とうるさ型の人間が見たら憤慨しそうな光景だ。だが、大輝は伊吹がこうやってお茶を淹れるのが好きだと知っている。だから、俺が淹れます、とも言いださないし、淹れてもらったお茶は、ありがたく頂戴する。


 淹れてもらったお茶を飲みながら、ぼつぼつ話をする。今日の楓の様子、勇輝の心痛のこと。

 特に、あの日のことを忘れると誓った約束は、それでいいのかという迷いもあったため、伊吹に詳しく話した。

 だが、大輝の一番の目的は、そんな話ではなかった。大輝は、伊吹に聞きたいことがあった。

 それを聞くために、彼は機会を伺っていた。

 そして、それは伊吹も覚悟しているようだった。




 場が落ち着いたのを見計らって、大輝が切り出した。


「――先輩は、勇輝が狙われてるって、知ってたんっスか」


 返答次第では、ただじゃおかない、と言う大輝の視線に、伊吹は目線をらしてしまった。畳の目を見ながら、言葉を紡ぐ。


「知っていた……訳ではない。ただ、もしかしたら、と思っていただけだ」


 ここで返答を間違えれば、大輝は自分の元を離れて行くだろう、ということを感じ取った伊吹は、慎重に言葉を選んだ。

 大輝が無言で、続きを促す。

 伊吹は非常に言いにくそうに、言葉を絞り出した。


「上流階級の者の中には、選民意識に染まっている者がいる、というのは、大輝も知っているだろう? 楓の家――三条家は、特にそれが顕著なんだ。ある一定の身分以下の者は、人とも思っていない。そういう家で――」

「だから?」


 そんなことは関係ない、と冷たく大輝が切り捨てた。


「だから……。だから、久しぶりに帰って来た息子と同じ隊に、女性がいるのを見て、思ったんだと思う」


 そこで、伊吹は躊躇した。だが、大輝の視線に促されて、重い口を開く。


「――、って」


 ばちん!と、空気が鳴った。大輝の全身から、制御しきれない感情が漏れ出す。


「っざけんなよ……!」

 今にも人を殺しかねない大輝に、慌てて伊吹は言った。


「大輝、私は楓も被害者だと思っている!」

 大輝の手を取り、その感情を少しでも抑えようと言葉を重ねた。


「君や勇輝から見たら、楓こそ一番の元凶なのかもしれない。でも、あの家で、楓が自由にできることなど、ないんだ」

「――どう言うことっすか」


 伊吹の必死の言葉に、大輝がやや落ち着く。


はたから見たら、楓はあの家で下に置かれぬ扱いをされていると思うだろう?でも、楓の希望が通るのは、それがどんな小さなことだって、全て楓のご母堂の許可があってこそなんだ。彼女の意に染まぬことは、あの家では一つも起こらない。起こせない。そういう家なんだ、あそこは」

「ってことは……」

「あの夜のことも、楓のご母堂の意向が働いたんだと思う。でないとあの家の家人は動かない」

「あんの、ババァが元凶か……!」


 あの女怪とも言える女性を、『ババァ』と切り捨てる大輝の胆力に伊吹は感心した。


「大輝、君の大切な家族に、危険が迫っているのを薄々感じながら、確証がない、という言い訳で離れてしまったのは、私の落ち度だ」


 そういうと、伊吹は大輝から身を離し、畳に手をついた。


「その上で、非常に身勝手なお願いを言う。楓を許してほしい、とは言えない。しかし、楓に、機会をくれないか」

「機会?」


 伊吹にとって、大輝も勇輝も大切な仲間だった。自分が見初めて、一緒に成長して来たのだ。

 最初から、伊吹も優秀な指揮官だったわけではない。だが、不安な時は二人が支え、怖気付いた時は叱咤し、どんな危機的状況にも笑って力をくれた。


 そして、それと同様に、楓もかわいい弟なのだ。家は違えど、小さい時から『兄様』、と自分を慕い、自分とともに戦うために、ここまで追いかけて来た。まだ、世界の狡さ、汚さを知らず、箱の中でぬくぬくと過ごしている少年。その子が、きちんとした人間になれるように手助けをするのは、兄である自分の役目である。


 だから。

 だから、機会が欲しい。楓が変わるための。あの家の歪んだ価値観から抜け出すための。


 それを伝えると、大輝ははぁ、とため息をついた。


「先輩……、いや、伊吹さん」


 凛とした強い瞳で、伊吹を見つめる。その顔は、一人前の男の顔だった。

 大輝は、いつの頃からか、時々こうやって伊吹を名前で呼ぶ。

 そして、そう言う時、大輝は伊吹を何者でもない『伊吹』として扱った。『近衛家の次期当主』でも、『渾天院一の俊英』でもない。それは、伊吹をただ一人の人間として、対等に話す、と言う証に思えた。


 今まではそれが嬉しかったのに、今日はこんなに――怖い。


「俺は、勇輝をあんな目に合わせた奴が許せねぇ。可能なら、勇輝の味わった屈辱を味あわせて、ぶっ殺してやりてーと思ってる」


 その言葉に、伊吹は項垂うなだれた。虫のいい話だと言うのはわかっていた。それでも大輝なら、と浅ましい考えを抱いた自分が申し訳なかった。

 だから、続いた大輝の言葉に、目を見張った。


「でも、伊吹さんが勇輝のことですげぇ後悔しているのも知ってる。そもそも、伊吹さんが謝る必要はねーんだ。なのに、こうやって俺たちみたいなのにまで頭を下げてくれただろ」

「俺たちみたいなのって……!」

「あぁ、今はそこはいいんだ。――だから、今は伊吹さんの言うことを信じる。俺たちには、どう足掻あがいたって楓の家の内情なんて、わからない。だから、ずっと楓を見て来た伊吹さんがそう言うんなら、それを信じてもいい」

「大輝……」


 そう呟いて、再度畳についた手を、大輝が握りしめた。


「だから、謝んなくていーんだって。勇輝も言ってたぜ。自分の力が足りないばかりに、こんなことになって、伊吹さんに心配かけて、申し訳ねーって」

「そんなこと……! あの子が一番……!」


 あんな目にあってなお、伊吹の心配をする勇輝に、伊吹の目頭が熱くなる。


「伊吹さん。俺たちの隊長はあんただ。だから、俺は隊長の決定に従う。……お手並み、拝見させていただきますよ?」

「……隊長で、いていいのか」

「もちろん。伊吹さんが嫌って言っても、俺はついていきますよ。俺は伊吹隊一番の先駆なんだから」


 その言葉に、伊吹の目からポロポロと涙がこぼれた。


「あ〜ぁ、何泣いてんスか。綺麗な顔が台無しだ」


 大輝が、苦笑しながら伊吹の涙を拭う。それはとても壊れやすいものを扱うような、優しい手つきだった。

 その手の温もりが嬉しくて、伊吹はまた涙を溢した。

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