第二話 新たな指令

「次の模擬訓練は、哨戒任務です」


 伊吹は、集まった三人の顔を見て、そう口を開いた。


 伊吹の私室には、伊吹隊の隊員である楓と大輝、勇輝の双子が呼び出されていた。


 渾天院から随時、与えられる模擬訓練。その打ち合わせは、基本的に隊員以外の参加は認められていない。それ故、邪魔の入らないところで行われる。

 伊吹隊は、わざわざ小部屋を借りるのも面倒だと、伊吹の私室にある居室で行うことが多かった。


 供されたお茶を手に、ふんふんと伊吹の説明を聞く楓達。


「都からうしとらの方角にある八ノ瀬山。そこの巡回と結界の張り直しが今回の目的になります」


 伊吹は片手に指令書こそ持っていたが、内容は全て頭に入っているのか、そちらの方へ目をやることはなかった。

 机の上に広げられた都の地図を見ながら、滔々とうとうと説明していく。


「八ノ瀬山はなだらかな勾配が続く山です。山から里にかけて大きな本流が一本、支流は複数あります。自然豊かで実りも多く、獣が人を襲うことはないとのことです」


 八ノ瀬山、と聞いて、楓の胸が踊った。なぜなら、そこは楓の生家の近くだからだ。楓も、父や家の私兵と共に、何度も八ノ瀬山へ行ったことがある。自分の庭、とまではいかないが、よく知った山なので、伊吹の力になれるかもしれない。




 伊吹の説明が一通り終わり、話が途切れた時を狙って、楓はあの、と声を上げた。


「――八ノ瀬山なら、私の生家の近くです。この山の案内なら、私に任せていただけないでしょうか」


 はやる気持ちを抑えて、あくまで冷静に楓は言った。楓はここに、遊びでいるのではない。予備とはいえ、軍籍に身を置く者の自覚くらいある。

 伊吹は、楓の目を見つめ返すと、にっこり微笑んだ。


「うん。今回の任務は、楓がいるから私達の隊に回ってきたんだと思う。楓、よろしくね」


 それは、説明の時より、幾分砕けた口調だった。それが、伊吹の真からの言葉に感じられて、楓の心は踊った。


「はい、伊吹兄様!」


 兄様、と言うが、楓と伊吹の間に血縁はない。ただ、楓は昔から伊吹と交流があり、彼に憧れて兄と慕っているのだ。また、伊吹もそんな楓の好意を無碍むげにはせず、こうして自分の隊に引き入れてくれた。


 今までの模擬訓練や演習では、伊吹と双子の行動についていくのに必死で、なかなか役に立てなかったが、今回、地の利は楓にある。

 初めて伊吹の役に立てるかもしれないと、楓は舞い上がった。


  ◇ ◇ ◇


 だが、舞い上がっていたのは、楓だけらしい。


「哨戒任務っすか〜。それ、何日くらいの予定です?」


 大輝が、間違った敬語ながら、一応、丁寧な口調で伊吹に訊ねた。そこには、あまり歓迎の色が見えなかった。


「先生からの指示では、十日ほど。あの地は、三条家が管理しているから、本当にただの野営訓練になると思う」

「じゃ、延長する可能性は?」

「ほぼ無いと、私は思っている」


 何か問題でも? と問う伊吹に答えず、大輝は今まで口を挟まずにおとなしくしていた勇輝の方を見遣った。


「勇輝、この日程で大丈夫か」

「え? あぁ、うん。全然。――大丈夫」


 そっか、と話す双子に、楓は思わず声を掛けた。


「なんだ、勇輝。何かあるのか」


 とがめるような楓の声色に、勇輝は困ったような曖昧な微笑みを浮かべた。


「何か……というわけでもないんだけどね。どうしても、体調的に野営を避けたほうがいい時もあるからさ」

「――はぁ? お前、士官になろうというものが、野営が大変だから嫌だとか言うのか?」


 お前は、大輝と違って見所があると思っていたのに、と憤慨する楓に、伊吹と大輝が驚いたような表情になる。

 その表情を見た楓の方が驚いた。身内贔屓びいきのひどい大輝はともかく、伊吹も驚くとは。何か変なことを言っただろうか。


「坊ちゃん、勇輝はそんなこと言ってねーだろ」

「だが、将来、四至鎮守軍に入ったら、どんな条件で討伐に向かうか、わからないんだぞ。体調が万全でない時にも、討伐が入るかもしれないじゃないか」


 楓は、自分は間違っていないと思った。これは、誰もが渾天院で初めに叩き込まれることだからだ。


「……そりゃ、そうだけどよー」

「そもそも、任務に向けて、気力・体力を満たすのは、当然じゃないか。それをできないかもしれないからと、今から予防線を張るのは、おかしい話だろ」


 楓が言うことは正しい。こちらの体調に関係なく、妖は出現するし、結界は破れる。なら、どんな時、どんな体調でも、きちんと動ける様にしておかなければならないと、この渾天院では叩き込まれている。叩き込まれているのだが――。


「楓。あなたの言っていることはわかりますが、それはいささのでは?」


 伊吹まで、勇輝をかばうようなことを言い出した。


「伊吹兄様? 兄様まで、そんなことをおっしゃるのですか。――勇輝のことを甘やかしすぎでは?」


 楓は驚いたように反論した。その胸には、先ほどまでの喜びが消え、どこかモヤモヤとした気持ちが広がっていた。


(伊吹が甘やかすのは、自分だけでいいのに。)


 そう考えて、首を振る。

 いや、違う。この発言はそんな子供っぽい嫉妬なんかじゃない。一人の男として、武人として、真っ当なことを言っただけだ。


「楓、これは甘やかす、甘やかさないの問題ではなく――」

「先輩! もういいですよ」


 言い募ろうとした伊吹を、勇輝が止めた。


「今回は、本当に。全然、予定と被らないんで。野営だって、問題ないです」


 そう早口に言う勇輝は、どこか居心地が悪そうだった。まぁ、自分の甘えた発言がきっかけなのだから、それも当然か。


「楓も。変なこと言って、ごめんな」


 そう言う勇輝の表情は、子供の癇癪かんしゃくなだめようとする大人がよくする表情だった。

 だが、楓はそれに気がつかず、ふん、と鼻を鳴らした。


「身分の低いお前たちが、せっかく伊吹兄様の部隊に取り立てられたんだ。もっと意識を高く持ってもらわないと困る」

「楓、てめっ――」

「そうだね。楓の言う通りだ」


 大輝が怒って反論しようとしたところに、勇輝が無理矢理、言葉をかぶせた。立ち上がりかけた大輝の腕をとって、制止している。


「……お前がいいなら、いいけどよー」


 勇輝に制止されて、ぶつくさ言いながら、大輝が腰を下ろした。

 本当にこの男は、身内贔屓が過ぎる、と楓は思った。

 だが、それは伊吹も一緒で、勇輝を心配そうに見やる。

 そこに、楓の知らない事情が垣間見えて、でも、それを素直に聞くこともできなくて、楓のモヤモヤは一層大きくなった。


 (なんで、伊吹兄様まで勇輝を特別扱いするんだ。)


 家でも、渾天院ここでも、誰かにかしずかれて、ちやほやされるのが当たり前だった楓は、勇輝に注目が集まっているのを見て、おもしろくなかった。

 子供っぽい嫉妬そのままに、楓がキッと勇輝を睨むと、勇輝からはへにゃりと情けない笑みが返ってきた。


 その笑みを見て、楓は胸がざわついた。だが、そのざわめきが先ほどまでと少し違っていることに、彼は気がつかなかった。


  ◇ ◇ ◇


「あの坊ちゃんはよ〜」


 自室に帰るなり、大輝は鬱憤を吐き出した。勇輝は、まぁまぁとなだめるが、そのせいで、矛先がこちらの方へ向いてしまった。


「大体な、お前が止めるから!」

「あそこで喧嘩されるより、全然まし」


 バッサリ切ってやると、大輝はがるがると低い声で唸った。

 どこの獣だよ、と思いながらも、勇輝は先、風呂、もらうよとさっさと脱衣所へ引っ込んだ。双子とはいえ、さすがにここまで追ってこれまい。


 勇輝と大輝の自室は、先ほどの伊吹の部屋に比べて、格段に狭い。二段になった寝台に、それぞれの文机、長持を置いたら、それで一杯になってしまう。


 この部屋の広さは、身分の差だ。渾天院は表向き、どのような人物も平等に扱うと言っている。そして、それは座学や訓練に関してはその通りだったが、寮においては、家からどのくらいの支援があるかによって格差が生まれていた。というより、己が家の面子にかけて、という親が多く、格差を作らざるを得なかったのだ。


 伊吹や楓のような身分が高い者は、居室に、主人と近習三人分の寝室が付属した房があてがわれていた。一方、身分の低い勇輝達には、二人一室しか与えられず、そこで全てを済ましていた。


 だが、勇輝は寮に関して、文句はない。それどころか、二人部屋とはいえ一室もらっていいのか、とさえ思っていた。


 元々、二人は浮浪児だった。そんな二人にとって、屋根があり、壁があり、さらに部屋に身を清める所までついているこの部屋は、今まで住んできた中で、最上の寝床ねぐらだった。

 何より、勇輝は大輝の気配を近くに感じられるこの部屋の小ささが気に入っていた。


 物心ものごころついてから、二人は常に一緒だったのだ。そろそろ独り立ちすべきことはわかっているが、今はまだ、寮の狭さに甘えて、一緒にいてもいいと思っている。


 ただし、それは大輝の機嫌がいい時だけだ。

 大輝の機嫌が悪い時は、放置に限る。長年の付き合いでそれを知っている勇輝は、一人になれる脱衣所へ逃げたのだった。




 勇輝は、脱衣所に入ると、手早く白衣を脱いでいった。

 一糸まとわぬ自分の姿を見下ろすと、その体を点検し始める。

 怪我をしたところはないか、無駄な肉がついているところはないか――。

 その視線が、ある一点で止まる。


(……無駄な肉といえば、これ以上、無駄な肉はないよなぁ。)


 下からすくい上げるように持つと、大きさが増すように感じられた。


 勇輝にはあって、大輝にはないもの。

 自分たち双子を、決定的に分かつ所。


 勇輝は、柔らかく膨らみ始めた胸を触りながら、はぁ、とため息をついた。

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