告げ守の一族(序章 龍人の青春)

キクジヤマト

第1話  サーシャ

 ここはあるヨーロッパの街。

都会とはいえないが、田舎でもない。

そんなところだ。

近所の住人はみんな顔見知りでそれなりに交流もあり、コミュニティーとしては健全な方だろう。

街を歩けばお互い挨拶はするし、仲の良い者に会えばつい長話にもなる、ごく普通の街だ。

母親のカトリーナが娘のサーシャを連れての買い物帰り、突然サーシャがおびえだした。

「ママ、あの人怖いわ」

「何言ってるの、いつもニコニコして挨拶してくれるサンジュさんのご主人じゃない。近所でも評判の仲良し夫婦で、笑い声が絶えない良い家庭と評判いいのよ。怖い人なんかじゃないわ」

「でも、あの人奥さんをいじめているわ」

「サーシャ、本当にご夫婦仲が良いので評判の家庭なのよ。変なこと言っちゃだめ」

「でも、本当なんだもの」

「あなたご主人が奥様をいじめているところ見たの?」

「ううん、見てはいないわ。でも判るの」

「もう、あなた又、変な夢でも見たのじゃない?」

「でも…」

「もうこの話はおしまい」

カトリーナは時々変なことをいうサーシャに、少し戸惑いを感じていた。

夜中に突然誰かと会話をしているような独り言を言ったり、部屋中を散らかしたり。

数日たった夜、カトリーナは亭主のミルコに相談した。

「ねえ、あなた。最近サーシャの様子がおかしい気がするのだけれど。誰もいないのに、まるで誰かと話をしているみたいにするし」

「一人っ子だし、難しい年頃なんだよ。俺も一人っ子だったから、あのくらいの時は自分の空想の世界を作り一人遊びをよくしたものさ。学校で仲の良い友達が出来ればそのうち収まるさ」

「そうだと良いのだけど。私ちょっと怖いの」

「何がだい?」

「あのサンジュさんのドメスティックバイオレンス事件。あの子、優しそうな笑顔のご主人を見て、怖いって言ったのよ。それにほら、いつだったかあの子の部屋中が散らかっていたり、タンスの位置が変ったりしていたでしょ。七歳の女の子にはとても動かせないものまで動いていた。普通あり得ないことよね」

「おまえの勘違いか気のせいだよ」

「勘違いなんかじゃないわ」

「そんなに心配なら神父さんに相談してみればいいじゃないか?」

「そうするわ、今度相談してみることにする」

そんなことがあった数日後から、突然サーシャの様子は落ちついた。

夫のミルコが言うように、学校で友達が出来て収まったのだと思った。

カトリーナも安心し、このまま見守ることにしたのだった。

そしてそんなことがあったことも徐々に忘れていった。


 数年後、サーシャは突然文通を始めたいと両親に相談してきた。

「あのね、今日学校で外国の子供と文通している生徒の話題になったの。それでね、私もやってみたいなと思って」

「いいんじゃないか。違う国の文化に触れることも勉強になる。やってみなさい」

サーシャは初めて見せるのではないかというくらいの笑顔で両親に

「ありがとう。それでね、文通する相手はもう決めてきたの。日本の私より三つ年上の男の子よ。ねえ、良いでしょ」

「日本って東洋の?手紙を書いて言葉は通じるのかい?」

「だからお互いに学習するの。それも目的の一つだから」

「なるほど。じゃあやってごらん」

「うん、早速書いてくるね」

「ははは、あの子があれほど勉強熱心だとは知らなかったよ」

「ほんと、あまり勉強好きには見えなかったけど、良い傾向かしらね」

「でも、あの子明るくなって本当に良かったわ。幼い頃は暗くて、いつも怯えたようにしていたもの。育てるのが不安だった」

「幼い子供にはよくあるって、前にも言ったろう。学校に行って、友達が出来れば収まるって。集団生活は人間育成にもなるのさ。そのための場が学校なんだから」

今では両親の、サーシャを見守る目は柔らかかった。

文通は思いのほか長く続き、十年になろうとしていた。

カトリーナが夫のミルコとのティータイムに

「文通がこれほど続くとは思っていなかったわ。前に部屋におやつを運んだときに、ちらっと書きかけの手紙を見たけど、見たことのない文字が書いてあったわ。あれ、日本語なのかしら」

「へえ、素晴らしいことじゃないか。それじゃ言葉も話せるのかな?日本に観光に行ったときは頼りになりそうだ」

サーシャは日本に行くつもりだった。

ただ、観光ではないが。

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