六日目12

 鬱蒼と茂る森には、やはり一匹の動物の声も聞こえないし、足跡も見つからない。これを見ていると、本当に動物には予知能力があるのではと思ってしまう。人間だけが、知恵と引き換えに危険予知能力を失ってしまったのだ。きっと動物たちは平和ボケた俺たちを嗤っているのだろう。だが、どこへ行ったらこの禍から逃れることができるのかは、甚だ疑問である。

 いつもより深い霧の先には、点々と虚ろな赤い光が漂っていた。その光の先へと向かう。霧は重たく、体にまとわりついて離れないようだった。それを振りほどきながら、神殿に足を踏み入れる。ここだけは清浄な空気に満ちていると思っていた。そう信じて疑わなかったころが懐かしかった。ここだけは俺を受け入れてくれると、過去の時分を忘れかけていたころが懐かしかった。

 祈りの間に入ると、人影が見えた。椅子にもたれかかって眠る金髪の男の姿、神さんである。疲れ果てたようにぐったりとしているのは、そろそろこの世界にもガタが来てしまったということだろう。神の不調は世界の不調。その逆もまた、然りである。


「……天井が崩れ去ったとき、12の悪魔は地に散った」


 荒い息を吐きながら、神さんは目を閉じたまま、淡々と語り始めた。


「また禍を、そして悪魔を復活させようとするに違いない。神は躍起になって全ての世界から探し出し、封じた。だがあと7人、7人を見つけることができずじまいだった」


 神さんが一息つくごとに、火はその勢いを弱めていった。そして話し出すと、また、静かに燃え始める。その光に、俺は深く沈んだ自己嫌悪のようななにかを見た。


「その1人を、ようやく私は見つけたのだ。異常な視覚、聴覚発達に、殺されても死なない体。小さな子どもの姿を借りた悪魔に、嫌悪感が芽生えた。だが封じようにも、その時の私にはかつてほどの力など残されてはいなかった。神話での活躍も、所詮はかつての遺産にすぎぬ。だから私は、途方もないほどの年月をかけ、私の体から剣を生み出したのだ。そうして生まれたのが、聖剣だった。この剣を突き刺せば、対象の動きを封じることができる。だが、それを突き刺せるのは、穢れなき人間だけだった」


 悪魔に神を傷つけることはできない。神が悪魔を傷つけることもできない。

 神と悪魔以外のみが、両方を傷つけることができた。


「候補となる人間は、残念ながらこの世界には存在していなかった。たとえ持つことができたとしても、穢れに飲み込まれた人間が手にすると刀身が曇ってしまう。この世には穢れがはびこり過ぎたのだ。だから、ほかの世界から見つけるほかなかった。

 その時だった。悪魔の子が、やってきたのだ」

「……それで、盗んだんだよな」


 神さんは目を開いた。俺を凝視した後、すっと目を逸らした。


「あの時は驚いた……その剣を曇らせることなく、握っていたのだからな。そして、はたと気づかされたのだ。出生により迫害していたのは、奴らもだが我らもだったのだ、と。そして、考えた。本当に血が流れているということだけで、その思想もまた親に似るのか、穢れてしまうのか、と」

「まぁ、ある意味似てるんじゃねぇか。神さんは大がつくほど嫌いだったからな」


 見慣れぬ髪の色のせいで、ずっといじめられてきた。救いを求めて、だけど誰も救ってくれなくて、神を呪い続ける日々が過ぎていく。やがて耐えかねて悪魔に身を委ねてしまった。そしてその異常な視覚、聴覚を武器に、過去を忘れるために盗賊へと足を踏み入れた……。

 長い沈黙が走る。それを破ったのは、神さんの低い声だった。


「これは……私の懺悔だ。リューク、お前が迫害を受けているのを知っておきながら、血を前に助けるのを止めた。これは大罪に等しいだろう。こんな謝罪になんの意味もないとお前は言うかもしれない。だが……」


 神さんは懺悔を続ける。なんだかチグハグな懺悔だ。赦しを乞うているクセに、口ぶりはどこか上から目線。懺悔する相手をお前呼びだし、そもそも姿勢がなってない。そのわりに声と表情は心からのものである。なんだかイライラしてきて、俺は神さんを思いっきり殴ってやった。

 相当体をやっているのか、あっさりと神さんは崩れ落ちた。その胸ぐらを掴み上げ、驚愕した間抜け面に言ってやる。


「残念だけど、俺は悪魔でな。そんなみみっちい懺悔なんて聞きたくねぇんだよ! 赦しなんてどうでもいい。一発殴りゃあ、それで終いだ。わかったか?」


 たしかに、そんな理不尽な理由で殺されるなんて、たまったもんじゃないと思った。だけど、結局は殺されなかった。

 救いを待ってる俺が悪かったんだ。

 神さんは目を瞬かせていた。立ち上がるのに手を貸してやると、彼はお礼だと俺の頭を叩いた。やっぱり、どこか上から目線だ。懺悔する気が本当にあるのか疑わしく思えてくる。もう一発殴ってやろうかと思ったが、やめた。訊きたいのはそんな懺悔じゃないのだ。


「で、じゃあなんで俺に聖剣を渡したんだ?」


 俺を殺すための聖剣であれば、もうその必要性はないはずだ。なのに、この聖剣のためにヒュウガを召喚したのは何故なのだろう。俺が英雄として民を指揮しているのは?

 その問いに、椅子に着いた神さんはほうっと息を吐いた。


「呆れたぞ、リューク。お前はもはや当初の目的を忘れたのか? お前が打ち倒すべき相手は誰だったのか、覚えていないのか?」

「……あ」


 悪魔ギルドラート。異なる世界から文明を授かった奴は、やはり悪魔だったのだ。

 そんな奴に果たして勝てるのか。不安は大いにあるが、やるしかないのだ。


「案ずるな。奴らも今やこの世界の者と変わらぬ」

「……どういうことだ?」

「奴らも人間だ。道具に頼らねば何もできぬ。恐れるべきはギルドラート、ただ一人よ」


 またずいぶんと回りくどい言い方をする。だがその自信に満ち溢れた顔を見ると、俺は不思議と納得してしまうのだ。

 そこでだ、と神さんが目を鋭く光らせた。


「アルマトレバの英雄よ、お前に命ずる。

 ――聖剣を、盗んで来い」


 俺は思わずははっと笑ってしまった。そのムチャぶりに、人を顎で使うような態度。全くいつも通りの傲慢さに、俺は肩を竦めた。


「了解」

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