六日目3

 絶えずソリアの輝く茂みを、駆け割って進んだ。

 先導するのはオルガン。次を歩くのはヒュウガ。そして最後が俺。目を離さないように言われたから、この位置に俺はいる。

 ヒュウガを一人にしてはいけない理由とは……考えてみたが、危ないから、迷子になるからだとか、ふざけた理由しか思いつかない。いや、どれも起こりうるから一応は気を付けているが。だけど、レティーシアがそんなことを忠告したとは思えない。それに、あの不自然な動きも気になるところだ。なぜ小声だったのか。そしてなぜ、すぐ視点を変えたのか。

 オルガンはノートを見比べながら、ヒュウガにこの地の植物について説明しているようだった。だが、彼はまったく話を聞いていないようで、それどころか一人ぶつぶつと呟いているようだった。なにかあったのだろうか。それとも、最近おとなしかった厨二病が発病したのだろうか。

 不憫なオルガンの様子を眺めていて、俺はふと思った。

 急に、痩せたな。

 つい数日前までは、この街の人間には珍しく肉づきがよかったはずだ。それは痩せたというより、やつれたに等しかった。寝ていないのか、目の下には深い隈がある。疲れがたまっているのだろうか。真っ赤な目は見開かれてはおらず、常に重たそうだった。

 ちょうどその時、オルガンがこちらを振り向いた。なぜかどきりとしたが、オルガンの方は恥ずかし気に頭を掻き、


「すみません……抽出に必要な用具を置いてきてしまいまして……すぐにとってきますね。先、言っててください」


 そう言って、一礼して来た道を戻っていった。


「俺たちだけで行くか」


 オルガンの背を一心に睨みつけているヒュウガに言う。


「……あぁ、そうだな」


 謎を残したままだが、無事に神殿のそばまでたどり着くことができた。神殿の周りでは、湖に濡れたソリアが雲の隙間から出でた太陽の光を受け、幻想的に輝いていた。湿った生温かい風がソリアを揺れ動かし、輝きの流動を作った。神殿の燭台の炎が消えているところを見るに、まだ神さんは帰ってきていないのだろう。……無事、だろうか。


「つまり……花摘みしてりゃいいんだな」


 ふたりで花を摘む。ヒュウガの深刻な表情で必死になにかを求めようとしている様が、視界の端にちらちらと映った。


「……訊いてもいいか?」


 花を摘むその手を止めてヒュウガに問うと、彼はこちらを見た。しかし、すぐにまた俯きを返す。


「……ここに居づらくなるかもしれんが、構わないか?」


 ずいぶん意味深な言い回しをする。そんなにヤバイことなのだろうか。訊くのが恐ろしいが、訊かないわけにはいかない。俺は息を呑んで頷く。

 帰路の方を睨みつけながら、ヒュウガは話し始めた。


「ケルズとは、時告げの花だと教えてもらった。そしてその種は、俺たちが食べていたパンに混入されている。では、なぜパンに入っているのだ?」

「それは、健康にいいから――あ?」


 ヒュウガに言われ、俺は気づいた。

 たしかに健康にいいからと俺は聞いた。それが誰が言ったものかは覚えていないが。食糧不足の今、足りない栄養を補おうと時告げの花の栽培を始めたはずである。だが、実際はどうだろう。そのパンのせいで、俺たちは狂ってしまったのだ。

 ヒュウガは頷いた。


「種が健康にいいと言った者が誰であるかは、俺にはわからない。だが、普通民に勧めるには、なんらかの健康にいいと言い切れる根拠と知識があって然るべきだろう。種が健康にいいと言った者は知識がなかったのか。あるいは……わかるだろう?」

「誰か嘘を吐いたってことか……?」


 ヒュウガからの返答はなかった。彼はただ目を恐れに震わせて、ソリアの花束を握りしめていた。俺はまさかと首を振りつつも、そうかもしれないと思っていた。裏切った者は、農夫一人だけではなかったのだ。

 その裏切り者が誰か。それにはおおよそ見当がついていた。だが、その事実はあまりにも恐ろしすぎた。背筋が凍るように冷たい。身震いしながら、あの安らぎを求めてソリアに鼻を近づけるが、意味はない。

 健康にいいと言って怪しまれない者。そんなの、知識あるディエさんかオルガンの二択だ。


「本当にあの男は抽出用具を取りに行ったのか……?」


 ヒュウガの言葉に立ち上がり、帰路へ駆けた。奴はなにをしている? なにをしに戻ったのだ……?


「――リューク!」


 背後に気配を感じたと同時に、ヒュウガの声が聞こえてきた。脇に差した剣を抜く前に、右手にチクリと謎の鋭い痛みが走った。

 ふわりと鼻孔をついた、爽やかで甘く、芳ばしい謎の香り。

 この匂いは、たしかあの時にも嗅いだ……。

 頭がふわふわする。体が軽い。軽すぎて空が飛べそうだ。そう思ったとき、なぜだか眠気が一気に襲ってきた。全身の力が抜ける。平衡感覚を失った俺は、そのままゆっくりと倒れていく。

 狭まっていく視界の中、俺は怯えたヒュウガの姿を見た。

 その回りには、二人のセグレタ。

 その視線の先にいたのは、悠然と歩くオルガンだった。

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