Ex.5 [校舎/コルトのスパイ大作戦]

[校舎/コルトのスパイ大作戦]



「きゃあ~! 火事よーっ!」


 野次馬の中から悲鳴が上がり、その声はどんどん人の波を伝播していく。


「ん? なにごとだ?」


 そちらへ西門を警備していた刑事が目を向ける。すると沿道の商店から、もくもくと黒い煙が立ち込めているのが見えた。


「か、火事だ! っいや、しかし警備が……」


「家が燃える! お、おまわりさーん!」


 野次馬の騒乱は拡大するばかり。公僕として無視もできない。


「ええい、ままよ!」


 かっこよく飛び出していった刑事さんの代わりに西門へと現れたのは、ゴーグルとフライパンで武装したコルトだった。

 彼女は刑事が戻ってこないのを確認し、すたこらと校舎に潜入していった。


『どうして目玉焼きを作るだけであれだけの災害が起こせるあるカ? はっきりいってこれは超常現象ネ!』


 耳の中にバレットの声がこだまする。コルトは廊下を駆けながらふてくされた。


「う、うるさいわねっ。おかげで潜入できたでしょ!」


『まだまだジェリコさんのようにはいかないあるナ』


「当然よ。あっちはプロなんだから。それよりもこの靴すごいね。まるで音がしない」


 はだしにスニーカーという彼女の足からは、リノリウムの床材を蹴りつけてもきゅっきゅと音がしなかった。


『新型の消音靴底スニークソールを採用しているある。まさに本当のスニーカーヨ。それも今回の製品説明会では目玉だったある。あとはそのフライパンも特注あるネ』


「このフライパンが?」


 コルトは手にしたフライパンに視線を落とす。目玉焼きを焦がしたとき念のためにともう一本持ってきた残りである。


『超ウルトラハイパーテフロン加工で本来なら、あらゆる焦げ付きに対して有効ある……のはずだったあるが、コルトさんの神秘の前には、到底太刀打ちできなったヨ』


「どういう意味よ、どういう!」


『まあそれはそれとして。新素材の採用で熱伝導率を向上させたほか、絶対的な強度を誇るあるヨ。試しに拳銃で貫通テストをしてみたところ、九ミリのホローポイントでも五十センチまでの超至近距離なら弾き返したヨ』


「おいおい」


『できることなら対ショットガンのベンチテストもやってみたいところあるが、コルトさんちょっと試してきてくれないかネ』


「そういう状況に陥らないように注意しなさいと声を掛けるのが、正しい大人のありかたなんじゃないかしら」


 コルトは抑揚のない口調でバレットにただす。


『じょ、冗談ヨ、冗談。コルトさんはすぐ本気にするネ。そういうとこジェリコさん似ヨ』


「う、うるさいなぁ」


 でもちょっとうれしそう。


『さてと……冗談はここまでにしておいて本気でやるつもりネ? 今ならまだ引き返せるある』


「いまさらなにゆってんのよ! やるに決まってるでしょ。ミラが待ってるんだから」


『わかったある。ワタシも最大限サポートするカラ、絶対に無理はしないこと。いいネ?』


「了解。頼りにしてるわ」


『どろぶ』


「大船ね」


『はいある』


 コルトはしばらく走り続けると、とある階段付近で止まり身を隠した。


「バレット。校内の防犯カメラの映像って横取りジャックできる?」


『夜間防犯用のヤツあるナ? お安いご用ヨ。いまケータイに画像データを送るある』


 すると装着したゴーグルのレンズ面に彼女のいまいる場所ではない光景が映った。そしてさらに校舎の透過図が映し出され、映像と防犯カメラの位置関係とが解析されて表示された。


『どうやら敵は三人のようネ。コルトさんのお友達が捕まっている教室へ行くためには、どうしても残りのふたりのうち、どちらかと出くわしてしまうある。どうするネ?』


「どうするっても……やるしかないんじゃない?」


 コルトは手に持ったフライパンの柄ををギュッと握り締めた。肉厚のフライパンはとても頑丈そうで、見るだけでコルトに勇気を与える。

 その視線の先。


「ん? あれは?」


 校内のいたるところに設置されている、とある円筒形の備品を見つけ。褐色に輝くコルトの肌は一層ハリを増したようだった。それを見つめ、彼女の口角はにんまりと釣りあがる。


 手にバールのようなものを持った仮面の男は、あくびをしながらミラのいる教室へと続く長い廊下を見張っていた。見渡す限りに似たような作りの白い空間が並び、代わり映えのしない状況にすこし緊張の糸が緩んでいた。


 そこに突然、暴発した消火器が転がってきて。一瞬にしてあたりを真っ白な煙幕で包み込んでしまった。


「な、なんだ! げほっ! げほっ!」


 むせかえる白い粉。男がたまらず仮面を外すと、そこに真っ黒なフライパンの底が現れて彼の顔面を殴打した。


「ぶばぁ!」


 一撃でノックアウト。鼻血を噴出してのびる痩せた男は、やはりアンドロイドなどではなかった。白いもやがうっすらと晴れてきたとき、そこにはフライパンを握りしめたコルトが、仁王立ちしていた。ゴーグルには、熱源に従って色分けされた解析映像が表示されている。


『どうやらレイヴン・ゴーグルの熱感知サーマルスコープは良好のようあるナ』


「ちょっと慣れないと気持ち悪いけど」


 コルトはこめかみに手をやって、目を細めた。


『はじめはそんなもんネ。しばらくしたらそれで一日中生活できるヨ』


「それはちょっと別の意味で勘弁――」


 そのときだった。

 突然コルトの首を掴んだ何者かが、彼女を背後から締め上げている。


「こッ――! かッ――!」


 声にならない叫び。足は床から離れて宙ぶらりんに。首にはちょっとやそっとでは振りほどけない豪腕が絡んでいた。コルトは必死にそれを引き剥がそうと手を伸ばす。床にフライパンが落ちる音がした。


「でっけえネズミがいたもんだ。一体どこから入ってきやがった?」


 コルトの後ろから声がする。野太い恐ろしい声。


「見たところこの学校の生徒ガキか? 友達が心配で助けにきたのかい? 麗しい友情だねえ。泣かせるじゃねえか」


 言葉とはうらはらに、コルトを締め上げる力は増していく。


「ふぎぃ――!」


「あっはっは! いい声で鳴くじゃねえか! あ? よく見りゃべっぴんさんだぜ。脚もなげえしよ……」


 男はコルトを持ち上げなら、横目に彼女を見上げた。つま先から頭のてっぺんまで、舐め上げるようにいやらしく。


「最近のガキはすこぶる発育がいいぜ! 俺らの時代とはえらい違いだ」


 コルトはバタバタと脚を動かして抵抗した。しかし身体がねじれるだけで、事態は一向に好転しない。


「どうだ? 俺の愛人にしてやろうか? かわいがってやるぜ?」


「――! ――!」


 コルトはぶんぶんと首を横に振った。口からはよだれがあふれ出た。


「はっはーっ! まだ逆らう元気があるか、大したタマだぜ! どうだ? 助かりたいか、ええおい?」


「ぶはっ!」


 男は不意に力を緩めた。ひゅーっとコルトの喉が鳴って、数分ぶりに新鮮な空気が彼女の肺を満たしていく。顔へのうっ血も途端に引いていった。身体のしびれが尋常ではない。

 だが。


「助けてなんかやらねえよ! しょんべんちびって無様に死ね!」


「!」


 再び万力のように締め上げられる首。目がぐりんと上をむき、充血した毛細血管で白目が染まる。咽頭が押し出され、舌を口内にとどめておくことができない。だらりとだらしなく唇のうえに垂れ下がった。


 コルトの意識が一気に遠のく。男の嘲笑う声が聞こえて、心が折れそうになる。全身の痙攣が止まらない。足元から力が抜けていく。

 だがそれでも彼女の手は、必死にスカートのなかへと伸びる。


「なんだ? 人生の最後にエクスタシーでもほしいのか?」


 コルトは男の品のない言葉を無視して、内ももにあるを握り締めた。

 拳銃だ。短銃身のリボルバー。

 撃鉄部分が丸められた半内蔵型で、携帯性を向上させたもの。それを皆よりすこし長めのスカートのなかから取り出すと、おもむろに後ろへと銃口を向けた。


「う、うわあ!」


 男は驚いてコルトの首から手を離した。しりもちをついて倒れる男に対し、コルトは床に這いつくばって息を整えた。あと一歩のところで落ちるところだった。全身の毛穴から冷たい汗がドッと噴出す。


 そして目の前にあるフライパンを拾い上げ、振り向きざまさっきまで自分を締め上げていた大男へと投げつけた。


「甘え! 銃を使わねえなら恐くはねえぜ!」


 予想していたのか、男はそれを難なく弾き返した。毛むくじゃらの豪腕が、分厚いフライパンをまるでクッションのように払いのける。


「な――」


 一瞬の気がそれたところを狙いすまして、今度は彼の死角から円筒形のものが飛んできた。


「ぐぽっ!」


 消火器である。

 それが彼の鼻頭にめり込んで、大きくのけぞったところ、壁に後頭部を打ちつける。したたか打った脳は揺れ、まるで機能停止したロボットのように今度こそ本気で昏倒した。やぶれた仮面の隙間からは、いやらしいブ男の顔が覗く。

 なぜだか急に腹が立ち、コルトはしこたま彼に蹴りを入れた。


「このド変態! おまえが死ね! おまえが死ね!」


『コルトさん無事あるカ!』


 バレットの声が久しぶりに聞こえる。


「大丈夫。心配しないで」


『ちょっとそれは無理な注文ネ。心臓が潰れるかと思ったあるヨ』


「ごめーん。ちょっと油断しちゃった」


『ホントに気をつけてほしいある。つぎは助からないかもしれないのヨ?』


「……うん。わかった」


 安堵の中、本気で怒ってくれるバレットがなによりうれしい。


『じゃあ残すはあとひとりある。ミラさんもお待ちかねヨ』


 バレットの声が心なしか弾んでいる。コルトの活躍自体はうれしいのかもしれない。


「そうだね。行ってくるよ!」


 コルトはフライパンを拾い上げ、ミラの待つ教室へと走り出した。


〈つづく〉










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