act.14 [サンド・オーシャン号/最上階]

[サンド・オーシャン号/最上階]


 監視カメラの映像を横取りジャックしたことで、ジェリコの潜入は非常にスムーズだった。そこそこに人を殺し、死体を隠しながら最上階へと上がっていく。


 いままたひとり、王妃の船室を警備していた歩哨を絞め落とした。ゴキリと頚椎を外す音がにわかに響く。


 最上階の特別スイート。船室は二つしかない。ひとつは国王の部屋だろうが、そちらにはあまり興味はなかった。


 さすがに王妃の船室の入り口。監視カメラでフォローされていないわけがなかった。確かにいまモニタールームで、監視画像を確認している者はいない。だが監視カメラの映像を確認しているのが、モニタールームだけとは限らない以上、うかつに身をさらすわけにはいかなかった。


「バレット」


『はいナ』


「部屋が二つあって、同じように入り口を監視カメラが一台ずつフォローしているんだが、片方の映像データを、ケータイで飛ばして二台分の映像に見せかけることはできないか? 幸い部屋の作りは同じだ。すぐにはバレんだろう」


『できないことはないあるが、それだとケータイを監視カメラに接続したままじゃないといけないあるヨ。もうジェリコさんと連絡とれないネ』


「あとは王妃と話をつけるだけだ。あんたのサポートもいらんだろう」


『そうあるカ? それはとても残念ヨ。でもジェリコさんがそういうなら仕方ないネ。じゃあ残したいほうの監視カメラに、ケータイを接続するよろし』


 ジェリコは監視カメラの死角をついて、カメラの真下へとやってきた。しかし手を伸ばしても届くような場所には設置されていない。そこで、彼は持っていたアーミーナイフを壁へと突き刺し、足場とした。人ひとりの体重くらいはそれで支えられる。片足でバランスを取りながら、ナイフを足場に監視カメラへと手を伸ばす。そしてケータイから伸ばした通信ケーブルを、カメラの拡張用端子に接続した。


「どうだ?」


 ケータイはまだジェリコともつながっている。


『擬装完了よ。義眼レイヴン・アイで確認してみるといいね、なんら違和感ないある』


「了解だ。サポートご苦労さん。このケータイはあとで回収できるようならする。じゃあな」


 ジェリコは自らの通信ケーブルをケータイから切り離した。そして念のため、王妃の部屋を映している監視カメラを銃で破壊した。義眼で映像を確認する。変化はない、成功のようだ。


 やっと入り口へと忍び寄った彼は、懐からタバコに擬装した“デジドラ”を取り出した。ペキンとフィルター部分を親指でへし折り、ふっと息を吹きかける。そしてドアを叩いた。


「何事です」


 部屋の中から、妙齢の女性の声がした。ジェリコにはそれが誰だが分からないが、王妃か、または侍女だと思われる。武器の動いた気配がないことを確認して、ジェリコは落ち着いた声でいった。


「妃殿下へのお目通りを」


「なりません、妃殿下はご気分がすぐれずお休みしています。用件があるのならば出直すか、このままドア越しになさい」


 どうやら侍女のほうらしい。対応も厳格である。そこでジェリコはからめ手に切り替えた。


「まあ、そう硬いこといわずに」


 ふざけた口調で、侍従の逆鱗にあえて触れてみた。すると、


「なんですって? ふざけているのですか! お前、一体何者で――」


 ガチャリとドアが開いた瞬間、ジェリコは“デジドラ”を持った手を、侍女のうなじへと滑り込ませる。「あれ?」とマヌケな声をあげ、秒にも満たない逡巡をした。


「あ! しまった、ニグ族が電脳化してるわけねー! くそ、こうなったら……」


 掴んだ首をそのまま引き寄せ、侍女の顔をドアへとぶち当て昏倒させる。すかさず室内へと滑り込み、唖然としているもうひとりの従者も殴って気絶させた。わずか数秒の出来事、警報の類は鳴っていない。


「すまんね、極力ご婦人には手をあげたくないんだが、こちらも仕事だ」


 ひとりごちて、豪華な天蓋つきのベッドからこちらを窺っている女性へと向き直った。


「え――」


 そこにいたのはまだ歳浅い、少女といっても差し支えないだろう美人だった。長い髪を下ろし、薄手の寝具をまとう姿は、まるで絵画に出てくる眠れる森の乙女だった。寝間に賊が押し込むというこの緊張した状態にも声をあげることなく、「あらあらあら、どうしましょう」と暢気なことを口走っていた。

 優しいというよりも、どこか気の抜けるような声だった。


「あ、あんたが……ティムチャート王妃?」


 ジェリコは信じられず、通常なら不躾になるようなことを訊いた。すると少女はまるで意に介した様子もなく、麗らかに。


「はい。ティムチャート・バームスでございます。あなたはだぁれ? 人の部屋に上がり込んできて、挨拶もせずに暴れるのはよくありませんよ」


 ジェリコは完全に毒気を抜かれ、手にした武器を彼女の前からしまった。


「あ、はぁ……そうですね、すんません」


「今度から気をつけてくださいね」


「ええ、そうします……って、なんか調子狂うなぁ」


 ジェリコは、ベッドの脇にあったイスへと腰掛けた。


「それでなにかご用ですか? その様子だと、単なる物取りではないようですが」


 意外に聡明な指摘だ。判断も早い。ジェリコは三度、新鮮な驚きを感じていた。


「ご明察です、妃殿下。実は少々込み入った事情なので、仕方なくこのような手順になってしまったことをまずはお詫びいたします」


「それでそれでっ」


 わくわくと胸を躍らせて聞き耳を立てる王妃に、ジェリコは調子を崩されっぱなしである。


「え、っとですね。匿名で申し訳ありませんが、私、民意の代表として今日この場にはせ参じました。手短に話しますと、我々の要求は内戦の即時停止であります」


「まぁ……」


「日々の食事も満足に用意できないほど困窮した民草を無視して、王室が、砲火を交えた親子喧嘩などに興じておいでなのは、はなはだ嘆かわしい。そこで私が民衆に成り代わりまして、妃殿下に国王と、ユギトレス王子との間を取り持っていただきたいと、お願いに参上つかまつったという次第でございます」


「そうでしたか」


 王妃は大きな瞳を伏せて、儚くそう返事をする。


「はい。聡明な妃殿下であられますれば、我々の意見にも理解していただけましょうと思い。また妃殿下からの仰せでありましたら、国王陛下もきっとお耳を傾けていただけますかと」


 恭しく礼を尽くすジェリコに、王妃も憂いの表情を見せた。


「分かりました……」


「では!」


 ジェリコが顔をパッと上げて、喜ぼうかとしたその時。


「いやです」


「へ?」


 きっぱりと否定され、おもわずマヌケな声が出る。


「や、だっていま分かったって」


「はい。だから民の気持ちは痛いほど分かりました。鳴り止まぬ銃火に怯え、空腹と貧困にあえぐ民衆の辛さも承知しています」


「だったら」


「しかし私はこの国の王妃です。国王のめいには従わなければなりません。王の一番の臣下である王妃わたくしがどうして王を裏切れましょう。主権は王にあります。それは専制君主制の国家における絶対です。その根幹が揺らげば、国はすぐに崩壊するでしょう。たとえ理不尽なように思えても、それが“王”をいただく国家のならい。私から王に申し上げることなどありません」


 王妃の毅然とした態度に呑まれまいと、ジェリコも必死に応戦する。


「それとこれとは話は別でしょう? 狂人と化して討たれた王も、世の中にはゴロゴロいる。いまならまだ間に合うんです。陛下の御身を真に思うのでしたら、この戦争を終わらせるより他に方法はない」


 だが王妃は、春の陽射しのような第一印象とはうらはらに、冬の嵐に耐える小さな新芽のように頼りなげな表情を見せる。


「分かってください……私だって辛いんです」


 ジェリコから視線をそらし、震える身体を自らの手で抱いて。


「私がどうして陛下の後添えになったかをご存知ですか」


「ええ、まあ」


 ジェリコはばつの悪そうに、ぽりぽりと頬をかく。


「私の故郷バームスは、ラッダハートの庇護がなければ長くは保ちません。私には父を、バームスの民を見捨てるような真似はできない……たとえ、この身が地獄へ落ちようともです」


「妃殿下……」


 これにはさすがのジェリコもうろたえた。王妃という肩書きからは想像できない可憐な少女が、いま「国家」というとてつもない重圧を背にして泣いている。自らの過酷な運命にではなく、他人のために、声を殺して。その時、ジェリコは本物の王族を見た気がした。それはユギトやコルトの面影にも重なる、民衆への献身からくるものだ。


「なるほど。確かにあんたを見ていると、ユギトがこの戦争を起こした気持ちも分からないではないな。誰だって命のひとつやふたつ懸けてでも、あんたをあの外道から救い出したいと思うだろう」


「あなた、ユギトのことを?」


「知っている。昨日までゲリラのキャンプにいたんだ」


「まぁ」


 王妃の顔はパッと明るくなった。燦々の太陽のもとで咲きほこる、ひまわりのように。


「ユギトもそうだが、コルトもあんたのこととなると見境がなくなる。百万の民衆も確かに大事だろうが、手の届く場所にいる奴らのこともすこしは考えたらどうだ? もっと甘えたっていいんだぜ、あんたにはわがままを言う権利がある」


 うつむいて黙りこくる王妃。脳みそお花畑の割には、身持ちは固いらしい。それを見たジェリコは灰色の髪の毛をかきまくり、うなり声をあげた。


「だぁ、くそ! こうなりゃプランBしかねえか?」


 プランBとは、当然「誘拐」のほうである。あまりのリスクの高さから、封印されていたプランであるが、ことここにいたっては、もはや融通の利かない王妃をあてにするより、実力行使のほうが手っ取り早い。ジェリコは彼の座右の銘『楽して最大の戦果を』に従い、決断しようとしていた。


 そんな時、船体ごと部屋全体が揺れる。ズォーンという快音を鳴り響かせ、地震のようにジェリコの足元をすくった。


「あらあらあら……」


 暢気にベッドの上を転げまわる王妃を抱き止め、ジェリコが叫ぶ。


「なんだこの揺れは! 一体なにが起きてる?」


 船室から眺める外の風景は、巨石のテーブルが並び立つ渓谷へと差し掛かっていた。クルージングにはそんな航路の予定はない。ジェリコは当惑に駆られる。そして船のいたるところから、黒煙が立ち上っているのを確認した。


「襲われてる?」


 王妃を抱きかかえながらジェリコがつぶやく。気がつけば全艦に緊急警報が鳴り響いていた。


〈つづく〉






















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