act.11 [ダハール新市街/歓楽街のバー]
[ダハール新市街/歓楽街のバー]
厳格な戒律によって守られているニグ族の街といっても、盛り場くらいは当然ある。
しかしながらそこはそれ、表立っての馬鹿騒ぎもできないものだから、男性客相手の露骨なお店なんかは“人民街”にお任せするよりしょうがない。
なので、ここの歓楽街にあるのは軒並みお上品でムードのあるバーか、仕事帰りのオジさん達が気軽に寄れるパブだけである。派手なネオンも客引きもない。非常に健全な下々の社交場として、親しまれている。
そこにとある一軒のバーがあった。照明を落とした落ち着いた雰囲気の店内に、ウッドベースとピアノの音が聞こえる。曜日によっては女性シンガーの甘い歌声も楽しめるが、今日はBGMだけ。しっとりとした大人の隠れ家的な店である。
客層は大体カップルだ。威厳のあるヒゲをたくわえた紳士に、貞淑でひかえめな女性らが連れ合う。一夫多妻を公認するラッダハートで、これを「カップル」と呼ぶかははなはだ疑問ではあるが、そんな中でカウンターにひとり寂しくたたずむ中年の小男など、目立つなというほうが無理な話である。
「お隣いいかしら?」
そんな彼に対し、べっちょりと艶のある魅惑的な声が掛けられた。顔を覆う布は、この国の民族衣装のそれだが、着ている物は異国のデザインで肌の露出も多い。ざっくりと背中の開いたフレアドレス。足元がたまに見えるのが逆にいやらしい。
彼女は返答を待たずしてカウンターにつく。そしてバーテンに二人分のカクテルを注文すると、じーっと小男の目を見つめてきた。
「ど、どこかでお会いしましたか?」
うわずった口調で語りかける中年紳士。鼻の下が伸び、視線が上下する。褐色の肌のお陰か、顔の上気具合までは計れないが、その表情から、どうせろくでもない妄想をしていることだけは確かだった。
「まあステキなお声……。遊びなれてらっしゃるのね、そんなセリフがすぐに出てくるなんて」
「そ、そうかなっ。まあそこそこはね。き、君のほうこそその……す、ステキだっ。まるで砂漠に咲く一輪の野バラのようだよ」
「あらお上手……じゃあ乾杯しましょ、ね?」
彼女は、バーテンがよこした二つのグラスを持って微笑みかけた。
「えと、なにに?」
一方のグラスを受け取って小男がくだらないこと訊ねる。すると、
「二人の出会いに」
小男は完全に舞い上がっていた。乾杯のあと、カクテルを一気に呑み干す。カウンターの下では女性の手が、彼の太もものうえに乗せられている。すけべな妄想も加わり、酔いも早い。
そんな二人の様子を、後方のテーブルから眺める男がひとり。ビシッとしたスーツ姿に七三分け、シャツも柄物ではなくノリのついた白だ。ネクタイもきちんと締め、お堅いビジネスマン然としている。無論、ジェリコだ。彼は義眼の望遠を駆使して、会話の唇を読んでいた。
「まあ! 子爵様でいらっしゃるの? 私ったらなんて失礼な」
「いいんだよ、貴族なんていっても名前ばかりで貧乏しているんだ。そこら辺の人達とあまり変わらないよ」
子爵は謙遜ぎみだ。
「ああ、素晴らしい。なんて
すると彼は表情を曇らせる。
「それがその……ダメなんだ。明日の夜じゃなかったら大丈夫なんだけど」
女性の手を取ろうとして、それを巧みにかわされる。彼女はまるで責めるような表情で、彼に詰め寄った。
「どうしてですの? 私のことお嫌い?」
「違うよ! その……国王陛下主催のパーティがあるんだ。出席しないと後が恐いし、同伴は妻とじゃないと……」
「まあそんな……」
「で、でも別にそんなのいつだっていいだろ? 君との出会いは運命だと思っているんだ、その次の夜だったらきっとまた会えるから」
すると彼女は、急に態度を変え、美しい眉をキリリと吊り上げる。
「嫌よ! もう一日だって離れたくないの。こんなにも人を好きになったことなんて、いままでになかった。明日会ってくれなければ、もうこんな国にはいられないわ!」
「ああっ、そんなわがままをいわないでおくれ。僕だってそうさ、こんなにも誰かに求められたことなんて……」
お互いの手を握り締め、見つめ合う二人。会話がヒートアップしてきた頃を見計らって、ジェリコはようやく重い腰を上げた。
「あの、お取り込み中申し訳ありませんが、少々お時間をいただけませんかね」
「な、なんだね君は?」
驚いた子爵は、握っていた彼女の手を離しジェリコに向かってつばを飛ばした。
「これは失礼を、わたくしこういう者です」
ジェリコは名刺を取り出し、それを彼に渡す。きちんと両手を添え、渡す相手の胸元の高さへと丁寧に差し出した。
「多目的代行業、カラス・コーポレーション?」
「さようでございます。失礼ですが、先ほどからの会話、あちらで聞かせていただきました」
「ぬ、盗み聞きとは失礼じゃないか!」
「まあまあお気を鎮めてください。まずはそのご無礼をお詫びさせていただきまして、子爵様には耳寄りのご提案が」
「耳寄りな提案?」
子爵の顔色が、憤慨から訝しげなものへと変わる。
「はい。どうやらお身内のパーティと、そちらのお美しい女性との甘い一夜を、両立させられないお悩みとお見受けしました。そこでわたくしどものサービスが、子爵様にはぴったりかと」
子爵は貴族ならではの勘を働かせ、ビジネスマンに扮したジェリコの意図が、奈辺にあるのかを推し量った。
「多目的な代行って、まさか王のパーティに私と偽って出るつもりか? それは無理だよ、知り合いだって出席するんだ。顔を見られたらバレる」
「他人との接触は極力さけられます。大事なのは、あなた宛に届いたパーティの招待状が、その日会場の受付に、無事提出されることだと思いますが?」
「ま、まあそれはそうだが……」
「ご安心ください。わが社は実績に関して自信がございます。すでに何名かの貴族の方々に、同じようなケースでサービスをご提供いたしました。顧客情報には守秘義務がございますので、どなたかをお教えするわけにはいきませんが、かなり有名な人物もご利用になられております」
「なんだって?」
念押しにジェリコはそっと耳打ちをする。
「誰もが皆、喜んで陛下の機嫌を取っているわけではないのです。かといって処刑は恐い」
子爵は酔いが一気に覚めるような
「初回につき、今回に限り、限定の割引サービスもご対象となります」
アタッシュケースから取り出した偽造パンフレットを子爵に手渡し、営業スマイル。
「ぜひ、ご検討を」
超絶的な怪しさをその場に残して、ジェリコはバーを去った。あとはサクラの女がうまくやってくれるはず。
そして夜が明けてパーティの行われる次に日の午前中、ジェリコの携帯電話が鳴った。
〈つづく〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます