第22話 5000兆円について提案してみた

 病院に向かう救急車の車中で、セバスティアンが和夫に事情を説明した。


「奥田先生がいつかお二人を殺害しようと秘かに企んでいたのを、私は実はかなり前から薄々感じ取っていました。以前、お二人に拳銃をお渡しして訓練をお願いしたのも、実はそれが本当の理由だったんです」

「そうだったのか……」

 「私が先生のことを警戒し始めたのを、先生も気づいていたんでしょうね。私がお二人に何か入れ知恵をするんじゃないかって恐れていたようです。そのせいか、ここ半年ほど、私は先生から何かと理由をつけては海外へ行くよう何度も命令されていました。だから最近、全然お会いできませんでしたよね私たち」

「そうそう。セバスティアンずいぶん忙しいんだなって思ってた」


「それでも、5000兆円がまだ黒いATMの中に残っているうちは、ATMを動かせるのはお二人だけしかいないので、まだ殺される心配はありませんでした。

 問題は5000兆円を無事に使いきった後です。そうなったら、先生にとってお二人を生かしておく理由は何も無くなるわけですからね。

 その後は、先生はきっと本気で殺しにくるはずだろうから、私は絶対にお二人の側から離れてはいけない、って心に決めていたのですけど……」

「奥田先生から、極秘任務でアメリカに行けって命令されたんだろ?」


 和夫の説明に、セバスティアンは笑いながら大げさに驚いてみせた。

「え?皆さんは先生からそんな風に聞かされていたんですか?私、アメリカなんて行ってませんよ。私は二日前にいきなり入国管理局の役人に連行されて、それからずっと警察に拘束されてたんです。パスポートの内容に不備があって不法滞在の可能性がある、という理由で」

「ええー!?」


 和夫は一旦は驚いたが、しばらく考えると全てに合点がいった様子で、なるほどなぁと何度もうなずいた。

「いやー。昨日は先生なんか様子おかしいなーって俺も思ってたんだ。それはそういう事だったのか。

 実は昨日、5000兆円を使いきってみんなで大喜びしてた時の事なんだけどさ。きっとセバスティアンも結果が気になっているだろうからって、携帯に電話して教えてやろうとしたんだよ俺。そしたら、奥田先生にすごい怖い顔で睨まれて携帯を奪われたんだ」

「……うわぁ。露骨ですね」

「セバスティアンは今、超極秘任務をやっている最中なので一切の余計な連絡は取るな、セバスティアンにはしかるべき時間を選んで私から連絡するって、先生が不自然なくらいカンカンに怒ってさ」

「まあどちらにせよ私はその時、警察に携帯電話没収されてましたけど。でも、和夫さんと私が絶対に連絡を取れないよう、念には念を押したんでしょう」


 お前の方は大丈夫だったの?と和夫が尋ねると、セバスティアンはいつものような穏やかな笑みを浮かべながら答えた。

「私の方も、入国管理局に捕まった瞬間に、先生の魂胆がすぐ分かりました。

 だって私たちは共和国の重要人物で、入国審査なんて半分顔パスで通るくらいなんだから、不法滞在の疑いなんて、もう明らかに言いがかりなんですよ。奥田先生は、私が居ない間にお二人を殺す気なんだなと確信しました」

「それで、セバスティアンは一体どうやって解放されたの?」

「脱走しました。取り調べの警官をだまして、トイレの窓から」


 しれっとそう言い放つセバスティアンの顔を見ながら、「お前もずいぶん思い切ったことするねえ……」と和夫は呆れ顔で言った。虫一匹も殺しそうにない透明感のある可愛らしい童顔のくせに、平気な顔して警官をだまして脱走するわ、一切ためらわずに拳銃は撃つわ、彼が時に見せる意外なほどの荒々しさに、和夫にはセバスティアンという人間が時々よく分からなくなる。


「お二人の命が懸かってますから、それくらいやるのは当然ですよ。

 私は以前から、もし奥田先生がお二人を殺そうとするなら、それは外に音の漏れないこの地下金庫の中でやるに違いないと睨んでいました。だから、警官から逃げ出してこの屋敷に着いたら、私は一直線にこの金庫に向かったんです。

 そうしたらやっぱり、全て予想していた通りでした。間に合って本当に良かった。身柄を拘束された日、たまたま金庫の合鍵をポケットに入れて持ち歩いていたのも本当にラッキーでした」

「そうだったのか……改めて、ありがとうなセバスティアン」

 和夫にかしこまって礼を言われて、セバスティアンは照れ臭そうに微笑んだ。


「それにしても、奥田先生に言い返した時の和夫さんの気迫、素晴らしかったです。よくもまぁ、あそこまで堂々と先生にハッタリをかませましたね」

 セバスティアンにそう言われて、和夫は最初一瞬、何のことか分からなかった。

「え?ハッタリ?」


「100ホケレイロ札なんて、今じゃ10000分の1円にもなりませんから、こんなお札を一枚破ったところで、端数として切り捨てられてしまうんですよ。

 今までも、為替換算などで割り切れずに1円以下の端数が出た時には全部切り捨てられていましたから、その理解でまず間違いないと思います。だから、あの札を破り捨てた今でも、黒いATMの残高は0円のままです」

「え!!そうなの!?」

「ええ。奥田先生だってその様子は今までに何度も見ていましたから、彼がそれを知らないはずがないんですけどね。それなのに、あの頭のいい先生がとっさにそのことを思い出せず、『ひょっとしたら0円じゃないかもしれない』っていう不安に駆られて、お二人を殺せなくなってしまったんですから。

 和夫さんのハッタリがあまりにも鬼気迫るものだったから、その気迫に押されて、先生のとっさの判断力が狂わされたってことですよ」


 そう褒められた途端、和夫は今さらながら恐怖に震えだした。あの時の奥田先生がもう少し冷静でその事に気付いていたら、自分はあっさり撃ち殺されていたんだなと思うと、今頃になってゾッと冷や汗が出てきた。


「いやいやいや。ハッタリでも何でもないよ。俺は素で思った事をそのまま言っただけだって。あの時は、札をビリビリに破ったからもう残高は0円じゃなくなったって、完全に信じて疑ってなかったもん俺。

 もしあの時『ひょっとしたら残高は0円のままかも』なんて所まで頭が回ってたら、俺、あんな自信満々に啖呵切れるわけないじゃん」


 和夫のその言葉を聞いて、セバスティアンはくすくすと笑った。

「それは、偶然そこまで頭が回ってなくて本当に良かったですね」


「ああ。今回ばかりは自分がバカで良かったと心底思うよ」

 そう言って和夫もニコッと笑った。


 正確に心臓を撃ち抜いたセバスティアンの弾丸によって、奥田先生は死んだ。即死だった。

 この後、セバスティアンが正直に警察に自首しても、奥田先生の殺人を止めるためだったと主張すれば正当防衛と不可抗力で無罪になる可能性は十分あった。だが、その取り調べの過程で、5000兆円にまつわる秘密が外部に漏れてしまう危険性はゼロではない。


 そこで、残されたメンバーで極秘裏に相談した結果、先生は不運にも強盗に殺されたということにした。

 和夫の邸宅の地下金庫に強盗が侵入、たまたまその金庫の中で話をしていた三人と偶然鉢合わせてしまい、三人とも撃たれてしまった。和夫と美知子は一命をとりとめたが、運悪く弾丸が急所に当たってしまった先生だけが即死した。犯人は逃走中で行方不明。

 少々、現場の状況と辻褄が合わない点もあったが、牧歌的なカロカロ共和国の警察に精密な科学捜査などできるはずもなかったし、警察組織は実質的に彼らの手の内にあったので、セバスティアンと和夫、美知子の証言は疑いを挟まれることもなくあっさりと信用された。


 奥田先生以外のメンバー達はみな、先生の能力を尊敬してはいたものの、どこか冷酷な人だなとも実は内心思って警戒していたらしい。先生に拳銃で殺されかけたと聞くと、全員が素直に和夫と美知子に同情してくれた。

 メンバー達は口々に、彼なら確かにやりかねないな、彼は優秀な仲間だったが、さすがに殺人はやりすぎだ、などと言って擁護してくれた。


 和夫はメンバー達のことをずっと、奥田先生の飼い犬のような奴らだとばかり思い込んでいた。だから先生を殺したことで仲間割れが起こるのではないかと心配していたのだが、意外なことに奥田先生が死んでしまったことについて、誰一人として和夫と美知子とセバスティアンのことを責めることはなかった。


 奥田先生の死をどう処理するかの結論が出ると、次は1300兆円の分け前について皆で話し合った。最初の頃、奥田先生は成功報酬として100兆円を自分によこせと言っていた。日本の国家予算一年分にも匹敵するそんな大金を使って、彼が一体何をたくらんでいたのか、今となっては誰にも分からない。

 だが、残されたメンバー達は話し合いの結果、そういう考え方でお金を分け合うのは止めようという結論に至った。


 例えば、1300兆円を十人のメンバーで平等に一人130兆円ずつ分け合ったところで、そんな金額はどうせ、孫やひ孫の代までかかっても到底使いきれやしないのだ。だから、お金をどう分割するかについて話し合ったところで、実はほとんど意味は無いのである。

 それよりも、誰かが調子に乗ってこの金を派手に使い過ぎて存在がバレたり、大量にばらまいて世界経済に影響を与えてしまったりするのを防ぐことの方がずっと重要だろうということになった。

 そこで、誰かがそのような危険な使い方をしないように、メンバー間で相互に監視をする仕組みを作ることにした。

 一年に一度、全員でこの金庫に集まって口座の残高をチェックし、各自がその年に使ったお金の額を公表しあう。一人が一年間に使っていい額は原則として三億円までとし、それ以上の大きな額を使いたいと思った時は、事前に使い道を全員に連絡して、全員の了解を得る。議論の結果、そんなルールが決められた。


 決められたルールは、その場で文章とし、契約書の形で残す。片岡さんが起稿した契約書をみんなでじっくり見て、条文を吟味して納得した上で全員がサインした。契約書は人数分だけコピーを用意して、それは各自が責任をもって保管する。


 契約書の締結が終わった時、これで本当に全ての作業が片付いたと、誰もが晴れ晴れとした顔をしていた。それでは一年後にまたお会いしましょうと、次の再会の日を決めて打ち合わせを終わろうと皆が立ち上がった、その時――


 「ちょっと待って!」


 大きな声を上げて一同を引き留めたのは、和夫だった。

 でも、威勢よく呼びかけた割には、全員が一斉に自分の方を振り向くと、和夫は途端に頭が真っ白になってしまったらしい。何を言ったらいいのか分からなくなり、声が急に弱々しくなる。アーとかウンとかしばらく呻いたあと、絞り出すように「ひ……一つだけ、ちょっといいかな?」と小声で吐き出した。


 和夫がこんな風に自分から発言をするのは非常に珍しい。ひょっとしたら、この十年で初めてのことかもしれなかった。誰もが意外そうな顔を浮かべ、一体何を言い出すのかと彼の次の言葉を待った。


「あのさ。俺この十年間、5000兆円みたいなバカバカしいほどのでっかいお金に振り回され続けてきて……。それで思ったんだけどさ……」


 和夫はそのまま黙りこくってしまう。思わず片岡さんが尋ねた。

「どうしたんですか和夫さん?」

「……なあ。お金って、一体何なんだろうな?」

「は?」


 和夫がいきなり哲学者のようなことをつぶやき始めたので、一同は思わず互いの顔を見合わせた。和夫はいきなり何を言い出すのか。


「お金って、幸せになるためのものだろ?……だけどさ、この5000兆円で俺たち、本当に幸せになったのかな? 少なくとも俺は違う。この金のせいで、むしろ不幸になったような気もする」

「それは……あなたがずっと山奥に隠れ住んでたからですよ金井さん。これからはカロカロ共和国でのんびり贅沢に暮らせますから、何一つ不自由のない幸せな人生が待ってますって」

 片岡さんはそう言ってたしなめたが、和夫は納得していない。


「贅沢に暮らして何一つ不自由のない幸せな人生か……。まあ、美知子なんかはそれで満足してるだろうし、昔のバカな借金生活と比べれば、今の方がずっと幸せであることに違いはないんだけどなぁ……」

「一体、何がおっしゃりたいんです?」


 すると和夫は、あふれ出る想いを丁寧にすくい上げるように、自分よりずっと優秀な人達に向かって訥々と語りかけ始めた。ぼんやりとした普段の彼とはまるで別人のような、たどたどしいが堅い意志のこもった、力のある声だった。


「俺……バカだからさ。幸せが何なのかとか、そんなことを上手に説明なんてできないんだけど、……まあ要するに、俺が言いたいのは……」


 和夫は自分の考えをうまく言葉にできないもどかしさに、苛立たしげに頭を掻きながら吐き捨てるように言った。


「この残った1300兆円、自分達だけじゃ絶対使いきれないくらいの大金なのに、なんでここにいる誰一人としてこの金を、世のため人のために使おうとしないのか、ってことなんだ」

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