第1-4話 今日のレッスンメニューは小籠包(4/4)
「次は、お待ちかねの試食です。試食用に食べられる分だけ、蒸籠に入れてくださいね。残りは、冷凍して持って帰っていただきます」
「久保さんは1番、深谷さんは2番、滝川さんは3番、クレスウェルさんは4番、原田さんは5番の蒸籠です。番号を覚えておいてくださいね」
佐和先生は、蒸籠に振られた番号を確認しながら、一人ひとりに蒸籠を手渡してくれた。
(お隣さんの名前、なんて言った?やっぱり、暮林さんとは言わなかったよね?)
早都は、北島さんタイプさんの名前を確認したくて、佐和先生が北島さんタイプを呼ぶ度に耳を澄ましていたが、なかなか聞き取れなかった。
佐和先生がキッチンで小籠包を蒸している間に、深谷さんがテーブルを拭き、滝川さんと北島さんタイプさんが、ランチョンマットとお箸、レンゲを用意してくれた。早都は、お箸とレンゲのセッティングを手伝いながら、思い切って尋ねた。
「皆さんは、何度もレッスンにいらっしゃってるんですか?」
「私は、小籠包だけでも3回め。上手に包めるようになりたくて、何度も通ってるの。ここに通い始めて、2年ぐらいかな」
と、滝川さん。深谷さんと北島さんタイプさんは、それぞれ半年~1年ほど通って、ようやく念願の小籠包レッスンが予約できた、と話してくれた。
「原田さんは、初めてですか?佐和先生のレッスン、楽しいですよ。美味しいレシピばかりだし、家族の評判もすごくいいんです」
「えっと、確かクレスウェルさんのご主人は、外国の方でしたよね。ご主人にも、評判がいいんですか?」
滝川さんが、北島さんタイプさんに尋ねた。
「夫は、アメリカ人なんですけど」
北島さんタイプさんが、早都の方を向いて説明してくれる。
「味覚は、比較的私と似ているんです。だから、先生の点心は、大好物。今日も、お持ち帰りを、とても楽しみにしているんです」
(ご主人が、アメリカ人。だから、カタカナ苗字なんだ。道理で聞き取れないはず)
早都は、独り言ちた。
そうこうしているうちに、教室にいい匂いが漂ってきていた。小麦粉の皮の匂いに豚肉と鶏ガラスープ、生姜の匂いが混ざった、点心屋さんの匂いだ。
「そろそろ蒸し上がります。皆さん、席に座ってください。順番に蒸籠を持っていきます。蒸籠はとても熱いので、気を付けてくださいね」
佐和先生が、蒸籠を持ってキッチンから戻ってきた。佐和先生がキッチンに行ってからの時間、ずっとレッスン部屋にあるミニチュア点心(玄関のものとは違って15センチ弱の蒸籠の中に何種類もの点心が入っている作品)などを鑑賞していたハンター久保さんも、席に座った。
佐和先生が、蒸籠のふたを取ってくれる。湯気が、ふわっと広がった。早都は、思わず
「わぁ~」
と、歓声を上げてしまった。早都だけではなく、みんなも、感嘆の声を発していた。水蒸気が落ち着くと、中から光輝く衣を纏った小籠包が、姿を現した。穴からスープが、ぽこぽこっと沸き出ていて、蒸したてであることを自己主張しているかのようだ。
「蒸す前は、形の良し悪しがはっきりしていますが、蒸すとほとんど変わらないでしょ。どうですか?」
佐和先生の話を聞きながら、みんなそれぞれに蒸したての小籠包を写真に撮った。
(蒸す前の形の方が、かわいかったかも…。写真を取っておけばよかったな)
そう思いながら、早都は、数枚の写真を撮って、スマートフォンを片付けた。
「とても熱いので、火傷に注意してご試食くださいね。針生姜、黒酢、お醤油を用意していますので、お好きなものでお召し上がりください」
薬味が入っている食器も、素敵だった。上海で購入したものだと、佐和先生が言っていた。鍋敷きのように使う、蒸籠を載せる「蒸籠敷き」の存在も、早都は初めて知った。早都の家には、蒸籠も無い。蒸籠も蒸籠敷きも、合羽橋で購入できる、と教えてもらった。
試食の後、帰り支度をしに控え室へ向かおうとしていたクレスウェルさんに、佐和先生が話しかけた。
「クレスウェルさん、探されていたパイナップルケーキ型は、見つかりましたか?」
「ネットで探してみたんですけど、パイナップルケーキ型って、色々あるんですね。まだ、決めきれていないんです。四角形もいいですが、パイナップルの形やハート型もいいかな、と思ったり……」
「深谷さんがこの前作っていた丸型も、かわいかったよね」
滝川さんが、会話に加わる。
「小判型もかわいく仕上がりそうな気がするよ」
深谷さんも応じた。
(滝川さんと深谷さんは、顔なじみなのかもしれないな)
「考えると、あれもこれも欲しくなってしまうんです。いいな、と思うものをどんどん買い物かごに入れてしまっていて……」
と言うのは、クレスウェルさん。
「わかる、わかる」
「後で買おうと思って、そのままになってしまっているものも、ありますよね」
「私もです」
ここまではネットショッピングあるある、早都も同じだ。ところが、クレスウェルさんは、半端なかった。
「私は、ついに「これ以上買い物かごに入りません」ってメッセージが、出てしまうようになったんです。だから、何かを買おうとすると、まずは買い物かごから1つ削除しないと、先に進めないんです」
「え~っ!!」
驚きの声が、シンクロした。
(かなりお茶目なクレスウェルさん。やっぱり北島さんタイプさんだ。名前が、覚えにくいから「クレさん」と覚えておこう)
「お先に失礼します」
みんなの会話を余所に、先に控え室へ戻っていたハンター久保さんが、帰って行った。ハンタータイプの羨ましいところは、常に自分のペースで生きているところだ。
控え室で帰り支度をしながら、早都は、パイナップルケーキのことを考えていた。
(お土産で貰うパイナップルケーキは、また食べたいと思うほどの味ではなかったし、四角い地味な外見ということもあり、パイナップルケーキのレッスンは、受講候補ではなかったけれど、形のアレンジができるのなら、いいかもしれない)
「パイナップルケーキは、ちょっとしたプレゼントにもなりますか?」
早都が、誰にともなく問いかけると、
「手作りの手土産は、パイナップルケーキに決めてるよ。佐和先生のレシピは、すごく美味しいから、ここで習った中では、一番よく作っているかも。タッキーもだよね」
深谷さんが、答えてくれた。同意を求められた滝川さんも、
「家で作っておいておくと、すぐに無くなるよ。実家の父と母も、大好きだし、よく作って持っていくよ」
と、教えてくれた。パイナップルケーキ型を購入しようとしているくらいだから、クレスウェルさんも何度も作っているのだろう。
「皆さんのお勧めなら間違いないですね。今度、レッスンのリクエストしてみます」
帰り支度が整った早都は、滝川さん、深谷さんと一緒にお教室を後にした。クレスウェルさんは、まだ先生と話続けていた。
「私たちは、有楽町線で帰りますが、原田さんは?」
「私は、副都心線です。今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
滝川さん、深谷さんと別れてから家に帰るまでの道すがら、早都は、今日のレッスンを振り返って、満足感でいっぱいになっていた。
(小籠包、包むのは難しかったけど、美味しかったな。佐和先生の説明もわかりやすかったし、皆さんもいい人だったから、ほっとした。「点心教室 ICHIPAOBA」は、透明感のある、すごく流動的な形のカプセルだったなあ。ボールというよりは、金平糖の形に近いかも。どんなに飛び出している個性もそのまま包み込んでしまうような、包容力があるカプセル……。思い切って、行ってみて、本当によかった)
帰宅後、早速、お持ち帰り小籠包で夕ごはん。レッスンで力尽きていた早都は、簡単にできる「きゅうりと卵のオイスターソース炒め」と「舞茸ワカメのスープ」を用意した。
蒸し器に小籠包をセットし、しゅんしゅんと蒸気が上がっている鍋に載せて8分。ふわぁっといい匂いが、充満してきた。
(お教室でも嗅いだこの匂い、なんと表現すればいいのだろう。美味しい中華の匂い)
子どもたちも、テーブルにスタンバイしている。蒸し上がりを知らせるタイマーが、鳴った。蒸し上がった小籠包をお皿に移して、ダイニングテーブルの上へ運んだ。
(やっぱり、蒸籠の方が雰囲気あるな~。今度、合羽橋まで買いに行こう)
「食べていい?いただきます」
待ちかねた家族それぞれが、小籠包を1つずつレンゲに取る。
「熱いから気をつけて。一口で食べたら、火傷するよ。まずは、割って食べて」
そう言って、早都は、箸を使ってレンゲの上の小籠包の皮を破った。中から現れた透明なスープが、レンゲを満たした。
「何か調味料付けた方が、いい?」
「かけるとしたら、お醤油とか黒酢とか。針生姜を合わせても美味しいけど、そのままでもいいかもよ」
家族で蒸したての小籠包を堪能した時間は、あっという間だった。朝からお教室に出かけて、小籠包を習って作って、帰ってきたら、ほぼ休む間もなく夕ごはんの準備をして。ここまで掛かった時間に比べれば、食べるのは本当に一瞬で、あっさり終わってしまった。
(でも、美味しかった。みんなも美味しい笑顔でいっぱいだったし、満足、満足。もっとたくさん食べたいというリクエストにこたえて、近いうちにまた作ろうっと。形はともかく、味に関しては、お店のような小籠包ができたしね)
早都は、心の奥にあるトゲが抜けた後の穴の回りに、ポッと明かりが灯った気がした。
食事の後かたづけをしながら、早都は、次のレッスンのことを考えていた。
(次は蝦餃子を習いたい、と思っていたけど、蝦餃子は最難関だから、もう少し通ってからにしよう。パイナップルケーキも良さそうだけど、まずは、王道点心を何種類か習おうかな。洗い物が終わったら、また、お教室のHPをチェックしてみよう)
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