第3-1話 手作りメロンパンは幸せの形(1/4)

 「寒っ」

 地下鉄日比谷線入谷駅の4番出口から地上に出てきた原田早都さとは、軽く身震いをした。

 「天気予報は、今日は日差しが温かい、と言っていたのになあ」

 予報に裏切られ、少し気分が落ち込み気味になった早都は、独り言をつぶやきながら、足早に昭和通りを三ノ輪方向に向かって歩き出した。今日は2ケ月前から楽しみにしていた「パン教室 こなこな日和びより」ひな子先生の「メロンパン」レッスンの日だ。

 「酵母好き」が高じて、住んでいたお部屋が、酵母の住処と化してしまったという、ひな子先生のレッスン、早都が、ひな子先生のレッスンを受けるのは、今日が初めてだ。早都の家から入谷駅まで、JRと京浜急行、東京メトロを乗り継いで1時間半、入谷駅から5分ほど歩いたところにあるというお教室(酵母の住処)まで、もうすぐだ。


 レッスン開始の10分前、早都が、お教室のインターホンを押すと、ひな子先生が、笑顔でドアを開け、迎えてくれた。ナラカミーチェのチェックのフリルブラウスにラセットブラウンのロングスカート、薄いクリームイエローのエプロンというスタイルのひな子先生は、とてもエレガントな印象だ。

 「原田さんですね。はじめまして。深谷ふかやひな子です。本日は、遠いところをようこそ。レッスンが始まるまで少し時間があるから、ひと息ついてくださいね」


 奥のソファーには、既に、タッキーこと滝川かおりが座っていた。タッキーは、「点心教室 ICHIPAOBAいーちーぱおば」で知り合ったレッスン仲間であり、「パンを習ってみたい」という早都の希望を聞いて、この「パン教室 粉こな日和」を紹介してくれた人物である。

 「ひな子先生は、お教室を「酵母の住処」と呼んでいるんだよ」

と、教えてくれたのも、タッキーだ。以前から、ひな子先生のレッスンを受けているタッキーも、メロンパンのレッスンは未受講だったようで、今回、早都と一緒のレッスンに、受講申し込みをしてくれたのだった。


 「タッキー、今日はありがとう」

「全然。私も、メロンパンは習ってみたかったから、大丈夫よ。場所は、すぐにわかった?」

「タッキーから、目印を聞いていたから、迷わずに来られたよ。ありがとう」

「今日は、思ったよりも肌寒いね」

「本当にね」

「朝から雲が多くて、すっきりとは晴れていないし、その服装じゃ寒かったでしょ?」

「天気予報では、最高気温が25度って言っていたから、薄着で来ちゃったけど、もう一枚羽織ってくれば、よかったかな」

 早都が、タッキーと会話を交わしていると、ひな子先生が、ハーブティーを入れてくれた。爽やかな香りが、漂ってくる。今日のハーブティーは、レモンフレーバーが配合された、春らしいブレンド茶だそうだ。花粉症を和らげてくれるというネトルやエルダーフラワーも入っているという。

 「今日のレッスンは、4人の予定なの。あと2人揃うまで、待っていてくださいね」

 ネープルスイエローのロングカーディガンを脱ぎ、持参してきたエプロンを身につけ、身支度を整えた早都は、コーヒーテーブルを挟んでタッキーの向かい側に座ると、ハーブティーを一口飲んで落ち着いた。

(すっきり爽やかで、美味しい~。身体も温まる)

 ハーブティーで人心地がついた早都は、「酵母の住処」(ひな子先生の家族は繁殖を続ける酵母に追いやられるように、近くにお部屋を借りて引っ越してしまったとのこと)を、ぐるっと眺めた。オープンキッチンのLDKがレッスンスペース、ダイニングテーブルに代わって置いてある作業テーブルは、立って調理がしやすい高さのもの、大理石ののし台が4つセットされている。早都が座っているリビングコーナーのコーヒーテーブルには、4か所にレシピが置かれていた。部屋には大きな本棚があり、パン作り、お菓子作り、和の家庭料理からフランス料理に至るまで様々な「食」に関する本で埋め尽くされている。一般企業に勤めながら、数々のレッスンに通っていた経歴を持つひな子先生、

(食作りにどれだけの費用と時間をかけてきたのか、蔵書を見るだけでもその一端が窺える)

 と、早都は、その情熱を推し計った。


 「お伝えしたいことがたくさんあります。こだわりのレシピで食卓を豊かにしてみませんか」

 タッキーに教えてもらった「パン教室 粉こな日和」のHPをアクセスした時、ひな子先生が、語り掛けているこの言葉を見つけ、早都は、その瞬間にひな子先生の大ファンになった。今まで学んできたことを、漏らすことなく還元したいという、ひな子先生の思いが、直に伝わってきて、心打たれた。そして、レッスンの申し込みを即決したのだった。


 そうこうしているうちに、2人の受講生が、相次いでやってきた。

 一人は、きらきら輝く光を放っているかのようなかわいらしい女性、彼女は、黒のAラインワンピースを着ていた。裾がアシンメトリーになっているところが、ファッショナブルだ。もう一人は、落ち着きのある知的な感じの美人さん。深緑色の長めのカットソーにレギンスを合わせたスタイルが、長身の彼女にはとても似合っている。二人とも30歳くらいだろうか。

(自由奔放な妹としっかり者のお姉さん……。ドラマか漫画の世界にありそうな設定だな)

 と早都が思っていると、タッキーが、2人に声をかけた。

 「友利ちゃん、美佳ちゃん、今日はよろしくね」

 タッキーは、彼女たちと顔馴染みのようで、早都のことを紹介してくれた。

「こちらは、原田早都さん。今日が、パン作りデビューなの。よろしくね」

「原田早都です。パン作りは、初めてでワクワクしています。よろしくお願いいたします」

「タッキーさん、早都さん、おはようございます。大橋友利です。よろしくお願いします」

「タッキーさん、お久しぶりです。早都さん、はじめまして。志賀美佳子です。ご一緒できて嬉しいです」

 挨拶の声にも、ハリがある。長身のお姉さんタイプさんが、友利ちゃん。輝く妹さんタイプさんは、美佳子ちゃん。2人は、てきぱきとエプロンを身に付け、席に着いた。彼女たちにもハーブティーをサービスすると、ひな子先生も、そばの椅子に腰を下ろした。

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